第12話 崖落ちするオークの英雄と奴隷領主

 バルカは空中で手を伸ばし、メトーリアを片手で捕まえた。

 メトーリアは反射的に自分を手繰り寄せたバルカの腕を強く掴む。

 二人は落下している。

 垂直に切り立った崖壁が、凄まじい速さで視界を滑っていた。

  

「ぬう!」


 バルカは背中の戦斧を抜き払った。

 戦斧は斧槍形態になり、バルカはそれを崖壁に突き刺した。

 僅かな出っ張りの岩棚を砕き、岩肌の割れ目から生えている木々を断ち切るバルカの斧槍。

 おかげで落下の勢いを幾らか弱めることが出来た。

 頃合いを見計らってバルカは何とか崖壁に取りつこうとするが、既に地面が迫っていた。


 武器を手放し、バルカはメトーリアを抱きすくめると衝撃に備えて体を丸める――。


 背中から、かなりの衝撃で地面に激突した。


 傾斜地を跳ねるように転がり落ちていき……。

 ようやく、二人は静止した。


「ぐう……」


 強靱極まるバルカの肉体も無傷というわけにはいかなかった。全身に擦り傷ができている。

 大した痛みはない。

 だが強い衝撃に打ちのめされた肉体がどんなダメージを負っているか、すぐには分からない。

 バルカは呼吸を整え、肉体の治癒力を高めるために霊気を練りながらそれを全身に巡らせる。

 そして、腕の中のメトーリアを見た。


「大丈夫か? メト……」


 メトーリアは体を強ばらせ、硬い表情でバルカを見つめていた。

 

 顔が近い。


 バルカはメトーリアの肩あたりに回していた手に思わず力を込めてしまった。

 彼女のアーマーに守られていない二の腕に野太い指がめり込む。


「痛ッ」

「あ!? す、すまん!!」


 大げさなまでに慌ててバルカは手を離して、立ち上がった。

 メトーリアも半身を起こす。掴まれた二の腕を手で押さえながら、俯いている。

 

 バルカは指に残っているメトーリアの肌肉と、その下にあった骨の感触にさえどぎまぎしながら、


「だ、大丈夫か? どこも怪我してないか?」


 と、聞いた。だがメトーリアはそれには答えず……。


「…………なぜ私を助けた?」

「え」

「どうして私を助ける? 昨日、 私は目覚めたばかりのお前を殺そうとしたんだぞ?」


(どうしてって……)


「それは――」


 言いかけて、バルカは答えあぐねた。

 

 ――昨日、確かにメトーリアは自分を殺そうとした。

 我ながらおかしいとも思うが、死を覚悟してまで自分との闘いに臨んだ彼女を賞賛したのは嘘では無いし、その後の彼女の生い立ちや現状を知り、彼女を助けたいと純粋に思ったのも事実だ。


 だから単純に、「助けたかった」「死なせたくなかった」と答えればいいのだが、バルカは己の感情の揺れ動きを抑えることも、うまく表現することも出来ないまま、あたふたする。


 もし自分の気持ちを正直に話したらどうなるだろうか?

 訝しげに、少し困ったような顔でこちらを見つめるメトーリアはどういう反応をするだろう?


 彼女に見つめられるだけで、バルカは言葉を詰まらせる。

 そして、ふと目覚めたばかりの時のメトーリアとデイラの会話を思い出し、バルカははぐらかすように、こう答えていた。


「お、お前に聞きたいことがあったからだ」

「聞きたいこと?」

「ダンジョンで、デイラが言っていただろう? “宝を求めてやって来たのに緑野郎しかいない"とかなんとか――」


 そう。それは実際にバルカが気がかりに思っていたことだった。


 ダンジョンでのデイラの言葉……。

 「メトーリアの一族が秘密にしていたダンジョンの遺跡」

 「宝を求めてやって来たのに緑野郎しかいない」

  と、叫んでいたことだ。


 メトーリアは立ち入り禁止の禁足地であるということを知っているだけで、そこに何かがあるなど知らなかったいうし、当然バルカの存在も一族には伝わっていなかった。


 だとしたら、どうやってデイラは遺跡の存在を知ったのか。

 さらにはなぜ「お宝」があると思って発掘しようとしたのか。

 それがバルカは気になっていたのだ。


「……」

「頼むメトーリア。何か知っているなら教えてくれ」


 メトーリアは言うか言うまいか迷っているようだったが、やがて口を開いた。


「助言されたんだ。南下してきたオーク達を追い払える宝があると」

「誰に?」

「二ヶ月ほど前に、レギウラの都にやってきた者がレギウラ公王アルパイス様に助言したらしい。何百年も前から、レギウラのような同盟領域の外縁部や辺境を放浪している賢者……ガエルウラ……」


 ガエルウラは古代の言葉で『深い青色』を意味する。


ガエルウラ深き蒼!? もしかしてそいつ、アズルエルフかっ!」

「……ああ、そうだ。アズルエルフのガエルウラ。何百年も前から知られた存在で、友好種族、敵性種族を問わずあらゆる者に助言を与え、危機に対して警鐘を鳴らして廻ることでよく知られている」


 尖った長い耳を持つ、魔法の資質に優れた種族……エルフには人間と同じように肌の色が違う種がいる。


 白い肌のエルフと褐色のダークエルフが一般的だが、アズルエルフは魔王がエルフの村を攻撃した時にダークエルフから派生して生まれた種族だ。


 エルフは魔法を得意とするが、魔王の『未知の祖呪魔法』によって肌が青く変色したエルフは魔法が使えなくなる体質になってしまった。

 その他にも様々な呪いを受けて穢された種族とされていたが殆どの呪いは解呪されることとなった。

 だが、バルカのいた時代では魔法が使えない呪いはついに解けなかった……。


 そう、エルフは不老長寿で知られる種族だ。

 四百年以上経った今でも自分を知っている者に会えるかも知れない。


「そうかアズルエルフか! そのガエルウラという奴に会えば、オーク達に何が起こったのかも分かるかもしれないなっ」


 思わず興奮して大声を張り上げるバルカだったが、メトーリアが視線を落として俯いたのを見て、冷静さを取り戻す。


(いや、喜んでばかりじゃいられんぞこれは。)


 ながらく北方の地に引きこもっていたというオークが南に移動してきたことが原因で、魔物の狩りが出来なくなり、ギルド同盟の宗主国とレギウラの間で問題が起こり始めた。

 ちょうどその時、ガエルウラと名乗るアズルエルフが現れ、“オークを追い払える宝がある”と言ってデイラやメトーリア達にダンジョンするよう発掘をうながした……。


(そして、俺は四百三十年の眠りから目覚めた。偶然にしてはちとできすぎだよな……)


「……とにかく、まずは完全に日が落ちるまでに火を起こすか。野営地に戻るのは朝になってからだな」


 その時、メトーリアには聞き慣れない、そしてバルカにとってはなじみ深い遠吠えが崖の上から聞こえてきた。


 メトーリアは崖上を見上げながら不安げな表情を浮かべる。


「オークの叫びシャウトだよ。ありゃネイルだな。俺を呼んでる」

「……」


 メトーリアはバルカの言葉に僅かに反応したが、崖上を見上げたままだ。

 おそらくデイラの安否が気がかりなのだろうとバルカは察した。


(メトーリアの主であるレギウラの公王……アルパイスだったか? その娘であるデイラにもしものことがあれば、その責任をメトーリアが負うんだろうな)


「心配するなメトーリア。多分、デイラは無事だ」

「なぜ、そんなことが分かる?」

「戦闘中にあのような遠吠えはしない。戦いは、狩りは終わったんだ」


 バルカはそう言って両手を口元に当てると、暗くなってよく見えない崖の頂上へ向けて古語で叫んだ。


「デ・バルカ! ネスッ、ラース・ネス!」

 

 これに対して怪訝な表情をするメトーリアにバルカは何を言ったのか説明する。


「あ、今のはな。こちらの無事を伝えて、明日まで待機する……みたいなことをだな、その、同胞たちに伝えたんだ」

「…………バルカ」

「ん?」

「一応、礼は言っておく。私が殆ど無傷なのは、お前のおかげだ」

「……ッ」


 目を伏せながら、そう言ってきたメトーリアに対して、バルカはどう返事すればいいのか、途端に分からなくなった。

 僅かな間の後にメトーリアは背を向けて歩き出した。

 もうすぐ夜だ。野営地に合流するのは明日になるのを待つしかない。

 バルカのすぐそばで寝るつもりはないのだろう。遠ざかるメトーリアにバルカは、


「お、おぅ」

 

 と、喉に何かが絡まったような返事をした。

 その声は小さくかすれていて、メトーリアに聞こえているのか、分かったものではなかった。

 会話はそれで終わりだった。

 夕闇の森陰に入っていくメトーリアを見つめながら、


(なにが「お、おう」だよ!? もうちょっと気の利いた返事のしようがあるだろッ)

 

 戦闘などでは判断に迷いなく、瞬時に最適の発言、行動が出来るバルカだったが、こういった会話においては、一歩も二歩も後れを取ってしまう。

 魔王討伐戦の頃――否、それ以前からいくさ働きに夢中でそれ以外のことに、極力かまけなかったツケを払わされているような気分になり、バルカはため息をつく。


 二人は離れた場所でそれぞれ野宿の準備をし始めるのだった。



    ×   ×   ×



 一方その頃。

 デイラ達は戦闘が始まって中断していた野営の準備をしていた。

 魔物狩り……否、魔物達との戦闘は結果的には人間とオークの圧勝に終わった。


 殆どがバルカとメトーリア、そしてバルカが命令を下し、魔法によって強化されたオーク達の手によるものだ。

  ヨロイ狼は全滅したのではなく、何匹かは逃げ去った。 死骸の数は四百匹はくだらない。

 レギウラの兵が数人死傷したが、アクアル兵とオークに死者は無い。

 バルカはひとりで百匹以上を倒しただろうか……残りは殆ど他のオークで仕留めたことになる。

 

 変異オーク達はデイラ達に近づくことなく、自分たちが仕留めた魔物を驚くほどの手早さで解体していった。

 彼らは生のまま、魔物の肉を食らっていた。

 そして、腹一杯になると満足したのか、デイラ達とは離れた場所で寝床につき始めていた。


 バルカがオークの古語で何らかの釘を刺していたのが功を奏しているのか、人間達に危害を加える様子もない。

 だが、当のバルカが不在のため人間達を警戒はしているようだ。


 そんなオーク達を監視しながらデイラ達も夜を明かす。

 正直、人間達は気が気でなかった。

 いわばヨロイ狼は、非常に敏捷性に優れた崖も駆け上れる機動力も持つ重装騎兵のようなものだ。その四百騎を二十のオークの歩兵が殲滅したのだ。

 知性が退化しているとはいえ元々高かった戦闘力が、バルカの強化の魔法でさらに強くなり、ひとりひとりが一騎当千の高レベルの戦士に変貌していた。

 そんな異種族の戦士達が近くにいて安心できるはずがなかった。


 デイラも近くでオークの集団が寝ていることにはビクついてはいるものの、メトーリアを追って、崖から飛び降りたバルカのことを考えていた。

 オークが放っていた遠吠えと同じような声が、崖下から聞こえていたのでおそらく死んではいまいとデイラは考える。


(バルカとかいうオーク……メトーリアのことを本当に気に入っているようね)


 そう。明らかにあの緑野郎はメトーリアに懸想している。

 このことは上手く利用できそうだと、デイラはほくそ笑むのだった。

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