第七十一話 異口同音な競技  ③


 身の危険を感じた。

 掛け値なしにヤバい気配を感じた。


 なんせ歴戦の第六感がすぐさま逃走せよと体に命令をしてきたくらいだ。


 気付いた時にはその場から脱兎のごとく逃げ出していた。


 僕のその行動は命の危機を感じたから故のものだったんだけど、観客からすれば競技が始まったように見えたに違いない。


 ワッと沸くような歓声が聞こえた瞬間、僕はもう腹を括るしかなくなったようだ。


 けど、意味がわからないのは今に始まったことじゃない。

 こうなったからにはどこまでも一人で逃げるだけだ!


空森からもり君?」


 でも、ドームを出てすぐに夜空谷さんを見つけたので、僕は全力で彼女に泣きつくことにした。


「おおおおおおおおおおおん! 夜空谷よぞらだにざぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん‼」

「なんなんですか⁉ 男泣きしながら近づいてこないでください! 早くどっかに行ってください‼」

「泣いてることに変わりはないんだから心配くらいしてくれてもいいんじゃないかな⁉」


 どうしたんですか⁉

 何故泣いているんですか⁉


 ……みたいな感じで心配してもらえる予定だったのに、第一声が「なんなんですか⁉」で始まって「どっか行け」で終わる会話はもううざい奴への対応だと思うんだ……。


「泣いてる理由はわかります。借り物競争が空森君争奪戦になっていることですよね?」

「あ、それは理解してくれているんだ」

「だから早くどっかに行ってください!」

「だからって接続詞は本当に合ってるのかな⁉ 話が繋がってないと僕は思うんだ⁉」


 あれを見た後なら僕の混乱をわかってくれていいと思うんだ!


 夜空谷さんはまるで睨むように眉根を寄せながらジーッと僕を見てくる。


 あ、あれ? どういう感情なんだろ?

 お世辞にも勉強が出来るとは言えない僕に接続詞がどうとか言われて怒ったのかな?


「空森君は今の状況を理解しているんですか?」

「え? 四面楚歌だって思ってるけど……」

「それはあってます。そうではなくて、捕まったらどうなってしまうのかという意味です」

「捕まったら? このヘッドギアを外されるんじゃ?」

「甘すぎます‼」


 あわや顔が触れあいそうな勢いで夜空谷さんがグイっと身を乗り出してくる。


「いいですか? 空森君たち男子は私たちにとって未知数であり、それこそ理由がなく怖いと思うような存在でもあります! ですが、それと同じくらい……いえ、それ以上にとても興味のある対象なんです!」

「興味?」

「……言ってしまえば、とりあえず触ってみたいとかそういうことです」


 夜空谷さんが思い切り眼を逸らした。

 これは実体験を含めて話しているということなのかな?


 そういえば、告白されたときに握手をしてきたのは夜空谷さんのほうだったっけ。


 それで手の消毒をされ、て──。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん‼」

「今度はなんですか⁉ その男泣きには心当たりがありません!」


 忘れかけていたトラウマがこんにちはした……。


「ほら、最近はなくなったけどさ……僕に触って、手の消毒をしていた時期があっ、たじゃない……?」


「あぁ、ありましたね」

「あれは興味本位で触ったら、思ったよりも生理的に無理だったとかそういうことなんでしょうか……?」


 その場合だとこの競技は一気に僕のメンタルブレイク祭りに姿を変える。

 お嬢様たちが僕に群がって、僕に触った全員が触れた箇所を洗い出したら……流石に立ち直れない気がする……!


「う〜ん……? そうでもあって、そうではないとも言えるかもしれません……」


 そんな運命の質問に対して、夜空谷さんの答えはやけに曖昧な感じだった。

 なんというか……遠慮してる感じがする?


「えっと、それはどういう?」

「…………空森君の手汗がすご──」

「はい、待ったぁぁぁぁ‼ もう大丈夫! もう結構です! あの行動に対しての正当性は十分証明されました!」


 危なかった……!

 最後まで言葉にされていたら死んでいたかもしれない……!

 ギリギリで遮ったから、なんとか致命傷で済んだ……‼


 方向性がちょっと違ったよ!

 生理的に無理とかじゃなくて、汗が汚いはそこそこ真っ当な感性だよ!


 その処理が最終的に使ったものの滅却なのは少しやりすぎてる気がしなくもないけど、他人の汗を拭いたハンカチをポケットとかに入れたくないって心理は理解できないわけじゃない。


「つ、つまり──体育祭の真っ最中である汗まみれの僕は……もはや汚物⁉」

「誰もそこまで言ってないです!」

「逃げ切る理由が増えた……興味本位で触られて、汚いとか言われる可能性が捨てきれない!」


 そうとわかればこんなことしている場合じゃない。

 競技開始の準備時間である十分は僕が動き出した時点でカウントを始めているはずだ。


 つまり今こうしている時間はとんでもない悪手だ。

 少しでもドームから離れて、カメラを通してみても場所の特定が難しい場所に行かないと!


「……あの、空森君」


 再び駆け出そうとしたら、夜空谷さんの声が聞こえた。

 顔だけ向けると何やらもごもごと口を動かして、言葉に詰まっている夜空谷さんと目が合う。


「…………捕まらないでくださいね?」

「もちろん! 僕だってそんな心の修業みたいな目に合いたくないしね」

「そういう意味じゃないです!」

「え? じゃあどういう──」

「~~! もういいです! ほら、早く行ってください‼」


 背中をぐいぐい押されてドンッと突き飛ばされた。

 なんでへそを曲げっぱなしなのかはわからないけど、今は夜空谷さんも言う通り早く行くべきだ。


「頑張ってくるよ!」

「……はい! 頑張ってください、空森君!」


 最終的に明るく背中を押してもらい、僕は地理も怪しい街の中を縦横無尽に駆けまわり始めた。




「まったく……私以外の人に触らせるつもりはないくらい言って欲しかったです」

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