第9話 王女様は不機嫌&さぼり猫

カスティリア王国を出港してから6日目。


船の上での生活も少しずつ慣れてきた。しかし、やはり怖いという感覚はなくならない。


常に船は僅かだが揺れているし、船室にいると聞こえてくるギシギシという音にも不安を覚える。


ただ、景色は綺麗だ。水平線の先まで何もない一面青というのがいい。見ているだけで心にグッとくるものがある。


遠くを見ている分には問題ない。だが、こうやって船の端っこから真下を見ると、深い深い底が見えない海がある。稀になにか水生生物の影がちらっと見えると、ぞっとする。


「史郎~…。」


船尾の左端の方で海を見ていた俺のところにアニーがやってきた。


アニーの手にはバケツと手のひらサイズのスポンジの塊があった。


俺は何を言おうとしているのか分かっていたから、先に答えた。


「無理。」


「まだ何も言ってなにだろぉ!」


「俺は昨日も一昨日も雑用代わってやったんだ。3度目はない。」


「違うんだよ~…、今日は本当に腰の調子が悪くて…。」


アニーは自分の腰をさすって、俺の表情を一々確認しながらそう言ってきた。


「とにかく、やらないって言ってるだろ。」


「えー…なんで~…。」


「えーじゃない。いいから自分でやる!」


「ひ、酷いよぉ~…。ミーをいじめないでよぉ~…。」


「はぁ??」


「え~ん…、え~ん…、悲しいよぉ~…。」


アニーは突然その場で俺に背を向けてうずくまり、泣き始めた。だがどう見ても嘘泣きだ。アニーの嘘泣きの演技は酷すぎる。


「そんなのに騙されないからな。じゃあちゃんとやるんだぞ。」


俺はアニーにそう言ってその場から離れようとした。するとアニーは突然俺の足に飛びついてきた。


「ぬおおおおおおお、待ってくれ史郎ぉぉぉぉ!!本当にやりたくないよぉぉぉ!今までの雑用と今日の甲板掃除はくらべものにならない程しんどいんだよぉぉぉ!!」


「ちょ、離せ!」


アリスは今度は本当に涙目になりながら必死に訴えてきた。どうやら本当に甲板掃除がいやらしい。だがそうだとするなら尚更代わってたまるか。


しかしアニーは俺の足から離れようとしない。仕方なく俺は近くで舵を握っているモーゼスさんに訴える事にした。


「あの、モーゼスさん。アニーなんとかしてくださいよ。」


「あ?今俺は忙しいんだ。ガキの面倒なんか見てらんねーよ。」


「えぇ~…。」


モーゼスさんに頼んだが適当にあしらわれてしまった。


アニーは泣きながら俺の足にしがみついている。


絶対に掃除は代わらん。


代わらん。


代わるつもりはない!


「史郎ぉぉぉぉぉぉぉ…!!」


だめだ。なんかアニーを見ているとどうしてか可哀そうに見えてしまう。あまり気は進まないが、俺がやるしかない。


「しゃーねぇな~…俺が代わって…。」


「アニー?」


俺が言いかけたその時、レベッカさんの声がした。振り向くとそこには笑顔のレベッカさんの姿があった。


そして手にもっていたブラシを逆さにもってを勢いよく地面に叩きつける。


「れ、レベッカさん…。」


アニーがレベッカさんを見つめる。いつの間にか泣き止んでいるし。


レベッカさんは俺の足にしがみつくアニーの近くまでやってきて、ずっと笑顔でアニーの方を見ている。


「み、ミーはちょっと頭が痛くて…、じゃなくて腰が痛くて、それでし、史郎に代わってくれって頼んでただけだ…!」


アニーの発言に対しレベッカさんは何も言わない。ずっとニッコリとしているだけで無言だ。


「あっ…、ほら、ミーって一応猫じゃないか。だから水が苦手ってなんだよ…、だからこんな水がひたひたのスポンジ持ってるだけで気持ち悪くなるんだ…!」


「…。」


アニーはレベッカさんの無言の圧力に負け、やっと俺の足から離れた。


「あ、あー…なんか急に元気になってきたなー!はやく掃除やろーっと…!」


アニーは明らかに低いテンションでそう言うと、バケツとスポンジを手に、船首の方へ逃げるように走り去っていった。


「ごめんなさいね、お客様にご迷惑をお掛けしてしまって。」


「い、いえ全然。」


レベッカさんは優しく俺に謝ってきた。


「ところで史郎様、王女殿下のご様子は?」


レベッカさんは俺に尋ねた。


「ああ、相変わらず上には出たくないそうです…。」


そう、実はアリスはカスティリアの港を出て2日目くらいから一度もデッキに上がってきていない。狭い船室でずっと過ごしている。


それどころか、俺が話しかけても話を聞いてくれない。まぁ無理もないと言えば無理もない。自分の命を狙った相手の船に乗っているわけだから、そりゃこうなっても仕方ない。


むしろ、俺がおかしいのかもしれない。自分たちを襲わせた相手と仲良くして、さらにそのボスやメイドをさん付けで呼んでいる。


だが、モーゼスさんやレベッカさん、そして船員の人たちと話していても、悪い人とは思えない。


というか、この人たちもこの人たちだ。俺とアリスは一度はターゲットだった相手だ。ターゲットであれば報酬ももらえるわけだから、屋敷に来た時点で殺すこともできたし、今も殺そうと思えば殺せるはずだ。それなのに船にまで乗せてもらって。しかもタダだ。レベッカさんに関しては俺たちの事をお客様とか言ってるし。


モーゼスさんに関しては命を狙った事について申し訳ないと思っている感じでもない。私怨で殺しをしているわけではないから、別に構わないというスタンスってだけかもしれないが、にしても俺たちに対する扱いが客人というのは丁重にも程がある。


いろいろ違和感があるのは確かだが、別にそれが気にならない程この船の居心地はいい。それだけは確かなことだ。



船での食事は乾パンと肉の塩漬けだ。肉の塩漬けは少し匂いはあるが、不味いわけではない。


その日も、俺はアリスのために食事を持っていく。2日目からずっとこんな感じだ。


「アリス、飯だぞ。」


俺は船室のハンモックの上で剣を抱えているアリスに、飯の入った木の器を渡す。


「ありがとう。」


一応感謝の言葉は言ってくれるが、それ以外はまともに話してくれない。


俺は飯を渡して、アリスの向かい側のハンモックの上に座る。アリスの顔を見ると、少し元気がない。怒っているという感じではなく、とにかく元気がない。


おかしい。船に乗る前は別に普通だったのに。出港して2日くらいから様子が変だ。


「なぁ、少し外の空気…。」


「別にいい…。」


俺はアリスに声をかけるが、冷たい返事を返されて終わった。


もう4日近くこんな感じだし、流石にちゃんと話し合った方がいい気がするんだが。だからと言って余計な事言って怒らせるのもよくないし。


だぁぁぁぁぁぁどうすりゃいいんだこの気まずい空気。




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