第六十話  降り注ぐ障害   ⑧

 ソリでは時間がかかる道も走ればものの数秒だった。

 走るスピードは一切緩めず、僕はお姉さんの背中に向けて叫ぶ。


「しっかり掴まって!」

「……え?」

「早く‼」


 もはや虚ろにも近かったお姉さんの瞳に少しだけ生気が戻ったような気がした。

 滑り台の縁を掴んでいた手を離し、お姉さんがソリをぐっと掴むのが見えた。


 そのソリ目掛けて、僕は思い切りスライディングをする。


 お姉さんの乗るソリは僕のスライディングに押されて一気に加速した。


「ぅぐ……」


 だけど、僕も決して無事じゃない。

 そもそもが競技として成立させるために滑りが悪くなっているソリを無理矢理蹴り押しているんだ。


 しかもそこにお姉さんの体重が加わったことで、僕の足に鈍い痛みが走る。

 けど、関節が外れたり、走れないほどの痛みじゃない。


「ここからは任せてください!」

「ご、ごめんね……」


 か細い声は僕に対する申し訳なさで溢れていた。

 でも、それと同じくらいその声には安堵を感じた。


 滑り台が滑り切り、ソリに乗ったままのお姉さんをその場に残して、僕は一気に加速する。


『さぁ、ここで再び空森からもり選手が復帰だぁ‼ そして、現在トップを走る同じく赤組のフェイク選手! 今風船を撃ち抜きました!』


 実況の声に会場がドッと沸いた。

 これが僕の再登板に対しての歓声なのか、はたまたルナさんの人気によるものなのかはわからない。


 けど、今の実況でまだ誰もゴールしていないことはわかった。

 ルナさんは同じ赤組。

 一位を走ってくれているなら、僕が彼女を抜く理由はない。


 でも、こうなった以上、お姉さんに更に重圧が行かないようにするには中途半端な順位じゃ許されない。


 それはお姉さんのためであり、お姉さんをこの舞台に引っ張り上げた夜空谷よぞらだにさんのためでもある。


 だから、僕は勝たなきゃいけないんだ。


 風船を撃ち抜くのに苦戦しているのか、射撃ゾーンには三人のお嬢様が溜まっていた。

 三人が並んでいても横から十分に風船を狙えるだけのスペースはある。


 でも、ルナさんはもう障害のない走りに移行している。

 それに追いつくためには足を止めるわけにはいかない!


『あぁーっと! 空森選手、競技用の銃を掴んだまま射撃ゾーンを走り去っていきます! 一体どうしたというのかぁ!』


 通り過ぎるタイミングで銃を掴んで、僕はその場で足を止めることなくゴール目指して走った。


 未だに射撃に苦戦している三人がびっくりした顔で僕を見ているのが気配で伝わってくる。



「あれ? 行っちゃったよ?」

「でも、銃は持って行ったよね?」

「え⁉」

「あの人、まさか……!」

「「「「銃でフェイクさんを撃つつもりなんじゃ……‼」」」」

「そんなことしないよ⁉」



 行き着く答えがそこなのは心外──でもないか。

 この状況で銃だけ持って行く人を見たら、僕もそう考える気がする。


 でも、もちろんそんな非人道的な作戦をするつもりは毛頭ない。


「ひぃ……! 空森からもり優成ゆうせい、まさかわたくしを撃つつもりで……!」

「ルナさんまで⁉」

「だって、あなたはそういうことやりそうですもの‼」


 ……少しくらいは行動を改めよう。

 割と本気でそう思った。


「どちらにしても勝ちは譲りませんわ!」


 ルナさんがラストスパートに入った。

 ほとんど背中に追いついている僕も残っていた体力の全てを絞り出し、前を走っていた背中はゴール直前で横並びになった。


 ゴールテープがすぐそこに迫る。

 でも、今の僕はまだ競技の全てをクリアしていない。


 障害は全部クリアしなくてはいけないなんて説明はなかった!


 ……そんな言い訳も出来なくはないけど、あれだけ啖呵を切ってその勝ち方を選んだら、物凄く白い目で見られるだろう。


 勝てばいいだけで、しかもその視線が僕にだけ向くなら、選択肢として筆頭だった疑惑はあるけど、あいにくと今はその選択肢を取れないだけの理由がある。


 だから、まぁこんな方法しか思いつかなかったんだよね……!


 ゴールを直前にして、僕は足を踏み切った。

 おおよそ走る競技のラストとしてはあり得ないダイビング。

 けど、僕はヘッドスライディングをしたわけじゃない。


「っ……!?」


 ルナさんが息を飲んだ。


 体を捻って、僕はゴールに背中から突っ込む体勢になる。

 そうなれば、見ている方向は今自分が走ってきた道。


 一直線とは言ったが、ドームに広々と障害を配置している関係で最後の百メートル走はトラックの歪曲部分に掛かっている。


 あんまり知識はないけど、こういう銃系玩具の飛距離はあっても50メートルとかのはずだ。


 当たる当たらない以前に届かない確率のほうがはるかに高い。


 ……それでもっ‼


「当たれええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼」


 引き金を何度も引いた。

 動画なんかで見るような派手な発砲音もなく、弾が出ているのかもよくわからなかったけど、それでも僕は地面に落下するまでひたすら引き金を引きまくった。


 ズシャァァァァァ……!


 ゴールテープを切った体が地面を滑る。

 摩擦のせいで、痛みを感じる熱が背中へと盛大に拡がった。


 ゴールしたのに歓声が聞こえないのは今のだと僕とルナさん、どっちが一位かわからないからなのかな?


 起き上がることが出来ず、そのまま大の字になっていたら、一緒にゴールしたルナさんが僕のことを憎々しげに見下ろして来た。


「……卑怯ですわ。あんな風にショートカットをなさるなんて」

「ベストを尽くした結果だって」

「ふんっ。あなたをボコボコにする理由が増えましたわ」


 それはもう私怨なんだよなぁ。

 苦笑するしかない僕の耳に実況の人の興奮した声が聞こえてくる。



『映像確認の結果が出ました! ゴール直前に風船が破裂しているため、一着は空森選手! 怒涛の追い上げと驚異的な狙撃で見事一位をもぎ取りましたぁ‼』

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