第24話 刻印付け
メトーリアは萎縮し、こみ上げる恐怖を必死に抑えながらベッドから立ち上がった。
妹アゼルとの念話に夢中になっていたとはいえ、寝室に忍び込まれたことに全く気がつかなかったことに激しく動揺もしていた。
メトーリアの師であるアルパイスは当然、メトーリア同様に戦士・隠密、両方のスキルを持っている。
アルパイスは元冒険者で、ギルド同盟圏の外縁部でその名をとどろかせた凄腕の戦士だ。
現在は、領土を得た公王として国家経営に忙殺されているはずだが、現役の冒険者時代のレベルの高さとスキルの冴えを見事に維持していた。
単身で館に忍び込み、メトーリアの部屋に侵入した今のアルパイスはバルカと会見した時のような、軽装鎧にマントを羽織った姿ではなく、体の線が露わになる隠密服を着用している。
携帯している武器も長剣ではなく、短剣だった。
アルパイスは距離を詰め、メトーリアに迫った。
「お前は本当にあのオークの『女』になったのか?」
メトーリアは言葉に詰まった。
窓から漏れる月明かりのみの暗闇の中、アルパイスの爛々とした眼に見据えられただけで、アゼルと会話したことやバルカの提案に乗りかけていたことなどが頭から吹き飛びかけていた。
アルパイスはメトーリアとアゼル。そして、アクアルの民すべての運命を握る支配者だ。
そして先代アクアル当主であるメト―リアの父の死後、メトーリアの後見人となり、幼少の頃から鍛え、訓練した師だ。
……メトーリアにとってアルパイスは後見人などではなかった。
彼女を畏怖させ、彼女に苦痛を与える、無慈悲で決して抗うことのできない絶対的な支配者だった。
見方を変えれば、冷徹な育ての親でもあるアルパイスに、血反吐を吐くような修錬を課せられながら、
「メトーリアよ。お前が私の期待に応えられないのなら、シェイファー館にいる者達の処遇にも影響が出る……分かっているだろうな?」
このようなことを繰り言として聞かされ続けながら、メトーリアは育ったのだ。
幼い頃からの刷り込みは強烈だ。
必死になってレベルを高め、一角の戦士へと成長を遂げてからは、アルパイスの命令でメトーリアは様々な仕事をしてきた。
それに比べれば、デイラの護衛時に怒鳴り散らされたり殴打されるなど、なんの痛痒も感じない些末なことであり、気楽でさえあった。
「デイラは言っていた。バルカの籠絡にお前が成功したと。しかし、昼間のバルカが言ってきたアレはなんだ? あれではどちらが籠絡されたのか分かったものではない」
「あ、う……」
「そうではないか? うん?」
アルパイスはメトーリアの背後に回った。メトーリアは硬直したままだ。
突如、アルパイスは後ろから身体を密着させてきた。
「!?」
ビクン、とメトーリアの肩が跳ね上がる。
アルパイスはメトーリアより上背があり、肩幅も広い。そんな彼女に押し包まれるように抱きすくめられている。
メトーリアは為されるがまま、身をすくませた。
「震えているな。恐いか? 恐いだろうな。私がそのように仕込んだ……今のお前を作りあげたのは私だからなッ」
そう言いながら、アルパイスはメトーリアの腕を掴み、いとも簡単に関節をひねり上げた。
「あッ、くぅぅ!」
「最初の質問に答えろ。本当に、バルカに抱かれたのか? どのように抱かれた? 手籠めにされたか? それともお前が抱いたのか、手玉に取ったのか?」
苦痛を込めながら、アルパイスの声音は穏やかでさえあった。耳朶に息がかかるほど耳元で囁くように尋問され、関節を極めていない方のアルパイスの手がメトーリアの腹部に伸びていき、まるで何かを確かめるかのように、そのまま下腹、更にその先を、指が舐めるように伝い始めた時に、メトーリアは心の中で悲鳴をあげた。
そして、全てを白状してしまおうかと思い始めていた。
オークと友誼を結び、レギウラの支配から独立する。
それはつまり、ギルド同盟と手切れになることに他ならない。
ギルド同盟は強大だが、世界を全て支配しているわけではない。辺境には追放種族の勢力圏もあるし、中立を保っている国もある。
しかし、隣国レギウラを、アルパイスを敵に回して本当に、私はやってゆけるのだろうか。
妹のアゼルは、アクアルの民は、生きていけるのだろうか。
そう思いきわめた時、バルカから持ちかけられた話や、彼と肉体関係など結んでいない事なども……一切合切、全てを今この場でアルパイスに正直に報告してしまおうかと、口を開きかけた。
――その時、脳裏に何かがよぎった。
「…………デ、デイラ様の、ご命令通りに、しました」
アルパイスの手が止まった。
「つまり?」
「バルカは、私を犯しました。私を手放したくないと思っているほどに、入れ込んでいる様です。オークは野蛮で強さを重んじる傾向があり……バ、バルカ以外のオーク達も私に一目置き、同時に長であるバルカと私が“つがい”になっていると、信じているよう、です」
口の中がカラカラに乾くほどに緊張しながらも、メトーリアはそう答えた。
メトーリアの身体からアルパイスが離れた。
「……こちらを向け」
言われるままにメトーリアは振り返った。
探るようなアルパイスの視線を受けて、メトーリアは目を伏せ、床に片膝をついて頭を垂れる。
「では、先ほどの念話は、やはりバルカと通話していたのか」
……いつから、アルパイスは部屋に侵入していたのであろうか。
否、そのことに思い悩むよりも、今はアゼルと念話が出来るようになっていることを秘密にしておくことが重要だとメトーリアは即断し、次の瞬間には、
「はい。王都メルバに到着するまでは、バルカは毎夜、私と共寝していたので、ひとり寝を我慢しかねたのか……しつこく、話しかけられていました」
「肉交を結べば、それなりにお互いの霊体に繋がりが生まれる。なるほど、念話ができるほど、バルカはお前の肌身にのめり込んでいるというわけか……よいぞ。ならばこのままバルカを監視せよ。今よりもさらに、やつがお前に心を許すように仕向けるのだ。さすれば、かならず、あの無双のオーク戦士にも隙ができよう。弱点さえ、生まれるはずだ。よいな?」
メトーリアは跪いたまま、アルパイスの命令に、
「……はい」
と、こたえた。
ややあって、目の前のアルパイスの気配が唐突に消えた。
ドアの開き閉まる音がした。
しばらくの間、メトーリアは身動き一つしなかった。
(……アルパイス様は、私の言うことを信じたのだろうか? それとも……)
もしかしたら、自分とバルカが男女の仲になどなってないことを、見抜かれているかもしれない。
そんな不安に苛まされながら、ようやくメトーリアは立ち上がり、息を喘がせる。
アルパイスによる、メトーリアへの仕打ちと、シェイファー館のアゼルの扱い方は、実に対照的だ。
過酷な修錬と任務をメトーリアには課し、アゼルには人質状態とはいえ、それ以外は何の不自由もない生活をアルパイスは与えた。
読みたい本があると言えば、可能な限り取り寄せては与え、監視付きであれば王都メルバを散策するのも自由だった。
もし、メトーリアの性根が据わったもので無ければ、己の境遇を恨み、妹を妬んで憎むようにと仕向けたのだ。
そうすれば姉妹は対立し、アクアルの家臣団も二派に分断し、より御しやすくなるだろうと。
しかし、そうはならなかった。
メトーリアはアルパイスの元で幼い頃から才気煥発し、高レベルの戦士へと成長した。
それはそれで、アルパイスにとって狙い通りだった。
任務を失敗したり、期待を裏切るようなことをすれば、身体が虚弱なアゼルの待遇を劣悪なものにすると囁き、妹を想うメトーリアの心に鞭打ちながら酷使したのだ。
久方ぶりにアルパイスと己の主従関係をこれでもかと思い知らされ、顔面蒼白になってメトーリアはうなだれる。
(……さっき私は、全てを白状しようとした)
しかし、思いとどまった。
バルカと交わした契約とも言える約束を反故にして、アルパイスに全てを打ち明けてしまおうと思った瞬間、脳裏によぎったものが思いとどまらせのだ。
“何か他の道を、生き方を考えたことはないのか? ほんの少しでも”
夜這いを仕掛けに行った先で、言われた――想像だにできなかった言葉。
オークの戦士バルカの言葉が、存在が、自分を勇気づけ、今まで一切抗うことができなかったアルパイスに対して、“嘘”をつくことができたのだ。
だが、それははたして正しい選択だったのだろうか。
今のメトーリアには分からなかった。
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