第50話 霊体修復2

 ニーナ・バロウズはアクアル生まれの治療士ヒーラーである。

 性格はおっとりとしていて、気弱げな言動が目立つが、アクアル領においては唯一の、そして、レギウラ公国の中では指折りの治療士だ。


 昨晩、昏睡状態に近い眠りに落ちたメトーリアの身体の世話を終え、腹部や右膝部分の布地を切り裂かれた隠密服を脱がし、洗いざらしの白い貫頭衣に着替えさせてから、ニーナは彼女の容態を改めて確認した。


(こんなに大きな霊体の損傷は初めて見る……メトーリア様……)


 自らの霊体の目を通して、ニーナはメトーリアの霊体を視る。

 メトーリアの腹部からは、冷たさを感じさせる色をしたオーラがゆっくりとだが絶え間なく流れだしていた。

 霊力が流出し続けているのだ。


(このままじゃメトーリア様の意識が……)


 眠っている間、メトーリアは全く身動きせず、呻きもしないし、唸りもしない。

 呼吸はしているが、このまま目覚めないかも知れない。

 たとえ……目が覚めても、二度とスキルを使えない状態になっている可能性が高い。

 そうニーナは看ていた。


 霊力はスキルや魔法を使うための動力源パワーソースであり、霊力を生み出す霊体はレベルを高めることで備わった能力アビリティを発揮するための大切な基盤だ。

 もしその基盤が壊れてしまえば、超人的な身体能力も感覚も、全てを失うことになる。


 常人が高熱などで寝込んだ時、立ち上がることもできない苦しさや不安に苛まれる。

 高レベルに達した者がそのような状態になった時は、層倍の無力感や絶望が心を打ちのめすのは想像に難くない。

 しかも、その状態から快復する見込みが無いともなれば……。 


(こんなことになったのが、アルパイス様に知れたら、メトーリア様はどうなるんだろう……わ、私たちアクアルの民も……)


 そんなことを考えているとき、


「ウガ!?」


 ネイルが目を覚まし、跳ねるように上体を起こした。


「あ」

「ン? ンオ?」


 ぺたぺたと大きな手でワームナイト攻撃された胸のあたりを触り、周囲を見回すネイル。


「オ、オル……ウルド。ア!? ジェン! バド!」


 目覚めたネイルは負った傷が治っていることに驚き、それから、妻と息子の名を吠えるように口にした。


「あ、あの、ネイルさん」

「オル? ニーナッ。ロ・メギ・デ?」

「あぅ、わ、わかんないです。怪我、治したのは、私」


 ジェスチャーを交えながらそう伝えると、ネイルは大きな瞳を輝かせた。


「オオー! ニーナ・ロカ・メギ・シ!!」

「えとー……ジェンさんとバドくんは、下。下にいますよ」

「ニーナ・デ・ロカ!!」

「ひゃあ!?」


 ネイルはニーナの手をつかみ、感謝の気持ちを表しているのか、何度もぶんぶんと打ちふる。


「は、はい、はいぃ。どういたしまして。もう十分気持ちは伝わったから、は、早く行ってあげてください」

「オルル! ニーナ・デ・ロカ! メトゥーリア・デ・ロカ!」


 ネイルはそう叫ぶと、嵐のように天幕から出ていった。


「あ、朝まで寝てるかと思ったのに……さすがの体力……」


 そう独りごちていると、天幕の外から声が聞こえた。


「……なあ、入ってもいいか?」

「バルカさん? ど、どうぞ」


 バルカは遠慮がちに天幕の中に入ってくると、メトーリアの傍らに座り、じっと彼女を見つめ続ける。


(そ、そういえば、メトーリア様とバルカさんは、深い関係にあるんだった)


 ふいに思い出して、ニーナはポッと顔を赤らめた。

 レギオンの行軍に参加するまで、オークに対しては悪しき噂しか知らず、バルカにもおっかなびっくりのニーナだったが、アーガ砦で生活していくうちに、大分その認識は改まってきている。

 

(と、泊まり込みで付き添うつもりかな……)


 そんなことを考えていたニーナにとって、


「ニーナ」

「は、はい?」

「メトーリアの霊体は、俺が修復する」


 バルカの発言はニーナにとって、完全に予想外だった。



    ×   ×   ×



 ワームナイトとの戦いから一夜明けた。

 現在、アーガ砦天守の下層部は魔物の死骸の撤去や崩れた壁や天井などの応急修理で大わらわとなっている。


 喧噪にまみれる下の階とは真逆に、静かな城主部屋にハントがネイルを伴ってやってきた。ネイルは貯水槽から汲んだ水をなみなみと湛えた大甕おおがめを抱えている。


「ニーナ様、水をお持ちしました」

「あ、ありがとう。この辺に置いてください」


 天幕から顔を出したニーナの指示に従い、ネイルは大甕を置くと天幕の中が気になるようで、中を覗きたそうだが、同時にそれを我慢している様子もあった。


「あの……メトーリア様のご容態はどうですか? ボウエン様やウォルシュ様に聞いてこいと言われてまして」

「…………昨晩より快方に向かわれていると、お伝えください」


 ハント自身も相当に心配していたようで、パッと表情が明るくなる。


「そうですかっ。わかりました――さ、ネイル殿。治療の邪魔をしちゃいけないからもう行こう」

「オルル」


 部屋を出て行くハント達を見送って、ニーナは天幕へと戻る。


 天幕の中ではバルカが起きて、メトーリアの腹部に掌を当てていた。

 その掌は薄い緑のオーラを放っており、オーラの輪郭は暖かそうな金色に輝いていて、メトーリアの霊体に流れ込んでいる。


 今、バルカが使用しているスキルは、原始的な癒やしの技だ。

 対象の肉体に働きかけて再生力を加速促進させたり、復元させる治癒魔法ではない。

 どちらかというと、他者へ霊力を送り込む〈霊力移出〉に似ている。

 バルカが言うには応用を利かせて、肉体や霊体を癒やす効果を付加しているというのだが……。


 ニーナからみればその効果は微々たるもの。極めて初歩的な治癒魔法のようなものだった。


(でも……)


 ニーナはごくりと唾を飲み込んだ。


(信じられないのは、そのスキルを昨晩から使!)


 バルカは一睡もせず、メトーリアの霊体に霊力を注ぎ続けていた。

 それが如何に困難で、どれほどの霊力と、精神力と体力を必要とするか……ニーナは想像すらできなかった。

 ニーナ自身は、昨晩メトーリアの肉体と霊体を癒やす魔法を唱え続けたのは、どんなに必死になっても半時(約一時間)ぐらいが限界だったのだから。


「うあっ」


 不意に、これまで身動き一つしなかったメトーリアがぶるっと身体を震わせて、唇から声を漏らした。そして、眉がピクリと動いたかと思うと、頭をころりと傾けた。

 

「バルカさんっ、バルカさんっ、これはいい兆候ですよ!」

「……そうか」


 バルカは落ち着いた声で呟いた。


「これなら水や薬湯を飲んでくれるかもしれませんっ。あ、あと重湯おもゆもっ」


 ニーナの声は小さかったが、彼女の興奮と喜びを感じ取れるものだった。


「おもゆ?」

「お粥の上澄みですよっ」


 寝違えないよう、そっとメトーリアの頭を元に戻しながら、ニーナは答えた。


「よし、じゃあニーナはその準備をしてくれ。そろそろ昼飯時だしな」

「……あの、バルカさん。その癒やしのスキルはいつまで、その……持ちこたえられるんですか?」

「俺にも分からん。だが、とにかく、メトーリアの霊体が治るまでだ」


 そう言う間もずっと、バルカはオーラに包まれた手を休めることは無かった。

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