第15話 私と悠人⑮
「もう、恥ずかしいじゃない……」
そう言いながら顔を背けようとするのだが、彼に顎を掴まれてしまい、動かすことができない。
それどころか、どんどん顔を近づけられていき、唇を奪われた。
その瞬間、頭の中が真っ白になり何も考えられなくなるほどの衝撃を受けた。
(ああ、幸せだなぁ)
そう思いながら、しばらくの間余韻に浸っていたのだった……。
そして、玄関の扉を開けると、眩しい太陽の光が差し込んできた。
その眩しさに目を細めつつ、外へ出ると、爽やかな風が頬を撫でていった。
心地よい感覚に包まれながら、ゆっくりと深呼吸をする。
新鮮な空気が肺を満たしていき、身体中を駆け巡っていくような感覚を覚える。
まるで生まれ変わったかのような気分だった。
こんなに清々しい気分になったのはいつ以来だろうか?
思い出せないほど昔の出来事かもしれない。
そんな事を考えながら、私は歩き出した。
しばらく歩くと、駅が見えてきた。
改札を通り、ホームへと上がる。
ちょうど電車が来たところのようで、乗り込むと同時に扉が閉まった。
車内は空いており、座る席もいくつかあったが、私は座らずに立っていることにした。
その方が景色を眺められるし、何より退屈しないで済むからだ。
窓から見える風景を眺めながら、これからの予定について考えることにした。
まず最初に浮かんだのは悠人の顔だ。
今頃何をしているのだろうか?
もしかしたら、もう会社に行っているかもしれないな、などと考えているうちに目的地に到着したようだ。
ドアが開き、乗客が一斉に降りていく中、私もそれに続くようにして降りた後、改札口を通って外に出た。
外に出ると、目の前には大きなビルが立ち並んでいた。
その光景を見て、改めて都会に来たんだなということを実感させられる。
そんな感慨に浸りながらも、歩みを進めていくと、やがて目的の場所に到着した。
そこは大手企業が経営する高層ビルであり、今日から私が勤めることになる会社でもある。
中に入ると、受付嬢がおり、名前を言うと、すぐに案内してくれた。
エレベーターに乗って最上階まで行くと、応接室のような場所に通された。
そこで待っているよう指示を受けたので、大人しく待つことにする。
しばらくして扉が開く音がしたかと思うと、一人の男性が姿を現した。
その男性はにこやかに微笑みながら話しかけてくる。
年齢は30代前半といったところだろうか?
背が高く、整った顔立ちをしており、いかにもエリートといった雰囲気を漂わせていた。
そんな彼に向かって、こちらも挨拶をすると、向こうも同じように返してくれた。
それから簡単な自己紹介を済ませた後、本題に入ることになった。
まずは仕事の説明をされたが、専門的な用語ばかりで正直よく分からなかったため、とりあえず頷いておくことにした。
一通りの説明が終わると、今度は職場についての案内をされることになった。
最初は別のフロアにある部署へ行くという話だったが、途中で思い直したのか、別の場所へ連れて行かれることになった。
そうして到着したのは、会議室だった。
部屋の中にはすでに何人かの先客がいたようで、それぞれ談笑していたようだが、私たちが入ってくるのを見て、
会話を中断して一斉にこちらを見た。
その視線を受けて、緊張が走るのを感じた。
そんな中、一人だけ立ち上がってこちらに向かって歩いてくる者がいた。
その人は女性で、二十代半ばくらいに見えた。
身長はそれほど高くなく、華奢な体型をしていたが、どことなく頼りなさそうな印象を受ける人だった。
彼女は私の前まで来ると、丁寧にお辞儀をしてから、名乗った。
彼女の名前は佐藤玲奈といい、この会社の社員だということが分かった。
その後も続々と人が集まってきて、全員が揃ったところで、部長から説明があった。
その内容は以下の通りである。
1.仕事は営業事務で、主に書類作成や電話応対がメインとなる。
2.勤務時間は9時から18時までの間で、休憩時間は1時間ある。
3.給与は月給制で、基本給の他に歩合給もある。
4.制服はなく私服でOKだが、清潔感のある服装が求められる。
5.休日は基本的に土日祝だが、場合によっては出勤することもあるので注意すること。
6.昼食については各自自由にとって構わないことになっているが、栄養バランスを考えて摂るように心がけること。
7.社内には売店があり、お弁当等を販売している他、カップ麺等も売っているので、
必要な場合は申請すれば購入することができる。
8.最後に、困ったことがあれば遠慮せず相談してほしいこと。
以上であった。
一通りの説明が終わったところで、解散となった。
その際に、この後親睦を深めるために飲み会を行うと言われたため、参加することにした。
場所は近くの居酒屋で行うらしい。
予約は既に取ってあるとのことだったので、私達は指定された店へと向かった。
店内に入ると、店員に案内されて個室に通される。
席につくと同時に飲み物の注文を聞かれたので、各々好きな物を注文した。
ちなみに私はビールにしたのだが、悠人はカクテルを頼んでいたようだった。
他の人たちはソフトドリンクを選んでいるようだった。
しばらくすると料理が運ばれてきたので、みんなで食べ始めることになった。
しばらくは世間話をしながら食事をしていたが、ある程度お腹が膨れたところで、話題は仕事の話へと移っていった。
中でも特に興味を引いたのは、給料のことだった。
それについて質問してみると、みんな口を揃えてこう言ったのだ。
曰く、うちの会社は完全成果報酬制度を採用しており、売上に応じて支払われるのだという。
つまり、どれだけ売ったかによって額が変わるということだそうだ。
また、ボーナスについても業績に応じたものが与えられるという話を聞いた時には驚いたものだ。
というのも、今まで勤めていた会社ではそういったものはなかったからだ。
しかも、入社初日から貰えるというのだ。
これには本当に驚かされた。
なんでも、実力主義を掲げる我が社の方針なのだとか。
そのため、能力のある者にはどんどんチャンスが与えられ、それに応えることができた者は昇進していくことになるらしい。
それを聞いて俄然やる気が出てきた私は、より一層仕事に励もうと心に決めたのだった。
その後はしばらく歓談した後、お開きになったので、家に帰ることにした。
帰り道の途中でふと空を見上げると、綺麗な満月が見えたので思わず見惚れてしまったほどだった。
こうして始まった新しい生活だったが、今のところは特に問題なく過ごせていると思う。
同僚との関係も良好だし、上司からも可愛がられていると感じることが多かった。
毎日一緒にいられるというだけで幸せを感じることができるのだから不思議なものである。
そんなことを考えているうちに家に着いたようだ。
玄関を開けると、そこには既に悠人が待っていた。
どうやら出迎えてくれたらしい。
嬉しくなって抱き着くと、彼もそれに応えてくれるように抱きしめてくれた。
それからキスをして、お互いに微笑み合う。
この瞬間が一番幸せな瞬間かもしれないと思ったほどだ。
その後は夕食を食べて、お風呂に入り、寝る準備をする頃にはすっかり夜遅くなってしまっていた。
明日も早いということで早めに寝ることにしたのだが、その前に一つだけやりたいことがあったので、それを実行することにした。
それは、悠人におやすみのキスをすることだった。
彼は一瞬驚いていた様子だったが、すぐに受け入れてくれて、優しく口づけを交わしてくれた。
それだけで胸がいっぱいになり、幸せな気持ちで眠りについたのだった。
翌朝目が覚めると、隣には悠人の姿があった。
すやすやと寝息を立てている姿を見ていると、愛おしさが込み上げてくるのを感じた私は、もう一度キスをした後で朝食の準備に取り掛かることにした。
メニューはもちろん、彼の好きなものばかりである。
しばらくして出来上がった料理をテーブルに並べると、匂いに釣られたのか、彼が目を覚ましたようだ。
まだ寝ぼけ眼といった感じだったが、それでもしっかりと挨拶だけはしてくれたので、私もそれに返すことにする。
そして、2人で仲良く朝食を食べた後は、身支度を整えた後、出勤するのだった。
今日も一日頑張ろうという気持ちになりながら、職場へと向かうのだった……。
その日、会社に着くと、早速仕事をすることになった。
とは言っても、最初は基本的なことから覚えなければならないらしく、まずはパソコンの操作方法から教わる必要があった。
幸いにも、前任者が懇切丁寧に教えてくれたおかげで、すんなりと理解することができたのだが、問題はここからだった。
具体的に言うと、実際に自分で考えて行動する必要があるということである。
要するに、失敗してもいいからとにかくやってみろということなのだろう。
そう考えた私は、さっそくやってみることにした。
まずはメールチェックからだ。件名を確認して、必要最低限の内容だけに目を通していくことにする。
内容は商品の発送状況だったり、問い合わせに対する返信などがほとんどだったが、中には重要なものもあったため、
きちんと目を通す必要があるだろうと思われた。
次に、顧客からの電話対応も行わなければならないようだ。
これも当然といえば当然だが、慣れないうちは緊張してしまうかもしれない。
そんなことを考えながら、一つ一つ確認作業を行っていくうちに、あっという間に時間が過ぎていった。
次はいよいよ営業先への訪問だ。
緊張するが、これも仕事だと思えば割り切ることができる。
そう思いながら、私は出かける準備を始めたのだった。
会社を出て、目的の場所に到着した頃には、すでに夕方になっていた。
今日中に終わらせなければならない仕事があるので、急いで取り掛からなければならない。
まずは、挨拶回りからだ。
最初に訪れたのは、得意先のA社だった。
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