第3話 White Light Burning

 ――――ぴちゃり、ぴちゃり、ぴちゃり。

 水の滴る音がふと気になって、剣治は顔を上げた。洞窟の天井からいつからか無数のしずくが落ち始めていた。会話がなくなったためだろうか。心なしか、急に音の反響が大きくなってきたように感じられる。


「うわ、なんかこの水、ベタベタしてる。気持ち悪」

 剣治が思わず座る場所をずらしたその直後、穏やかだった堅治の目が、天井を見るなりサッと変化したのが分かった。


「違う、水じゃない!」

 剣治も遅れて気付きギョッとする。ベタつく液体の中に、ギョロギョロ動く目玉のようなものが見えたからだ。その時初めて、剣治は天井から滴って来る液体の正体を知った。

 リリリリリィッ! リリリリリィッ!


「スライムだ! なんで天井から出てきたんだ!?」

「しまった、岩の隙間から入り込んで来たんだ! 火の壁を通れないって分かって……」

「やばい囲まれてる!」


 リリリリリィッ! リリリリリィッ!

 壁に、天井に、洞窟の四方八方にある隙間から溢れ出してきた大小さまざまなスライム軍団は、独特の奇声を発しながら瞬く間に剣治と堅治を包囲しようとしていた。

 咄嗟に剣治はイハートブレードを引っ掴み、再び抜刀を試みるが――――やはりビクともしない。その上、


「くそっ、抜けない! なんでだよぉっ!」

「――剣治さま! 堅治さま!」

「まずい!? エスペラ、こっちに来ちゃダメだ!」

「ですが、洞窟の奥の方にまで暗黒獣たちが! 子どもたちが!」

「なんだって!?」


 洞窟を必死に戻ってきたエスペラは、その周囲に小さな子猫を大量に引き連れていた。恐ろしいことにその背後から、数えきれない程のスライムの大群が押し寄せてきている。前からも後ろからもモンスターの大波が迫りくる光景は、悪夢に等しかった。


「――――おにいちゃんっ!」

 剣治は思わず、あっと叫んだ。


 子猫たちの最後尾で、さっきの兄妹の妹らしき方がつまづいて完全に逃げ遅れていた。エスペラが気付いて慌てて駆け戻ったが、間に合わない。エスペラと子猫の眼前に、その十倍のサイズはあろうかというギョロギョロ目玉の化け物が近づく。絶叫しながらも敵を押しとどめるのみで身動き不可能な堅治。未だに抜刀すらも叶わない剣治。


 永遠にも近いその一瞬、子猫が再び泣きそうな声で叫んだ。

「――――助けて、おにいちゃん!」


 剣治の手から、ペンダントがカタンと音を立てて地面に落ちた。元の世界に残してきた妹の顔が、何故だか子猫の姿に重なって見え、剣治は頭の中が真っ白になった。


 剣治は洞窟中に響き渡るほどの雄たけびを上げると、渾身の力で鞘から剣を引き抜いた――――初めて目にする刀身から白銀の電光がほとばしり、剣治の全身を爆発的なまでに加速させる。周囲全てがスローになる中、剣を振りぬく勢いそのまま、剣治は殆んど瞬間移動でエスペラたちの前に立ち塞がると、一撃のもとにスライムを両断していた。


 リリ……ッ、リリリリリィッ……!?

 訳も分からぬまま真っ二つにされたスライムは、一寸遅れて剣の発した電光により炎上。悲鳴を上げながら地面に飛び散り、そのまま一片も残さず焼き尽くされていった。


「――――イハートブレードが覚醒した」

 子猫を抱いたまましばし呆然としていたエスペラだったが、目の前で起きたことの意味に思い至ると、やっと我に返って快哉を叫んだ。


「剣の勇者が遂に目覚めた!」

 剣治は正直、自分でも自分のやったことがよく分からなかった。だが遠く離れた背後でもはや限界を迎えそうな堅治の助けを呼ぶ声が聞こえると、考える間もなくそちらを助けるべく取って返していた。


 伝説の剣の力は、想像をはるかに超えていた。軽く振るうだけでも少年の身体を瞬時に稲妻も同然の加速度と化し、瞬きすら終えぬうちに目的の位置へと運び去る。動体視力、反射神経、身体能力の何もかもが普段の数十倍へと跳ね上がっていた。


 剣治は、死角から堅治に迫っていたスライムを剣のひと薙ぎで葬り去ると、続けざまに一番近い洞窟の壁を蹴り飛ばして反転、堅治の前面に躍り出て今度は盾の上にのしかかるスライムたちを大上段からの回転斬りでまとめて叩き切ると、そのまま転がるようにして地面に着地した。


「……凄いな、剣治ブレード!」

 奇声にまみれて焼けていくスライムたちを盾から豪快にふるい落とし、堅治は称賛の声を上げた。理解するまで一瞬の間があったようだが、剣治が戦えるようになったのを心底喜んでくれていた。


「きみ、滅茶苦茶強いじゃないか!」

「油断しないで!」

 剣治は周囲にまだ無数にいるスライムたちを睨みつけて言った。剣治は今、極限の集中状態だ。未だかつてない程感情が昂っているが、いつ戦えなくなっても不思議ではない。


「こいつらはぼくが引き受ける! 堅治シールドはエスペラたちを!」

「……任せて!」


 年下で後輩なのに、いつの間にか剣治の方が指示を出し始めていた。だが堅治は嫌な顔一つせずに役目を引き受けると、剣治と入れ替わるようにして再びエスペラたちに迫っていたスライムの別動隊に立ち向かっていった。


「ああ、堅治さま!」

「エスペラ、不安にさせてごめんよ!」

 そう言って堅治は、初めて現れた時の様にデクシールドを構えるとエスペラを庇うように敵めがけて突貫、光の衝撃波を放ってスライムたちを粉々に消し飛ばした。


「きみたちは、おれが絶対に守る!」

「だあああああっ!」


 エスペラたちの無事を確かめながら、剣治は気力を最後の一滴まで絞り切るように咆哮。洞窟内の壁や天井を縦横無尽に駆け巡り、意識の端に捉えたスライムたちを手あたり次第に斬り伏せていった。


 イハートブレードの電光を浴びた不定形モンスターたちが、一体残らず火に包まれるまで正味一分もかからなかった。剣治は最後、殆んど叩きつけられるようにして洞窟の床に墜落し転がった。


剣治ブレード、しっかり!」

「剣治さま、お喜びください! 暗黒獣どもは全滅いたしました!」


 堅治とエスペラに抱き起されながら、剣治は息も絶え絶えに周囲の状況を目の当たりにした。敵という敵がそこら中で燃え崩れてビクビクと蠢いている。改めて、これを自分がやったのが信じられない。集中が切れて、腕はもはや力が入らなかった。


 剣と鞘を覆っていたサビは痕跡も残さず消え去り、イハートブレードは本来持っていた白銀の輝きを取り戻していた。敵を焼き尽くした電光は失われていたが、あれだけの敵を斬ったのに汚れひとつない宝剣の姿は、素人目にもひどく美しかった。


 リリリリリ……リリリリリ……!

「――――ッ!!」


 その身を焼かれ続けるスライムの一体が、しぶとく立ち上がりかけていた。剣治たちは思わず反応したが、事実上死にかけの状態では敵も何ひとつ出来はしない。ただ血走り、憎しみのこもる目玉で、最後の一瞬までこちらを睨みつけるのが精いっぱいだった。


 リリリリリ……テケリリリリリリリリリリィィィ……ッ!

 背筋の凍るような断末魔を残し、暗黒の大賢者が眷属はやがて消し炭となって炎の中に散っていった……。

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