第2話 宮沢堅治かく語りき

「ここまで来れば、ひとまず安心だね」


 洞窟のかなり奥の方まで逃げてきた剣治たちは、緊張が解けたのもあって大きく息をつくと、揃って岩の上に腰を下ろした。盾の少年の肩からぴょんと飛び降りたエスペラは、ずっと耐えていたのか目を細めてペロペロと頭の毛づくろいなどしている。言葉を話すといっても、そこら辺はやっぱり猫なのだ。

 そんなエスペラを少しの間幸せそうに眺めてから、盾の少年は剣治に向き直って言った。


「改めまして、おれは宮沢堅治。『堅い』って書くケンジだ。きみよりも前に召喚された盾の勇者で、このデクシールドの使い手。きみは……」

「……宮沢剣治。『剣』って書いてケンジ」

「お互い、凄い自己紹介だね」


 堅治は自分で言って笑っているが、剣治は未だにどう反応してよいか分からない。


「エスペラのことは、もう彼女から聞いてるよね? ここが地球とは違う、全く別の世界だってことは?」

「聞くには聞いたけど、正直何が何だか……って別の世界?」

「ありがとうございます、堅治さま。後はわたくしがご説明いたしますわ」


 エスペラがそう言って、堅治の膝の上にぴょんと飛び乗るようにして現れると、呆然となっている剣治の方を見つめた。


「はるかな昔のことです。あるところに、深遠なる知恵と愛をその身に宿した、ひとりの大賢者がおられました。その名はミヤザワケンジ」


 エスペラのブルーの瞳が、松明の光に照られてキラキラと輝く。剣治は彼女が口にする物語の中に、いつしか引き込まれていった。


「ミヤザワケンジは、己が故郷になぞらえ我らの理想郷ドリームランドを形づくり、いつか創世の大賢者と呼ばれるようになりました。ドリームランドはネコ王族の統治のもと、あらゆる種族が手を携え共に生きる、平和な暮らしを享受していたのです。しかし……」

「……ある日突然、暗黒獣が姿を現わしたんだ」


 嫌な記憶に差し掛かったからなのか、思わず口ごもったエスペラを慮り、堅治が引き継ぐようにその続きを言った。堅治に頭を撫でられたエスペラは、ちょっとだけ安心したみたいに再び目を細めている。


「暗黒獣……って、さっきのスライムたちのこと?」

「あれは、ほんの一部に過ぎないんだ」

 堅治がさらりと恐ろしいことを言った。

「あれ以外にも、もっと強いのがたくさんいる」


「……暗黒獣が出現したことで、ドリームランドは一夜にして滅ぼされました。いいえ、出現というよりむしろ、復活したという方が正しいのかもしれません」

 エスペラが、少しだけ気を落ち着けたらしく再び話を引き取る。


「創世の大賢者が生きた時代、世界にはもうひとり、暗黒の大賢者と呼ぶべき者が存在しました。彼の者は創世の大賢者にも劣らぬ知恵を持ちながら愛を知らず、恐怖と憎しみだけを糧として、眷属たる暗黒獣を次々生み出しました。やがて大賢者は滅び、暗黒獣たちも一体残らず共に消え去ったと思われていたのです。しかし……」


「それと、ぼくたちがこの世界に呼ばれたことと、一体何の関係があるんだ?」

「王国には、ひとつの言い伝えが残されていました」

 戸惑いを隠せなくなった剣治にエスペラが告げる。


「すなわち『ドリームランドに危機が迫る時、大賢者の力と名前を受け継ぐ八人の勇者が、王国の八つの聖地に現れる』――ミヤザワケンジを継ぐものとして世界の意思に選ばれた存在、それがあなた方おふたりなのです!」


「…………いや無茶言わないでよ!」

 剣治はとうとう、堪らなくなってしまい悲鳴を上げた。


「ぼくが勇者だなんて、何かの間違いだよ!」

「ですが現に、剣治さまはこの洞窟に召喚されました」

 エスペラは尚も辛抱強く言った。


「ここは今あなた様が持つ、イハートブレードを納めた剣の勇者の聖地。世界があなたを選んだのです。それに剣治さま自身、お名前には『剣』の文字が入っていると」

「名前だけね! なんか親が『強い人間になってほしい』ってつけたんだって! でも実際は見てのとおりだよ、ぼくが強そうに見えるか!?」


「などとは仰りつつも、実は隠された剣術のご才能が」

「ないよ! 剣どころか竹刀とか木刀だって持ったことも触ったこともない! 刃物っていったら、使えるのは彫刻刀ぐらいだよ! 図工の授業で買ったやつね!」

「な、なんと……」

 ここまで聞くと、流石のエスペラも事の深刻さに気付いた様子。目まいを起こしたみたくふらつく彼女を、優しく抱き留めながら堅治は穏やかな口調で言った。


「エスペラ、一回ちょっと時間を置こう。彼だって急にこんなことになって、いきなりは受け入れられないだろうしさ。ね?」

「ううう……申し訳ありませんわ、堅治さま。わたくしとしたことが取り乱して……」

「ごめんね、エスペラも一生懸命なだけだから」


 堅治は頭を抱えたままのエスペラを岩にもたれさせるように寝かせると、微苦笑を浮かべて剣治に向き直った。こうして見ていると、さっきから彼はひたすらエスペラに優しい。場慣れしているのに加え、本人の性格もあるのだろう。一緒にいると、それだけで安心させる不思議な空気をまとっていた。


「きみ、いくつ? おれと同じぐらいに見えるけど」

「……十一歳。今年で小五です」

「そっか。じゃあおれより学年ひとつ下だ」


「あの、堅治さんは……」

「いいよ、呼び捨てで。どうせお互い苗字も名前も一緒なんだし。それにエスペラの話が本当なら、まだあと六人もミヤザワケンジがいるんだろ。敬語やさん付けとかしてたら、話しにくくてしょうがないよ」

「それはそうですけど」


「そうだ、これからはお互い武器の名前とかで呼び合わない? おれはシールド、きみはブレード。この先もっと大勢になるかもしれないし、分かり易くて楽だろ?」

「……なんか、野球のポジション決めてるみたいですね」

 自分で言ってから、剣治は堅治と無言で目を合わせた。


「『一番~シールド~ミヤザワケンジ~、二番~ブレード~ミヤザワケンジ~』……」

 剣治が球場のアナウンスめいた物真似をしてみせると、ふたりのミヤザワケンジは耐え切れずに一斉に噴き出してしまった。この世界に来て初めて笑った気がするが、我ながら心底下らなかった。野球を知らぬエスペラなどは「この人たち何をそんなに盛り上がっているのかしら」と完全に置いてけぼりの顔である。


「――姫さま!」

 その時、何処からともなく幼い声がした。剣治はあたりを見回してから、洞窟の奥から走って来るふたつの影に気付く。それは二匹の、茶トラ模様の小さな子猫たちだった。


「姫さま、もしかしてその人、新しい勇者さま?」

「おまえたち、出てきてしまったの。隠れているよう言ったのに」

「ごめんなさい、姫さま」

 後から追いかけてきたひと回り大きい方の猫が、少年の声で言った。


「妹が勝手に飛び出しちゃったんです」

「お願いです、勇者さま」

 先に現れた方の子猫が剣治を見上げて、実にあどけない口調で懇願してきた。


「わたしたちの世界を、姫さまと一緒に、どうか助けて下さい。おにいちゃんと一緒に、また村のみんなと暮らしたいんです」

「……きみたち、兄妹なの? てか」

 剣治は理解に時間がかかり、思わず的外れなことを訊いてしまった。


「エスペラ以外の猫も、普通に喋るんだね」

「この者たちは、近くの村の住民なのです」

 エスペラが言った。


「暗黒獣に村が襲われてしまい、ひとまずこの洞窟へと避難してきているのです。他にもまだ多くの子どもや住民が、奥の方に隠れております」

「ほら行くぞ、兄ちゃん困らせんなよ」


 上の子が下の子の手を引く形で、もと来た方に戻っていく幼い猫の兄妹。そんな彼らを見ていた剣治は、お陰でふと思い出し背負っていたカバンを下ろすと、小さな木製の箱を取り出しフタを開けた。中身の無事を確認して、剣治は思わずホッとする。


「良かった、壊れてない」

「それって、剣治ブレードの大切なもの?」

 剣治が手にしていたのは掌サイズの首飾りだった。木材を削った六角形の台座をニスで固め、中央に大きいビー玉を宝石風にはめ込んだものである。暗闇の中で松明の光を反射して輝くのを、堅治が横からしげしげと眺めてくる。


「もしかして、誰かに貰ったとか?」

「妹のプレゼントなんだ。こっちに来る直前に貰ってさ」

「へぇ。妹さん、手先が器用なんだね」

「半分ぐらい一緒に作ったんだけどね」

 素で感心した様子を見せる堅治に、剣治は軽く笑ってみせた。


 剣治の妹は生まれつき身体が弱かった。病気がちで学校もあまり来られない一方で、工作好きで手先の器用なところがあり、偶に登校できた日には許可を貰って兄の剣治が付き添い、放課後の教室に残っては図工の課題を気のすむまで進めたりしていた。


 その日、いつものように工作を手伝っていると、完成品のペンダントを不意にその場で渡された。曰く「いつものお礼」だという。剣治は純粋にそれを嬉しいと思った。


「……けど学校から帰る前に、ぼくだけ教室に忘れものして」

 剣治は再び表情を暗くした。

「ひとりで教室に戻ったら、知らないうちにこの世界に飛ばされてたんだ」

「……そっか。じゃあ絶対、元の世界に戻らないとね」

「うん」

 堅治が思わず安堵してしまうような優しい笑みを浮かべてみせたので、剣治はただただ静かに頷き返した。


「あいつのところに帰りたい。じゃないと、妹がひとりぼっちになる」

 その頃になるとエスペラは「折角なので子どもたちの様子を見てきます」と断りを入れ立ち上がり、猫兄妹の手を引いて洞窟の奥にとことこと去っていった。優しく手を振って送り出す堅治の横で、ちょっと当てつけがましく聞こえたかな、と剣治はやや申し訳なく思った。


「……堅治シールドは怖くなかったの」

 剣治はふと気になって訊ねた。


「急にこんな訳の分かんないことになっちゃって」

「そりゃ、最初はめちゃくちゃビックリしたよ……けどさ、」

 言葉を切った堅治は、今や遠くになったエスペラたちの背に目を向ける。彼がエスペラに向けるまなざしは、いつもたっぷりの慈愛に満ちている。


「ひとりで頑張ってるエスペラを放っておけなかったんだ。おれ、ネコ好きだから……」

「……なんか偉いね」


「大したことないよ。おれだけじゃ結局、エスペラたちが逃げる時間を稼ぐぐらいしか出来なかった。力を集中すれば敵もやっつけられるけど、大勢とは一度に戦えない。おれ、デカいだけで役立たずなんだ」


 話せば話すほど、剣治には堅治が立派な人間に思われてならない。同時に、自分自身が何だか情けなくなってしまった。託された伝説の剣とやらを改めて見つめる。仮に自分が伝説の勇者であったとして、剣治には自分が選ばれた理由が未だによく分からなかった。自分のような人間に、一体何が出来るというのだろう?

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