エピローグ「カラス その2」

 ──二つの異なったハウリングが左右からそれぞれ聞こえてきた。


 太陽の光は隣のビルに反射されて、私のいるフロアを眩しく照らしていた。

 全く、もうすぐ日が昇るというのにこんな目立った場所で二人も始末しなきゃいけないなんて、伯父さんは無茶な案件をよこしてくるもんだと辟易していた。先日の副社長の一件のこともあり、こんな特殊な依頼はもしかすると、また神田の種かもしれないなと疑ってしまう自分がいた。

 そんなことを考えていると、左右からのハウリングはより一層音量を上げてきていた。それを察知した私は、身を隠していたデスクの下でアイスピックを握り直した。

 左右から対象者二人の体の動きが手に取るように音で把握できる。

 ──今だ。

 瞬時に私はデスクの下から体を飛び出し、跳び上がる。そして空中で回転しながら私は手に持ったアイスピックを投げた。

 アイスピックは回転する私の遠心力を利用し、凄まじい速さで一人の対象者へと突き刺さる。

「ぐあぁ!」

 アイスピックは対象者の首元に突き刺さった。頸動脈の血管に穴を空け、刺さるアイスピックの針の隙間から吹き出すように、赤い線が弧を描く。そして対象者の一人はその場で倒れた。

 それと同時に私はデスクの上に着地し、もう一人の対象者へと駆け出す。

「畜生!」

 対象者は構えていた拳銃を発砲させた。

 3発の発砲音が聞こえたが、その一つとして私の体を掠ることすらなかった。

 私は対象者へ飛び掛かる。空中で滑空した瞬間、対象者はもう一度拳銃を発砲させた。

 放たれた弾丸は私の大腿部を貫く。衝撃はあったが、私が彼に飛び掛かる力のほうが勝った。

 私は両足を大きく開き、彼の首を両足で捕らえるような態勢になった。そしてそのまま地面に倒れた。

 床に倒れた私はすぐさま両大腿に力をいれ彼の首を締める。だが彼も抵抗を強め、床の上でバタバタと足を動かす。

「……き、さまぁ」

 対象者の掠れた声が漏れる。しかし、私は決して力を緩めることはなかった。そしてドタッという音が聞こえる。おそらく彼が手に持った拳銃が床に転げ落ちた音だ。さらに次の瞬間、抵抗していた彼が脱力するのが分かった。所謂いわゆる、「落ちた」というやつだ。

 私は最後の一押しでグッと力を入れる。そして両足を離した。

「……ふう」

 私は呼吸を整える。そして首を締めた対象者のポケットからハンカチを取り出し手に持つ。私は床に転がった拳銃をハンカチ越しに持ち、足元に転がっている対象者の頭部に目掛け銃口を突きつけた。

 発砲音が耳を劈く。私は手に持った拳銃をハンカチごと、着ていたパーカーのポケットに入れた。そしてスマホを取り出し、ストップウォッチを止める。表示されていた時間は2時間57分だった。 

「後処理も含めて……3時間半くらいか」

 スマホを取り出した私は、そう呟いたのと同じ内容を簡潔にし、伯父さんにメッセージを送る。自分のスマホをタッピングする音を耳に入れた私は明日ちゃんのことを思い浮かべていた。

 近隣のオフィスビルの窓ガラスから反射されるオレンジ色の光が、暗闇に慣れた私の目を刺激する。

「もう朝か」と思えたのは、私が今まで起きていたからであり、先ほどまでの光の無い暗闇の世界を知っているからである。もしそうでなければ、今私の目に入ってきた光が朝日のものなのか、夕日のものなのか判断できないであろうと思うほどに、その光は沈んでいくその色とよく似ていた。

 本来、日が昇っていく様も、沈んでいく様もほとんど同じである。違うのは日が向かっていく場所くらいなもので、その時に発せられる輝きはほとんど同じであると思う。しかし、人間は勝手な生き物で、朝日だけが清々しいと思ったり、夕日だけが寂しいと感じている気がしてならない。どちらも同じものなはずなのに、人は自分が過ごした時間やこれから過ごしていく時間を勝手に感情にいれて太陽を見る。そして勝手にその輝きを解釈していく。

 しかし、それは私も例外ではなく、私にとって仕事終わりのこの朝日は、私が自分自身の見たくない部分を暗闇が覆ってくれる夜が姿を消していく始まりで寂しいと感じるし、夕日を見ればまた、私が目に映る余計なものに一喜一憂することなく私のままでいられる夜が始まる高揚感に胸が弾み、何でもできそうな気がしてくる。

 そんな風に勝手な生き物が勝手に感傷に浸るだけの為に利用される太陽もかわいそうだなと私が思ったところで伯父さんから着信があった。

「──もしもし」

「よぉ。どうだ?」

 場違いで呑気な声が、私のどこかに存在する佐藤家の礼央のスイッチを押した音が聞こえた気がした。

「終わった。これから帰る」

「おう。気を付けて」

 外出する家族に気を付けてと言葉を掛けるだけで事故の割合が減るとどこかで聞いた記憶がある。本当にそうか? と半信半疑ながらも、家族が出かける時には私も「気を付けて」と言葉を掛けるようにしている。もしかしたら家族がそう言っていくれるからこそ、私は殺し屋という職業をしていても無事に生きて帰ってこれるのかもしれない。たった一つの言葉を貰えるだけで、帰ろうと思う力が何倍にも強くなるのはどこかで聞いた話ではなく、私自身の経験則から言える確固たる事実である。

「うん。これ、後処理は? 本当にやんなくていいの?」

「あぁ、やんなくていい。そこは副社長が持ってたビルだからな。ほら、前にお前が始末した奴の。今の持ち主は本社だし、そろそろ改装するっていってたから」

 あれから数か月経つが、私にとって副社長の始末はいまだに記憶に新しい。なぜなら紫仁が行方不明になった発端となった出来事だったからだ。

 しかし、伯父さんにとってあの出来事は数ある依頼の一つに過ぎないのだろう。伯父さんの言葉からはそのようなニュアンスを感じ取れた。

「また『G.O.』? もしかして、伯父さん後処理が面倒くさいからって神田さんに頼んだんでしょ?」

「いや、それは違う。神田じゃなくて、シンだ。こっちで何割か改装の費用を出すからって言ったら喜んでそのビルを貸してくれたよ。副社長が『死んだ』からな」

 ちょっとした隙間に紛れ込む伯父さんの駄洒落に呆れた私は電話口に聞こえる様にわざと大きな溜め息をついた。

「……でも、そうしたらその改装の費用が後処理の費用を上回るんじゃないの?」

「大丈夫。ちゃんと計算してあるから」

 伯父さんはその呑気な声色を変える事無く言う。しかし、私はその変わらない声色を聞いて、伯父さんがどんな顔で話しているのか安易に想像できた。

「そう。じゃあ、これから帰るから」と伝えると「あ、そうだ」と思い出したように伯父さんが言う。

「そういえば、今日これからシンのところに行かなくちゃいけないんだよ。悪いけど、迎えに行けなくなっちゃってさ……」と申し訳なさそうに伯父さんは話す。

 なにも、必ず迎えに来なくちゃいけない決まりなんてないのに約束事を破ったかのような口ぶりで話すのはなぜだろうか。学生じゃあるまいし、どこか遠出する程度の現金くらいは持ち合わせているし、なにより、今は現金なんか持ち歩かなくても良い時代だ。それに、もし私が一人で歩いていて、そこら辺の不審者なんかに襲われでもしたら、襲ってきた不審者の命の方が危うくなることは伯父さんが一番理解しているはずだ。

 それなのにそんなに心配するのは、伯父さんが私をまだ小さくて守らなくてはいけない対象だと思っているからなのか。私はそんなことよりも、副社長の件で神田と共謀して私に隠し事をしていたことについてもう少し申し訳なさそうにしてくれた方がまだ気持ちがすっきりするのになと思った。

「了解。電車で帰る。直ぐ近くに駅あったし」と私は伝え、通話を切った。

 伯父さんや佐藤家の両親からすれば、私はいつまで経ってもか弱い女の子なのだろう。信頼はしてくれていると思うが、それと並行して心配もされる。一方、私は伯父さんや佐藤家の両親を信頼しているし、心配もしていない。

 いつかこの立場が逆転してしまう日が来るのかと思いながら私は死体に突き刺さったままのアイスピックを手にし、一気に引き抜いた。

 溢れ出る血液が死体のYシャツを汚し、そのまま床を汚していく様を目に入れ、汚したら余計な業務が増えると思い、私は一瞬焦ったが、伯父さんとの会話を思い出し、それに構うことをやめた。

 手にしたアイスピックを一度大きく振り、針に付いた血液を振り払う。そして私の履くスーツの胸ポケットにしまっていたハンカチを手に取り、アイスピックに付いた残りの血液を拭った。

 

 汚れたスーツを脱いだ私は持ち込んでいたハンガーにそれを通し、スーツカバーのチャックを閉めた。その際に血の匂いがし、いくつかの血痕が目に入ったが、どうせクリーニングに出すのだからと思い、私の潔癖症までもスーツカバーの中にしまい込み、しっかりチャックを閉めて閉じ込めてやった。

 私はボストンバッグに入れていた黒のパーカーと黒のチノパンに履き替えた。全身真っ黒な私は、眩い朝日に照らされてその存在を色濃くしてしまうだろうかと思い、夜中ならそんな心配も要らなかったのになと残念に思った。

 

 階段を使用したのは運動不足解消のためではなく、ただ単に電気が通っていないせいでエレベーターが作動しなかったからだ。

 オフィス内の電気が点いていないのはまだ出勤前だからと勘違いしていた私は、エレベーターのボタンを押した瞬間にボタンが光らず、その時に初めて停電しているんだと気付き落胆した。

 そういえば、ここに侵入した時にも階段を使用して昇って来たなと思い出したのは、仕方なく一階まで下りるために階段を使用し階段への扉を開ける瞬間、ひんやりとした扉のノブを動かした時の音に聞き覚えがあったからだった。

「行きはよいよい、帰りは恐い」というが今回に限っては帰りの方が「よいよい」であった。


 私は「よいよい」でビルを後にする。スマホで最寄りの駅までの地図を検索し、案内に従って駅まで向かう。歩いている途中、ふと空を見上げると太陽はオレンジ色の輝きから、いつもの透明な輝きに姿を変えており、こうなるともう夜明けとは呼べないほどに空は鮮やかな青色を輝かせていた。

 視線の先には水色の空を横切るように黒い電線がいくつか見える。そしてその電線をたるませるように何匹かのからすがいた。

 なんでそんなところにたむろっているのかと不思議に思ったが、集まる烏の下にはゴミ捨て場があることに気付く。

 明け方だったからか、まだゴミは捨てられていないが、もう少しでここにゴミが集まっていくことを彼らは知っているのだろう。

 待ち構えていた彼らは何をするでもなく、ぴょんぴょんと電線の上を行ったり来たりしたり、ゴミ捨て場のコンクリートに下りてみたりと、せわしない様子だった。

 ゴミは捨てるべき場所に捨てなくては、彼らによって無残に散り散りになってしまう。それは人でも同じことだと思った。

 邪魔な人は邪魔なりに集まるべき場所に集まらなくては、私達のような人間に突かれて破れて中身が出てしまう。

 烏に近付こうと思ったわけではないが、駅に向かう道はそのゴミ捨て場の前を通らなくてはいけない。歩みを進めていく私は気にしなくても良いはずなのに、彼らに目線がいってしまった。

 近くで見る烏は遠くで見るよりも大きく見えることに気付き、小さい猫や犬なら簡単に食べられてしまうのではないかと思った。

 さらに、私は烏の羽根の色がただの真っ黒ではなく、青や赤、緑や紫といった鮮やかな色を含んだ黒だという事にも気付く。

 光に触れた黒い羽根がギラギラとした鮮やかな色を反射させ、その色彩を露わにした。光の角度によって色が変化していく様は、まるで見るものによって異なる感情を生み出す太陽の光のようにも思える。私はその羽の色から、たくましさをはらんだ美しさを感じた。

 一方で、私も彼らと同じ色の服を身に纏っているにもかかわらず、こんなにもみすぼらしいのはなぜだろうと思う。それは、烏の羽のように光の反射加減で色彩を漂わせることが出来ないからという理由もあったがそれだけではない気がした。

 同じようなことをしていて、同じような格好をしているのに、私は彼らのように美しくなれない。彼らのように、夜の方が世界に溶け込める体の色をしているにもかかわらず、逆に目立ってしまう朝日の下で堂々と餌を待っていることは私には出来ない。

 日の光が落ちていくのを待ち、夜と同じ色になってやっと初めて堂々としていられる。残念ながら、たくましさをはらんだ美しさを私の着ている黒のパーカーと黒のチノパンからは感じ取ることはできない。


 そんなことを考えていると他の電線の上には数羽の小鳥が先ほどの烏と同じように集まっているのが見えた。

 茶色と白の羽毛の色からその鳥がスズメだと分かる。彼らは烏とは違い、吹けば飛んでしまいそうなほどに小さい体で揺れる。

 私は烏よりは美しく生きられていないのだから、せめてあのスズメよりは美しく生きられているのだろうか? そんなことを思いながら私は駅構内へと歩みを進める。

 券売機にて自宅の最寄り駅までの切符を購入した。久しぶりに触れる券売機の操作に若干戸惑うも、ちゃんと小さな紙切れを吐き出してくれた。

 改札を抜け駅のホームへと続く階段を下りる。途中、天井からぶら下がる電光掲示板を目に入れ発車する列車の時間を確認した。

 駅のホームの端っこまで歩く。電車に乗るのは久しぶりで駅のホームですら新鮮な景色であったが、私の視界の大半はポケットから取り出したスマホの画面がいつもと同じように埋め尽くす。

 駅では様々な音が飛び交っていた。列車が通り過ぎる音、扉が閉まる音、車掌の声、到着のアナウンス。

 私の日常では聞き馴染みのない音色と音量は耳障りになるかと思いきや、不思議と不快感を覚えない。それは、慌ただしくも流れるように作業的な音が独自のテンポを有しているからだろうか。耳に馴染むというよりも、気にしなければ聞こえてこない音のように感じた。そして、私がイヤホンを付けなかったのは、あえてこの音を楽しみたいと思っているからなのかもしれない。


 私はスマホから目線を離し顔を上げた。ふと線路の行く末を辿るも列車の気配はもちろんない。

 列車が来るはずないことは電光掲示板の時刻表と、音が聞こえてこないことで分かっていたはずなのに、スマホの画面から気分を変えるために反対のホームで停車した列車の様子を風景として眺めていた。

 真っ黒な服を身に纏った自分の姿が列車の窓ガラスに映る。その後、列車は動き出し、徐々に速度を上げていくが、同じ速度で過ぎ去る窓ガラスに移った自分の姿はそのまま私の視線の先に留まっていた。

 そして、列車が完全に過ぎ去ったその時だった。

 窓ガラスに映った私の姿が消えた瞬間、同じ場所にすらっとした人影が目に入った。

 真っ黒で線のようなその影は、私の視線の先でバタバタと動いた。目を凝らすとその人影が何かに向かって手を振っているのが分かる。


「──礼央!」

 絹のような声で、小鳥がさえずるように、カラスが啜り泣いた。

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実家暮らしの殺し屋 たきのまる @takinomaru

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