第49話 霊体修復
アーガ砦の損傷は大きかった。
城門は大破。
砦下層部の大広間にはそこかしこにデフィーラーの死骸が散乱し、貯水槽がある一角には、デフィーラーが穿った横穴がポッカリと空いている。
上層部の大部屋にも、天井に大きな穴が空いている。
床を突き破って城主部屋に姿を現したワームナイトの侵入経路だ。
崩落した控えの間と階段通路の瓦礫は撤去された。
今、城主部屋にいるのは重傷者のメトーリアとネイル。治療士のニーナを中心としたアクアル家臣団。バルカとレバームスだ。
随分長いこと、ネイルの息子のバドが、ネイルとメトーリアの側を離れようとしなかったが、母親のジェンに手を引かれて大部屋の方に移っていった。
そして、天幕の中にはメトーリアとネイル、ニーナと、バルカがいる。
ニーナは杖を掲げ、手をかざし、治癒魔法を発動させている。
白い光が天幕の中を照らし続ける中、バルカはニーナの背中を支えるように手を添えている。
その手は白い光とは別の薄い緑のオーラに包まれている。
天幕の外にいる者達は、天幕に映し出されるニーナとバルカの影をじっと見守っていた。
「……ど、どうだ? ニーナ。ふたりは治りそうか?」
「体の傷は、もう完璧といっていいほどです。き、“傷を癒やす”とか“身体の再生力を高める”ではなく、高速で“修復復元”する魔法をこれほど長く使い続けたのは、私、始めてです……」
「まだ霊力が必要ならいくらでも――」
「い、いえ、バルカさん。これ以上は私の集中力が持たないです……ッ」
魔法を持続的に唱え続けることは、精神的にも体力的にも大変な疲労をもたらすのだ。
治癒の光が不意に途切れ、ついにニーナは倒れ込むようにうなだれた。
バルカは慌てて――そして無念そうに――ニーナへの霊力の移出を止めた。
天幕の中が真っ暗になった。
その暗闇の中で、バルカの霊体の眼はネイルとメトーリアの存在を視ていた。
ネイルの方は問題ない。
ワームナイトはネイルのレベルを問題視していなかったかのようで、〈霊体破砕〉による攻撃を彼に対しては行わなかったようだ。そのため、肉体の傷を治すだけで済んだ。
しかし、メトーリアは――。
聞けば、メトーリアはネイルを助けるために、ワームナイトを一体仕留めたという。
(なぜ、俺が来るまで隠れていなかった――)
心の中でそうなじりかけて、バルカはハッとして、己を恥じた。
あの時室内にはオークの子供達や非戦闘員がいたのだ。
メトーリアが立ち向かわなければ、被害は甚大だったろう。
(全ては間に合わなかった俺のせいだ……)
ワームナイトはメトーリアを危険視し、容赦なく彼女の霊体を傷つけた。
いや、傷つけたなどという生やさしいものでは無かった。
× × ×
暗い。
暗闇の中、何処かに明るみが灯った。
その光がゆらゆらと揺れ、メトーリアを押し包んでいる暗闇が少しずつ変わっていく。
魔物の触手に身体の自由を奪われ、身体が宙に浮く感覚をメトーリアは思いだしていた。
夢を見始めたというより、目覚めつつある意識で、気を失う直前のことを思い描いているのだ。
バルカに触手がわらわらと群がり、彼の霊気を吸血蛭のように吸い始める……それに対して全く無抵抗なバルカの姿を見て、カッとなって何かを叫ぼうとして……下腹部に激痛を感じて……と、そこまで想起したところでメトーリアは目を見開いた。
飛び起きようとしたのだが、全身が激しく痙攣しただけで、手も足も動かない。
「――っ」
まるで全身に鉛が詰め込まれたかのようだった。
メトーリアは周囲の気配を探ろうとした。
そして愕然とする。何も感じなかったのだ。
高レベルの戦士として、目を閉じていても周囲の霊気を感じ取って状況を把握できるメトーリアが……。
〈レギオン〉のメンバーとして、かなり離れていても他のパーティメンバーの位置を、把握できるはずのメトーリアが、彼らと自分の“霊体の繋がり”すら感じ取れなかった。
「メトーリア様……」
メトーリアは声がした方へ顔を向けようとした。
しかし、首さえもほとんど動かない。その事実にメトーリアは恐ろしくなった。
息を詰め、必死になって、わずかに首を傾けた。
今のメトーリアにとっては、たったそれだけの動作でも、渾身の力をかたむけなければならなかった。
燭台に掛けられた照明杖の明かりで、ニーナとバルカが自分の側にいるのが分かった。
メトーリアの名前を口にしただけで、二の句が継げずにいるニーナの代わりにバルカが口を開いた。
「霊体が傷ついていると高レベルの者であればあるほど、身体を動かすのも難しいし、危険だ。じっとしてろ」
つとめて感情を抑えて、バルカは言った。
だがその声音がわずかに緊張しているのをメトーリアは聞き逃さなかった。
「う、うぐ――ッ」
「だから動こうとするなって!」
無理して体を起こそうとしたメトーリアは激痛にうめく。
とっさに動いたバルカの腕に支えられて、メトーリアはわなわなと唇を震わせた。
「……“傷ついた”なんてものじゃない。私の霊体は破壊されたっ」
霊体の損傷は治療に時間がかかり、また快復しても完全に元に戻るかどうかも分からない。損傷が激しければ再帰不能になるとメトーリアは認識していた。
自分が使い物にならなくなればどうなるか?
シェイファー館にいるアゼルはどうなる?
アクアルの領民達はどうなる?
“メトーリアよ。お前が私の期待に応えられないのなら、シェイファー館にいる者達の処遇にも影響が出る……分かっているだろうな?”
このようなことを聞かされて育ってきたメトーリアは、現在の我が身の状態に底知れない不安と苦しみを覚えた。
そして、後悔と怒りが心を押し包む。
「……お前の提案なんかに乗るんじゃなかった。こんな所に来るんじゃなかった……ッ」
大声で叫ぶこともままならないメトーリアは、かすれた声を漏らしながら眼を閉じた。
しばらくの間、場に沈黙が訪れた。
「そう言われても仕方ない。守ると言ったのにお前を守れなかった。だがな、メトーリア。霊体の傷なんかで弱音を吐くな」
「!?」
「魔王討伐戦の頃の最高のスキルや魔法、技術を知っている俺から言わせてもらえば、霊体の損傷なんぞ、容易に完全修復できる取るに足らないダメージだ」
「……ほんとに?」
「本当だ。だから今は静かに寝てろ。焦るな焦るな」
メトーリアはうめき、ふいにその表情が変わった。
うなだれたのか、それとも幼児のようにこくりと頷いたのか、バルカには判別できなかったが、メトーリアは目を閉じて、バルカの腕の中で深い眠りに落ちた。
やがて、ぶるぶるとメトーリアの体が震えだすのを見て、バルカはハッとして、せわしなく立ち上がった。
「ニーナ。後を頼む」
「は、はい……」
ニーナに介抱と手当ての続きを頼むと、バルカは天幕を出た。
× × ×
「お前何でそんな嘘ついたの?」
レバームスは呆れたような声をあげた。
「メトーリアを落ち着かせるためにはしょうがなかったんだ! それに、何か方法があるだろ?」
天幕から出てきたバルカはメトーリアの容態を執拗に聞いてくるボウエンやウォルシュをに、手短に状況を伝えた後、レバームスを砦の外に連れ出し、メトーリアの霊体損傷を修復する知恵を仰いだのだった。
「俺らは散々見てきただろう。霊体にダメージを負って長い間戦線を離脱したり、損傷を完全には修復できなくてレベルダウンやレベルロストし、自暴自棄になったやつや、精神を蝕まれて廃人同然になった奴らを」
「……フレイニアがいてくれたら」
と、思わずバルカは愚痴った。
聖女フレイニア。
勇者ベルフェンドラのパーティにいた
「……たしかにな。フレイニアは当代きっての最高の癒し手だったからな」
「もう……いないのか?」
「死んだ。ベルフと一緒に」
つとめて素っ気なくレバームスが答えるのを聞いて、バルカにどうしようもなく暗い気持ちが押し寄せる。
レバームスと再会してから、バルカは四百三十年前の、当時の仲間のその後や顛末を一度も聞いていない。
頭の中がグチャグチャになりそうなので、オークの呪いの解呪と復興。そして、メトーリア達のことだけを考えるようにしているのだ。
「フレイニアほどでなくても、霊体修復の魔法が使える高位のヒーラーを用意できれば治せないことはないんだが……時間が無い。複雑な骨折を添え木をしたりせずにそのまま放置すれば、後遺症が残ったり骨が変形して曲がったままになったりして機能に障害をもたらすだろ。それと同じで――いや、それ以上に霊体のダメージは迅速な修復が必要だ。そうでないと、俺みたいに僅かな霊力しか生成できなくなったりする」
……つまり、レバームスは過去に霊体に激しいダメージを負ったことになる。
そのことが気にならないわけでは無かったが、今バルカはメトーリアのことで頭がいっぱいだった。
「むう」
「……」
レバームスが無言になったまま、何も言わなくなったので、バルカは焦り、苛立った。
「で?」
「あ?」
「メトーリアを助ける方法だよ! 他の方法は!?」
レバームスは顔をしかめた。
「知らないんだよ! 俺は治療士じゃない。魔物の分析や呪いの逆行解析に長けて、軍師的な仕事もこなせて短時間なら
「くそ!」
バルカは毒づく。
レバームスは匙を投げたような発言をしつつも、何かメトーリアを治す方法が自分の知識の中にないかと色々と思考を巡らしてはいるようで、両手の指でこめかみを押さえながら、声にならないつぶやきを漏らし続ける。
バルカはしばらくの間、それを見守っていたが、レバームスの仕草を見て、不意に念話のことを思い出し、ギデオンの補佐でレベルの低いメトーリアの妹アゼル・シェイファーが遠く離れた姉と長距離念話ができることを思い出した。
それが一体どうしたのかというと、これはバルカ自身にもまだ分からない。
だが、次の瞬間には、
「ギデオンッ」
バルカは装備している器械精霊を呼び出していた。
「何でしょうバルカ?」
ふわりと姿を現すと、バルカとレバームスの周囲を飛び回った。
「お前はこの数百年間ずっとギルドクリスタルが繋がった
「ハイ。そうデス」
「その間、色んな通信を盗み聞きしたりしてたんだろ?」
「いや、言い方ぁ! デモ、まあ~~~ソウデスネ。レバームスから受けた任務をこなしたりする以外はあらゆる情報や記録を収集してました」
「……じゃあ、じゃあその中に霊体修復に関する知識はあるか? いや、はっきり言う。メトーリアの霊体を癒やす手立てはあるか?」
「あ~~~~~~えっと……さっきからずっと話をこっそり聞いてたんですが、ベルフ様とフレイニア様のお話をされてましたよね?」
「あ、ああ……」
「あのお二人には特別な絆がありました。互いを思いやるアイの力ってやつですかねぇ~その絆の影響で、フレイニア様がベルフ様にかける強化魔法は他のパーティメンバーよりドチャクソ効果が強かったりしたじゃないですか?」
バルカはギデオンが言わんとしていることが分かって思わず叫んだ。
「それだ!」
他者との“縁”や“絆”はパーティ編成法の根幹となっているものだ。
高レベルの戦士や魔法の使い手が、お互いに強く想いを通わせていると
(俺が“群れのオーク”に対して強化魔法を施すと、新兵も精強な強兵に早変わりする……)
それは、バルカ自身のレベルが桁違いというのもあるが、“群れ”という繋がりが新規のパーティなどよりも、強い“掟”や“誓い”というもので結ばれたより強固な結び付きが効果を更に高めているからだ。
「何をする気だ? バルカ」
レバームスは何故か心配げな表情でバルカの意を問う。
「メトーリアと特別な関係を持つヒーラーを用意するんだ……」
「ニーナか? 彼女は領主のメトーリアに敬意を抱いてはいるようだがそこまで想いきわめているわけじゃないだろう」
バルカは躊躇しながら、咳払いをして自分を指さす。
「違う。お……俺だ。治癒魔法は使えないが、〈霊力移出〉の応用で直接霊力を注ぎ込んで相手の傷や体力を回復させることができる」
レバームスは思わず目を瞠り、ギデオンと顔を見合わせた。
「お前、それほどまでにあの娘を……」
アズルエルフと器械精霊に見つめられて、バルカは顔を背けた。
「そのスキルの霊体に対する効能は微々たるものだろう。どれだけ長時間スキルを使い続けることになるか、分かってるのか? それに、お前はともかく、メトーリアはお前のことをどう想っているかわからないだろう。双方向ではなく、一方的な想いでは、それでは……
「バルカ、最悪、アナタの力が弱まりますヨ。さらにどんな影響が出るかもワカリマセン」
そうレバームスとギデオンは忠告するが……。
バルカの気持ちは決まっていた。
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