第35話 オークの古語

 レギオン軍勢が行軍を開始して三日目。

 レギウラ北端の村アシーヒロにて補給を終えて、ついに、バルカ達はレギウラの国境を越え、ギルド同盟の勢力圏外である未知領域に足を踏み入れた。

 険しい山の岩場や、森林帯など、道なき道を軽やかに進んでいる。


 現在、斥候として活動しているのはメトーリアとレバームス、そしてネイルだ。

 今朝方、メトーリアにギデオンの分霊体が装備されたことにより、バルカとメトーリアの間で念話と遠隔視が可能になったので、離れていても情報共有できる利点を活かし、バルカは本隊の指揮に戻っていた。

 ネイルに斥候役を任せたのは、レギオン内において、役割を持ち回せる者は多い方がいいし、ネイルは他のフィラルオークより知的で記憶力も高いので、南に移動してきた道順を覚えていたから、先導役を担うには最適だったというのもある。

 さらには――。


「ロ・ネイル……オル・ヒュー……なるほど……おい、メトーリア。ネイルが言うにはちゃんと“来た道を辿っている”らしい 。順調に目的地に向かっているとバルカに伝えてくれ。あ、ネイル。デ・ウェイッ。それ以上近づかないでくれ。馬が怯える――」


 レバームスがオークの古語を使い、ネイルとの意思疎通を行っている。

 フィラルオーク達に指示できる者がバルカだけではこの先不便なのを考慮してのことだ。 すべてはレギオンの統制を高めるための調練。そして、試験的な試みだった。


『……メトーリア。どうだ? レバームスとネイルはうまくやっていけそうか?』


 念話でバルカが状況確認してきたので、メトーリアはこめかみに指を当てながらレバームスの方を見る。


「おいコラ! もうちょっと遠ざかれッ! デ・ウェイ! デ・ウェイ!」


 レバームスの馬はいななき、近づいてきたネイルに怯え、威嚇するように後ろ脚立ちになって前脚で宙を掻いている。

 ネイルはそれが面白いようで、それ以上レバームスに近づきはしないが、遠ざかりもせずに興奮状態になった馬を見物していた。


「グフフ♪」

「なーに笑ってんだ、お前ッ――離れろつってんだバカ!」


(……おおむね、意思疎通はできているようだが、ネイルの中でのレバームスの序列はそれほど高くないようだな。それで、なんというか、たまに揉めてる……いや、揉めてるというかネイルが自由に振る舞ってるというか、じゃれてるというか……)

『うーむ、そうか。おそらくフィラルオークの他者の評価基準は強さだからかな……』

(ところでバルカ。私は、彼らにどう思われているんだ?)

『え?』

(たとえばネイルだ。彼は群れの副官だよな? そのネイルは私に対しては、下にも置かないような丁重な態度だ)

『そ、そうか』

(しかと確認したことがなかったが、お前は、フィラルオーク達にも説明しているのか? 私たちが“つがい”にということに……なっていると)

『えーっとだな』


     ×   ×   ×


「それは、そうだろう。アクアルの町からレギウラの王都までの数日間……俺達は群れとは離れた場所で一緒に寝ていた。説明しなくても、彼らは俺達がつがいになっていると認識しているはずだ」


 バルカはレギオン本隊を指揮しながら、進路上、メトーリアが先行している方向を見つめながら、念話で伝える。

 実際にはネイルと決闘する直前に古語で“そいつ、俺のもの。手を出すな。命令だ!”と、露骨に宣言したのだが、それは黙っておいた。


「群れの長の……伴侶という立場は副官と同格以上の地位だ。戦闘や狩りの時はまた違うんだが、お前はアクアルの狩り場で、ヨロイ狼を相手に強さも証明している」


 少しの間のあと、メトーリアの返事が来る。


『ならば、私もオークの古語を学んだ方が、この先都合がいいんじゃないか?』

「あっ、それはいいな! 万が一、俺が不在になった時には、オークの統率にお前はうってつけの存在だからな……まあ、そんな事態にはならないと思うがな。うん、いい考えだと思うぞッ」

『わかった。じゃあ……折を見て、レバームスに教わっておく』

「……あ、ああ、うむ。よろしく頼む」

『では念話を終了する』

「了解」


 確かに、日中の行軍中は古語を教えている暇はない。

 あるとしたら、夕食を摂った後の寝る前の時間ぐらいだが、フィラルオーク隊とアクアル隊は少し距離を置いて野営している。

 メトーリアはアクアル隊の方にいて、レバームスはどちらの陣営にも気軽に顔を出せる立場だ。

 だから、メトーリアがレバームスから教わると言うのは実に自然なことだし、もっともなことだと、バルカも考える。

 だが、念話が切れた状態で、周囲にはフィラルオークだけの中、速歩で移動しながら、バルカはぽつりと呟く。


「……俺が教えよう」


 口調を変えてもう一度呟く。


「いや、俺が教えようか?」


 もう一人のオーク隊の副官ルドンの隣まで行って、彼に向かって、伝わらない共通言語で話しかける。


「俺が教えようかって言った方がよかったか?」

「??? オ、オル?」


 言葉が理解できないルドンは、ただただ首をかしげるばかりだ。


    ×   ×   ×


 メトーリアが装備しているギデオンの分霊体は、シェイファー館にいるアゼルがヘアピンのように頭に付けている、ぬいぐるみタイプとは形状が異なっている。

 ギデオンがいうにはメトーリアが装備している『ミニギデオン二号』は、アゼルよりもはるかにレベルが高く、供給できる魔力も多いメトーリア用に造り出されたもので、アゼルのより高性能らしい。

 ミニギデオン二号は一見、ギデオンの横顔をモチーフにしたようなデザインのメダルだった。メトーリアの帯革――剣を佩いている反対側に、装着されている。


 その夜。

 メトーリアはシェイファー館にいるアゼルとの念話を開始した。

 

 遠く離れている妹と、その気になればいつでも会話できるというのはメトーリアにとって大きな喜びだった。メトーリアとしては、レギウラの動き……アルパイスの動向を逐一知ることが出来るのも大きな利点だった。

 姉妹は互いに今日一日、起こったことを語り合った。

 アゼルは念話ができるのが楽しくて仕方の無い様子で、生来の好奇心、知識欲の強さが激発していた。

 これまでは念話を含めた二人きりの会話をするときは、アゼルのお喋りの聞き手にまわることが多かったメトーリアだが、今はレギオンの行軍模様やレバームスやバルカの様子などをアゼルがしきりに知りたがり、それを語って聞かせる形での念話が続いた。

 なので、今日あったことを事細かにメトーリアは語って聞かせた。

 

 アゼルは途中まで、軽快な相づちを“うん、うん"とうちながらメトーリアの話に聞き入っていたが、メトーリアがオークの古語を覚えることになった経緯を話しているうちに、


“うん?”

“んんん?”


 と、いったような疑問系の相づちになっていく。

 メトーリアは少し怪訝に思いながらも、レバームスにオークの古語を教わることにしたと伝えると、アゼルの息を吞むような気配を、念話を通してメトーリアは感じた。


そして、


「お、お姉ちゃんてば……なんで、なんでそこで、バルカさんじゃなくてレバームスさんをチョイスすんの!?」


 と、ひっくり返ったような妹の声が頭の中で響き渡り、メトーリアは目を丸くするのだった。

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