第六十四話 ちょっとした意識 ④


「……で、冗談はそれくらいにして、どうしてだい?」


 どこから誤解を解こうかと頭をフル回転させていたというのに、意外にも婆さんはあっさりと話題を元に戻した。


「そんなに気になるんです?」

「アタシが気付いていない食材の減りがあると困るんだよ。在庫的にも衛生管理的にも。だから、勝手に持って行ったのなら、その確認と処理が必要になる可能性があるだろう?」


「あぁ、そういうことか。それなら大丈夫ですよ、街にあるカフェでサービスしてもらったんです。期限がヤバいから食べてくれって結構な量を」


 僕の言葉に婆さんは少しポカンとした後、にんまりと人の悪い笑みを浮かべた。


「ほぉ、街の連中も男子の扱い方を考えて来たみたいさね」

「扱い方?」


 残飯処理担当ってこと?

 名前としては不名誉極まりないけど、内容は得しかないから甘んじて受け入れるけど。


「男子は富裕層じゃない。だから、客として来店することは基本ない。それは街の連中も承知の上さ。けど、お嬢様方はそんなこと気にしちゃいない。というよりもその発想すらないだろうね」


 それはそうかもしれない。

 事実、街で夜空谷さんとデートをしたときは普通に服を買う流れになったわけだし。


 あれは良くも悪くも夜空谷よぞらだにさんが僕を自分と同じ立場にいる人間だと思って接してくれたからこその流れだったはずだ。


 その考え方が他のお嬢様も同じだというのはむしろ当たり前のことだろう。


「だから、何故かはわからないけど、街でなかなか見ることのない男子が利用している店というのは興味の対象になってくる。普段は利用しない店だったとしても、物珍しさで利用するお嬢さんだって出てくるだろうさ」

「つまり、客寄せパンダだと?」

「不満かい? お前さんたちはうまいものが食べれて、店は宣伝になるし、食材も無駄にならない。良いことしかないだろう?」


 その通りだ。

 別に不満はない。残飯処理担当よりもよっぽど光栄だ。


 あれで店の力になれるなら、僕は何度だって通う!

 そうさ、それこそ毎日だって‼


「けど、味を占めすぎるんじゃないよ。期限や味に問題が無かろうと、企業として廃棄品になっている物の扱いというのはデリケートだ。お嬢様には食べさせられないのにお前さんたちには食べさせたという事実は意外と綱渡りをしているかもしれないからね」

「……わかってますよ? そこまで卑しくはないですとも?」


 くぎを刺されなかったらしばらく通い詰めた可能性はあるのは内緒だ。


 そんなことを言っている間に婆さんの手元では調理が着々と進んでいた。

 混ぜた卵をフライパンで焼きながら楕円形に形を整えている。

 あれは……オムレツ?


「意外と素朴なもの作るんですね」

「食堂に来た夜空谷のお嬢さんは良くこれを食べてるんだよ」

「体育祭で勝つためにカツ丼! とかでも良かったんじゃ?」


「お前さんが普段から力を貰っているアタシの料理って言ったんだろうがね。普段食べないものじゃなくて、食べ慣れたものを作るのが礼儀ってものだろう?」


「別に食べ慣れた料理じゃなくて、婆さんの料理なら問題ないと思うけどね」

「どのみちこれから競技を控えているお嬢さんにそんな重いものは食べさせんよ」

「あ、皿取りましょうか?」


 そう言って、手近な棚にあった皿を取ろうとしたら──。


 ヒュッ! 


 婆さんが持っていたヘラを僕の眼前に差し込んできた。

 何のつもりだ婆さん……。

 もう少しで顔面に突き刺さっていたところだぞ……。


「その手で触るんじゃないよ、ボケナス」

「おっと、たしかにそれはそうだ」


 理不尽な暴力かと思ったら、しっかり僕に非があった。

 傷だらけの手を引っ込めて棚から離れる。


「ふむ……大袈裟でもないんだし、その手は包帯でも巻いておいたほうがいいんじゃないかい? どうして剥き出しでいるんだい」

「テンション上がった彼女に処置の途中で連れ出されたからですかね」


 消毒液の隣には包帯も置かれていた。

 多分あの消毒の後は僕の手をぐるぐる巻きにするつもりだったはずだ。


 水を差したくなくて戻ることはしなかったけど、確かにこの手を見たら気分のいいものじゃないだろうし、後で傷が見えないようにしておこう。


 惚気のつもりはなかったけど、婆さんは鼻で笑いながら、皿に盛られたオムレツを持ってキッチンから出て行く。


 その後ろに僕も続いた。


「お待ちどおさま」

「わぁ、やっぱりうしおさんが作るオムレツはとても綺麗ですね!」

「焦げたオムレツなんて見たことないだろうに。まぁ、お褒めに与り光栄だよ」

「お世辞のつもりはないですよ? では、いただきま──」


 椅子に座った僕を見て、夜空谷さんがピタリと止まる。


空森からもり君の分はないんですか?」

「あ、えっと……」

「卵をちょうど切らしてしまってね。それでオムレツは夜空谷のお嬢さんが良く食べると話したら譲ってくれたんだよ」


 凄い、さすがは人生経験豊富な婆さんだ。

 言葉に詰まった僕とは違って、言い訳をスラスラと並べてくれる。


「それはいけません! なら、このオムレツは空森君が……いえ、私のために作っていただいたものを渡すのは汐さんに悪いです……あ、それなら!」


 コロコロと表情を変えた夜空谷さんが席から立ち上がった。


 うん、嫌な予感しかしない。


「空森君の分は私が何か作ります!」


 ……ほらね?

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