第54話 退化の秘法


 デフィーラーとその集合体であるワームナイト……触手の魔物との戦いから十数日が経過した。

 アーガ砦に集まっていたフィラルオーク達は、湿原を魔物に占拠される以前の状態に戻りつつあった。


 アーガ砦に集まったフィラルオーク達は元々は五つの群れに分かれていた。

 それぞれの群れの集落は湿原の高台に点在していた。 

 バルカは、まずネイルを除く四人の副官達にそれぞれが長として治めていた集落に群れを率いて戻るよう指令し、とりあえず以前の生活を送るように強く言って聞かせた。


 しかし、古語ゆえにうまく伝わらないことも多い。

 それに、バルカが全ての群れを束ねるリーダーであるという認識はオーク達全員に浸透しており、そのバルカから離れて、それぞれの群れが元いた集落に戻るのに抵抗を感じている者も少なからずいた。

 ましてや、怪我や病を治す治療士のニーナや衛生係のアクアル兵のメリル、アイテムボックスから大量の食糧を出すハントなどもアーガ砦にいるのだから尚更だ。


 遠く離れると、バルカの強化魔法の加護が消えることも、レギオンパーティーに参加していたオーク戦士達の不安を煽った。


 砦自体も元々ネイルの群れが使っていたようで、自然とネイルは五人の副官の中でもバルカに次ぐ存在となっていた。

 バルカはネイルとアクアル隊を連れて全ての集落を何度も行き来し、狩りを手伝ったり、フィラルオークの知らない食料の保存方法などを教えたりと奔走した。


 地下世界へと続く根の谷の大穴へと向かったレバームスからはまだ何の連絡も無い。



    ×   ×   ×



「じゃあ、フィラルオークはそれぞれ五つの集落に、元いたところに戻ったんだな?」


「ああ。一つはここアーガ砦と、その周辺だ」


 十数日ぶりに会ったメトーリアは健康そうで、肉体と霊体の状態もかなり復調しているようにバルカは看て取った。

 砦下層の大部屋で沼地から獲った魚や野禽で夕食を済ませて、バルカがアーガ砦天守の城主部屋にやってくると、十数日も顔を見せに来なかったことに最初はちょっと不機嫌そうだったメトーリアだったが、やがてバルカに矢継ぎ早に質問しはじめた。


 ちなみにニーナは、メトーリアを常時介護する必要が無くなってからは、食事や着替えを用意したりするとき以外は、砦の外に出て薬草を採取しに行ったりしているようだ。

 

「フィラルオークの集落とは、どのようなものなんだ?」


「アクアルの狩り場で初めてあいつ等と出会った時や、魔物の肉を生で食ってたのを覚えているだろ? かなり、原始的な生活をしていたようだ。食い物は狩猟と…略奪でまかない、家屋は四百年前、呪いにかかる前のオークが建てた石造りの建物などを流用している」


(なるほどな)

 

 メトーリアは思案する。

 今はバルカの威令が行き届いているから、これまでアクアル隊と揉め事が起こったりもしていないが、やはり全く危険がない種族というわけではないらしい。


「知性退化の呪いに対する対する抑制薬を作ったと聞いたが」

「ああ。どんな呪いか解明できたからな」



    ×   ×   ×



 メトーリアの霊体修復施術を終えたあの夜。

 バルカは砦の外に出て昂ぶる心を落ち着かせるために夜の冷えた空気に当たっていた。

 知性退化の呪いを受けていなくても、元々オークという種族は力を信奉する戦闘的な種族だ。

 本能的・生理的な欲求には直情的に行動するのが正しいとする考え方が根強い。

 メトーリアの体香を嗅いだときに、そして、彼女に“時々、来てくれるとありがたい”と言われたときに、実はメトーリアの身体を抱きしめてしまいたいという衝動に駆られていたのだ。

 しかし、そんなことをしてしまえば、拒絶されるだろうとバルカは考える。

 ……万が一、メトーリアがそれを受け入れてくれたら、後に引けない状態になっていただろう。


 ブラブラと、砦天守のほとりに建てられた墓を訪れる。

 ワームナイト戦で犠牲になったオーク戦士の墓だ。


 そこにはレバームスもいた。


「報告にな。犠牲者が出たのは不幸だったが、彼らのおかげで呪いの抑制魔法を開発できた」


 レバームスは犠牲となった遺体が埋葬される前にこっそりと解剖していたのだ。

 もちろんこのことを知っているのはバルカと……ギデオンだけだ。

 遺体を解剖し、また遺体のそばに約五十日留まり続ける霊体をギデオンに走査スキャンさせた。


 変異によって頭の機能が損なわれているのではなく、呪いか、あるいは何らかの毒で頭脳の働きを抑制されているというのは、アクアルのクリスタルルームでネイルを調べた時に、すでに分かっていたが、その時よりも詳細なデータを入手できたことにより、呪いの詳細が分かったのだ。


 その結果、フィラルオーク達は“退化の秘法”という詛呪魔法の影響下にあることが判明した。



    ×   ×   ×



「退化の秘法……名前だけは聞いたことがある。たしか魔王がまき散らした呪いのうちの一つじゃないか?」


 バルカはあの夜に、メトーリアへの想いが昂ぶったことなどは、もちろん伏せたまま、オークの呪いに関することだけを語る。


「ああ。退化の秘法による呪いにかかると知能が未発達になり、複雑な言葉も喋れなくなって獣のようになってしまう。

 この呪いの完全解呪には、その呪染源となる呪物の破壊が必要だ。サンピーナ峠のどこか……つまりレギウラ・アクアル方面へ流れる水系と北へ流れる水系の分水嶺にあるのでそれを排除すればいいんだが……まずは呪いの種類を特定できた成果で、詛呪魔法や阻害デバフスキルに対して完全耐性を持つ俺の血液から、呪いの効果を抑制する薬が作って何人かの同胞に投与を開始している」


「お前の……血から抑制薬を……」

「ああ、そうだ。ほら、俺はアーガ砦にきてからこの土地の水を飲んでいるが呪いにかかっていないだろ?」

「なるほど。いや、ちょっと待て。お前はあらゆる阻害スキルや詛呪魔法に対して耐性がある」

「ん? ああ」

「つまりは呪いの仕組みや種類さえわかればお前の血であらゆる薬を作れるってことか!?」

「あー……そうなるかな。あんまり考えたことなかった。でも多分、オーク用の薬しか作れないんじゃないか。レバームスがなんかそんなこと言ってた気がする」

「……(ギルド同盟がバルカを危険視して封印したわけだ)」


 レベルを上げた戦士や魔法士が一定の高みに達すると“種族の限界突破”を迎える。

 そして、他種族の長所や特性をも獲得し、時には固有のスキルや唯一無二の能力アビリティなども獲得する……バルカがいまどれほどの境地に達していて、他にどんな能力を持っているのか。メトーリアには想像もできなかった。

 

「それに、なんとか一冬越える食糧の確保もできそうだ。海から遡上してくる魚にくわえ、湿原の沼や湖は地下世界と繋がっているようだからな。特に地下からやってくる魚はデカくて独特なうまみがあるっ」

「……魚」

「今日はサーモンもアンダーパイクも大漁だった。ネイル達に仕掛けや干物の作り方などを教えたぞ。あいつら生食か、焼いて食うぐらいしか調理法を知らないみたいだからな。色々教えている最中だ。鍋とかな。小魚は頭から尻尾までまるごと入れて、大きいのは下処理して切り分けたり――」


 ――ぐうう~。


 食べ物のことで饒舌になっていたバルカの口が閉じる。

 

(なんだ?)


 ――ぐきゅるるるるっ。


 メトーリアが俯いて顔を真っ赤にしている。

 鳴っているのは、メトーリアの腹の虫だ。


「………………えっとだな。あとはまあ。あれだ、鉄板焼きとかにして、食べさせてみた。好評でな。ハントが今夜は奮発して、塩の他にも胡椒やシェイファー館の薬草園で嗅いだ匂いと同じハーブやスパイスを出して」

「おいっ、聞こえなかったフリをするな! そっちが何も言わなかったら、私は何も言い訳できないだろうがぁ!」

「……夕食、まだ食ってないのか?」

「ちがう、もう食べた! でもニーナの食事制限がひどすぎて全然足りないんだから仕方ないだろうッッ。こっちは、身体はどんどん元気になって、リハビリだけじゃなく、鍛錬をも再開して身体を動かしているのに相変わらず病人食のようなうっっっすい粥と野菜だけを食べさせられて! お、お、お前が魚料理の話なんかするからっ」

「つまり――腹が減ってるのか?」

「ぐっ」

「もっと食べたいのか?」

「そうだ!」


 バルカは立ち上がり、天幕の中はおろか城主部屋には自分とメトーリアの二人しかいないのに、周りを探り見るような仕草をした後、ちょいちょいっとメトーリアを手招きしながら立ち上がった。


「じゃあ下の階へ行こう。あいつらまだ酒盛りをしてるはずだ」

「酒っ?」

「ああ。ん? どうした?」

「ちょっと天幕の外で待っててくれ」

「なんで?」

「着替えるから、外で待ってて!」


 その夜、メトーリアは十数日ぶりにアーガ砦の城主部屋を出た。

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