第9話 私と悠人⑨

外に出てからもしばらくその場に留まっていたが、やがてゆっくりと歩き始めた。

どこに行くでもなく、ただひたすら歩き続けた結果、いつの間にか見知らぬ場所に来ていたようだが、特に気にしなかった。

どうせ行く当てもないわけだし、このまま彷徨っていてもいいかもしれないと思いながら歩いているうちに、

ふと前方に人影のようなものが見えた気がして立ち止まった。

目を凝らしてみると、そこにいたのはなんと柊木芽衣子だったのだ!

何故こんなところにいるのだろうかと思ったが、よく考えてみれば彼女もこの辺りに住んでいると言っていたことを思い出した。

おそらく偶然通りかかったのだろうと思い、声をかけようとしたが、それよりも先に向こうの方から声をかけてきた。

「……ねえ、あなたって悠人くんと付き合ってるんだよね?」

いきなり何を言い出すんだろうと思いつつ、とりあえず返事をすることにする。

すると、彼女はさらに質問を重ねてきた。

「じゃあ、悠人くんのどこが好きなの?」

唐突な質問に戸惑いつつも、正直に答えることにした。

まず第一に優しいところが挙げられるだろうか。

あとは私のことを気遣ってくれるところとか、一緒にいて楽しいと思えるところとか、他にもたくさんあるけど、

全部挙げていったらキリがないくらいである。

そういう話をしている間、彼女は黙って聞いていたが、何故かニヤニヤしているように見えた気がした。

それが妙に気になったものの、深く追及することはせずに話を続けることにした。

一通り話し終えた後で、ふと我に返ると、自分がかなり恥ずかしいことを言っていたことに気づいて赤面してしまった。

その様子を見ていた彼女に笑われてしまったことでますます恥ずかしくなってしまったが、同時に安心感を覚えたのも事実だった。

(よかった、いつもの柊木さんだ)

そう思うと、なんだか嬉しくなって自然と笑みがこぼれた。

それを見た彼女が不思議そうに首を傾げていたが、何でもないよと答えると、それ以上追求されることはなかった。

その後、軽く世間話をした後で別れることになった。

その際、連絡先を交換しておいたので、またいつでも会えるようになるだろうと思うだけでワクワクしてくるのだった。

家に戻ると、悠人と例の女の子が待っていた。

二人が一緒にいるところを見ただけで胸が苦しくなるのを感じたが、何とか平静を装って挨拶をすることができたと思う。

我ながら上出来だと思ったのだが、悠人には見抜かれてしまっていたようだった。

彼は険しい表情を浮かべると、私の腕を掴んで引き寄せてくると、そのまま抱きしめられてしまった。

突然のことに動揺していると、耳元で囁かれる声が聞こえてきた。

その声はどこか冷たく感じられたが、それ以上に心地良く感じられるものだったため、思わず聞き入ってしまうほどだった。

そんな私達を見て、あの子は気まずそうに俯いてしまっていたが、やがて立ち上がると、何も言わずに出て行ってしまった。

それを見て慌てた様子の悠人だったが、すぐに冷静さを取り戻すと、再び私を強く抱きしめてきた。

その温もりを感じながら、私は幸せを感じていたのだった。

翌朝、目が覚めると隣には誰もいなかった。

不思議に思って起き上がると、キッチンからいい匂いが漂ってきたことに気づくと同時に、お腹が鳴ってしまった。

そういえば昨日の夜は何も食べていなかったことを思い出すと、急に空腹感に襲われたので、ベッドから降りてリビングへと向かうことにした。

そこで目に飛び込んできた光景を見て、驚きのあまり固まってしまった。

何故なら、テーブルの上には朝食が用意されており、しかもどれも美味しそうだったからだ。

一体誰が作ったのかと疑問に思っていると、不意に後ろから声をかけられた。

振り返るとそこには悠人が立っていた。

どうやらお風呂上がりらしく、髪が濡れている上に上半身裸のままだったので目のやり場に困ってしまったが、

当の本人は全く気にしていない様子だった。

そして、手招きされるままに椅子に座らされると、目の前に料理を並べられた挙句、手ずから食べさせてもらうことになってしまった。

最初は恥ずかしかったのだが、段々と慣れてくるとむしろ嬉しいと感じるようになっていたため、途中からは完全に受け入れてしまっていた気がする。

結局、最後まで食べさせてもらった後でお礼を言うと、頭を撫でられたので嬉しかったのだが、

それと同時に子ども扱いされているような気分にもなったので複雑な気分だった。

そんなことを考えているうちに、ふとあることを思いついて彼にお願いしてみることにした。

それは膝枕をしてもらうことだったのだが、意外にもすんなりと受け入れられてしまったので拍子抜けしてしまったほどだった。

しかし、いざやってみると思っていた以上に柔らかくて温かい感触に包まれて幸せな気分になれたので大満足だった。

それからしばらくの間、彼の膝の上でまどろんでいたのだが、途中で眠ってしまったようで気がついた時にはベッドの上にいた。

隣を見ると悠人の姿があったので一瞬驚いたが、よく見ると彼も眠っているようだったので安心した。

起こさないようにそっと頭を撫でると、気持ちよさそうな表情を浮かべたまま寝息を立てていたので、何だか微笑ましく思えてきた。

「ふふ、可愛い寝顔」

そう呟いてから、もう一度頭を撫でた後、頬に軽くキスをしてから眠りについたのだった。

「おはよう、悠人」

そう言って微笑むと、彼も微笑み返してくれた。

それだけで心が満たされていくような感覚を覚えつつ、私は身支度を整えることにした。

着替えを終えてリビングに向かうと、既に悠人は起きていたようで、朝食の準備をしてくれていたようだ。

テーブルに並んでいる料理を見た途端、ぐぅ〜という音が聞こえてきたかと思うと、お腹が鳴ったことに気づき、顔が熱くなるのを感じた。

慌てて誤魔化そうとしたが、遅かったようだ。

案の定、悠人に聞かれてしまったようで、くすくすと笑われてしまった。

恥ずかしくて俯くことしかできなかったが、それでも彼が楽しそうな表情を浮かべていることはよくわかった。

それが余計に羞恥心を煽ることになったわけだが、今更どうしようもないことだということはわかっていたので諦めるしかなかった。

その後は二人で仲良く食事を摂った後、出勤する彼を見送ってから家事を済ませることにした。

と言っても、それほど大した量ではないのであっという間に終わってしまったわけだが、まだ時間に余裕があったのでどうしようかと考えているうちに、

ふとあるアイデアが浮かんだので実行に移すことにした。

というわけで、早速行動に移すことにする。

まずは掃除機をかけるところから始めたのだが、これがなかなか重労働だった。

何せ広い家の中を隅々まで綺麗にしなければならないのだから、当然といえば当然だが、想像以上に大変だったのだ。

おまけに家具や家電製品も多く、それらをいちいちどかさなければならないことを考えると気が遠くなりそうだった。

だが、ここで挫けるわけにはいかないと思い、気合いを入れ直して作業を続けることにした。

ようやく一通り終わった頃には汗だくになっていたが、不思議と心地よい疲労感に浸っていた。

一息つこうとしたところで、ふと喉の渇きを覚えたので冷蔵庫を開けると、中には飲み物が入っていたので取り出してコップに注ぐことにした。

冷たい麦茶が喉を潤していく感覚が心地良く、一気に飲み干してからおかわりすることにした。

そうして何度か繰り返していると、ようやく満足したところで、今度は洗濯に取り掛かることにした。

洗濯機に放り込んでスイッチを押すだけなのだが、洗剤の量がわからなかったり、柔軟剤を入れたかどうか不安になったりして何度も確認しているうちに、

いつの間にか時間が過ぎていた。

おかげですっかり遅くなってしまったが、何とか終わらせることができたのでホッと胸を撫で下ろすことができた。

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