第8話 変わり果てた姿

 メトーリアの言うとおり、アクアルの町を出た一行が狩り場に到着する頃には夕暮れ時になっていた。


 狩り場は山に囲まれた丘陵地であり、幾つもの洞窟もあるという。

 山岳地帯、洞窟、平原、森林に様々な魔物がいるとのこと。


「狩り場を荒らすオーク達は常に移動している。平原エリアでよく目撃されているが」

「ではすぐに探しに行こう」


 バルカはそう言って先を急ごうとするが、


「本気か? もうすぐ夜だぞ。それに私はデイラ様やアクアル隊から離れることはできない」


 見ると、一行は既に野営の準備を始めていた。

 一際大きな天幕はデイラ用のものだろう。「早くしろ」と部下達を急き立てている。


「なら俺はまた離れたところで寝るとしよう」


「……そうしてくれ」


 メトーリアはアクアルの兵士達が居るところへと行ってしまった。


 人間達は荷物を下ろして、ある者は火を起こして食事の準備をし始め、ある者は腰掛けて休憩を取り、歩哨に立っている者は周囲を見張りながらも同僚と談笑している。


 この一日で、人間達はバルカに奇異の視線を向けることはなくなった。

 今は無視している。

 皆、バルカがこの場に存在しないかのように振る舞っていた。

 誰かが示し合わせたわけでもなく、自然とそうなった。


 そこに、オークであるバルカの居場所はなかった。

 

 いよいよもって悲しくなってきたバルカは、この四百三十年間で生まれた人間とオークの溝のことをできるだけ考えないようにしながら、昨日のように独り寝しようと踵を返した。


 だがその時、周辺の一方……木と草が生い茂る木立の中から、どこか懐かしい気配を感じ取って立ち止まった。


 気配は複数ある。

 日が沈んでいく夕闇の中、木立からそいつらが姿を現した。

 歩哨達が悲鳴に近い大声を上げた。


「み、緑だ。緑野郎が出たぞーーーッ!」


(言うほど緑じゃないだろっ!)


 詳しく表現するならオークの肌は灰緑というか、渋くくすんだ灰みがかった緑色というか……。


 場違いなことを考えながらも、狩り場に来た初日に同胞達と出会えたことに、バルカは思わず口元を弛ませるが、すぐにその表情は険しくなった。


「ガウッ」

「オオ、デ、オウ。ガオオオッ」


 獣みたいな声を放ちながら、オーク達は人間の野営地に近づいていく。


 その数、およそ二十。全員、男だ。

 ぼろ布、毛皮や皮鎧をまとい、手斧や槍、大型の山刀といった武器も携行しているがどれも、あまり手入れがされている様子はなく、さらに……とても清潔とはいえない状態だった。


 何よりも――。


「ガウウ! ルア、ガアア!」

「ヒッ、こ、コイツらッ!」

「待て!  武器を構えるな。同胞達ッ。お前らもそこで止まれ!」

「ンガ!?」


 オーク達はバルカに驚いたようで、立ち止まって互いに顔を見合わせた。

 フンフンと鼻を鳴らしたり、指を動かしながら、時折獣のような唸り声をあげる。

 そして、手に持った武器を構えながら再び動こうとするので、バルカは目を瞠った。


(本当に、喋れないのか……?) 

 

 バルカにとって、目覚めてから初めての、同族との邂逅。


 メトーリアやギデオンの言っていたことは本当だった……。

 言葉を話すことを忘れ、明らかに知性も退化しているオークの同胞達。


は現世では皆こうなってしまっているのか……)


 目の前が真っ暗になってしまったかのような絶望感にとらわれ、群れの先頭に立っていたオークの男を、茫然と見つめるバルカ。

 オークの男は首をかしげ、唸り声を上げながら、苛立った吠え声を放った。


「グオオ!」

 

 ……たとえば、一人の人間が朝目覚めた時、自分以外の全ての人間が、喋ることを忘れて猿のような動物になり果てていたら、その驚愕と絶望感は計り知れないだろう。

 だが、バルカは様々な経験をくぐり抜けた戦士だった。


「……呪いか」


 かつて魔王が現れた時、異世界から来たと宣うこの侵略者は様々な魔物を創りだし、現生種族に対して戦を仕掛けた。

 さらに数多の呪いをふりまき、土地や生物を汚染した。


 魔王討伐戦に参加した勇者とその仲間達は戦いだけでなく、そういった呪いの解呪を世界各地で行ったものだ。

 バルカはもっぱらいくさ働きが主な役割だったが、それでも当時積み重ねた経験が彼を驚愕から立ち直らせて冷静にした。さらに、培われた観察眼が働き始めていた。

 

「メトーリア、部下達を抑えてくれ。俺は同胞達をッ」


 駆けつけてきたメトーリアにそう言いながら、次に押し止めようとするように片手を上げてバルカはオーク達に一声吼えて、両陣の間に立った。

 デイラはというと、ずっと後方に下がったまま、取り巻きと一緒に動かずに、こちらを見ているだけだ。 


 バルカは必死に冷静さを保ちながら、彼らの様子を観察する。


 バルカからしてみれば変異オークともいうべき彼らは、それでも仲間同士で意思疎通はしているようで、鳴き声と手ぶりを使って、連携の取れた動きをしている。


(……こいつらの吠え声や手の動きは、祖先が使っていた大昔の言葉に似ている)


 いわゆる古語というやつだ。

 昨日、ギルドクリスタルの間でバルカが放った、魔力を込めた咆哮。

 吠え声や唸り声に魔力を込めた極めて初歩的かつ原始的な“力を持つ言葉"である咆哮ロア魔法にもオークの古語は取り込まれている。

 学者や語り部ではないバルカは古語を完全に習得しているわけではないが、片言なら話せた。

 咆哮魔法だけでなく、戦闘時の合図や手信号、符丁にも利用していたからだ。

 

 だから彼らに合わせて古語を使うことにした。

 手振りや表情の作りを交えながら、バルカは変異オーク達に語りかける。

 すると――。


「オ? オル……」


 変異オーク達は困惑しながらもバルカを取り囲んだ。

 その中から、他のオークと比べて幾らかましな格好をしているオークの男が前に出る。


「・・・デ、ネイル」


(よっしゃ!)

 

 バルカの古語に返事をよこしたオークの男を見て、バルカは心の中で喜びの声をあげた。

 古語では極めて簡易で、単純なやりとりしか出来ないが、変異オーク達との意思疎通が叶ったのだ。


「それ、お前の名前か? “デ、バルカ” バルカーマナフ。俺の名前だ」



    ×   ×   ×



(奇妙な光景だな……)


 メトーリアは、バルカがネイルと名乗ったオークと何とか意思疎通を試みようとしている間、ネイルとバルカを見比べたり、ほかのオーク達を観察していた。


 人間やエルフに肌の色や髪の色が違う者がいるように、オーク達も様々なタイプが見受けられる。

 猪のように下牙が突き出ているオークもいれば、バルカのように上顎犬歯が発達して牙になっている者もいる。

 瞳は猛獣のような金色で統一されているが、髪の色は黒か茶褐色。禿頭の者もいる。バルカの淡い色の髪は珍しいのが分かる。


 身長が総じて高く、骨格からして人間とは違う。肩幅が広くて筋肉がまるで重装鎧のようだ。

 その中でもバルカとネイルの体躯は特に大きかった。

 

 しかし、同じような体格でも、その佇まいを見て、ネイルがバルカほどの強さがあるとは思えなかった。

                      

(あってたまるか。あいつ並に強いオークが幾つもいたら、天地がひっくり返ってしまう)


 殆どのオーク達はバルカとネイルのやりとりを見守っていた。

 だが、一部のオーク達が自分をじろじろと見ているのに、メトーリアは気づいた。


 そいつらは鼻をフンフンと鳴らし、何やら品定めをしているように、メトーリアの顔や、身体のあちこちに無遠慮な視線を這わし――。


「グヘヘ……」


 と、下卑た笑みを浮かべながら、近づいてきた。


(やれやれ……ゲスの笑い声ってのはどの種族も似たようなもんだな。同じオークでもバルカとは大違いだ)


 ため息をつきながら、佩いていた剣の柄に手を掛ける。

 だが、剣が抜かれることはなかった。

 

 グヘヘ笑いをしながら、メトーリアに近づいていたオーク達をバルカがものすごい剣幕で怒鳴り散らしたからである。



    ×   ×   ×



「オイイイイイイ!! ナニしようとしてんだお前らァ!!!!」


 バルカは激怒した。


 ネイルと古語で会話しようにも“オレラ、たくさんの沼があるトコロからヤッテキタ"という、漠然過ぎる情報しか得られなくて苛々していた時に、数名のオークがみるからに欲情丸出しの眼差しで、鼻の下を伸ばしながらメトーリアに近づくのに気がついて、大音声で叱りつける。


 ビクッと身体を震わせて、そのオーク達はバルカの方を振り返るが、言葉の意味が分からないので戸惑うだけだ。


 バルカは一瞬考えあぐねた挙げ句、とっさに古語で、

“命令! その女、俺の――"

 と、言って、そこから先の言葉に詰まる。


(な、なんだ……古語でどう言えばいい? “俺の仲間だ"とか伝わるか? ええい!)


 バルカはメトーリアを指さし、次に低く唸りながら自分を指して、“そいつ、俺のもの。手を出すな。命令だ!”とキツく戒めた。


 すると今度はネイルが威嚇するような吠え声を放ち、バルカの胸を突き飛ばさんばかりに強く押した。

 だが、バルカはびくともしない。


「なんだッ?」


 不機嫌を露わにしながらネイルを睨むバルカだがネイルも退かない。


 “命令、オレがスルこと! 群れの長、オレ!!"


 そう言って、飛びかからんばかりの形相でバルカの鼻先まで顔を寄せて睨みを利かせた。


「ああ、なるほど。今の意味は良く分かった」


 バルカも目をそらすことなくネイルを睨めつける。


 しばらくの間、にらみ合いが続いたが、バルカが古語で何事かまくし立てると、ネイルは眉を寄せて素早く飛び退き、前傾姿勢で身構えた。


「お前、何を言った? 何をするつもりだ」


 一連のやりとりを見ていたメトーリアは、戸惑いの表情を浮かべながらバルカに問い質してきた。


「えっ?」


 バルカは一瞬視線を泳がせ、“何を言った”のかは話さず、これから“何をするのか”だけを伝える。


「同胞達と話が殆ど通じない。古語で簡単なやりとりしかできないから、このままだと危険だ。だから決闘を申し込んだ」


「け、決闘!?」


「そうだ。“群れ”のリーダーの座をかけた闘いだ。メトーリア、離れてろ。少々荒っぽいことになる」


 そういってバルカは背負っていた斧の柄を掴んだ。

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