第四話 広まる噂       ③


「う、浮気ですね! 恋人になった以上避けては通れない問題が早速起きたんですね!」


 やけにわなわな震えながら、狼狽えている夜空谷さんがいた。

 そしてやっぱり彼女も偏見を持っている。

 別に恋人と歩む道に浮気は絶対壁として立ちはだかるわけじゃない。


 いや、勘違いしないでよ?

 大抵の浮気はバレないから壁にならないとかそういう意味じゃないからね?

 浮気なんてしないよって意味だからね⁉

 というか、これは浮気ですらないからね⁉


 声には出していないはずだけど、僕の言い訳が聞こえているのか、夜空谷さんは狼狽うろたえていた姿から一転して、何故か余裕たっぷりに微笑みかけてきた。


「ですが安心してください! 私は理解がある女です。たとえ浮気を目撃しても金切り声を上げながら怒りを露わにするような真似は決していたしません!」


 最初はそうなりかけていた気もするけど、ツッコむのは野暮なんだろうなぁ。

 けど、意外な考え方に僕は目をぱちくりさせる。


 別に夜空谷さんのことをきちんとわかっているわけではないけど、変に真面目な彼女が浮気に対して余裕あるっていうのがおかしいというか解釈違いというか。


 もっと感情たっぷりに文句を言ってくるほうがらしいと思う

 あれかな、嫌いだし、浮気されても別にノーダメみたいな?


「それは僕が嫌いだから?」

「それとこれとは別問題です」

「どんなに他の人間になびこうとも、最後に私の所に戻ってくればいいから余裕がある的な」

「そこまで大人な考え方はまだ出来ません。ですが、ヒステリックな女はめんどくさいとか言われてしまうのを知っているので、高ぶった感情を直接ぶつけることはしないだけです!」


 あなたは結構感情で会話するタイプだと思うんだけど……。

 いやいや何も言うまい。ヒステリックが嫌なのは僕も共通認識だ。


 それをしないと言ってくれるのならば、そこは手放しに喜ぶべきだろう。

 けど、あの言い方だと、直接ではない感情のぶつけ方があるって意味だよね?


「……つまり、これから夜空谷さんはどうするおつもりで?」

「クラスでワンワン泣いてきます。告白して恋人になったのにもう浮気をされてしまいましたと話してみなさんに慰めてもらいます!」

「やめてやめてやめて⁉ 本格的に僕の居場所がなくなっちゃうから⁉」


 それなら金切り声あげて怒りを露わにしてほしい‼

 むしろやり方に陰湿さすら感じる!


「じゃあ、怒ったほうがいいんですか?」

「そっちのほうがいい……とは思うんだけど、それはもう誘導尋問じゃないかな!?」

「浮気をしておいて、その行いの責められ方に選択肢があるだけいいじゃないですか!」

「それはそう。でもこれは浮気じゃない‼」

「浮気をした人はみんなそう言うんです!」

「難癖付けておいてその返しは卑怯だって⁉」

「それではご要望に応えて、怒ります! 今から浮気をした空森君を全力で糾弾します!」

「相っ変わらず話聞いてくれないなぁ!」


 わかっちゃいたけど、割と唯我独尊だよ!

 夜空谷さんは律儀にコホンと咳ばらいをし、僕をびしっと指差した。

 昨日もしてたな、あのポーズ。

 もしかしたら、彼女の決めポーズなのかもしれない。

 何かの影響を受けている気がしなくもないけど、まぁ様になっているのだからいいか。


 こうなったら素直に怒られたほうがいいのだろう。

 言い合いをしたって僕が勝てることはない。

 色々ぶつかりながら、彼女の言動に振り回される。

 きっと僕たちの関係はそういうものなんだ。


 ……ははっ!

 馬鹿げた話だけど、笑えて来る。

 それが恋人的な楽しさかはわからないけど、やっぱり夜空谷さんとこういうやりとりをするのは楽しい。

 だから、僕は彼女の罵詈雑言をしっかりと受けて、それに対してまた文句を返そうと身構えた。


 夜空谷さんは大きく息を吸い込むと、辺りでざわざわと話しているお嬢様の声なんて掻き消す勢いで絶叫する。



「浮気なんてひどいです! 昨日あんなに私をびしょびしょにしたくせにぃぃぃぃぃ‼!!」

「アァァァァァァウトォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ‼」



 仙人から腕を離して、僕は夜空谷さんの口を全力で抑えに掛かった。

 楽しくない! もう全っ然楽しくない!

 馬鹿だこの人! 自分を犠牲にして他人を貶める天才なんだ‼


 お嬢様たちのざわざわが一際大きくなり、好奇と軽蔑、そして若干の羞恥が混じった眼が四方八方から僕たちに向けられる。

 大丈夫かなこれ⁉

 埋まっちゃいけない外堀が一気に埋め立てられた気がするんだけど⁉


「そういえば、確かにお前も濡れて帰ってきたな」

「余計なこと言わないで仙人! あれは屋上から落ちた先がプールだっただけだから!」

「なるほど。昨日校舎に忍び込んだのは空森さんだったわけですね」


 夜空谷さんを羽交い絞めにする僕の肩にポンッと優しく手が置かれた。


「詳しく話を聞かせていただきます。空森さんの素行不良は今に始まった話ではありませんが、命に関わりそうなことをされてしまってはそろそろ容赦は出来ません。私も本気で矯正をさせていただきましょう」


 メガネが似合うクールビューティ。学年主任にして、僕たち男子のお目付け役こと鶴屋つるや女史は肩に優しく置かれた手にゆっくりと力を込めていく。

 その様子はさながら、猛禽類が獲物へと鋭い爪を喰い込ませていくようだった。


「……違うんです。話を聞いてください、鶴屋先生」

「問答無用です。それに色々と話を聞きたい噂も耳に入ってますので、どのみち空森さんはお呼びする予定でしたから」

「そ、そんなぁ……」

「午後には授業に出れると思います」

「そんな⁉」


 まだ始業前ですよ⁉

 それなのに午前の授業は諦める前提なんですか⁉

 けれど、決して冗談ではない。

 鶴屋先生は僕の首根っこを掴むとズルズルと引き摺って行く。

 いやぁ! 離して、離してよぉ!


「空森君!」


 そんな僕に夜空谷さんが声を掛けてくれた。

 あぁ、良かった。この状況に痛む良心くらいは持ってくれているんだ。

 そうだよ。学校に忍び込んだのも、屋上からダイブしたのも全部夜空谷さんがきっかけだからね!


 僕だけが裁かれようとしてるこの理不尽に「わたしのせいでごめんなさい!」くらいは言ってもばちは当たらないからね!

 何なら助けて!

 あなたの彼氏のピンチですよ!?


「私、不良の彼女は嫌ですから! しっかり更生して来てください!」


 うん、わかってた。わかってたよ。この状況で僕を心配したり、行動を後悔する子じゃないことくらいもう察していましたとも!


 そして改めて感じる。

 やっぱり僕はこの関係に耐えられる気がしない!


「ほら、空森さん。自分の足で立ってください」

「無理です……今の僕は色々と虚無になりました」

「……まぁ、気持ちはわからないわけではありませんけど」



 叫び返す気力も消え失せ、僕は少し同情した顔になった鶴屋先生に為す術もなく連れていかれるのだった。

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