第二十八話 覚悟の準備    ①


 もはや見慣れた生徒指導室。

 僕の前にはおなじみとなった鶴屋つるや先生が立っている。

 いつものように授業中に全力ダッシュをぶちかました僕はいつものように鶴屋先生に捕獲されていた。


 けれどいつもと違うのは何やら鶴屋先生が怒っているというよりも困っている感じがすることだ。


「さて、空森からもりさん。どうして呼ばれたのかわかりますか?」


 やっぱりいつもと違う。


 鶴屋先生が僕を捕まえてここまで引き摺ってきたことを呼んだって表現していることに対してじゃないよ?

 そこはもう日常だから。


 いつもと違うのはまるで今この場に僕がいるのは脱走が原因ではないような物言いを鶴屋先生がしていることだ。


「いえ、心当たりはありません」


 けどそれはそれとして、その質問に平然とこうやって答える僕も大概だよなぁ。

 授業中に脱走して、そこを捕まったんだ。


 普通に考えて最低限脱走したことを怒られることはわかるはずなのに心当たりがないとのたまえることに我ながら感心してしまう。


「そうですか。それだと少し問題かもしれません」

「え? 僕何かやりましたか? ガラス割ったり、食糧庫の材料でうどん作ったり、授業から脱走したりはしましたけど、それ以外に特殊なことはしていないと思うんですけど」

「今挙げられた件はこちらも問題視していません」


 相変わらず、すごい学園だ。


夜空谷よぞらだに雨瑠うるさんはご存じですね?」


 少し迷いながら、鶴屋先生はそう切り出して来た。

 思いもしない名前が出た。

 雨瑠ちゃんなら知ってる。というか昨日知り合ったばかりだ。


「はい。知ってます」

「では、彼女が空森さんを敵視していたことは?」

「なんとなくわかってます。僕が夜空谷さんと付き合っていることが気に食わないというか、認めたくないというかって」


 一応襲われたし。

 けど、それに関してはもう解決したはずだ。

 僕は今雨瑠ちゃんから公認をもらっている。

 認めると言うまでくすぐって彼女の口から直接その言葉を引き出して──


「それもわかっているなら結構です。では、その彼女が今日の朝になっていきなり掌を返したということは把握していますでしょうか?」

「……しています」

「不思議ですね。はっきり嫌いだと言っていて、姉様を守ると空森さんを敵視していたというのに、それがたった一日の間に空森さんを義兄様にいさまと呼ぶようになりました」

「………………不思議な話ですね」


 汗がだらだらと流れていく。


 これはまずい。

 非常にまずい。

 さすがに児ポ寸前の問題を見逃してはくれなかったか……!


 でも、まだ何とかなるはずだ!

 決定的な証拠を押さえられてるわけじゃない。

 何か雨瑠ちゃんが心変わりをするようなことがあったとしても、それが僕の手による犯行だと確証がなければ逃げ切れるはずだ……!


「不思議な話だったので担任の教師が事情を聞いたそうです。すると彼女は少し身をよじりながら、恥ずかしそうに、それでいてうっとりとした顔でこう言ったとのことでした」


 絶対零度の視線が僕を貫く。


「昨日義兄様に会って変えられてしまったのです、と」

「減刑を所望します‼」


 ダメだったぁぁぁ‼

 完全に僕を犯人だと断定しての呼び出しだったぁぁぁ‼

 これじゃもう言い逃れのしようがない‼


「なるほど、無罪を主張はしないと」

「どうせ無罪にはならないってわかってますから!」

「潔い判断です。参考までに何をしたのか詳しく説明をお願いできますか?」


 大丈夫かな……。

 これを言ったら、自白になるんじゃ?


 いやでも逆か。もっとまずいことをしたって勘違いされてる可能性のが高いんだ。


 ここは素直に何をしたのかを言って、あくまでイタズラだったと主張するほうが得策な気がする!


「……両手を抑えながら、くすぐりました。イタズラだったんです……!」

「…………高校生が小学生にするイタズラとしてギリギリですね。しかも恋人の妹というのが免罪符として機能するのか、はたまた言い逃れのしようがない決定打として機能するのか、私も判断に困るところがあります」

「くすぐっただけなんです! それ以上もそれ以外もしていません!」

「……一つ確認をさせてください」


 僕が逃げないようにするためだろう。

 鶴屋先生は僕の肩を掴んだ。

 絶対に嘘をつくなよ。

 そう目で語ってきている。


「ロリコンだったりしますか?」

「凄いことを聞いてきたな、この先生⁉」

「真面目な話です」

「どこの世界に自分の性癖を先生に暴露する生徒がいるんですか⁉ 嫌ですよ、黙秘します!」

「否定しないと?」


 くっ……!

 先生に僕はロリコンじゃありませんって宣言するのが嫌なだけなのに!

 思春期の男子としての羞恥心から来る当然の拒否反応だというのに!

 ここでそれを拒否したら僕はロリコンになってしまう‼


 ……言うしかないのか?

 これが僕のしてきたことの報いだとでもいうのか‼


「……いいですか? 空森さんと夜空谷さんの恋路を心の中では応援しています。ですが今の空森さんに私は疑心暗鬼しているわけです」

「僕が雨瑠ちゃんによからぬことをしたんじゃないかってことですか? それに関してはさっき言ったのが真実です!」


 嘘は言っていない。

 加えて別にあの時僕は雨瑠ちゃんに対して興奮もしていない。

 くすぐりって楽しいなぁくらいの感覚はあったけど、それは相手が雨瑠ちゃんじゃなくたって感じた感情のはずだ!


 それこそ仙人をくすぐったって、きっと僕は同じ感情を持ったに違いな──


 いや、持てるのか……?


 僕は仙人をくすぐっても同じ感情を持てたと胸を張って言えるのか……?


 やめろ空森ぃぃぎゃははははって笑う仙人を見て、嗜虐性が満たされた可能性は本当にあるのか?


 ……ちょっと本気で想像してみよう。


 馬乗りになって、仙人の脇腹をくすぐる僕。

 それを受けて涙と汗を飛び散らしながら笑い転げる仙人……?

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