第六十八話 あの時の気持ち  ②


「う~ん……やはりここはアタシがやろうかね」

「すみません……お願いします」


 そう言いながら、私はまな板の前からどこうとして、ふとあることを思い出しました。


 茅ヶ崎ちがさきさんと一緒にアニメを鑑賞した時、何回か今と似た状況を見た覚えがあります。


 彼女達は料理をしたら、全員が指に絆創膏を張っていました!


 ということは、料理の過程で指を怪我する工程があるということになるはずです。

 この後は卵を焼くだけですし、指を怪我するには包丁を使っている今しかありません!


 どういう意味があるのかはわかりませんが、わからないならばやっておいたほうが後悔もないはず!


「どうしたんだい?」

「少し待ってください。すぐに済ませますので」

「済ませる?」


 まな板に置いた包丁をもう一回握って、私は刃を指に押し当てました。


「やめんか、バカたれ⁉」

「だって、必要な工程だと思うんです!」

「いらん工程だよ!」


 すぐにうしおさんが私から包丁を取り上げられてしまいました。


「ですが! お料理をしたら指を怪我する必要がある様に私は思うんです!」

「それはあの悪ガキがそう言ったのかい? まったくあの馬鹿たれはフィクションの演出を浪漫だと思ってるのかね」

「いえ、私の判断です」

「……なんでまたそうなるんだい……」


 げんなりしている汐さんですが、その答えは汐さんが仰ったとおりです。


「アニメで見ました。ですが、あの絆創膏は浪漫なんですか? ならやはりやっておいたほうが良いと私は思います!」


「いや、浪漫というかベタなお決まりというか。料理下手な彼女が頑張りましたっていうわかりやすい記号なんだよあれは。それを見た相手が大切に食べたいと思ったり、その料理がやけに神聖なものに見えるっていうね」

「じゃあ、やらない理由がないじゃないですか‼」


 最初に卵を無駄にした以上、私の料理スキルは決して高くないはずです。

 それに私がキッチンに向かっている時、空森からもり君は決して嬉しそうではありませんでした。


 つまり期待値も高くない。

 そんな空森君に前向きに食べてもらうためにはそういう記号はあったほうが良いと私は思います!


「ただそれは料理が下手なのを隠したかったり、口下手な人がやるもんさ。夜空谷のお嬢さんはそんなことないだろう?」

「確かにそんなことはないですけど……」


 また胸の中がざわざわしました。

 でも、今の私にはそのざわざわの理由が何となくわかります。


 空森君の分がなかったから、私が作ると言い出しただけで、空森君は別に私の料理を食べたいわけじゃない。


 汐さんがいてくれても、私が作ったのではおいしい料理が出来る保証もない。


「……不安なんです。私の出した料理を空森君が食べてくれるのか」


 だから、空森君が食べなきゃって思ってくれるきっかけを作れるなら、それに縋りたくなってしまっている。


 きっと今の私はそんな心境なんだと思います。


「まったく、そんな不安は料理が出来てからにしな」


 汐さんがまな板の前に立ち、手早く材料を切ってくれました。


「それはあの悪ガキをバカにし過ぎだよ」

「え?」

「あのガキは常識はないし、大バカさ。けど、夜空谷のお嬢さんが作ったものを無下にするところなんてアタシは想像も出来ないよ。楽しんで作ったものを出せばいいのさ」


 確かにそう言われてしまったら、空森君がそういう姿を想像することは出来ませんでした。


 いや、例えまずかったとしてもがっかりするような反応じゃなくて、私も思わず笑ってしまうような面白い反応をしてくれる。


 そんな期待──信頼がありました。


「……そうでした。これは私のわがままでした! 私がやりたいからやったんです。だから、たとえどんなものが出来てもいい! 空森君はそれを食べてくれるはずです! いえ……食べさせます‼」

「はいはい、その意気さ。じゃあ、次はこいつらを炒めるよ」


 フライパンに入れた食材を火にかけて、木べらでかき混ぜます。

 そこにご飯を入れて、汐さんがお皿に出してくれたケチャップや塩コショウを投入!


 そのまま混ぜながら炒め続ければ、見た目は少しべちゃっとしていますが、良い香りのする赤い混ぜご飯が出来上がりました。


 その混ぜご飯をお皿に一度移して、フライパンを洗います。


「卵は乗せたほうが綺麗なオムライスになるけど、まぁオムレツのつもりだからねぇ。頑張って包んでもらうしかないさね」

「何か言いましたか?」


「別に何でもないよ。良い調子だと思っていただけさ」

「ありがとうございます!」


 バターを入れたフライパンに卵を流し込んで、すごく弱い火力で卵を焼いていきます。


「さ、そこにご飯を入れな」

「え? でもまだ生の部分が多いですよ?」

「焼き過ぎたらダメなのさ。入れたらフライパンを傾けな」


 そういうものみたいです。

 言われた通りにご飯を乗せて、フライパンを傾けると中身が端っこに寄っていきました。


「卵の端にヘラを入れて、フライパンを振るのは難しいだろうから、そのまま縁に向かって畳んでみな」

「わかりました……!」


 フライパンから零れないようにしながら、ゆっくりと卵を畳んでみると汐さんが作ってくれるオムレツとは違いますが、半円形の形になりました。


「ゆっくりとフライパンを元に戻すんだ。そうしたらまた傾けて、卵の繋ぎ目がフライパンに触れるようにヘラで回しな」

「は、はい!」


 てっきり完成したのかと思っていましたがまだだったみたいです。

 汐さんの指示通りにつなぎ目が下になる様にオムレツを回してみれば、


「わぁ! 汐さん! それっぽい形になりました!」

「器用なもんだねぇ。アタシが全然触らないで形を整えちまったよ」


 お皿にオムレツを転がし移して、それを汐さんに見てもらいました。


「完成、でいいでしょうか……?」


 まるでテストの返却を受けているような気持ちで、私は汐さんの言葉を待ちます。


「あぁ、文句なしさね」


 だから、そう言ってもらえたのはすごく嬉しくて。


 早くこれを空森君に食べてほしくて!


 私は出来上がったばかりのオムレツを持って、キッチンから飛び出してしまいました。


「お待たせしました!」

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