第3話 おさげ髪の少女

 僕が彼女に初めて会ったのは、5月のはじめ、新緑が目に眩しい初夏の頃だった。その頃僕はまだ中学生で、毎日首吊りの木の前を通って隣町の中学に通っていた。僕の村には中学校さえなかったのである。

 午前8時、いつもの通学路、僕は首吊りの木の下に、見知らぬ人影を認めた。それは、紺のセーラー服を着た、僕と同じ年頃の少女だった。少女は、立ったまま、首吊りの木にもたれて、右手に持った文庫本を熱心に読んでいた。その長い黒髪は三つ編みに編まれ、2本のおさげを構成していた。顔は長い前髪に隠されていてよく見えなかったが、そこから覗く鼻や唇は形がいいように思われた。

 制服を見る限り僕と同じ学校ではないようだったが、どこの中学だろうか。この辺りだと学校は選べるほど多くないはずだし、もしかしたら高校生かもしれない。それにしても、彼女はこんな場所で何を、誰を待っているのだろう。バス? タクシー? 友達? とりとめもない空想に気を取られながらも、僕は彼女の前を通り過ぎ、隣町の中学へ向かったのだった。その日はどうしても気が散ってたまらず、授業中に何度もよそ見をしては教師に注意された。次の日の朝も、彼女の姿を探して首吊りの木を見やったが、彼女はいなかった。


 次に彼女に会ったのも、僕がまだ中学生の頃、小雨の肌寒い、秋の日のことだった。場所はやはり首吊りの木の下。

[あなた、よそ者でしょう]

彼女は言った。

[こんなところに一人でいたら、そのうち吊し上げに遭うよ]

 彼女の真意がわからないまま、僕はどうもと言ってその場を去った。一度見かけただけの間柄なのに、以前から知り合いだったような親しげな口調。僕は生まれてから一度も村を出たこともないような生粋の地元民だが、彼女を見たときの僕の戸惑いが、よそ者の狼狽に見えたのだろうか。そしてしばらく、彼女には会わない。

 

 首吊りの木は普段から不気味な場所だった。根元に供えられた墓参り用の落雁や団子、おはぎなどがカラスに荒らされ、ゴミも散乱している。お供え用の食べものや花束があるくらいなので、根元に線香や蝋燭が置かれていることもあった。そういうときは火事になるといけないので、息を吹きかけ、足で火を踏み消してから、近くにあるブリキ製の火消しバケツに放り込む。木に実際に首吊りロープが掛けられていたときは、すぐに知り合いの巡査に連絡してロープを片付けてもらった。持つべきは友である。


 僕はしばしば彼女の裸を夢に見た。現実には見たことのない、彼女の白い裸体が、湯煙の向こうにぼんやりと浮かびあがる。その姿をまぶたの裏に焼き付けながら、僕は自分を汚した。最悪な気分だった。あのときの不快な、なまあたたかい汗の感触を、今も背中に感じることがある。この先、年を重ねていやらしい心根を持つようになったとしても、僕がこの手の遊戯を好むことは、おそらくないだろう。人間の肉体は、愛するには、あまりにも醜かった。

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