第20話 私と悠人⑳
「大丈夫かい? 今日は疲れただろう、ゆっくり休むといい」
そういって微笑む彼の顔を見ていると安心感を覚えてくると同時に胸が高鳴るのを感じた。
ああ、やっぱりこの人のことが好きだな……と思いながら帰路につくのだった。
数日後、会社に出勤すると隣の席に座る佐藤さんから話しかけられた。
どうやら先日の件でお礼を言いたくて探していたそうだ。わざわざそこまでしなくてもと思ったが、
彼女の気持ちを考えると無下にもできず、素直に受け入れることにした。
それにしても、本当に律儀な人だと思う。
普通はそんなことしないと思うんだけどなぁ……まあ、そこが彼女の魅力でもあるんだけどね。
そんなことを考えているうちに昼休みの時間がやってきたので、一緒にご飯を食べることになった。
「この間は本当にありがとうね、おかげで助かったよ」
彼女は笑顔で言うと、お弁当箱を広げ始めた。
私もそれに倣い、自分の分の弁当を取り出すと食事を始めることにした。
しばらくは他愛もない話をしていたのだが、ふと思い出したように彼女が言った。
「そういえば、あれからどうなったの?」
何のことかわからず首を傾げていると、続けてこう言われた。
「ほら、例のセクハラ上司のことだよ、大丈夫だった?」
ああ、その話かと思いつつも、特に問題はなかったことを伝えると安心した様子だった。
それからしばらく世間話をしていると、不意にこんなことを聞かれた。
「ところでさ、悠人とはどう? 上手くやってる?」
「えっ!?」
思わず動揺してしまい、箸を落としてしまった。
慌てて拾おうとするものの、手が震えてうまく掴めない。
その様子を不審に思ったのか、心配そうに顔を覗き込んでくる彼女に対して平静を装って答えることしかできなかった。
幸い、それ以上追及されることはなかったのだが、内心穏やかではなかったことは言うまでもないことだろう。
その後も何とか誤魔化しつつ昼食を終えた後は逃げるようにしてその場を後にしたのだった。
(どうしてあんなこと聞いちゃったんだろう……)
後悔の念に苛まれながらも、午後の仕事に取り掛かることにした。
しかし、頭の中にあるのは先ほどのことばかりであり、全くと言っていいほど集中できなかったため、
早々に切り上げることにして帰ることにした。
帰り道の途中で本屋に立ち寄り、気になっていた小説を購入した後で帰宅すると、
夕食の準備に取り掛かったのだが、その間もずっと上の空だったため、危うく指を切りそうになったりもしたほどだった。
お風呂に入っている時も、寝る前になっても、頭の中はあの人のことでいっぱいになっていた。
(どうしよう、このままじゃ眠れないよ……)
悶々とした気持ちを抱えたまま、夜は更けていくのだった。
翌日、寝不足のまま出社することになったのだが、それでも仕事は待ってくれないので、仕方なく作業に取りかかることにした。
(とりあえず、今は忘れよう……)
自分にそう言い聞かせて目の前のことに集中するように心がけることにする。
だが、そう簡単に切り替えられるはずもなく、気が付けばまた彼のことを考えてしまっている始末であった。
その時、不意に肩を叩かれる感触があったかと思うと、耳元で囁かれた。
驚いて振り返ると、そこには悠人が立っていた。
彼は心配そうな表情をしながらこちらを見ている。
どうやら私が上の空になっていることに気づいて声をかけてくれたらしい。
申し訳ない気持ちで一杯になりながら謝罪の言葉を口にすると、彼は微笑んで許してくれた。
そんな彼の態度を見てホッと胸を撫で下ろす一方で、ますます意識してしまう自分がいた。
このままではいけないと思い、気持ちを切り替えようと努めるのだが、なかなか上手くいかないものである。
そんな私の様子を見かねたのか、彼は気分転換も兼ねて休憩することを提案してくれた。
正直ありがたかったので、お言葉に甘えることにしたのである。
社内にあるカフェスペースに向かうと、窓際の席に座り、コーヒーを注文する。
しばらくすると、店員さんが持ってきてくれたので受け取ると、早速一口飲んでみたところ、
程よい苦味と酸味が口の中に広がり、気分が落ち着いていくような気がした。
そこでようやく一息つくことができた気がする。その様子を見ていた彼が声をかけてきたので、私は正直に胸の内を明かすことにした。
昨日から悩んでいることを打ち明けると、彼は真剣に聞いてくれた上でアドバイスまでしてくれたのだ。
その内容はとても的確で、自分でも気づかなかった点にまで言及しており、非常に参考になったと思う。
そのおかげで少し気持ちが楽になった気がしたし、前向きな気持ちになれたような気がする。
感謝の気持ちを込めて頭を下げると、私は仕事に戻ることにした。
家に帰ってからも彼との会話を思い出すたびにドキドキしてしまうほどだったが、同時に安心感を覚えることができたように思う。
やっぱり私はこの人のことが好きなんだということを改めて実感することができたからだ。
そして、これからはもっと積極的にアプローチしてみようと思ったのだった。
数日後、いつものように仕事をしていると、突然声をかけられた。
振り向くとそこには佐藤さんの姿があった。
何かあったのだろうかと思っていると、唐突に謝られてしまったので驚いてしまった。
どうやら先日の一件について謝罪したいということらしいのだが、一体何のことだろうかと考えているうちに思い出したことがあった。
それは数日前、私が階段を踏み外してしまった時のことについてだった。
あの時は確かに危ないところだったが、たまたま通りかかった人が受け止めてくれたお陰で事なきを得たのだ。
その人というのが、今目の前にいる人物なのだが、まさかこんなところで再会することになるとは思っていなかったので驚きを禁じ得ない思いだった。
しかも、聞けば同じ会社に勤務している同僚だというのだから更に驚きである。
道理でどこかで見たことがあるはずだと納得したと同時に、同時に納得できないこともあったので尋ねてみることにした。
なぜ、今になってあの時のことを謝りに来たのだろうと思ったのだが、話を聞く限りどうもそれだけではないような気がしてならなかった。
というのも、彼女は何やらもじもじしながら言い淀んでいる様子なのだ。
まるで告白でもするかのような雰囲気だったので、こちらまで緊張してくるのを感じたくらいだ。
やがて決心がついたのか、ゆっくりと口を開くと小さな声でこう言った。
それを聞いて私は固まってしまった。
なぜなら、その言葉は私の想像を遥かに超えるものだったからだ。
一瞬聞き間違いかと思ったが、そうではないようだ。
何故なら、彼女の顔を見れば一目瞭然だからだ。
その表情からは真剣さが伝わってくるようだったし、冗談で言っているわけではないということは理解できた。
だからこそ余計に戸惑ってしまうのだ。
何しろ、今までそんな素振りなど見せたこともなかった相手なのだから無理もないだろう。
どうしたものかと考え込んでいるうちに沈黙の時間が流れていったが、やがて彼女が口を開いたことで再び現実に引き戻されることになった。
そして、その内容を聞いてさらに驚かされることになるのだった。
「あの、いきなりこんなこと言われても困ると思うんだけど、実は前から好きだったの!
だから、もしよかったら私と付き合ってもらえませんか!?」
突然のことに頭が真っ白になってしまった。
まさかそんなことを言われるとは夢にも思っていなかったからである。
驚きのあまり言葉を失っていると、彼女は不安そうにこちらを見つめてきたので、
慌てて返事をしようとしたが、その前に一つだけ確認しておきたいことがあったので質問してみることにした。
「……えっと、それってつまり、そういう意味だよね?」
恐る恐る尋ねると、彼女は小さく首を縦に振った。
それを見た瞬間、心臓が跳ね上がるような感覚に襲われた。
しかし、私は悠人と結婚しているし、このまま付き合えば、浮気になるし、どうしようと考えている。
すると、彼女が私の手を取ってきたため、ビクッとしてしまった。
そのまま手を握られてしまい、振り解くことができなかったため、されるがままになってしまう。
しばらくそうしていると、不意に抱きしめられてしまった。
突然のことで驚いていると、耳元で囁かれた。
その言葉にドキッとしたのも束の間、次の瞬間には唇を奪われていた。
抵抗しようとするものの、力が入らずなす術もなく蹂躙されてしまう。
しばらくして解放される頃にはすっかり蕩けてしまっていたようで、腰が砕けたように座り込んでしまっていた。
その様子を見た彼女は満足そうな表情を浮かべていたが、ふと我に返ったように謝ってきた。
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