第六十五話 ちょっとした意識 ⑤


 止める間もなく、夜空谷よぞらだにさんがキッチンへ消えていく。


 まぁ、僕が止めようとしたところで止まるものでもないからそこは仕方ない。

 けど、このままにするわけにもいかない。


 だって、絶対に料理できないから‼

 モザイク処理された物体Aみたいのが出てくる未来しか見えていないからぁ‼


 けれど重ねて言うけど、ああなった夜空谷さんは僕では止められない……。

 一縷の望みをかけて、僕は婆さんに更なる助けを求めることにした。


「見送ってる場合じゃないでしょう? 調理が始まっちゃいますよ? 止めません?」

「別に始まってもかまわんからね」

「なんで⁉ そもそもお嬢様の料理って禁止されてるはずでしょう⁉」


「禁止されているのは自分が食べる分を自炊することだよ。この学園じゃ調理実習をしたりすることがないからねぇ。大半のお嬢さんは生だろうが焦げていようが、それはそういう食べ物と認識してしまう可能性もある。食材は食べれるものなのだから、食べれなくなることや食べれない状態があるという考えがないんだよ」


 そんな方向に非常識なことがあるんだ……。

 でも、そっか。水族館の魚と食卓に並ぶ切り身がイコールにならない人っているもんな。


 お嬢様故に色んなものを食べるから、生食の危険性とかわからないのも仕方ないのか。


 うん、理解はした。

 納得もしてるし、別に反発する理由もない。

 けど、けどさ?

 なんかそのルールってちょっと違和感ない?


「微妙に抜け道があるのはなんなんです……? その禁止の仕方だと誰かに食べさせるための料理は止められないですよね? 禁止している理由的に知識というか常識の違いが大きいのに」


「付き人としてここにいるお嬢さんもいるからね。そういうお嬢さんは将来的なことも見据えて、主のために軽食やお茶の淹れ方なんかを学んで今から実践しているわけさ」


 ほぇ~、メイドさんみたいな感じなのかな?

 こういう学園だし、主人と従者の関係が家系として成立してて、そのために学園に入ってるお嬢様もいるってこと?


 う~ん、割と良く知るような話だけど、いざ身近にそういうのがあると時代に全力で逆らっているような気がして、少し引っ掛かる部分があるもんだ。


 けど、それは僕がどんなに騒いだって変わるような話じゃない。


 だから、僕が気にするべきなのは今の話を踏まえて、夜空谷さんの行動が適切なのかを見極めることにある。


「夜空谷さんは誰かの付き人なんですか?」

「いや? 夜空谷のお嬢さんは別に誰かに仕えてはいないはずだよ」


「……じゃあ、なんで婆さんが見ていないのに調理が始まろうとしているんです?」

「食べるのはお前さんだろう?」

「人でなしぃぃぃぃぃぃぃ⁉」


 僕ならどうなってもいいのか ‼

 教育者──ではないのか、食堂の婆さんだし。えっと……大人としてどうなんだ‼


「いいかい? アタシはね、たとえ失敗したとんでもない料理が出て来ても、それをおいしいと食える男が本当の男だと思ってるんだよ」

「知ったことか‼ 婆さんの恋愛観なんて興味もない‼」


「真っ黒こげの炭が出て来てもそれを受け止めるくらいの器を持ちな悪ガキ」

「その理屈なら真っ黒こげを作らせないように寄り添う僕でいることを心掛けるよ!」


 婆さんを無視して僕もキッチンへ突貫する。

 さすがにまだ数分しか経っていなかったのもあって、真っ黒こげの物体が錬成されているなんてことはなかった。


「あれ?」


 それどころか、キッチンに入って数分は経っているのに調理台の上は僕と婆さんが出て行った時のまま、食材も調理器具も何も出されていなかった。


 おかしいな?

 あのテンションなら、さっさと準備に入りそうなものだけど。


「あ、空森からもり君……」


 僕を見るなり、困り顔だった夜空谷さんが口をきゅっとすぼめた。


 なんだろう、あの顔。

 ……拗ねてる?


「……料理って何から始めればいいんでしょうか?」

「え?」

「切ったり焼いたりとかするのはわかってるんです! でも、何を使えばいいのか、そもそも何がどこにあるのかがわからなくて……。うぅ、動けなくなってしまいました……」


 しょんぼりしてしまった。


 包丁とか火使ったら夜空谷さんが危ないかもしれないのに、婆さんが全然焦っていなかったのはこういうことか。


 未知を前にして、何もできなくなるってわかってたんだ。

 しかもここは普段から婆さんたちが使っている場所でもある。


 もしも勝手に何かをして壊してしまったらという心理も働けば、夜空谷さんはオロオロするくらいしか出来なかったようだ。


「しかたないよ。だから、今回は諦めない? 僕は夜空谷さんが食べているところを見ていたら十分だからさ」

「…………」

「なに?」

「女の子が食事をしているところを眺めていたらお腹がいっぱいになるんですか? ……何か卑猥です」


 大いなる勘違いである。


「……お料理って感覚では出来ないんですね。空森君がやっていることなので、興味があったんですけど」

「僕がきっかけ?」


「お部屋に行ったことがあったじゃないですか。あの後、私のご飯はうしおさんが作ってくれましたけど、空森君たちは空森君が作ったといううどんを食べていました。その時に少し興味が出てしまって」


 あの時か。

 たしか、私にも一口くださいって夜空谷さんが言ってきたのを僕たちが全力で無視したんだっけ。


「……空森君がやっているなら、私もやってみたいと思っていたんです」


 しょんぼりする夜空谷さんだけど、どうしたものか。

 教えることは出来るけど、さっき僕は婆さんに手を注意されたばかりだ。


 完全なド素人の夜空谷さんの調理に一切触れることなくサポートするのは難しい気がする。


 うぅ〜ん……。


「なら、アタシとやろうかね」


 そんな困りどころを助けてくれたのはやっぱり頼りになる婆さんだった。

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