第55話 フロストパーム・ワイン・スピリッツ

 メトーリアは着丈の長い外套を羽織った姿で天幕から出てきた。


 控えの間を通り、バルカに連れられて階段を下りていく内に、大部屋からどんちゃん騒ぎの音が聞こえてくる。


「オー! オル」

「サキ! サキ!」

「ロア! アオ! オクウ!」


 オークが大声を出して何か言っている……というより、叫んでいる。


「あれはなんだ?」

「あ~、ええとだな。歌みたいなものだ」

「うた!? アレがか?」

「まあ、宴の時に、気分を盛り上げるための、かけ声だ、うん……」


 フィラルオークの酒盛りにはメリルとハントも参加していた。

 

 狩りと漁によって収獲された魚や鳥肉の料理などが、石のテーブルに所狭しと置かれている。

 ご機嫌のフィラルオーク達は食糧の提供や怪我や病気の治療の礼として、魚鍋や焼き魚や山鳥の串焼きなどを、“もっと食え、もっと”と、勧めている。特に酒が飲めないハントに絡んでいた。


「いや、そんなに食べれねーからッ。あ、メトーリア様っ」


 毛皮を敷かれた椅子に座らされて、もてなしを受けていたハントはメトーリアの姿を見て驚きの声をあげた。


「そういえばニーナ以外の人間に顔はもう見せたのか?」

「ウォルシュとボウエンにはな」


 ハントが立ち上がって席を譲ろうとしたので、メトーリアは片手を挙げてそれを制し、毛皮の敷かれていない席に座る。

 するとフィラルオークの女が、メトーリアに魚鍋を盛り付けた皿を手渡してきた。

 マントのように羽織っている外套から手を出してそれを受け取ったときに、メトーリアはオークの女の顔を見て、彼女の名前を知っていることを思い出した。


「ジェン……だったか? ありがとう」

「オル」

 

 ネイルの妻ジェンはニコリと笑って、卓を囲っているオーク達と離れたところで眠そうにしているネイルの元に戻っていった。

 息子のバドはネイルのそばで猫のように丸まって眠っている。


 メトーリアは鍋のスープを一口飲んでから、表情を和らげるが、ふと手に持っている皿が気になってバルカの方を振り向いた。


「この皿、アクアル隊が持ってきたものではないな」


 バルカはメトーリアの隣の席に腰を下ろし、魚の串焼きにかぶり付いて、豪快に一気に引き抜いてから食べ終えると、


「フィラルオークが集落から持ってきた物だ。俺のいた時代でも使ってたパーム椰子の実の殻で作った皿だ」


 と、メトーリアの疑問に答えた。


「パームって……こんな北方の地にか? かなり南の暑い地方に分布している植物じゃなかったか?」

「いや、あるんだ。フロストパームっていう北の大地で育つ種類のものが。飲んでる酒もフロストパームから造ったやつだぞ」


 そういってバルカは琥珀色の液体が入った杯を持ってくると片方をメトーリアに渡した。


「サキ! サキ!」

「ロア! アオ!」


 バルカも「サキッ」と返事して、杯をあおった。

 メトーリアも続いて、一口飲む。


「どうだ?」

「酸味の強い発酵乳に少し糖蜜を混ぜたような味だな。酒精アルコールのクセは殆ど感じられない」

「あまりはないからな」

「ところで“サキ”というのはどういう意味の古語なんだ?」

「“酒”の意味だ。他の意味もあるが――まあ、知らなくていい。熱帯地方で育つヤシの木の樹液から造られるパームワインってのは白いが“サキ”は見ての通り琥珀色だ。フロストパームの実の色に似ている」


 メトーリアは無言で一気に飲み干した。

 ハントがやって来て、メトーリアとバルカの空になった杯に酒を注ぎ足してくれた。


「それにしても、一緒に集落を回ったとき、三十メートル以上ありそうな木のてっぺんに登っていくのにはビックリしたっす」

「てっぺんの方にある、花や実がつく枝がたくさん樹液を出すからな。甘いし」

「これ、実じゃなくて樹液が元なのか?」

「ああ、そうだ……メトーリア、空きっ腹に酒だけ飲んでないで、料理も食った方が――」

「わかってるっ」


 “サキ”……フロストパームワインは集落に戻ったときに採取してきたものだ。

 サイズの大きいヤシの実の殻で作った容器をくくりつけ、樹液が集まるように細工して、樹液が発酵し、糖分が酒精アルコールに変わった時点で採取するのだとバルカはメトーリアに解説する。


「随分と雑な仕掛けだったけどな。オークにとってフロストパームは大昔から大切な木だ。呪いにかかってもその事は覚えていたんだろうな」


 フロストパームの実はオークにとって貴重な食料でもある。

 食用や酒造りの他にも、様々なことに利用されているのだというバルカの説明を、メトーリアは二杯目を飲み干した後に、鍋や小魚の素揚げなどを食しながら黙って聞いている。

 彼女の視線の先には、燃料を触媒に魔法の炎で燃える錬金炉と、薬の調合や醸成につかう錬金釜やその他の機材の側で、メトーリアに見つめられて、あたふたしてるメリルの姿があった。


 錬金炉にかけられた釜は蓋がしてあり、その蓋からはパイプが伸びていて、枝分かれし、フラスコなどに繋がっている。そしてパイプの末端は細くなっていて、繋がっている桶にポタポタと液体を滴らせていた。


「……メリル。その、錬金釜」

「は、はい。メトーリア様」

「蒸留器と連結してる」

「そうでありますっ」


 メリルは、パームワインを蒸留してスピリッツ蒸留酒を造っていた。


 酒の醸造、蒸留、熟成に魔法を使用するのはギルド同盟に許された業者や国だけだ。アクアルはその免許を持っていない。

 つまり密造酒になる。


「こ、ここは同盟領ではなくオークの国だから、いいかなぁ〜〜って。バルカさんがフロストパーム・ワインは日持ちしない酒だって言ってたから、保存できる酒を造ってみようかな~~って……」


 そうは言っても、こういった装置は一日や二日で作れるものではない。

 以前からメリルはこっそり酒を密造していたことになる。


「怒ってるわけじゃない。それ、もう飲めるのか?」

「え、ええ。一応」


 メトーリアが錬金釜連結型蒸留器に近づくと、察したメリルが桶の蓋を開ける。

 持っていた杯で、ゆっくりと密造酒をすくう。

 そっと匂いを嗅いでから、まず一口飲み……それから、一気に飲み干した。


「ちょ、メトーリア様!?」

「くふっ!」


 メトーリアは涙ぐみ、少しむせた後で、


「――なっ」


 と、感想を述べた。


「おい、メトーリア。あまり飲み過ぎるなよ」

「大丈夫だ。これより強い酒を飲んだこともある」

「いやっ、そういう事じゃ無くてだな――」

「初めての試作品ですし、質はよくないと思いますが」

「たしかにそうだが……これ、私は嫌いじゃないぞメリル」


 メトーリアは早くも二杯目をすくっている。

 桶の蓋を開けたので、強い酒精の匂いを嗅ぎつけたフィラルオーク達も、スピリッツで満たされた桶に群がってくる。

 その様子を見て、バルカは先ほどメリルが言った言葉を思い出していた。


“ここは同盟領ではなくオークの国だから――”


「オークの国……か」


 しんみりと独りごちたバルカは、しばらく酒を飲みながら、これからのことに関して思索にふけようかと思ったが、フィラルオーク達がやかましくなってきた。


「グハ!?」

「ロカ・サキ!??」


 フィラルオークは酒を吞む前に匂いを嗅ぐ奴が多いようで、蒸留によって強化された酒精の刺激臭に、ネコ科の動物のように顔をしかめたり、大粒の涙を流したりしている。


「ナル・ハガル・ゴウル・サキ・バルカァァ!」

「ちょっと!? 暴れないで!」


 なかには大げさにのたうち回っている奴もいて、蒸留器の周囲に散乱していたガラスや磁器製の小瓶などが割れてしまいメリルが悲鳴を上げる。

 それでも呪いのかかった同胞達は、吞むと身体の芯が熱くなって強い酔いを味わえることを理解しはじめると、息を止めたり鼻をつまみながら、パーム・ワイン・スピリッツを飲みはじめた。


 メトーリアも黙々と飲んでいる。


「ロカ・サキ!!」

「ロアーー!! アオオ! オクウ!!!」

「ああもう、うるせえな! 俺にも飲ませろ!」


 たまりかねて、バルカも席を立ってスピリッツをいただくことにするのだった。




〇おまけ


【フロストパームの設定】

 フロストパームは、寒冷な気候に適応した特殊なヤシの木。

 通常のヤシの木よりも幹は太い、高さは最大で約40メートルに達する。

 熱帯地方のヤシと違って葉は厚く、大きい。表面は霜を防ぐための特殊な蝋で覆われている。この蝋は、葉が凍結し、細胞が破壊されるのを防ぐ。


 フロストパームは、冷帯湿潤気候の地域、特に湿度が高く、年間を通じて降水量が豊富な地域に分布している。


 フロストパームの実は、オークにとって食料源であり、また、その木材は建築材料として利用されていた。さらに、葉から採取される蝋は、ワックスになり、防水材料として利用されている。

 樹液を採取して醸造すれば酒になる。他にも様々な用途があり、糖蜜や酢にもなる。


 樹液を実の殻で作った容器に集めると日光の作用で急速に発酵が始まり、二、三日でフィラルオーク達が“サキ”と呼ぶフロストパーム・ワインになる。

 味は酸味の強い発酵乳に糖蜜を混ぜたようで、時間が経つにつれて甘みが無くなり酒精が強くなる。とはいっても、その濃度はしっかりと醸造された果実酒ほどではない。


 フィラルオーク達は、集落に戻るとすぐに樹液を採取した。

 多くのオークは酒好きである。


 メリルが製造したパームワインの蒸留酒は改良されて、のちに『サキ・アヌーラ』と名付けられるがそれはもう少し先の話。

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