第36話 夜の念話で揺れる心

「お、……いったい、どうしたアゼル」

 

 おもわず口にして、メトーリアはハッとした。

 念話は心に思い浮かべた言葉を伝えるものなので、声に出す必要はないのだが、あまりにもアゼルのが甲高くて大きかったので、ついびっくりして、言葉を口から発してしまった。


 メトーリアは今、横たわって寝たふりをしながら、アゼルと念話している。

 アクアル隊はフィラルオーク達と離れたところで夜営しており、メトーリアの側にはメトーリアを除けば唯一の女性である、治癒士のニーナがいるのみだ。

 メトーリアはアゼルと念話が可能なことを、領民兵はおろか、家臣団の誰にも明かしてはいない。

 これは、家臣や領民兵を信用していない……ということではない。


 だが彼らも、レギウラ公国に人質を取られていたり、弱みを握られている。


 メトーリア自身が、アルパイスから“バルカと行動を共にしながら監視し、隙や弱点を探れ"と命令を受けているように、だれが、どのような密命を課せられているか分かったものではない。

 そのため、メトーリアは一応用心して、アゼルと念話できることを秘密にしているのだった。


(アゼル、あまり大きな声を出さないでくれ。びっくりして声に出してしまった)

『あ……ごめん』

(お前と念話していることは、家臣にも秘密にしているんだからな?)

『それは、わかってるけど、でもお姉ちゃん、それをいうならオークの古語を教わる相手にレバームスさんを選ぶのはおかしいんじゃない』

(……む)

『だってお姉ちゃんは表向きはバルカさんと“男女の仲”なんだよ。アルパイス様には“契りを交わした”とまで言ってあるんだから、そのフリをするためにも、いつもバルカさんと一緒にいないとダメじゃんか』

(それは、わかっている……)

『わかっているなら、なんで毎晩毎晩、別々の場所で寝てるの? シェイファー館に来るまでは、ずっと一緒に寝てたんでしょ?』

(だ、だが、ウォルシュやボウエンがだな――)

『爺ややボウエンが何と言おうが、そこはお姉ちゃんの方から“バルカの側にいる”“バルカの側にいたいッ”と強く出れば、なんとでもなるでしょ? “古語を教わるためにも”だなんて絶好の口実じゃん』

(う……し、しかし)


 言葉が続かない。メトーリアは何と言っていいかわからなくなり、妙な気分になった。

 胸の奥がざわつくとでもいうか。

 そう、バルカにレギウラと敵対してでも、アクアルを助けようとする理由を問い質したときと同じだ。

 

『しかし?』

 

 待ちかねて、アゼルが続きを促してくる。

 メトーリアは苛々した。唯一の肉親である妹のことを、可愛く思っているが、この時ばかりは、


(う、うるさいな……あッ)


 しまったと思ったときには、もう遅い。

 念話で言葉を伝えてしまった。


『う、うるさいって……結構重要な事だと思うんですけど!?』


 アゼルは驚き、たじろぎながら、言い返してくる。

 姉に叱りつけるような物言いをされたことは今のが初めてだった。


(だって、、あいつの方から、バルカから、言うべきだろうッ?)

『えっ』

(そもそも、デイラ様に命じられて、バルカの寝室に忍んでいったときに、あいつの方から言い出したんだ。“肉体関係を結んだフリをする”と。さらには、“契りを結んだ”ということにすると言いだしたのもあいつだ。だから、バルカの方から、皆の前で、行軍中だけでなく、夜も“一緒にいろ”と言うのが筋だろうっ?)

『そ、そう……かな? そう、かも?』


 首をかしげるアゼルの姿が目に浮かぶようだった。

 勢い込んで、メトーリアはたたみかけるように言う。


(そもそも、アルパイス様に向かってあれほどの啖呵を切る男が、なぜウォルシュやボウエンに対しては、と遠慮するんだ。古語の件にしたって、“自分が教えるから今夜からはオークの野営に混ざれ”と言えば済むことじゃないか)

『なーるほど』


 笑っているアゼルの顔が目に浮かぶような声音が返ってきて、今度はメトーリアがたじろいだ。


(な、なんだその声は)

『いや別に……でもさ、お姉ちゃん。アルパイス様と爺や達とじゃ立場が違うじゃん。バルカさんからしてみれば、アルパイス様は、言ってしまえば“メトーリアをいじめる悪い奴”で、爺やとボウエンは、“メトーリアの大切な身内”じゃんか。だから遠慮してるんだよ』

(なんで遠慮する必要がある……意味が分からん)

『でもぉ、お姉ちゃんはバルカさんの方から“夜も一緒にいよう”と言って欲しいんだよね』


 メトーリアは息を吞んだ。そして、なぜか自分でも分からないまま、になって言い返す。


(いや――だから、今さっき、私はそう言ったろッ?)

『だね。じゃあ……私の方からバルカさんにその旨、伝えておくね』

(えっ!?)

『どしたの? 何の問題も無いでしょ?』


 あっけらかんとしたアゼルにメトーリアは慌てて、


(いや、いいっ。もう私の方から、バルカに言う)

『筋が違うって、さっき言ってなかったっけ?』

(いいやッ、これは、私がどうかしていた。お前のいうことはもっともなことだ。そもそも、レギオンが編成された初日から、ギデオンの助力を得なくとも、バルカとなら念話が可能だった。あいつとよく話し合うべきだった)

『了解っ。じゃあ、疲れたからもう寝るね』

(あ、ああ……)

『お休み。お姉様♪』


 念話を終了して、メトーリアは額に手のひらを当てた。

 顔が火照っている。

 妹ほどに頭の回転は早くないと自覚しているメトーリアだが、冷静になって考えてみると、アゼルが指摘したことは、普段の自分なら気づけていたことのはずだ。

 言われて、始めて気づくなど……。


(何を、私は、意地になって……)


 頭脳明晰とはいえ、アゼルは十五歳の少女だ。

 その自分より三つも年下の妹に引き回されるような形で言い含められたことを、メトーリアは恥じ入りながら、毛布を顔まで被る。


(明日の朝早く起きて、バルカに古語を教わる段取りを取ろう……)


 メトーリアは目を閉じる。

 戦士だけでなく隠密としてのレベルも高い彼女は、“いつもより、一刻ほど早く目覚める”と、心に決めておけば、必ずその刻限に目覚めることができる。

 すぐに入眠状態になることも自由自在だ。

 眠りに落ちる寸前、ふとメトーリアの脳裏にある疑問が微かによぎる。

 

 何に対して、自分は意地をはっていたのか。

 なぜ、普段の冷静さを欠いていたのか。


 だがその事を、考えるよりもはやく、メトーリアは眠りに落ちていった。

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