第39話 砦跡にて

 サンピーナ峠はオークと他種族の攻防が幾度となく繰り返された歴史を持つ。

 そのため、北の湿地帯周辺の地形を利用して、昔のオークが建てた城跡や山砦跡がいくつかある。


 フィラルオークの避難所はその内の一つだった。

 遠狩りに参加しなかったフィラルオークたちは、東の山塊から、やや北へ突き出た丘の上の砦跡にいた。

 

 なにしろ四百三十年前にうち捨てられた廃墟だ。

 いたる箇所に破損や傷みが生じているものの、石造りの砦は機能を完全には失っていなかった。

 城塞跡の北と南は山肌を削り取って、急斜面の切岸となっていて、東のみが尾根続きとなっていた。

 砦の周囲は開けていて、湿原を見渡すことができる。


「なるほど。ここからなら、霧深い湿原から何者かが接近してくれば、見つけやすい」

 

 そう言いながら、バルカは砦をしげしげと眺めた。

 砦の無骨な佇まいはバルカにとっては懐かしいものだった。


「しかし、山の木がなんでこんな……」


 メトーリアは山の樹木が、ことごとく樹皮が剥けて白い部分を晒しているのを怪訝な表情で見つめる。すべて根元からメトーリアの背丈を超えて……ちょうどバルカが手を伸ばすと届くぐらいの高さまでの樹皮が剥がれてしまっている。


「食ったんだろ」

「……なんだと?」

「食糧不足で、木の皮を食ったんだよ。飢饉の時によく見る奴だ。外側の樹皮を剥いで内側の部分を食うんだ」


 そう言って、レバームスは剥皮した木々に哀れむような視線を送る。

 バルカの表情はみるみるうちに厳しくなっていった。

 

 バルカが砦に近づくと、何人かの痩せ衰えた、ボロボロの布きれをまとったオークの子供達が姿を見せ、しきりに手を打ち振ってきた。

 続いて、貫頭衣や、腰回りと胸を申し訳程度に毛皮等で隠しているオークの女達も姿を現した。

 

 フィラルオーク隊のネイルを含む何名かは砦にいる同胞達を見て色めきだし、しきりにバルカの名前を叫びだした。


「ロ・バルカ!」

「ああ、いっていいぞ、ルゥ・ネス。行け。はやく」


 バルカは“自由にしていい"と、群れ全体に指示した。

 先ほどから騒いでいた連中を連れてネイルは砦に向かって駆けだしていった。

 だが、ネイルと共に砦へ走っていくフィラルオークは二十名ほどで、ほかのフィラルオーク達は所在なさげに佇んでいる。


「ああ、そうか……」

 

 バルカは元々は複数だったフィラルオークの群れを強引に決闘で一つの群れに束ねたことを思い出した。

 はあくまでもネイルが率いていた群れが避難している場所で、他の群れの女子供はまた別の場所に、隠れているのだろう。


 ネイルは貫頭衣を着たオークの女に近づくと背を屈めて彼女の首筋に鼻を近づけて匂いを嗅ぎだした。

 女はオークにしては背丈が低く、ネイルとは逆に背筋を伸ばしてネイルの胸元に顔を寄せて彼の体香を吸い込んでいるようだった。

 その行為は、お互いに相手が自分にとって何者であるか。相手にとって自分がどういう存在であるのかを確かめ合っているようだった。

 

「ふーん、あれ、ネイルの嫁さんかな?」

「……多分な」


 バルカとレバームスが見守る中、しばらくすると、二人の間に割って入るようにオークの男の子が飛び上がってネイルにしがみついた。

 ネイルは子供を一旦抱え上げてから地面に降ろし、腰に下げていた袋からヨロイ狼の干し肉を取り出して二人に見せた。

 ワッと歓声を上げて子供は干し肉を受け取る。


「息子もいるみたいだな」

「そ、そうだな」


 ネイルの群れに元は属していたオークの男衆は、大多数が“つがい"の相手がいるようで、同じような光景がそこかしこで見られた。


「こうしてみるとオークも人間とあまり変わらないように見えますな」


 ウォルシュが顎にたくわえた白髭をさすりながら言う。

 ボウエンは同意するように頷きながらも、オーク達の様子を注意深く観察し続けていた。


「しかし、皆、痩せて細っていて健康状態は良くなさそうです」


 バルカ達が砦の入り口辺りまで来ると、隠れ住んでいたオーク達は人間で構成されたアクアル隊に警戒し、そして困惑した。

 無理もない。肌色の違う自分たちと違う種族がオークの男衆と一緒に混ざっている光景など今まで見たこともなかっただろう。


 ネイルが懸命に古語と、身振り手振りでバルカが新しい長であることを説明していたが、一部の者は納得できていないようだった。


 扉がなくなった壊れた城門をくぐり、砦の中に入ると汚物と血の臭いが漂ってきた。

 大広間には怪我や病気で動けない者達が横たわっていた。


「ニーナ、怪我人の治癒を頼めるか? レバームスは――」

「分かってるよ。こりゃ、樹皮の食い過ぎで毒が回ってるんだ。あと整腸剤の調合が必要だ。アクアル隊の補給係と衛生係は……だれだっけ?」


 アクアル隊の領民兵のうち二人が手を挙げた。


「衛生係のメリルです」

「俺はハントです。補給係の」

「じゃあ、メリル。下剤を調合してくれ。摂食した樹皮が腹に詰まってる状態をまずは何とかしないと……ハントは乾燥圧縮している食糧の復元を――」

 

 レバームスが指示を出している最中、バルカは負傷しているオークを観察していた。

 最近傷を負った者もいるようだ。

 おそらく、彼らは食糧を求めて湿原まで降りていったのではないだろうか?

 そして、魔物に襲撃された……。

 

 バルカはスッと目を閉じた。

 そして、次の瞬間。

 背負っていた戦斧に手を掛け――

 瞬時に、天井隅に向かって投擲した。

 大広間の広い空間を戦斧は投擲形態――対称形の両刃斧――に変形しながら飛翔し、を切り裂くと、反対側の天井隅に向かって意思を持っているかのように反転し――。


 ザシュ!


 また、何かを叩き切った。

 そして、バルカの元に戻っていく。

 石畳の床に落下したのは……偵察型の魔物、二匹のプローブ・アイだった。


 オーク達とアクアル隊の面々は驚きの声を上げた。

 プローブ・アイが隠れていたことに対する動揺もあるが、それ以上にバルカの手並みに驚いたようだ。

 一部のオークの女達がボーッと惚けたようにバルカに見入っているが、それには気づかず、


「常に監視されていたんだ。多分というか、やはり、プローブ・アイと肉の紐は遠距離で交信し、情報共有ができるんだ。それで、湿原に近づいた者は……“肉の紐"に捕捉されて、攻撃されたってところだろう」


 バルカは独り言のように推測を呟き、それから頬を歪めて牙を剥きだして唸った。

 肉の紐がどこからやって来て、なぜ湿原に留まっているのか。

 魔王のような命令者がいないから、狩り場の魔物のように広範囲を移動しないのか、それとも何らかの意思があるのか。

 ここから湿地はそう遠くない。

 湿地には川も、沼もある。魚やその他の水生生物や獣もいるだろう。

 目に見えるところに食糧になるものがあるのに、手を出せないことにフィラルオーク達は歯がゆい思いをしたことだろう。

 オーク達を飢えさせ、しかしそれ以上追撃はせず、プローブ・アイに監視させている。

 バルカはそこに、魔物の悪意を感じたような気がして、怒りに燃えていた。


「……すぐにでも、湿地に殴り込んでいって魔物を討伐したいってところだろうが、落ち着けよ? リーダー」

「レバームス、分かってるよ。まずは怪我人と病人の治療だ」

「……バルカ」

「なんだ? メトーリア」

「フィラルオーク達がここに避難していたのは、近くに水場があるからだろう。沢か何かをルドンと探してくる」

「俺もいこう。ウォルシュとボウエンは火を起こして待っていてくれ」


 ……こうして、フィラルオーク達が隠れ住んでいた古びた砦はバルカ達のひとまずの拠点となったのだった。

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