第11話 沈黙

 今日の一条は暗かった。怒りと悲しみ、悔しさが一条の中に去来しているのだろう。混ざり合うそれらは外に発散されることもなく内に滞るばかり。それゆえ心が今、圧迫されて苦しいのだろう。

 今日は一条にとって厄日みたいな日であった。

 人間誰しも毎日がハッピーなわけではない。

 たまたま不幸というものが襲いかかることがある。しかも小さなことがきっかけで、他にも影響を与えて。

 誰が悪いかといえば一条だろう。

 だが、意識的にそうしたわけではなく、運悪く、事がそう運んだだけ。普通ならそれは小さなこと。けど今日だけは違った。他にも影響を与え、その負は大きなものとなった。

 これは不幸だったというしかない。たまたま今日にそれが訪れた。

 それでも本人にとっては飲み込んで終わらせることにはできない辛いこと。

 どうして自分が。どうして今日に限って。そう考えているだろう。

 それゆえか先程から一条はまったくページを捲っていない。

 ただ険しい顔で開いた本を睨んでいるだけ。

 私はカバンからグミの袋を取り出して、「食べる?」と聞く。

「……ありがと」

 そう言って、一条は袋からグミを一つ摘み、口へと入れる。

 私もグミを一つ食べ、奥歯で噛む。弾力が私の歯を押し返そうとしている。

 ゆっくりと、しかし、強く噛みしめてグミを潰す。

 一条はカバンからチョコレートの箱を取り出し、机に置く。箱を開いて私に、「お返しに」と言う。

 私はチョコを一つ取り、グミを食べた後の口に放り込む。

「そういえばガムとチョコを一緒に食べるとガムが溶けるって聞いた」

 ふと雑学を思い出して私は語る。

「へえ」

 一条はそっけなく返す。

 私達はもぐもぐとグミとチョコを食べる。全部食べるつもりはないけど、この調子だと全部なくなりそうだ。

 何か会話のネタを探そうにも、面白そうな話はない。

(てか、なんで私が一条に気をつかうのよ)

 もともとこの部室はお互いの目的のために使ってるだけ。

 私は天文部で一条は文芸部。

 クラスは同じでも会話をするような仲でもない。

 ここでのことは秘密。だからここを出たら沈黙は普通であって、ここにいるから会話をするというわけでもない。

 そしてグミもチョコも全部なくなり、また沈黙が続く。

(そうよ。沈黙が普通なのよ)

 私は自分に言い聞かせるように心の中で呟く。

 一条はまた文庫本に目を向ける。その顔はむすっとしていた。

 しばらくして一条は文庫本を閉じた。そして「今日さ──」と話始める。

 一条が語ったことはやはり今日のことだった。

 ここは同調しておくのが一番だ。

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