第23話 姉妹


 バルカとアルパイスの会見が終わった日の夜。

 シェイファー館にある自分の寝室を久しぶりに使うことになったメトーリアは夜着に着替えて、寝床につこうとしていた。

 だが気が昂ぶってなかなか寝付けそうに無い。

 不思議とバルカの側で寝ていた時は目を閉じればすぐに入眠し、朝まで熟睡していたのに、ひとり寝だと寝付けないのはどういうことか。


(そもそも、物音一つでも、すぐに目が覚めるほどに、私の眠りは浅かったはずだ)


 それが、バルカが先に起きて身支度していてもそれにきづかず、寝入っていることもしばしばだった。

 なぜだろう?


(わからん……寝酒でも飲むか……)


 そう思って、メトーリアはベッドから起き上がり、酒を取りに部屋を出ようとする。

 その時、唐突に声がした。


 ――お姉様。起きてる?


 声は妹のアゼルのものだった。


「アゼルッ?」


 思わず、メトーリアは振り返って室内を見渡す。

 室内は明かりがないが隠密ステルススキルを持つメトーリアは夜目が利く。

 窓から漏れるわずかな月明かりでも十分に室内を隅々まで視認することができた。

 しかし、妹の姿はどこにも無い。

 そもそも高レベル者でも無く、隠密スキルを持っていないアゼルが自分に気づかれること無く部屋に入り込むなど不可能だ。

 それでも、メトーリアは後ろから声がしたように感じたので振り返ったのだが……。


『お姉様、もう寝ちゃった?』


 再度呼びかけられて、メトーリアはようやく理解した。

 アゼルの声はメトーリアの頭の中から聞こえていたのだ。

 メトーリアは突然届いた妹の声に返答するべく、利き手である右の指に霊力を込めて、左のこめかみに当てた。

 そして意識を集中しながら、言葉を発さずに心の中で返事をした。


(アゼル、お前、念話ができるようになったのか?)


 念話……離れた者同士が、心の中で思い浮かべた声を伝達しあうスキルだ。


『まあねぇ』

(いつからだ?)

『ついこの間だよ。まだ同じ建物の中にいるくらいの距離でしか、話しかけられないけど』


 念話は、通話する者同士の距離が長ければ長いほど、より高いレベルと霊力が必要になる。

 メトーリアとアゼルはかねてより、離れていても情報の共有と交流ができるよう念話スキルを習得していた。

 だが、アゼルはなかなかレベルをあげることができず、念話を使いこなせないでいたのだ。


『でも、もっと練習すれば、アクアルの砦とシェイファー館ぐらい離れていても、お話できるようになるかも』

(……あまり、無理をするな。お前は体が弱いんだから)

『体を使うスキルじゃ無いから、だいじょーぶだって! それに、レベルが低くても念話を使えるってことはやっぱりお母様の言ってたことは本当だったのかもっ」

(……ああ、私たちには本当にアラクネの血が入っているのかもな)


 シェイファー姉妹の母、トリーシアはアゼルを生んですぐに亡くなった。

 彼女が生前に幼いメトーリアに言っていたのだ。

“自分にはアラクネの血が少し混ざっている”と。


 高レベルのアラクネは霊糸や光線とも呼ばれる糸状のエネルギー体を操り、自分より遙かに大きなものを絡め取って身動きできなくしたり、鞭のように振るって、肉や骨を断ちきるどころか岩や金属をも切り裂く、種族特有のスキルを持っていたという。

 また、“見えざる糸”なるものを伝って、同族同士で……特に血縁者であれば、大陸をまたいでも念話が出来たとも伝えられている。


 母がそのアラクネの血を引いているという話を姉から聞いたアゼルは、ずっと念話のスキルだけを修錬していたのだ。


(こうして二人きりでゆっくりと話せるのは……嬉しいな)

『うんっ。子供の頃に戻ったみたいだね』

(ふっ、お前はまだ子供だろ)

『違います~。十五にもなれば立派なオトナだも~ん』



 メトーリアは頬を緩ませ、酒を取りに行くのをやめて寝台に寝転んだ。

 アゼルの言うとおり、久しぶりの姉妹水入らずの団らんだった。

 戦士として成長したメトーリアは様々な戦働きや隠密任務、そしてデイラの護衛に駆り出されることが多く、たまさかにシェイファー館に寄ることができても、家臣からの様々な報告を聞いたりするので忙しい。

 アゼルと二人きりで会話する機会は激減していたのだ。

 しばらくの間、メトーリアとアゼルは他愛もない話で盛り上がった。

 メトーリアは殆ど聞き役に回っていた。

 アゼルの話す世間話やシェイファー館での最近の出来事を、“うん”とか“そうか”と相づちを打ちながら、時折笑う。

 だが、段々とアゼルの“心の声”に疲れが滲み始めたのを感じてメトーリアの顔は曇った。

 

(アゼル、疲れてきたんじゃないか? そろそろ念話を終了しよう)

『う、んん、ごめんなさい。私、弱くって』

(何を言ってる。初めてでこれほど明瞭に念話できるのは大したものだ)

『じゃあ、お姉様。最後に一つ質問させて……っていうかホントはこのために念話を使ったんだけど』

(何だ?)

『あのバルカってオークのことだよ』

(う……)

『お姉様はホントにバルカと寝てるの?』

(ア、アゼル)

『ねえ、お姉ちゃん。私もう大人だよ? 、隠さずに教えて。今、オーク達とお姉ちゃんはどういうことになってるの?』


 メトーリアは寝台の上で寝返りを打った。

 念話でなら、誰かに盗み聞きされる心配も無い。

 そのために、姉妹で密かにこのスキルを習得していたのだ。

 元々、メトーリアはアゼルにだけはバルカとのことを包み隠さず話すつもりでいた。

 だが日中は常に家臣達が側にいて、その機会が無かったのだ。 


 メトーリアは妹が聡明であることを誰よりも知っていた。

 体は弱く、そのためレベルもなかなか上げられないが頭脳は明晰で、十五歳の少女ではあるが、ハーブ園の仕事内容も把握し、薬草の知識や薬の調合法に関してもハーブ園の責任者のボウエン顔負けになっていると聞き及んでいる。

 シェイファー館の主として、如才なく振る舞っている。

 そう、外働きに駆り出される自分よりも、アクアル領主に相応しい……とさえ思うほどだ。

 成長するにつれて、同じ赤い髪をしていた母トリーシアにますます似てきたアゼルの顔を想起しながら、意を決してメトーリアは真実を伝えた。


(毎晩一緒に寝ていたのは、確かだ。だがそれは、その、そういう関係になったと見せかけているだけで……)

は持ってないってこと?』

(あ、アア、アゼル、お前――そ、そうだ。私はデイラ公女に命令されてあいつの、バルカの寝室に行ったんだ。誘惑してバルカを籠絡し、いうことを聞かせるために……でもバルカは、私を抱かなかった)

『…………マジで? オークのイメージ壊れるんですけど』

(だろう? 私も驚いた。しかし、夜這いを仕掛けたのは私の本心じゃないと見破ったあいつは、周囲に私を情婦にしたと見せかけるだけにして、私を助けたんだ。それだけじゃない。私は出会った時、命令に従ってあいつを本気で殺そうとした。それなのに、逆に私は命を助けられて……)


 アゼルはこれまでのいきさつを聞きながら、沈思しているようだった。

 同盟圏にいる人間達のオークに対する認識は以下の通りだ。

 オークは下劣で凶暴。

 『緑野郎』というあだ名の通り、灰緑色の肌をしており、巨躯と上顎の犬歯を発達させた牙、怪力が特徴。

 知能は友好種族に比べて劣悪で、言葉も喋れない野蛮な種族であるとされている。

 特にその野蛮性を強調しているのが『緑野郎』というあだ名とは別の『陵辱猿』という蔑称だ。

 その強い性欲から、種族を問わずメスを犯そうとするから、そう呼ばれているのだと……。

 さらには女をさらって巣に監禁するなどという話も伝わっている……。


 そういった伝承とは全く違うバルカの性格を聞きながら、いよいよ念話を続けるのが辛くなってきたのか、アゼルは苦しげな声で、


『じゃ、じゃあ、お姉ちゃんは乗り気なの? バルカさんがアルパイス公王に持ちかけた話に』

(…………お前はどう思う?)

『ん……ちょっと、この話の続きは明日顔を合わせながらしよ? とりあえず、バルカさんとお姉ちゃんの関係を確認できたから……』

(……そうだな。今日はもう寝よう。体を温かくして寝るんだぞ)

『うん……おやすみ。お姉ちゃん』


「……」


 メトーリアはアゼルが念話を打ち切る気配を確認してから、左こめかみに当てていた指を離した。

 ふうっと息をつく。まだまだ幼いと思っていた妹に、バルカのことを話している間、顔が熱くなっていたのを思い出して、目をきつく閉じる。



「念話はもう終わったか。誰と話をしていた? バルカか? それともレバームスか?」

 

 室内に朗々と響いた声に、メトーリアの心臓はドクンと耳に聞こえるまでに脈打った。

 そして、カッと両目を見開く。

 念話では無い。

 声の主は室内にいるのだ。

 いつものメトーリアなら俊敏な動作で飛び起きるところだが、体は縛り付けられたかのように動かなかった。

 

「起きろメトーリア。お前に聞きたいことがある」


 寝室の戸口に立つ声の主は、レギウラの公王。

 アルパイス・テスタード・レギウラだった。

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