第七十九話 斜め上への罪滅ぼし  ②



「ちゃんとわかってます! ……それにこれは私なりの贖罪しょくざいでもあるんです」


 ドア越しに聞こえる夜空谷よぞらだにさんの声のトーンが一段階落ちた気がした。


 絶対に周りが見えなくなった暴走だと決めつけていた僕だけど、その反応に少し言葉が詰まる。


 それに夜空谷さんは気になる言葉を言っていた。


「贖罪?」

「……私は空森からもり君の、その、あれを思い切り握ってしまったじゃないですか?」

「あぁ、うん……正直記憶にないんだけど、そうみたいだね」


「記憶にないんですか?」

「すぐに意識が飛んだのか、はたまた記憶が焼き切れたのかは知らないけど。僕に起きた悲劇は茅ヶ崎ちがさきさんが教えてくれたんだ」


 冗談みたいな話だけど、体の状態が茅ヶ崎さんの言葉を裏付けていたし、鶴屋つるや先生も肯定していたんだから間違いはないのだろう。


 というか、犯人である夜空谷さんが自白してるんだから間違いないんだけども。


 コンッとドアから音がした。

 ショリショリと髪の毛が固いものに擦れるような音も聞こえる。


 夜空谷さんが頭をドアにぶつけているのかな?

 でもなんで?


「怒りに身を任せたこととはいえ、やっぱりやってはいけない事だったんですね……。記憶をなくすほどのことだとは思いもしなくて……」

「誰かに何か言われたの?」


「泡を吹きながら倒れた空森君を見たのも理由の一つです。それと倒れた空森君に駆け寄った茅ヶ崎さんの慌て方が尋常ではなかったので……。『そこだけはやっちゃダメっすよ⁉』って物凄く大きな声で言われました……」


 あぁ、確かに僕を見ての第一声がまだ男でいるかどうかだったもんな。

 股間は洒落にならないことをちゃんとわかっていたんだろう。


 ギャグでしか金的を知らないなら、男に対して繰り出せる必殺の一撃くらいの認識なのは仕方がないとも言えるし、夜空谷さんとしては最大級のお仕置きくらいの気持ちだったのかもしれない。


 それがガチ目のお説教をされたので、それこそネットで調べでもしたのかな。


 男子 股間 思い切り握る。


 みたいな検索をすれば、新たな性癖を開く扉もたくさん出てくるだろうけど、危険性についても言及しているサイトも出てくるだろうし。


 いや、むしろ新しい扉を覗いたのかな?


 自らが金的受けて喜ぶパターンもあるんだろうけど……金的を受けて苦悶している姿を見て興奮するみたいなパターンもある!


 危険性の説明を見ずとも、泡吹いて倒れた僕を実際に見て、更にダメ押しで股間は攻撃されたら苦しいものと理解できれば危険性はわかるはずだ。


 ……まぁ、その場合だったなら、ちょっとリスクがあったな。

 新たな扉を理解して、記憶の中の僕を思い返した時に感じるものが反省ではなかったなら……!


「苦しんでる空森君可愛いとかにならなくて良かったぁ……‼」

「私はそんなひどいこと思いません!」


 やべっ⁉ 思わず声に出てた!


 でも本音ではある!

 性癖なんて傍から見てわからないのが普通なんだから!


 それこそSなのかMなのかという簡単な区分けで見ても、僕は夜空谷さんがどちらに属しているのか知らないしわからない。


 新たな扉を開けるという行為はそれ相応のリスクがつくものなのだ!!


 いや……そんな話をしたいんじゃなくて。


「えと、話を戻したいんだけど。贖罪ってどういうこと?」

「……ひどいことをしてしまった以上、私も同じように身を差し出さないと許しを請うには釣り合わないと思って……」

「…………だから胸を?」

「はい。だから胸を!」


 いや、そうはならないと思うんだけど……。


 だいたい女性用の下着売り場で下着構えた彼氏が「着ている姿を想像してやる!」って飛び出して来たら去勢してやろうとキレ散らかしても仕方ないと僕は思う。


 やってることを言葉で聞いただけでも最低だもの!


 でも、それを踏まえて尚、夜空谷さんなりに考えて辿り着いた答えは贖罪だった。


 つまり、夜空谷さんは僕が怒っていると思ったことになる。


 互いを好きになる第一歩。

 そんなのとっくに踏み出したつもりだったけど、それを今わざわざ言葉にしたのは……。



 仲直りの第一歩。

 そういうことなんだろう。



 ……気まずさ急上昇だ。

 きっかけは夜空谷さんと言ったけど、そのきっかけのきっかけはむしろ僕のほう。

 それなのにこんなことまでさせてしまった。


 閉めた扉をもう一度開けた。


「あ、揉む気になりましたか?」

「なってないです」

「それだと困ります! そこを拒絶されたらこの後のプランが全て頓挫してしまいます!」

「これプランの入り口なの⁉ いや、そんなの全部お蔵入りだから!」

「でも……それだと……!」


 夜空谷さんがオロオロと狼狽し始まる。

 これを拒絶されたら仲直りも出来ないとかそんなことを思ってくれているんだろうか。


 いじらしく感じてしまうけど、今の僕がそれを思うのは流石に不謹慎だろう。


「私はどうしたら……」

「……おっぱいは揉まない。というか、部屋にいる間、僕は絶対に夜空谷さんに触れない。それがお互いのルールってことで納得してくれるなら……どうぞ」


 俯き始めていた夜空谷さんがパッと顔を上げた。

 目をぱちくりさせて、僕の言葉をゆっくりと理解した彼女は、


「……はい!」


 とびきりの笑顔を見せてくれた。


 ……ちらっと見えただけでも破壊力抜群だった格好に加えて、その笑顔まで加算された破壊力はあまりにも凄まじくて──。


 僕は僕の理性がぐらぐらと激しく揺れるのを感じながら、自身の罪を懺悔するべく夜空谷さんを部屋へと招き入れた。

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