第42話 肉の紐

 アアーガ砦がある東の山を下りて、湿原にやって来たパーティ・メンバーは、バルカ。メトーリア。レバームス。ルドンと彼が率いていた群れにいたフィラルオーク戦士ふたりだ。そして、魔法士メイジであるウォルシュもいる。

 湿原の奥へ行けば行くほど、霧は更に濃くなっていく。


 その霧の中をメトーリアは先行していた。

 ウォルシュは直前まで、メトーリアのことを心配しすぎて何度も作戦を変えるように進言した。


「じいや。心配ない。大丈夫だ」

「な、なれど……」

「メトーリア。何かあったらすぐ念話で伝えてくれ。魔物に遭遇、または“肉の紐”に関する手がかりを見つけたら、すぐ俺達のところに戻ってくるんだ」


 バルカがウォルシュを安心させようとして、打ち合わせした内容を何度も確認する。


「バルカ、分かっているよ」


 あちこちに水たまりのようなぬかるみや、小さな沼があるので、そこに足を踏み入れないように気をつけながら進むメトーリアは、バルカ達との会話を思い出していた。


(念話で連絡……)


 念話と言えば、メトーリアはアーガ砦にいる時や湿原に向かって下山中の時などに、何度かシェイファー館にいる妹アゼルに念話で連絡をしようとした。

 しかし、アゼルとの念話通信は繋がらなかった。

 レバームスの説明によると、メトーリアとアゼルの長距離念話は、地脈や水系などと重なり合っている霊脈を利用したギデオンの補助によって接続が維持されているのだが、サンピーナ峠の分水嶺を越えたことと、距離が遠すぎることで通話可能距離の限界を超えてしまったとのことだ。


(メトーリア)


 頭の中でバルカの声が響いてきたので、メトーリアはこめかみに指先を当てながら返事する。


(なんだ?)

(いや、一応確認だ。念話の接続状態のな)

(確認なんかしなくても、この距離なら全く問題ないだろう)

(いや、それでも……一応は、な)


 常人の集団ならば、濃霧の影響で離ればなれにならないために、かなり密集して、歩調を緩める必要があったが、冒険者なら周囲の魔力や生物の気配などを霊体の感覚機能——いわゆる霊感——で察知できる。


 ましてや今はレギオンというパーティを組んでいる状態だ。

 パーティーメンバー同士には“繋がり”がある。

 そのため目を閉じていても、暗闇に光が灯るように、パーティメンバーはお互いの存在を感じ取れる。


 特にバルカの次にレベルの高いメトーリアは離れていても手に取るようにパーティ・メンバーの気配が分かる。

 距離感さえもだ。

 その中で、特にバルカの存在感は強烈だ。


 メトーリアがバルカ達本隊の位置を把握しやすいように、そして、魔物の気を引く陽動のために、バルカは敢えて“気配を消す”の、逆をやっている。    

 そんなバルカの強い魔力や気配は戦闘時においてはこの上なく頼もしい。

 だが今は……。


 ジッとバルカに見つめられているような感覚が、


(……鬱陶しい)


 と、メトーリアは思うのだった。

 ひとり、偵察のために先行しているのを気にかけてくれているのは分かる。

 それだけではない。

 自分に、好意を持っているのも、分かっている。

 

 メトーリアは、今までバルカと出会ってからこれまでの、彼の言動と、彼と交わした取り決めを思い返してみる。

 

(あいつは嘘は言っていない。だが本心を全部曝け出しているわけじゃない)


 ……そのようにメトーリアが感じるのは、バルカが自分のメトーリアへの想いを言葉にして直接伝えていないからなのだが、メトーリアはこの事に気がつかなかった。

 そして、メトーリアもまた、“アクアル領主”や“シェイファー家の当主”、“アゼルの姉”、“アルパイス子飼いの戦士”……といった、立場や何かに属している自分というものが、常に心の中にあるのでおのれの個人的な感情に向き合ったことが少ない。

 否、向き合うことを、今は無意識に避けていた。


 なので、今もアクアルの領主として思考を巡らせる。

 バルカ率いるオーク族と友誼を結び、アクアルがレギウラの支配から自由になる——そのためには、バルカが心内で何を考えているかメトーリアは把握しておく必要がある。


 ……同時にメトーリアはレギウラ公アルパイスの命令も心中で留保していた。

 

 バルカは・・・・・・信頼できる。

 しかし、知性を取り戻したオーク全体が、どういう行動に出るのかは予測できない。

 一枚岩ではなく、加盟国同士が互いに牽制し合っているとはいえ、ギルド同盟という大勢力から独立するのだ。

 もしオーク達が信頼の置ける勢力でないと分かれば……。


 ――いかん。今は、偵察に集中しなければ。


 メトーリアは周囲の気配を探りながら、歩みを進める。

 今や濃霧は、数歩先にある物の輪郭すらあやふやにしていた。


 

    ×   ×   ×



「問題なく、念話は繋がった」


 バルカは険しい表情で、なかば独り言のように、レバームスとウォルシュにそう告げた。 気配を消して隠密状態で先行するメトーリアと違って、バルカ達は山を下りてからすぐに移動を停止してその場に待機している。

 陽動のため、バルカは大きく呼吸をしながら自らの霊気を練り上げ、大げさなまでに発散している。


「お前とメトーリアのレベルの高さに加えてギデオンとミニギデオンの補助があるんだ。まず問題ないだろうよ」

「……この霧が、魔法的な何かで発生してるのなら、通信妨害もありうると思ったんだ」


 装備している杖を額に近づけ、周囲の魔力を探っていたウォルシュは、


「たしかに、妖気が満ちあふれているかのような濃霧ですな。しかし、それほど強い魔力は感じられません」


 と、言いながらもしきりに周囲に探りを入れている。


「しかし、わけじゃない。散漫としているが、霧全体から妙な魔力を感じるのは確かだ……」


 魔物の正体もだが、その数さえ何も分からない。

 バルカはこれまでに何度も、肉の紐ニド・ヒムと言いながら、フィラルオーク達に指折り数えるジェスチャーをして、魔物の大まかな数を把握しようとしたが、彼らの答えは一向に要領を得ないものだった。


 メトーリアの霊体を捉えたまま、一瞬たりとも目を離さないぞ――とでも言わんばかりに、バルカはメトーリアのいる方角を見つめ続けていた。



    ×   ×   ×



 警戒を緩めずに進んでいたメトーリアはやがて、足元がぬかるんできたことに気づいた。

 メトーリアは立ち止まった。今、彼女は沼べりに立っていた。

 しばらく、縁に沿って歩いてみるが、今まで通り過ぎた水たまりのような沼とは規模が違うようだ。

 メトーリアのブーツがズブズブと沈んでいく。

 不安定な足場を嫌ったメトーリアが、沼べりから少し離れようとしたその時――。

 

 水音がした。

 魚が跳ねるような音ではない。もっと大きなものが、水面を突き破る音だ。


 メトーリアから僅かに数歩ばかりしか離れていない沼から、巨大な何かが現れた。


(直前まで何の気配も感じなかったのに!?)


 後じさってメトーリアは剣の柄に手をかけながら、沼から現れたモノを凝視した。

 霧のせいで、輪郭しか分からないがそのシルエットに、メトーリアは見覚えがあった。


 野牛のような巨体に、甲殻類のような硬い外殻。

 狼に似ているが、頭部には攻撃的な角を生やしている。

「……ヨロイ狼?」

 思わず呟いてしまう。

 ヨロイ狼は平原や山地にいる魔物だ。体重が非常に重く、沼地にいるのは不自然だ。

 メトーリアがそんな疑問を思い浮かべている間に、そのヨロイ狼(?)は不快な瘴気をはらんだ魔力を周囲に発散した。


 霧を構成する水の粒子が渦巻き、メトーリアを取り囲むような流れを作った。 

 その直後、後方に感じていたバルカや他のパーティメンバーの気配がした。


(バルカッ。聞こえるかバルカ!)


 念話を送ってみるが繋がらない。

 まるで何かにパーティの繋がりを断ち切られたかのようだ。


    ×   ×   ×


「これは!?」

「“遮断”ですよバルカ」


 バルカの肩に出現したギデオンがいつになく真剣な顔で断定する。


「あ、ありえんですじゃ……メ、メトーリア様ッ」


 ウォルシュは狼狽していた。

 パーティーの繋がりを妨害して、互いの位置を見失わせ、念話などの通信も妨害・遮断する魔法やスキルは存在する。

 だが、そんな高位の魔物は遠い昔、魔王討伐戦の頃に滅ぼしたはずだ。


「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」


 バルカは魔力の籠もった咆哮魔法を即座に放った。

 空気と漂う霧を震動させ、バルカの咆哮はメトーリアの元へ届く。


    ×   ×   ×

 

 メトーリアがバルカの咆哮を耳にするのと、周囲の空気がバチバチと火花が散るような音がしたのは同時だった。

 バルカの咆哮という音によって届けられた魔法と、ヨロイ狼(?)が空気中の水分に働きかけて放った遮断の魔法がぶつかり合う音だ。 


(メトーリア! メトーリア聞こえるか!?) 


 先ほどまで繋がらなかった念話が可能になっている。

 メトーリアは剣を抜き払い、魔物からゆっくりと後退しながら、返事する。


「バルカ。今一瞬、お前の気配が――」


(いいから!)


 バルカがさえぎった。


(戻ってこい。合流するんだ)


 パーティの繋がりを“遮断”していた何らかの魔法を、バルカが咆哮魔法で打ち消したのだが、それを今、くどくど説明するつもりはバルカには無かった。


「いや、でも今、目の前にヨロイ狼がいて――」

(命令だ! いいから早く戻ってこいバカ!!)

「――ッ」


 このようにバルカに怒鳴り散らされたことがなかったメトーリアは反発心を覚えつつも、後方に下がろうとする。


 その時、ヨロイ狼(?)が沼から上がってきて、攻撃に入る動作をした。

 

 ハッとしたメトーリアは、対ヨロイ狼のセオリー通りに関節部分に阻害スキルを込めたナイフを投擲した。


 しかし――。


 ナイフはずるりと抜け落ちてしまった。

 ヨロイ狼(?)の一部分と共に。


(な、何だ?)


 霧のせいで、よく見えない。


 ミシミシと、何かたわんで、捩れ、擦れ合うような音と共に、四足歩行のヨロイ狼が全身が奇妙な蠢き方をした。

 うねうねと、身体をくねらせているようだ。

 そのような仕草をするヨロイ狼を、メトーリアは見たことがなかった。

 

 そして、ソレは後ろ脚で立ち上がった。

 さらに、主要な関節を組み替えているかのように、“変形”した。

 もうそれはヨロイ狼のシルエットでは無く、まるで甲冑を着けた巨体の戦士のようだった。


 ヨロイ狼の外殻は加工処理を施すと、良質な防具の素材になることでよく知られている。

 そのためメトーリアは、理解した。


(こいつ、中身が別物――ッ)


 ヨロイ狼の殻を鎧のように身に纏っているソレは無手でメトーリアに襲いかかった。

 メトーリアは反射的に迎撃行動にでてしまう。

 阻害スキルの紫電を纏った長剣で三度突き出した、そいつの、首、脇の下、股に該当する部分に。

 どれも致命傷になるはずだったがさして効果が無く、逆にヨロイ狼の外殻の隙間から、鞭のようなものがいくつも伸びてきてメトーリアに襲いかかった。


(これが肉の紐の正体!?)


 メトーリアは必死に剣で斬り払うが、肉の紐が右膝に接触した。


「アッ――」


 今まで感じたことのない激痛にその場で左膝をついてしまう。

 

「あ"あああああああっ!!!」


 ダンジョンでバルカに叩きのめされた時も、寝室でアルパイスに恐怖を植え付けられながら関節をひねり上げられた時にも、あげなかった悲鳴をメトーリアは口から発した。

 深く斬られたわけでも、骨を砕かれたわけでも無い。

 皮膚すら裂けていない。


(なのにこの痛みは何だ!?)


 肉体にダメージは無い。しかし、攻撃された右足が思うように動かない。

 まるで攻撃された右足のレベルだけ下がってしまったかのようだ。


(こいつ、こいつ! 私の霊体に直接ダメージを!?)


 その場でのたうち回りたいという衝動が全身を勝手に動かそうとするが、何とか踏みとどまる。

 “肉の紐"は立て直しを図ろうとするメトーリアに対応して、さらに攻撃してきた。


 次の上方からの攻撃を何とか、剣で捌くが、触手を飛ばしてくる化け物本体が接近してきた。

 メトーリアは至近距離でやっと、魔物の細部を視認できた。

 そして、見てしまった事を後悔した。

 ヨロイ狼の外殻の隙間から、のたくる巨大なミミズ状の魔物が密集しているのが見えた。

 

 そう。肉の紐とは触手テンタクルス系の魔物だったのだ。

 目や口といった器官は見当たらない。

 色は新鮮な臓腑のような、筋繊維のような赤色や薄桃色した大小数種類の巨大な線虫じみた触手が、有機的に結合して、一つの魔物になり、ヨロイ狼の外殻に巣くっているのだ。


「あ……ぁ」


 触手一本がほんの少しかすった程度で、この苦痛なら。

 まともに攻撃を食らったらどうなってしまうのか。

 その禍々しく、生理的嫌悪を否が応でも引き出されてしまう姿にも圧倒され、メトーリアは恐怖で硬直してしまった。 


 肋骨の下部に掬い上げるような触手の痛打を食らった、


 もはや、声を上げることさえできなかった。


 メトーリアが身を曲げたのと、後方から凄まじい速度で急接近してきた誰かが、触手の化け物と彼女の間に割って入ったのはほぼ同時だった。


 誰かが雄叫びを上げている。


 バルカだ。


 触手の魔物とバルカが激突した気配を感じた。


 その後のことは何一つ、メトーリアは覚えていなかった。

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