47「猫」

 神田が目で合図をすると、私を処置していた救護課の男性職員は気怠そうに会釈し、その場を後にした。

 処置室には私と神田と社長、そして奥のベッドで寝ているであろう7番という、不思議な面子が揃っていたが、私にとってはそんなことは全く気に障るものではなく、ただ、この場に紫仁が居ないという事実だけで居心地の悪いものだった。

「──私はまぁ、これと言って知りたいことは無いんですが。というか知りたくないことばかりなんですけど」

 意地を張った私を眺める社長はいつものように微笑みながら、処置台に頬杖をついており、意気揚々と話し始めた癖に私に出鼻を挫かれた神田は眉をひそめていた。

「そう言うなって。俺らとしてはお前達に迷惑掛けたなと思ってるし、お前の親友のことだってあるしなぁ」

 そうなだめる神田は、私の近くで煙を立たせている麻酔の煙草の煙が気になるのか、鼻を擦りながら片手をズボンのポケットに突っ込んだ。

紫仁しにのことでしょ?」

 私が神田を睨むと彼は視線を逸らした。私はその態度が気に食わず、視線を逸らす彼の横顔から視線を逸らさなかった。

「……お前には悪いと思っているよ」

「──『私』には? 紫仁には悪いとは思ってないってことですか?」

 語気の強い私の言葉に参ったように、神田は鼻を擦っていた手を額に移し中指で額の中心を掻いた。

「……いや、そうは言ってないだろ」

 飽きれた口調で答える神田の姿がやけに小さく感じた。すると私達を眺めていた社長がくすくすと笑い声を出し始め、私と神田は彼に視線を向ける。

「……社長」と、勘弁して下さいよと言わんばかりに神田の口から言葉が漏れる。

「いやぁ、ごめんね。狗が嚙まれてるなぁって思ったら、なんか可笑しくて」と社長は零れる笑みを抑えるように口元に手を当てながら言う。

「笑いごとじゃないですよ」

 そう言いながら神田は溜め息を吐き、彼の吐いた息によって煙草の煙が僅かに流動した。

「まぁ、取り合えず、葬儀は早めにやるよ。明後日か、明々後日だな」

 私は、神田の返事の何が「まぁ」で、何が「取り合えず」かは理解出来なかったが、彼の口から出た『葬儀』という単語とその発音によって、私の神田に対する火照った苛立ちがほんの少し温度を下げた。

「葬儀、やるんですか」

 私は神田ではなく社長に聞いた。すると社長は私に対していつもの笑顔を振り撒いた。

「そうだね。42番のおかげで副社長を始末できたといっても過言じゃないからね。彼女には最期に感謝を伝えないといけないからね」

 社長はその笑顔を緩めることなく軽々と話した。普段、社長が笑顔しか見せず、もはや彼は自身の笑顔を何の意味もなく振り撒いているだけだと十分に理解しているつもりだったが、この時ばかりは彼の笑顔を不謹慎に感じた。

 このもやもやとした感情を晴らすために、社長に対して八つ当たりをする目的の何かしらの言葉を発してしまえば、それは紫仁が居なくなったことを私自身が認めてしまう気がして、さらにそれによって紫仁が居なくなった喪失感が芋づる式にとめどなく溢れてきてしまいそうで、私は社長の言葉に口を閉じたままだった。

 それを見かねて口を開いたのは神田だった。

「紫仁を利用したことは申し訳ないと感じている。あいつはうちにとってなくてはならない存在だった。あいつを失うことは俺たちにとって大きな損失であることは間違いなかったし、あいつの功績はとてつもなく大きい。特に俺にとってはな」

 演説のような神田の言葉に社長は目を閉じ、「うんうん」と頷いていた。

「あいつを弔うためにも、あいつを称えるためにも、俺たちは葬儀をやることにしたんだ。もちろんお前も来るよな」

 神田の瞳のハイライトは、蛍光灯の明かりの点滅と同調して姿を消したかと思えばすぐにその姿を現した。彼の瞳は揺るぎのない視線を私に向けていたが、ハイライトが点滅することにより、ゆらゆら揺れているように私には見えていた。

 

「──で、俺がお前に副社長の始末を誘導したわけだ」

 処置室の煙草の煙を吸い過ぎたせいもあるのか、煙は私の脳内にまで浸食しており、頭の中が霧がかったような錯覚に陥っていた。その為、私は神田が話していた「G.O.」による副社長の始末の一通りの顛末をしっかりと脳内で整理することが出来なかった。

「おい、聞いてんのか?」

 神田の声が霧の中にいる私の手を引っ張った。

「──あぁ、はい」

「あぁ、はい、じゃねぇよ」

「すいません。え、ということはつまりどういうことですか?」

「やっぱり聞いてねぇじゃねぇか」そう呆れたように話す神田は自身のズボンのポケットからスマホを取り出し、何かしらの操作をし始めた。そして、私にスマホを向けるとそこに映っていたのはボイスレコーダーらしき画面だった。そしてそのスマホから聞きなじみのある声が二つ流れてくる。

「──もしもし、礼一さん。お願いしたいことがあるんですが」

 恭しい神田の声が聞こえる。それは猫をかぶっているというよりも、主人に絶対服従する犬のような声だった。

「よぉ。どうした?」と伯父さんの気の抜けた声が聞こえ、緊張していた私の心拍は少し低下する。

「一つお願いしたい仕事がありまして。始末の業務なんですが……」

「ふーん、珍しいな。で、誰の?」

「それが、俺なんです」

「俺」という神田の言葉を頭の中で反芻する。俺、つまり神田。ということは神田の始末を依頼したのは神田自身ということだった。

 自分自身の始末の依頼をするという謎の依頼内容に疑問符を浮かべた私だったが、ボイスレコーダーに録音された伯父さんの返答は「おぉ、分かった」とあっけらかんとしたものだった。

「では、よろしくお願いします。詳細は追って」

 神田の声を合図にするかのように、ピーという無機質で不貞腐れたような音が鳴り、録音された音声は切れる。

 私は差し出された神田のスマホをただじっと眺めているしかなかった。


「つまり、私が──」

 話し出した私の口を塞ぐかのように神田は口を開いた。

「つまり、ってことだ」

?」

 私は神田の言葉の意味が理解できるようで難しく、同じような神田と同じそっくりそのままのイントネーションで口に出してみた。すると神田も自身の発した言葉に違和感を覚えたように視線を頭上に向け頭の中で整理し始めた。

「ん? お前が依頼された、俺の始末は、俺が依頼した。……何か間違ってたか?」と単語を区切り丁寧に言葉を連ねる神田に「いや、間違ってないよ」と社長は嬉しそうに微笑む。

「ですよね? ほら間違ってない」

 神田は子供のような喋り方でそう言った。

「いや、言葉の意味は分かってます。私が神田さんの始末を依頼したのは神田さん自身ってことですよね? 分からないのは、なんでわざわざそんなことしたのかってことです」

 私がそう聞いている間、社長は目を細めながら処置台に置いてあった煙草の箱を手に取り、その中から一本煙草を取り出し胸ポケットから取り出したライターで火をつけた。しかし、それを口に近付けることはなく、煙を立たせる煙草を灰皿に立て掛けると、揺らく煙が二本になり視界を遮った。

「だからそれは副社長を始末するためだろうが」

 そう言いながら、神田は灰皿に一瞥を送った。おそらく煙草の匂いが気になったようだったが煙草に火をつけた社長に気を遣ったのか、顔を背けながら鼻を擦った。

「話が飛躍しすぎて何も見えないんですが」

すると神田は私の額を小突きながら「それはお前がぼーっとしてたからだろう」と言った。

「……あ、いや、それはすみません」

 そういわれてしまうと何も反抗できない私は素直に謝ることにした。

「ほらほら丁寧に教えてあげなよ。可哀想でしょ? ねぇ、『2番』くん」

 社長が神田へ視線を送ると、神田は気怠そうに襟足を掻きながら話し始めた。

「まぁ、要はだ。副社長を始末したい俺たちは外部の殺し屋に依頼をしたい、でもそれを大っぴらにやることはできねぇんだ。あいつの派閥の連中が『G.O.』のどこにいるか分からねぇからな。だから俺たちは外部の殺し屋に依頼するんじゃなくて、勝手に始末してもらいたかった。そうなればこっちの内部であいつを始末しようとしている情報が出回らなくて済むからだ」

「で、私が副社長を始末するように仕向けたと」

「おう。そういうこった」

「でも、なんで神田さんが始末されなきゃいけないんですか?」

「いやいや、俺はまだ始末されてないだろ」と神田は鼻で笑う。そして、次ににやりと笑みを浮かべた神田は声のトーンを下げ秘密を漏らすかのように話した。

「まずは手始めに色んな種を蒔いたんだ」

「種?」

「そう、種」と神田が言うと、それを聞いていた社長は「そうたねー」と駄洒落を言いながら同じように、にやりと笑った。

「種って?」

 眉をひそめた私に神田は得意げな表情を見せる。

「まぁ、色んなだ。俺たちが副社長を始末するために蒔いた種。その中の一つに俺の始末を外部に依頼するってのがあったってわけだ」

「ってわけだ!」と社長は神田の言葉尻を真似ながら人差し指を立てた。

 私と神田は社長の言動を無視しながら続ける。

「俺はここの2番だろ? で、1番はあんな手の付けられない自由奔放な化け物だろ? ということはつまり、俺がここの大黒柱でもあるってわけだ。まぁ社長が『G.O.』の頭なら俺は『G.O.』の首ってことだな」

「首……」

「首が切れれば生きちゃいられない。まぁ、お前には釈迦に説法だが」

 神田の言葉を聞いた私は、対象者の首をアイスピックで突き刺した時のいくつかの記憶を呼び起こしていた。

 鋭利な針で穴を開けられた頸動脈。そしてそこから溢れ出る血液が対象者の食道内でぶくぶくと沸き上がり、喉元までせり上がり空気の通り道を塞いでいく。

 首を切られた大半の対象者は急激な失血により意識を失うが、実際の死因は窒息であることが多い。対象者が自身の血液で溺れ苦しみながら、文字通り息の根を絶っていく光景が頭の中で再生された。

「頭よりも首を狙った方がリスクは少ない。だからあいつが俺を狙ってくる可能性があると考えていた。だから、あいつらが俺を狙いやすいように俺はお前に始末を依頼したんだ」

「いや、ちょっと待って下さい。狙いやすいようにってどういう」

 私が言い終わる前に神田は話し始めた。

「あいつらは自分たちじゃ俺を始末できないと考えるんじゃねぇか、と踏んだんだ。逆に返り討ちにあったりでもしたら厄介だろうしな。だったら俺が万全の状態じゃないときに狙った方がいい」

「……だから私とやりあっている時を狙った」

「あぁ。『鳥を食うなら焼き鳥から』って言うだろ? 俺が他の殺し屋に狙われているときを狙った方があいつらも俺を始末しやすい」

 聞いたこともない彼のことわざを流しながら私は彼の話に納得していた。つまり、あの時私が思わぬ助力に救われたように、副社長たちも私の存在が有難いものだったということか。

「で、そうなるとだ。俺はあいつらがお前に加勢しやすいように、本気でお前とやりあわなきゃいけない。相手は素人じゃないからな。やられた振りなんて見透かされちまう」

 神田の話からすると、彼らは私が元上司である神田の始末を躊躇わないことを前提として話している。私が神田の始末を躊躇ったり、情けをかけることを考慮していなかったのだろうか。それに彼らは、私とやりあえば副社長が漁夫の利を狙えるほど神田が致命的な傷を負うことも考慮している。

 私は首を傾げた。「G.O.」は、なぜそんなに不確かな情報で計画していたのだろうか。普段の用意周到な「G.O.」からは考えられない彼らの計画のずさんさに私は疑問を感じざるを得なかった。すると、考え事をする私の顔を覗き込んできた神田はその表情を変えずに口を開いた。

「お前が俺の始末を躊躇ったりするわけないだろ。引き受けた依頼は誰であろうと完遂しようと諦めないのがお前のいいところだろうよ」

 

 急に褒められた私は喜んでいいのか、それとも私が彼らの計画にいいように利用されたことに怒っていいのか分からなかった。そんな私にお構いなしに神田は続ける。

「社長は俺に『3番と本気でやりあえばいいだけだよ』なんてさらっと言ってくれるが、お前と本気でやりあうなんてそう簡単なことじゃない。それにあの時、俺もお前もも誰も死ななかったことが不思議に感じなかったか?」

 神田のいう『あいつ』とは弟のことだろう。

 確かにあの後、私は不思議に思った。「G.O.」が

介入しているはずなのに誰も始末されないまま、あの一件が済んだ事に関しては引っ掛かっていた。というよりも私は、自分が彼らと知った仲であるから始末されないんだと、私を勧誘しようとしているから始末されないんだと思い込んでいた。

 しかし、真実はあっさりしており、ただ私は彼らの計画に利用されているから始末されなかったのだ、という単純な理由だった。

 いま、改めて考えれば、神田やシン、1番までもがあの場に居合わせたのに私は良く生き延びてこれたものだった。

 私が自分の甘さに表情を強張らせていると神田は私の頭に手を乗せ軽く叩いた。

「それにお前とやりあったのは、なにもあいつらに俺を襲わせるためだけじゃない。でもあった」

「は?」

 頭に乗っかる柔らかな重みを振り払った私に、神田は目を丸くしていた。まるで、私の頭に手を乗せることが当たり前なのになんで振り払ったのかと言いたげな表情をしていた。

「ん?」呑気に聞き返す神田を見て社長は口を抑えて笑っていた。

「ん? じゃないですよ。神田さんが誰かに狙われてるって言ったんじゃないですか? その言い方だと誰かに狙われてると察するように神田さんが仕向けたみたいな言い方じゃないですか?」

「いや、?」

「いや、そんな──」と言いかけたところで、私は神田のお前を狙っている発言は全て神田以外の他者から耳に入って来たことを思い出す。

「ほらな。まぁそれも種の1つだったってことよ。それに明日あしたにお前を会わせたかったっているのもあるしな」

『明日にお前を会わせたかった』という言葉の意味が頭に入ってこなかった私は表情を固めた。それを見た神田は「いやすまん」といい奥のカーテンを指さし「明日だよ、アッシー。7番だ」と言った。

 どこかで聞き覚えのある言葉だと気付いていたが、佐渡の始末の後で7番が襲ってきた後に神田とシンが『明日』、『アッシー』と呼んでいたことを思い出した。そして私は気付く。

「──え? ということはあの時も」

「そう、種だな」と神田は自信ありげに答える。するとその後で社長も「そうたねー

」と冗談を言い微笑んでいた。

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