第二話 広まる噂       ①


 僕の通う百合咲学園ゆりさきがくえんは元々由緒正しきお嬢様学校だった。


 学校とは言っているけど、途中編入などほとんどなく、広大な敷地に幼稚園から大学までが揃っていて、通っている生徒はお嬢様学校に恥じないお金持ちのご息女ばかり。


 全寮制ということもあって、悪い虫が付くことを嫌った過保護なご両親が学園からほぼ出ることなく生活が完結するこの学園に愛娘を入園させることはお金持ちの一種のセオリーのようになっている。


 と、まぁそんな感じに長い伝統があったわけだけど、それはあくまで数か月前までの話。

 去年の春頃、何の前触れもなく、お嬢様の花園がざわつく方針を学園は発表した。


 それこそ僕がこの学園にいる理由。

 ようは共学化が決まったのだ。


 理由はいろいろとあるみたいだけど、簡単に言えば、男に対して偏見を持つお嬢様が増えたことが一番の理由らしい。


 かつては規則でガチガチに固めていれば、男の存在などほぼ完全にシャットアウトできたんだろうけど、今やなんでも手軽に調べられる情報社会。

 スマホ一つで男の情報なんてわんさか手に入る。


 けど、インターネットに転がる情報など至る方向へ尖りに尖ったものばかり。

 この学園から巣立ったお嬢様の男性知識がやけに偏ったものばかりになることを学園側は問題視したのだそうだ。


 とは言え、いきなり完璧に共学化するわけにもいかない。

 そもそもこの学園に入れた親御さんの気持ちを考えれば、共学化なんて言語道断だろう。


 だから、共学化が決まりこそしたが、あくまでその人員は極僅か。

 言ってしまえば、理想と現実をわからせるための標本のような役割で男子生徒を何名か在籍させることにしたってこと。


 その数驚きの各学年に最大で五名まで!


 学園全体で見たって百人にすら届かない。

 しかもあくまで最大人数だから、もちろん在籍ゼロの学年もある。

 もっともそんなのは幼稚園組くらいだけど。


 僕の学年で言えば、僕を含めて三人の男子が在籍してる。

 数百人の女子同級生に対して男が三人。羨ましいとか言う人もいるだろうけど、まぁ、現実はそんなに甘くない。

 ぶっちゃけあれだよね。

 正直居心地は悪いくらいだ。


 肩身が狭いというか、何か変なことをすれば、それが男だからと難癖をつけられるんじゃないかとか色々と考えてしまう。

 僕としては普通に振る舞っているつもりでも、それがお嬢様たちには理解されないなんてことも日常茶飯事だからね。


 そもそも上流階級と下々の民では感性だって変わってくる。

 なにせ、嫌いだけど付き合おうとか言ってくる人がいるくらいだ。

 完全にわかり合うには時間が必要だろう。

 お嬢様教育の賜物か、露骨に差別みたいなことはされないんだけど、壁を感じているのは事実なわけで。


 だから、僕は数少ない男子として、お嬢様を刺激するような余計なことはせず、それでいて一般的な男子ってこんなもんだよと、学園の意図に従った学園生活を細々と送るつもりだった。


 だから、寮から校舎へ向かう最中にやけに視線を感じるのは気のせいだと思う。


 いや、気のせいに違いない!

 昨日の今日で噂になんてなるはずがない!

 ……まぁ、でも万が一はあるし、一応ちょっと耳を澄ませてみよう。



「あれが夜空谷よぞらだにさんを誑かした空森優成からもりゆうせいですわ……」

「お姉様……私怖いです。夜空谷さんがあんな男性になびくはずがありません! きっと何か弱みを握られて……」

「いけません! 目をつけられたら今度はあなたが狙われてしまいます!」

「わざわざ夜中に呼び出したんですって」

「まさか告白が成功したら、そのまま朝まで一緒にいるつもりで……!」

「なんて野蛮な……」

「ほら、行きましょう。私がクラスまでご一緒しますから」

「ありがとうございます……! お姉さま!」



 ひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそ……。


 殺せぇ! 殺してくれぇ‼

 どうして知れ渡ってるの⁉

 そりゃ色々問題行動はしたけど、さすがに噂が広まるの早過ぎない⁉

 もう好奇の視線が至る所から向けられてるんだけど⁉


「針の筵とはこういうことを言うんだろうな」


 僕の隣で感慨深げに声を漏らしたのは僕の同級生であり、三人しかいない男子の一人、宇留部光一うるべこういちだ。

 

 腰近くまで伸ばした白髪は生まれつきとのことで、どこか達観した雰囲気と水も食事も最低限しか摂らず、暇があれば体を鍛えることが趣味という彼のことを僕たちは仙人と呼んでいる。


 流石に男子を孤立させるのはかわいそうとでも思ったのか、学年の男子は一クラスにまとめられているので、僕たちは同級生にしてクラスメイト。

 つまりは一緒に登校したのならば、トイレだろうが連れションで一緒に行動して、共に同じクラスのドアをくぐるはずなんだ。

 しかし、仙人はひとしきり周りを見て、僕から離れながら片手を上げた。


「じゃ、拙僧はこの辺で」

「待って待って⁉ なにがどうしてこの辺なのさ‼」

「クラスでまた会おう」

「同じ寮から同じクラスに向かうのに別れる理由ないでしょ⁉ この空気に耐えられないから逃げようとしてるだけでしょ‼」

「わかっているならこの手を離せ。あいにくと入学して早々に学園の女子全員を敵に回したお前を庇うほど拙僧に力はない」


 仙人は縋りつく僕を振り払うと背を向けた。

 少ない同性故に話す機会が多いから友達として成り立っているが、仙人はそもそも人付き合いがそれほど好きではないんだと思う。


 元々うざいくらいに思ってた奴と面倒に巻き込まれるくらいなら、ここで僕を切り捨てるつもりなんだろうけどそうはいかない!

 数少ない男子同士!

 死なば諸共だ‼

 僕はわざと大きな声で、しかもちょっと芝居がかった口調で仙人の背中へと言葉をぶつけた。


「己の鍛錬に自信がないから、逆境からは逃げるつもりか!」

「……なんだと?」


 背を向けた仙人が僕をギロリと睨む。

 かかったな! まだまだ浅い関係とは言え、お前が引っ掛かる言葉がどういうものかくらいはもうわかってるぞ!


「針の筵があれば背を向ける。お前は一体何のために鍛えているんだ? 修行僧のような自分に酔いたいだけで何も伴っていない! ここから逃げるお前はただの恥ずかしい奴だ‼」

「安い挑発を……!」

「次は言い訳か? 体どころか心の鍛錬すら未熟なんだな! それなら早く行けばいいよ。何も意味がない無駄な時間を修業と呼んで、一人で悦に浸っていればいいさ!」

「……安い挑発だ。だが、それを無視できるほど俺もまだ悟りは開けていないみたいだな」


 仙人は僕の前にズカズカと歩み出る。

 そんなことないよって言いたいところだけど、さっきの挑発で一人称が拙僧から俺に変わっているのだから、悟りの道はまだまだ遠いと思う。


 けど、余計なことは言わない。


 頭に血が上ってくれているなら僕としては好都合だ。

 ぜひこのまま一緒に針の筵を歩んでいって欲しい切に願う。

 そんな僕の願いが届いたのか、仙人は腕を組みながら、自信満々にこう言い放った。


「俺が人目避けになってやる。お前は黙って俺についてこい」

「ひゃだ……かっこいい……」

「行くぞ」

「はい……!」


 こんなこと言われたら僕だって乗るしかない。

 古来より伝わる大和なでしこスタイルで三歩後ろを歩こうかと思ったけど、三歩も離れたらせっかくの人目避けの効果がなくなってしまう。


 だから、どうせ乗るならとことんやろう。

 今の僕たちは運命共同体!

 生きるも死ぬも一緒よ‼


 そんなわけで、わざとらしく仙人の腕に抱き着いてみた。

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