第32話 行軍

(昨日は興奮しすぎて、念話でお喋りしすぎちゃったな……)


 アゼルはシェイファー館の自室にて反省していた。

 だから、バルカ率いるレギオンが行軍中の現在、と、アゼルは心に決めていた。

 だが、心に決めるまでもなく、アゼルは今、一言も言葉を発することができないでいた。


 遠隔視リモート・ビジョンによるレギオンメンバー同士の視界共有。


 アゼルは今、目を閉じていた。

 そして、器械精霊ギデオンの補助を受け、北へ向かって行軍中のレギオン・リーダー、バルカとの霊体の繋がりを通じ、バルカが見ているものを、


 視覚だけだ。バルカが聞いている音、触れている物は感じ取れないが、それでもアゼルにとっては頭の中で映り流れゆく風景。バルカから一定の距離を保ちつつ、レバームスが馬を駆る光景。そして、それと同じくらいの速さで疾駆する姉メトーリアの姿……。


 籠の中の鳥の如く、シェイファー館に閉じ込められたままの彼女にとって、馬に乗って遠乗りした経験などもちろん無い。

 何もかもが鮮烈だった。身体がうち震えるほどに、感極まって、遠隔視を開始した直後は泣いてしまったくらいだ。

 まるで、一緒に旅をしているようにアゼルは感じていた。


 アゼルは読書家だ。

 歴史や兵学にも詳しい。

 今バルカは、レギオン本隊より先行して、メトーリアやレバームスと共に、斥候の働きをしているようだ。

 

 一軍の指揮官が斥候を務めるなど、本来あり得ないことだ。

 しかし、冒険者達……高レベルのスキル使いや魔法使いが軍勢に加われば、そんな古びた常識は通用しない。

 

 四百数十年前の魔王討伐戦以降、戦争の様相は一変した。

 以前の時代においては戦争は数であった。

 いかに多くの兵力を準備できるかが、戦争の勝敗を決する一番の決め手だった。

 魔王との戦いはそれを一変させてしまった。

 それまで世界に存在しなかった敵性生物……魔物との戦いで、各友好種族の戦闘本能は研ぎ澄まされ、技術は革新し、霊体は急激な成長・進化レベルアップを遂げた。

 それまではごく僅かにしか存在しなかった、高レベルな冒険者が数多く輩出された。

 否、それどころか、はるか天空の世界から地上の危機を救うためにやってきた、エミリータ族の戦仙女シェンリーによって見いだされた、勇者ベルフェンドラやその仲間達は、歴代において最高のレベルに達した者達だとされているが……そこは割愛しよう。

 

 とにかく、魔王討伐戦以降、戦争は単純な兵数ではなく、いかにレベルの高いスキルや魔法の使い手を用意することができるかが、もっとも重要になった。


 たとえば、アクアルの狩り場にいるヨロイ狼は優れた崖も駆け上れる機動力も持つ重装騎兵のようなものだが、メトーリアの話によれば、そのヨロイ狼四百騎を二十の歩兵が損害を一切出さずに壊滅させたという……。


 こういったことが可能な世界においては、軍隊の中で、とりわけ高レベルな冒険者だけが単独で行動したり、小規模なパーティーとして本体から分離し、柔軟かつ創造的に行動をすることは当然といえた。


 書物で知識として知ってはいたが、実際に遠隔視を通して体験すると、バルカや姉の超人ぶりにアゼルは驚嘆した。

 とにかく動きが速い。最初は目眩がしたくらいだ。

 今は、まるで自分がそのように動いているかのような気分に浸って、楽しんでいるが。


 時折、バルカは後ろを振り返り、両手を口に添える動作をしている。

 音は聞こえないので、最初何をしているのか、分からなくて、思わず念話で聞いてみようと思ったが、やめておいた。髪飾りのように頭に装着しているミニギデオンにスキルの補佐をしてもらっているとはいえ、遠隔視と念話の同時使用は一気に疲れてしまいそうだったし、バルカに迷惑をかけると考えたからだ。

 しばらくして、バルカは後方の本隊に向かって、何かを叫んでいるのだとわかった。

 狼の遠吠えのように、オークの叫びシャウトは遠くまで聞こえ、それで簡単な情報伝達が可能なようだ。


 視えるもの全てが、新鮮で、アゼルの好奇心を刺激してくる――。


「……さま、アゼ、……さま」


「アゼル様っ」

「ひゃあ!?」


 耳元で大きな声で呼びかけられ、アゼルは目を開いた。

 何度も目を瞬く。バルカの視界が幻のように消え去り、自室の見慣れた光景が視界に映った。

 レギオンに参加したボウエンに代わって、ハーブ園の管理や屋敷の仕切りを任されている家臣のラーティが、館内の厨房で料理を担当したり、その他雑用を受け持っている数名の使用人達とともに、ベッドで寝ていたアゼルを心配そうに覗き込んでいる。


「お体の具合でも悪いのですか? いつもは昼食時になると部屋から出て、食堂に来られるのに、今日は閉じこもってらっしゃるから……」

「だ、大丈夫。ちょっと昨日夜更かししたから、お昼寝してただけ……」

「随分、お顔がにこにこと笑ってましたが……」


 思わず、アゼルは赤面した。ずっと目を閉じたまま、にやけ顔になったり、時折声をあげて笑ったり、ごろごろと寝返りを打って、バルカの視界の動きに釣られて、顔を動かしたりしていたのは自覚している。さぞ奇妙にラーティや使用人達には見えたろう。


「な、何でもないから」


 取り繕うようにそう言って、アゼルは立ち上がり、皆を連れられて遅めの昼食を取るべく部屋を出るのだった。


    ×   ×   ×


「思ったより調練は順調だな。俺が直接率いなくても、同胞の移動速度はほぼかわらない。レギオンに編成されたことで、群れの結束も強くなった。叫びシャウトも思った以上に遠くまで届く」

「この調子だと、明日の夕方には、レギウラ最北の村に着く。レバームス、アクアル隊に馬を提供してくれたこと……感謝する」


 アクアル家臣団と領民兵はフィラルオークの群れの後に続く形で移動している。便宜上、アクアル民で構成された集団を『アクアル隊』と命名したのだ。


「ああ、まー、騎乗でもしなきゃ、オークの移動速度についてこれないだろうからな。あらかじめ呼び寄せておいたんだ。とにかく、今日は疲れた疲れた。明日、村のベッドで寝るのが楽しみだ」

「お前は馬に乗ってたから、大して疲れてないだろ」


 バルカが接近すると馬が怯えるので、レバームスは二人より少し離れたところにいる。


「……いや、長時間の乗馬って結構疲れるんだぞ」


 バルカ達斥候組の三人は、昼に小休止を取った後、一度本隊に合流することに決めた。


「バルカ。少し話があるんだが」

「ん、お、おう。なんだ?」

「……」

「あ、俺は先に合流ししとくな」


 空気を読んだレバームスは手綱をさばいて、本隊の方へ後退していく。


「で、話とは?」

「……レギウラ北部からどれだけ離れたところに、フィラルオークの里があるのか、わからないが、お前はそこに巣くう魔物を討伐して土地を取り戻し、オークの拠点を築くんだよな?」

「そうだ」

「……なら、小国のアクアルと協定を結び、強国のレギウラと対立する利点は無かったはずだ。なぜ我々を助けようとする?」


 アルパイスの夫であるレイエスは、十年前に暗殺されたとレバームスは断定している。

 その首謀者はギルド中央部の連中ではないかと、アルパイスが疑っていることは当然メトーリアも知っていた。


「その辺の事情は、お前もレバームスから聞いているのだろう?」

「……ああ」

「では、我々ではなくアルパイス様と誼を深める方が自然だろ?」

「いや、それは」

「お前はなぜレギウラと対立するリスクを冒してまでアクアルを、私たちを助けてくれるんだ?」

「…………いや、だから、それは」


 バルカは返答に、自分でも驚くほど迷った。

 迷った挙げ句、今まで言ったことの繰り返しを口にする。


「だから、宴の席や、それ以前にも、言っただろ? 敵性種族にされたリザードに肩入れしたことを罪にされているアクアルの民を助けたいんだ……あ、そうそう。トカゲびとのリザードと友誼を結んでいたのなら、知性を取り戻したオークとも、仲良くできるとも思ったし……」


 事実だ。

 考えていることを話した……正直に。

 だが、バルカはしどろもどろになってしまう。

 そんな様子を、形の良い眉を少し寄せて、見つめていたメトーリアだったが、


「わかった」


 と、言ってレバームスの後を追うように踵を返してバルカから遠ざかった。

 

 バルカはメトーリアの背に向かって、何かを言おうとして、結局やめる。

 メトーリアに続いてバルカも、本隊へと向かう。

 なにも後ろめたいことはしていない。

 今の自分に、やましい処などなにひとつないはず。

 なのに、バルカは今の自分をかなり情けなく感じていた。


    ×   ×   ×


 メトーリアは後ろに続くバルカの気配を感じながら、振り向くことなく。移動速度を速める。

 

(何を私は、くどくどと……バルカがあのように答えるのは、これまでの奴を見ていれば、分かりきっていることじゃないか……)


 だが、なぜか、しっくりこない。

 メトーリアはメトーリアで、頭に靄がかかったような妙な気分に陥っていた。

 それは今までに彼女が味わったことのない、胸の内がざわめく……とでもいうか、まさしく“妙な気分”としか、言い表せないものであった。

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