第53話 リハビリ

 かすかに、メトーリアがはなをすする音をバルカは聞いた。

 ……たしかに、聞いた。


(え、泣いてるのか? え、いや、なんでだ?)


 バルカは何も聞こえないふりをしながら、メトーリアの右膝に癒やしのオーラをあてがうことだけに集中しようとしたが、気になるものは気になる。

 メトーリアの顔は布に隠れている。


 しばらくすると、甘い果実のような香りが漂ってくるのを嗅ぎ取った。


(……眠ったのか?)


 あのとき――。

 アクアルの砦で一緒の部屋で寝たときから、レギウラ領内のフィラルオークを傘下に収め、レギウラ王都メルバに向かう間、バルカはメトーリアと “男女の仲になった”と見せかけるために他の者達から離れたところで、一緒に寝ていた。


 その時の経験で、メトーリアは眠りにつくと、緊張がほぐれるのか、起きているときとは全く違う悩ましい香りがしてくるのを知っていた。


 そのにおいが、いまメトーリアからただよってくる。

 鋭敏な嗅覚が意図せずそれを嗅ぎつけてしまって、バルカは頭の中がくらくらした。

 危うくスキルに対する集中が途切れそうになる。


 バルカは気を紛らわすために別のことを考えようとした。

 ふと、メトーリアの右膝を見る。

 先ほど、メトーリアはまるで挑んでくるような目つきをしながら、わざわざ足を曲げて霊体損傷箇所の右膝を立てた。

 別に、足を水平にしたままでも治癒スキルを使うのに何の問題も無い。

 ずっとこのままでは疲れるだろうと思い、バルカは治癒スキルを発動していない方の手を、そっとメトーリアのふくらはぎに添えて、足の姿勢を元に戻そうとした。

 触れた途端、ぴくりとメトーリアの身体が震えたので、バルカは飛び上がるほどに驚いた。


「(寝てなかったのか!?)おおお落ち着けぇ! ずっと膝を立てる必要は無いから元に戻そうとしただけだっ」


 自分自身が全く落ち着いていない声で、バルカは弁明した。


「…………うん」


 意外なほど素直な返事だった。

 だがメトーリアは、そう返事しながらも、自分から動くつもりはないのか、右膝はそのままだ。

 動かしてくれるのを待っている……と、いうことに気づいたバルカは一度は離した手を添えて、メトーリアの右足を水平にし、めくれていた貫頭衣の裾も急いで元に戻した。



    ×   ×   ×



 メトーリアは布で涙を拭い、胸からこみ上げてくるが落ち着くのを待ってから、考えを巡らした。


(今のわたしを、ウォルシュ達が見たら、何と思うだろう)


 妹のアゼルにももちろん、今のような自分の姿を見せたことは一度もない。

 看護してくれていたニーナにもだ。


 あのとき――。

 ワームナイトの攻撃を受け、意識を失ってから一度目覚めたとき。

 霊体と身体に深手を負ったことを悟った自分は絶望の念に囚われた。

 もちろんそれは、自分が再起不能になること自体への恐怖と、そうなることでアゼルやアクアルの家臣、領民達の行く末を思ってのことではあるが、それだけではなかった。


 レギウラに隷属する領主として、アルパイス麾下の戦士として、命をかけて働き続けてきて、これまで心身に蓄積していた疲労が、あのとき、一気に押し寄せたのだ。

 それゆえに自暴自棄になり、


「お前の提案なんかに乗るんじゃなかった。こんな所に来るんじゃなかった」


 と、後悔と怒りにまかせて、バルカをなじりもした。

 こうして、バルカの力によって不可能と思われた霊体の修復が完了しつつある今……。

 

「バルカ」

「ん?」

「その……あ、いま話しかけても平気か?」

「大丈夫だ。どうした」

「えっと……その……」

「?」


 まずは、バルカに感謝の意を伝えるのが筋だと思い、言葉をかけようとするのだが、なかなか言い出せず、全く別のことをメトーリアは口にしていた。


「霊体の修復が完了したあとは、どうすればいい?」

「大体は大けがを負った者がすることと一緒だ。ありていに言えば、リハビリだな。レバームス風にいうと、肉体と霊体の修復部分の同期を取るってところだ」

「どうき……?」

「通常、肉体と霊体は生きてる限り強く結びついている。だが、それがいまは剥がれてちぐはぐになってる状態と考えろ。最初は無理をせず、右足を少しずつでもいいから動かしてみるといい。それから、精神を集中し霊力を練ってみる。具体的な調練メニューはレバームスがニーナに教えているはずだ」

「…………あの、バルカ」


“俺に触られるのも今日で最後だ"


 バルカはさっきそう言った。

 霊体の修復は今日で終わる予定なのだから、当然と言えば当然だ。

 毎日、自分の元へ通う必要も無くなるわけだ。

 なによりバルカにはオーク種族の復興という目的もある。

 

「なんだ?」

「その、アクアルの長として、状況を把握しておきたい。だから、時々、来てくれると、ありがたい」


 結局、礼を言うことはできず、そこまで言ってメトーリアは目をそらした。


「お、おう。わかった」


 再び布で顔を隠すメトーリア。

 

(一日でも早く、ちからを取り戻す……)


 と、決心するのだった。



    ×   ×   ×



 その後、メトーリアは手足を曲げては伸ばし……といった運動を繰り返すことから初め、立ち上がり、天幕の周囲を歩くといったリハビリの毎日を送った。

 座しては精神を集中し、それだけで疲れ果てて死んだように眠る毎日が続いた。

 己の霊体を知覚し、霊体から身体へ通して流れる力を感じ取れる様になったころ、なかなか姿を見せないバルカにやきもきしだすのだった。

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