第六十一話 ちょっとした意識 ①


「では、しっかり押さえててください」

「了解だ」

「任せるであります」

「おぎゃあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」


 まるで鉄ごてを押し付けられたような焼ける痛みが僕を襲う。


 仙人が両足を、ナルシ―が上半身をがっちり掴んでいるせいで逃げることも出来ないまま僕はその痛みを甘んじて受け入れるしかなかった。


「お願いやめて……夜空谷よぞらだにさん……それ物凄く痛いんだ……」

「自業自得です。そして、痛いのならばこれに懲りてください」

「懲りた! もう完全に懲りました‼ だからもうやめ──」

「ではもう一度」

「うぎゅうううううううううううううううううううううううううう⁉」


 夜空谷さんは持っている消毒液を僕の手にジャブジャブかける。

 当然その手はターザンロープで無茶をして皮がズル剥けになったほうの手だ。


 沁みるなんてレベルじゃない。

 ばい菌どころか手そのものが焼かれているんじゃないかと錯覚してしまうほどの痛みにさしもの僕も涙目だ。


一種目目いっしゅもくめからずいぶんと無理をしたな」

「カラらしいと言えばそうでありますけど、確かに反省するべきでしょう。毎回こんな怪我を許容していたら、最後はどうなるか想像も出来ないでありますから」

「同感だ。たかが体育祭でやる無茶ではなかったな」

「やだぁ……褒めて欲しぃ……!」


 頑張ったんだ。結果も出した。

 もう少し認めてくれてもいいじゃないか!


 けど、不満気な僕がお気に召さなかったのだろう。


「……見ていてハラハラしました」


 空になった消毒液を小脇に置いて、新たな消毒液を取り出しながら、夜空谷さんがぼそっとそんなことを呟いた。


「危ないことをしているのは普段から知っていましたけど、いざ見て見たら周りの人のようには盛り上がることが出来なくて……。最後のジャンプの時、明らかに空森からもり君の様子がおかしかったのを見た時はもう思わず叫んでしまっていました」


「それはその……心配させてごめん」

「……もしかしたら、空森君が死んでしまうんじゃないかって。他のみなさんは安全面も考慮してベストを着ていましたけど、空森君は何も着けていませんでしたから……あの高さから落ちたら万が一があるかもと……」


 それはぜひ学園に言って欲しい。

 正直に言えばそれは僕も思っていたことだ。


 え⁉ マットすらないの⁉

 普通にやっても危なくない⁉


 って諦めがついたから、僕もあの作戦に出れた部分はあるし。


「……本当に不安だったんです」


 声が震えていた。

 流石の僕もここで軽口を叩くほど空気の読めない奴じゃない。


 不満がないと言ったら嘘だけど、ここは僕がひたすらに謝り倒して許しを請うべきところだろう。


 でも……。

 儚げな顔で僕を見つめる夜空谷さんはいつもとは違う魅力があって……。



 軽口を叩きこそしなかったけど、僕は反省もせずにその顔に見惚れてしまった。



 夜空谷さんからは僕がどう見えているんだろうか。


 いつもの夜空谷さんだったら「な、何をそんなに見ているんですか⁉」みたいなことを言って理不尽に怒って来そうなものだけど、僕たちの視線はずっと静かに重なり合ったままだ。


 ……これはもしかしたら、そういうことなのかもしれない。


 今の僕たちはとても恋人らしい雰囲気を作れている気がした。


 僕がいなくなるかもという発想が奇跡的に僕に対する気持ちを後押ししたみたいな……!


 そんな僕の予想を裏付けるように夜空谷さんはスッと目を閉じる。


 この状況でこの行動……もう確定だ。


 僕は動けないのだから、夜空谷さんから来てもらうしかない。


 同じく目を閉じて、恋人との接触に備える。



「高校生で未亡人になってしまうと……!」



 ……真っ暗な視界の中で何か変な言葉が聞こえた気がする。


 …………………………。

 ……嫌だ。

 何も聞こえない。

 僕は何も聞いていない!


 そ、そうだよ!

 きっと緊張で幻聴が聞こえたり、時間の流れがゆっくりになっているんだ!

 だから、夜空谷さんは変なことは言ってないし、僕とキスをするために今まさに顔を近づけてきているはずなんだ……!


 はずであってくれぇ!!

 この流れでど天然が炸裂するルートなんて嫌だぁ……‼


(おい、諦めろ空森。夜空谷は顔を覆って肩を震わせているぞ)

(むしろ早くその顔をやめるであります。キス顔なんてしてたら、それこそまた変な方向に話が転がりかねないでありますよ)

(無様な僕を見るなぁぁぁぁぁぁ‼)


 友人たちとのこそこそ話で仕方なく現実を受け入れて、僕はカッと目を見開いた。


「なんでそんな発想になるのさ⁉」

「仕方ないじゃないですか! 一緒に長い時間を歩いてきた愛し合う人に先立たれたら、その人との思い出を支えに生きていこうとなりますけど、今の空森君とは愛し合ってもいなければ、まともな思い出すらないんですよ⁉」


「最後の僕の勇姿を胸に生きてよ⁉」

「それは成功すればこそです! 確かに今の私の目には空森君の無茶とそれでも成功させた姿が焼き付いています。でも、空森君が旅立っていた場合は無茶して失敗した姿を見るだけなので、ただの大バカ野郎だなぁという感想しか残らないじゃないですか!」


 確かにそうだ。

 失敗していたらの話だもんね。それなら最後の姿は勇姿なんかじゃなくて、バカなことやって命を無駄に散らす大バカ野郎にしかならない。


 うぐぐ……と僕が何も言い返せないでいると、押さえつけていた僕の体から手を離した仙人が意外なものを見た顔で夜空谷さんを見ていた。


「夜空谷はそこまでの覚悟でこのバカと付き合っているのか?」

「どういうことですか?」

「いや、本来はそうあるべきなのかもしれないが、当たり前のように結婚を意識した言葉を使うんだなと驚いてな」


 シンッ……と水を打ったように沈黙が流れる。


 そして、その打った水が沸騰でもするように、夜空谷さんの顔がみるみるうちに赤く染め上がっていった。

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