第37話 “つがいのフリ”の再開と、峠への道
翌日。
メトーリアは、アクアル隊を連れて、バルカ達と一旦合流する。
一日の行軍を開始する前に、こうやって顔合わせしているのだが――。
「今夜から、アクアル隊とオーク隊の連携をさらに密にするため、夜営は距離を置かずに隣り合って張ることに決めた。それからバルカからオークの古語を学ぶため、私はバルカと寝床を共にする」
その場でメトーリアは皆に宣言した。
途端に、ボウエンとウォルシュが、おたがいの顔を見合わせる。
二人が反対の声を上げる前に、メトーリアは緊張した面持ちのバルカの側に身を寄せる。
「だから、今さらだぞ、ふたりとも。この旅が始まる前、バルカと私はずっと一緒だったと前にも言ったろ? それに他のオーク……フィラルオーク達のことも心配ない。私に対しては敬意を払っている。群れの長の伴侶に対しての敬意を。一緒にいたデイラ様や他の人間に粗相を働いたこともない。な? バルカ」
これまで聞いたことがない優しげな声音でそう言われ、バルカは思わず咳払いする。
(いや、聞いたことあるわ。アレだ。夜中に俺の寝室にやって来たときのあの時の声だ。)
つまり、今のメトーリアは演技をしているということになる。
今朝早く、念話通信でメトーリアから、
『今日から“つがいのフリ”を再開するから、話を合わせてくれ』
と、事前にバルカは言われていたのだ。
それでも、内心どぎまぎしながら、事前に示し合わせたとおりの返答をする。
「ああ。同胞達は日に日に規律のとれた行動をとれるようになっているし、問題ない。それに古語の件だが、俺以外にも彼らと意思疎通できる者がいた方がいいと思ってな」
「しかし、オークの古語はレバームス卿も使えるはず。メトーリア様が習う必要がありますかな?」
「というより、オーク古語はレバームス卿から習えばいいのでは?」
「いや、そうはいっても俺は基本的な言葉や手信号を覚えただけだからな?」
「なれど……」
レバームスと家臣のやりとりに、メトーリアが微笑んだ。だが、次に発した言葉は有無を言わさぬ力がこもっていた。
「距離を置いた、手ぬるい交流では
ボウエンとウォルシュは若き当主の言葉に瞠目する。
ウォルシュは顔を紅潮させて、頭を垂れた。
× × ×
(儂としたことが……メトーリア様の身を案じるあまり、肝心なことを忘れるとは)
そもそもウォルシュがこの旅に加わったのは、バルカという男と、彼の属するオークという種族の有り様を見極めるためだった。
それはボウエンとて同じだろう。
しかし、幼少の頃から過酷な運命を背負ってきた若き主君に対して彼らは、どうしても過保護になってしまっていた。
かつて、ギルド同盟がリザード族の討伐戦に勝利し、最も戦功を上げたふたりの冒険者アルパイス・テスタードと後の彼女の夫、レイエス・ユニベールが旧リザード領域を領地として拝領したのが今から十七年前。
当時のメトーリアは三歳だった。
この頃から既に鋭敏な感覚を有していて、霊力を知覚している様子もあった。そんな彼女の幼少時の面倒を見てきたウォルシュは、
「いずれは、ギルド同盟から科された懲罰も解かれましょう。そのときまで、お嬢様は次期シェイファー家当主として、アクアル領主として、心身を鍛え、油断無き心の目を培って、お父上の後を継がれ、アクアルの地を守り抜かねばなりませぬ」
と、懸命に訓育をした。
幼いメトーリアはウォルシュの期待によく応えた。
だが、アクアルに科された罪が許されることはなく、それから三年後、ほぼ同時期にアルパイスの夫レイエスと、メトーリアの父スガルが亡くなってから状況は更に悪化した。
後見人となったアルパイスに引き取られ、彼女の元で戦士として鍛えられ、散々利用されてもなお、アクアル領主としての自矜を忘れていないメトーリアはウォルシュの誇りだった。
それだけにウォルシュは、“メトーリア様には大陸一の立派な婿殿を……”と、常から思っていた。
ボウエンもこの数日間、彼なりにバルカを観察していた。
バルカーマナフという男は、能力は申し分ない。
心根も、見かけと違って粗暴ではなく、この数日間の行動や言動を見ても、たしかに悪いところは見受けられない。
それでも、非人間種族の、聞こえの悪い伝承しか残っていない緑肌の亜人ゆえに、どうしても偏見や先入観が邪魔をして、アクアル当主メトーリアとの仲を認める気になれなかったのだ。
だが、メトーリアが凜然と語った通り、オーク達との交流を避けていてはこのレギオンという大パーティーに参加した意味が無い。ウォルシュとボウエンは覚悟を決めなおした。
「メトーリア様の、お心のままに」
× × ×
こうして今後の方針が新たに決まり、バルカ一行は北進を続けた。
夜営中、メトーリアにオーク古語の基本的な用語や手信号などをバルカが教える。
ウォルシュやボウエンも一緒になって学んだ。
定期的に念話でアゼルに状況を連絡もしている。
それから、アクアル隊から提供できる魔法やスキルの全容を、ウォルシュとニーナがバルカに教えたりもした。
ウォルシュ達がいるときの、バルカに対するメトーリアの態度は穏やかで、親しげだった。いかにも、親密な関係であることを周囲に知らしめていた。
これに、異を唱える者はアクアル隊の中にはもういなかった。
群れの副官ネイルもメトーリアがバルカの側にいるようになって満足しているようだ。
メトーリアが古語で指示を与えてみたりすると、これに非常によく従う。
長のバルカに続いて、ネイルもメトーリアに対して従順なのを見て、試験的にメトーリアに全体の指揮をとらせてみてもいい段階に入ってきているようにバルカには思えた。
しかし、メトーリアとバルカの関係はあくまでもフリで、メトーリアの態度は当然ながら、演技である。
斥候として周辺や進路の偵察中など、ウォルシュ達がいないところでは、以前と同様の冷然とした物腰だ。
(いや心なしか、前より冷たい感じがするのは気のせいだろうか……)
ふと、バルカは思いいたる。
『今日から“つがいのフリ”を再開するから、話を合わせてくれ』
と、行軍四日目の早朝、メトーリアは念話で伝えてきた。
つまり三日目までは、男女の仲……つがいのフリを、演技をしていなかったということになる。素のメトーリアだったということになる。
あの時よりも、今のメトーリアから冷たい雰囲気を感じるのはどういうことか?
風に乗って漂ってくるメトーリアの体香をこっそり嗅いでみたりもした。しかし――。
(なんも、わからんかった……)
で、ある。
戦闘中や夜這いかけてきた時のような極限状態でもなければ、そうわかりやすく相手の感情を読み取ることはできない。
今バルカは大きな河川を遡りながら、斥候役として周辺を偵察していた。
アクアル家臣団との関係が少しずつ良好になっているにもかかわらず、気分が晴れない。
思わず立ち止まって、川の水面をボーッと眺めてしまった。
「思いびとのことで、頭がいっぱい胸いっぱいのとこ、悪いんだが、バルカよ」
「うぉぉぉ!!??」
真後ろから声をかけられて、バルカは思わず振り向きながら跳び退る。
レバームスだった。
わざわざ、下馬して至近距離から声を掛けてきたのだ。
「気配消すのうますぎだろ!? もう戦えないとか嘘だろ!」
「お前が気を抜きすぎなんじゃねえの……ところでな、そろそろ目的地が近いぞ」
そう言って、レバームスは川の上流に向かって顎をしゃくる。
この川を行軍四日目に発見したとき、ネイル達はしきりに上流を指さしていたのをバルカは思い出す。
今は行軍八日目。
最初は大きかった川幅が随分と狭くなっている。
「このまま行けばある有名な峠を越えることになる。サルピーナ峠だ。聞いたことあるだろ」
「……そうか、そんなところまで来ていたんだな」
サルピーナ峠。バルカはその名を確かに知っていた。
雄大にして険峻な山岳地帯にあるその峠を越えると、かつてのオークの勢力圏に入ることになる。
そして、峠の向こうには広大な湿地が広がっているはずだ。
沼地の魔物……肉の紐。
謎の化け物との遭遇を間近にして、バルカは気を引き締めるのだった。
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