第八話 先生の思惑      ④


 何を頑張って良いのかもわからないけど、夜空谷よぞらだにさんと恋人になって嬉しいと思ったのは嘘じゃないんだ。

 誰かの見本とかじゃなくて、夜空谷さんが幻滅しない彼氏でいる努力くらいはしなくちゃいけない。


 よ~し、頑張るぞ!

 そんな鼓舞を心の中でしながら、僕はドアに手をかける。


 けど、鶴屋つるや先生はここに連れて来た時と同じように僕の肩をガシッと掴んだ。


「いいえ、まだ終わってません。ここまでの話はそれとして、夜中に寮を抜け出し、校舎に忍び込み、施錠されている屋上へ上がった挙句、そこからプールに飛び込んでおいてお説教がないと思いましたか?」


 思いません。

 くそっ! やっぱり別口か! 

 今の恋人云々の話で午前が丸々潰れるわけないとは思っていたけど、ここからがむしろ本題か‼

 だけど、その件なら僕にも言い分がある。


「その理由なら夜空谷さんも一緒に叱られるべきだと思います‼」

「彼女は昨日の内に謝りに来ました。もちろんお説教もしています。多分ほとんど寝ていないでしょう。ですからあなたも同じだけのお説教を受ける義務があります」


 どうして一緒に謝りに行こうと提案してくれなかったんだ、夜空谷さん!

 もはや、やってることは抜け駆けだよ⁉

 先に謝られたことで、夜空谷さんは悪いことをしたらすぐ謝りに行ったのに、僕はしれっとその場から逃げたみたいになってるから⁉

 だけど、諦めるな。

 今回で言えば、僕はまだ被害者面が許される立場のはずなんだ!


「僕は巻き込まれただけです‼」

「言い訳を認めましょう。ですが、その言い訳はプールへ飛び込んだ部分にしか適用されません。寮を抜け、校舎に忍び込み、屋上に行ったのは空森からもりさんの意思による判断のはずです」


 くそっ! 何も言い返せない!

 確かにタブレター貰ってウキウキで屋上まで行ったのは僕の意思だ!

 口答えするための弾が尽きた。

 仕方ない……こうなったら!


「では、反省文からいきましょう。それを読みながら、正しく反省が出来ているか、何故禁止にしているのかを説明します。合間合間にビンタを挟みますが、空森さんを想う愛のビンタです。決してあなたがたの問題行動によって、私が徹夜による寝不足になっていることに対する怒りの捌け口ではないので、しかと受けてください」

「寝不足で本音が透けてんだよ‼ 美人からのビンタを喜べるマゾ体質ではないのでつつしんで辞退します‼」

「あ、待ちなさい!」


 鍵のかかったドアを蹴破り、僕は廊下を全力で駆ける。

 連れて来られたときみたいに万力のような力で掴まれてたら抵抗のしようもなかったけど、この時の鶴屋先生のホールドはまだ甘かった。

 寝不足の鶴屋先生と追いかけっこに持ち込めれば僕に分がある!


 スライディングで廊下の角を曲がり、壁を蹴りながら方向転換!

 そのまま迷わず階段へ侵入! 手すりを持ちながら体を起こして、階段の途中から下の階へとジャンプだ‼

 着地と同時に前転しながら立ち上がれ!

 勢いを殺すことなく走れぇぇぇぇぇぇぇぇ‼


「もはやそういう競技を見ている気分になってくる身のこなし……! もっと別の方向に生かして欲しいところです!」


 寝不足に加えて、スーツ姿の鶴屋先生ではアクロバティックなショートカットを何度も繰り返す僕に追いつけず、やがて後ろを追う姿も声もしなくなった。


 ふぅ……無事に逃げられたみたいだ。


 普段ならこのまま授業をさぼることも視野に入るところだけど、こんな話をされた上で夜空谷さんと恋人関係を続ける選択をするなら、少しくらいは素行にも気を遣わなくちゃだめだよね。


 そんなわけで、鶴屋先生を振り切った僕はそのまま午前の授業に合流した。

 不良は嫌だと言っていた夜空谷さんは授業中だというのに、そこそこ嬉しそうに笑顔で僕を迎えてくれた。

 どうやら午前を諦めるように言われた僕が思いのほか早く帰還したので、しっかり反省したからお説教が短くなったんだと思ってくれたらしい。


 実はいつものように逃げただけなんだけど、真実を話してまた嫌われる理由を作るのも嫌だ。

 だから、僕も話を合わせて、しっかり更生してきたと胸を張って答えた。

 あまりにも小さいポイント稼ぎだけど、これで少しくらいは好きになってもらえたら嬉しいな。


 恋人として、そんな小さな前進をした僕たち。


 ……がしかし、昼休みの仮眠を経て、体調が戻った鶴屋先生に僕はアイアンクローで連行されていくことになる。


 完全体となった鶴屋先生の前では僕の小手先の小技など通用せず、僕は「ひぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」と情けない悲鳴を上げながら、マイハニーの真ん前で無様を晒し上げた。


 もちろんその結果、小さな前進など初めからなかったように、僕たちの関係が大きな後退をしたのは言うまでもない。


 連れていかれる僕を見る夜空谷さんの目が汚物を見る目というよりも、何かとんでもなく可哀想なものを見る目をしていたのはきっと忘れられない思い出になるだろう。


 鶴屋先生……僕が百で悪いのはわかります。

 けど、良い関係を築いてほしいと願ってくれるなら、少しくらい配慮が欲しかったです‼


 そんな願いなど聞き届けられるはずもなく、午後の授業時間全てを反省の時間にあてられた僕が解放されたのは、校舎の生徒も大半が下校した放課後になってからのことだった。

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