48「狛犬」

「あれも計画だったってことですか?」

 私が聞くと神田はゆっくり頷いた。その頷きの動きと同期するように社長もにこにこと頭を動かす。

「いや、ちょっと待って。逆にどこからどこまでが……」

 私が今までのことを思い返していると神田も私と同様に顎に手をやり何かを思い返していた。

「あー、あれだな。それでいうとお前が受けた依頼で清掃と処理を俺たちに頼んだ件があったろ? それも俺が依頼した」

「……なるほどね」

「あれ、驚かない」と社長が残念そうに言う。それはそうだ。もう驚かない。こうなったら何が神田の指示であっても可笑しくない。

 いや、違う。本当はそうだったのだ。

 私は「G.O.」から離れていたせいで忘れてしまっていた。この世の全ては「G.O.」の掌の中で起こっていることに過ぎないのだということ。

 誰が死んで、誰が殺されて、何が無くなって、何が奪われても、それは「G.O.」が描いたシナリオの一端に過ぎない。というよりもそのシナリオを描こうとする人たちが「G.O.」を使っているに過ぎない。私はすっかりそのことを忘れていた。いや、意識から外していたんだと思う。

「それは何のために?」

 私が尋ねると神田は再びにかっと笑い口を開く。

「それはだな。お前がまだ俺たちに頼るかどうかを知りたかったんだ」

「私が『G.O.』を頼る?」

「あぁ。まず俺は、うちに依頼された案件をお前のところに回した。それで対象者の帰宅時間を30分遅らせて提示した。そうなると後始末が間に合わなくなるだろう? でもお前の性格上、仕事はきっちりとやりたいはずだ。で、そん時に俺たちを頼るのかどうかを知りたかった」

「なんでそんなことを? 会社の案件だったらうちに回すのはその分損でしょ?」

「いいや、損じゃない。それでお前がうちに頼ってきたら副社長の始末をお前に任せようと考えていた。まぁ、その判断材料だったってわけだ。もしこれでお前に副社長の始末を任せられるなら、一つの案件の損なんてどうでも良くなるくらい、うちにとっては大儲けになる。つまり、『鴨とネギのそば茹で』だな。さらに言えば、副社長の始末の後にもしお前が、また戻ってこようかな、なんて考えでもしてくれたら万々歳だろ?」

 嬉々として話す神田に私はついていけてなかったが、まあよくもそこまで考えていたもんだと感心してしまう。

 実際、私は「G.O.」から離れても何にも変わっていなかったし、ここ数日間で、殺し屋の仕事で収入を得られるのなら今までの感情の一切を切り捨てて、もう一度「G.O.」に戻っても良いかもな、と考えたこともないわけではなかった。

 今までだったらそんなことは考えもしなかったが、7番に出会って、彼女みたいな人間がいたらもっと楽しいのかもなと思ったことがきっかけであったし、何よりもそれが決定打であったかもしれない。

「で、それは成功したと」

「あぁ。大成功だろ」と神田はズボンのポケットに手を入れ胸を張って言った。そして社長は何も言わずにピースをしていた。それと同じタイミングで7番がまばたきをする音が聞こえた。

 私が奥のカーテンのほうへ目をやると同時に神田も同じほうへ目をやる。きっと神田も彼女が起きたことを何かの匂いで感じ取ったのだろう。そして私たちに遅れて社長はカーテンのほうへ目をやる。

 すると、ベッドが軋む音が聞こえ、7番が口を履き立ち上がる音がする。そしてカーテンが開いた。

「あれ? 皆さんお揃いじゃないっすか」

 紫仁しにの居なくなった息苦しいこの埃だらけの処置室の中で、彼女のやけに息の多い声だけがほんの少しだけ酸素を多く含ませていた。


 全てが神田の種だったとはいえ、佐渡の件については私と7番を会わせたかったというだけの理由では私は納得できなかった。確かに、あの一件で7番の強さは知れたし、私の記憶に残るくらいには十分に衝撃的だった。でもなぜ、私に佐渡の始末を依頼する必要があったのか私は疑問に感じていた。

 7番と私を会わせるなら別にそんな面倒臭いことを仕組まなくてもいいし、そもそも7番と私を会わせる意味も分からない。そう、神田に話すと「副社長の始末は元々社長からの依頼で、俺とシン、あとは黒田の三人でやるはずだった。でもな、シンの野郎が俺達と組むのを嫌がったんだ。『野郎に囲まれてたらゲロの味がする』とか言ってな。だから黒田には降りてもらって、あいつのとこの明日あしたに頼んだ。で、そうこうしてると、うちに後始末だけを依頼する、『不思議な電話があった』」

 神田はそう言うと眉を大きく動かし、片方の口角をニヤッと上げた。

「常務と田中が向かった先にお前がいたって聞いて、俺はもう万々歳ってわけだ。そこで俺は外部の殺し屋に副社長を始末してもらう線で行こうと考えた。まぁ、そこに保険を掛けて明日あしたに手助けに入ってもらおうとも考えていた。『包丁持つ手、洗え』って言うだろ? そうなるとお前と明日には仲良くしてもらわなくちゃ困るわけで、さらに言えば副社長を贔屓にしている暴力団があることも知った俺たちはそこも潰そうと考えていた。となると、その暴力団を潰しつつ、明日あしたとお前を会わせたかったんだよ。で、佐渡の始末を依頼した」と意気揚々に話してきた。

 神田の話からすれば、石橋組が副社長の息のかかった暴力団で、それを潰すために私たちに依頼をし、その最中に7番と私を会わせたかったということらしい。それを聞いていた7番は「はあ? そんなん聞いてないんすけど。てか私だけボッチおつじゃん」とスマホをいじりながら呟いていた。

 私はそんな彼女に「大丈夫、私もボッチおつだったよ」と心のなかで宥めたが、数秒後彼女はさっきほど言い放った自分の言葉を忘れてしまったかのように「うわ、やば。DM溜まり過ぎた」と何かに取り憑かれるように、忙しなくスマホを操作していた。

 これで神田の話は一通り理解できた。

 私の「G.O.」への繋がりを確認しようと清掃が間に合わない時間を提示した始末の依頼をし、さらに副社長の息のかかった暴力団を潰すために佐渡の始末を依頼し、そこで7番と出会わせたこと

。神田の始末を自身で依頼し、副社長達と私を会わせたこと。

 しかし、まだ分からないことがある。神田の言うようにそれが種だったとして、神田を始末するために協力した同士でなぜ殺し合う筋書で考えていたのかという点だ。

 今回はたまたま副社長の傭兵が私を狙ったということもあって私は神田の弟を疑っていた。そして紫仁しにが始末されたと神田に伝えられたことが決定打となり、私は副社長を始末しようと考えた。しかし、そんなことで私が副社長を始末すると神田は予想できたのだろうか。

 副社長からすれば、「G.O.」の人間だったものが神田の始末に協力という形で、間接的に神田を守ったという考えは理解できるし、それによる逆恨みで私を始末しようとしたと私は考えていた。

 だが、私の目線からすれば、神田の始末に助力してくれた人間、つまり副社長達を始末しようとは考えづらいのではないだろうか。

 もし、それで神田を始末できたとすれば、手柄を横取りされまいと協力してくれた人間を始末しようという発想にはなるが、第一に神田は始末されていない。その時点で神田の蒔いた種は芽吹かなかったことになるのではないかとなるが、そもそも「G.O.」は神田が始末されることを計画にいれていたとは考えづらい。

 神田の始末を依頼するまでは理解できる。誰かが私を狙っていてそれが副社長かも知れないと勘ぐらせるために共闘させたという点は、まぁ理解できる。

 誰かに狙われていると疑心暗鬼になっている状態で怪しい人物が出てきたらそれを疑いやすくなってしまうとは思う。だがやはり、そのあとが理解できない。

 そうなったとしても、副社長を疑っているだけで彼を始末しようとは私は思わない。今回は彼の傭兵が私を狙ってきたこともあり、紫仁のこともあり、私が行動に移したまでで、それは神田の掌からかなり離れた世界であっただろう。

 もしかしたらあの後で、神田は私がまた誰かに狙われているように見せかけてきて、副社長に私の刃が向くように仕向ける種もあったのかもしれない。でもそうだとしたらわざわざ副社長の秘書である神田の弟の前に姿を現すだろうか?

 神田は自分から始末されにいく必要はあったのだろうか? 誰かが私を狙っているという情報と副社長を結びつけるために自分が始末されにいく必要はあったのだろうか?

 別に、私に対して副社長の存在を話すだけでよかっただろうし、何か危ないやつだと匂わせて、そのあとで私を副社長が狙っているように見せかける何かを仕掛け、私が勝手に副社長を始末に行くことのほうがよっぽど安全であるし、神田や「G.O.」が無関係だと言い張れることは間違いない。それでも神田が姿を現す必要があったのだろうか?

 私はその疑問を素直にぶつけた。すると口を開いたのは社長だった。

「まぁ冷静に考えてよ。キミは何かを見落としている。一番最後の大事な何かをね」と星のマークが浮かび上がるほどの二回目のウインクをした。

 一番最後の大事な何か──。

 私の頭に浮かんできたのは、ビルから放り投げられた副社長が爆発する瞬間だった。あの時の熱風の温度を今でも頬が覚えている。そうだ、あの時副社長を放り投げたのは──。

だな」と神田が口を開いた。彼の言う『あいつ』とは、弟のことだった。


「つまり、この計画には神田さんの弟も──」

 私が言い終わる前に社長は大きく頷いた。神田は弟という単語を耳にいれると、あからさまに大きな溜め息をついた。その息のせいで室内に充満していた煙草の煙が再び流動し、白煙が薄くなったように感じる。

「じゃあ、初めから──」という私の言葉は神田の強い口調によって遮られた。

「初めからじゃねぇ。途中からだ」

 気怠そうに神田は言う。

「神田弟、参戦! ってスマブラ的な?」と7番が嬉しそうに言う。

「はぁ。ったく、お前たちはなんでそう──」

 神田は片手で頭を抱えながら話し始めた。

「あいつに声を掛けようと考えたのは、社長だ。当初は礼央の言う通り、こっちが色々と仕組んで副社長がお前を狙っているように見せかけるつもりだった。だけど、計画は変更された。俺の始末を依頼し礼央をやり合っている時に出てきた副社長の部下が、予想外にあいつだったからだ。俺たちの予想では何人かいる傭兵の一人が出てくるかと思いきや、面倒臭いことに出てきたのはあいつだった。俺はマジかよって思ったね。あんときは流石に死んだと思ったわ。元3番が二人もいるなんて、いくら俺でも『向けられた槍、二つ』って話だろ? そんで急遽シンと1番を手配してもらったってわけだ。予定では俺が引くだけだったんだけどな。あいつと礼央じゃ、俺が引く余裕すらくれねぇって分かってたからな。で、その後、社長が驚きの発言! って訳さ」

 そしてにこにこと微笑みを振り撒いていた社長も口を開く。

「まぁ、せっかくだし、狛犬コンビをもう一度見たかったからね。弟くんが首を縦に振ってくれるように根回しもしたし、彼がこっちサイドについてくれるならもっとショートカットできるなって考えたんだ」

 まるで親に褒められたいがために自慢する小学生のように無邪気に彼は言う。

 つまり、神田の弟も神田達とグルであった訳だ。だからこそ神田は弟を手駒に使い、副社長に私を狙わせることを確定して筋書きに組み込めたということだろう。

 どんなことがあったとしても、誰かに狙われた時の一番の解決方法は狙う者を始末してしまうことだ。神田はその単純明快かつ至極全しごくまっとうな方法で私が副社長を始末すると予測していた訳だろう。 

 しかし、そうなると神田は、紫仁が始末された情報は私を動かす決定打として考えていなかったということだ。

 確かに、あの時は確固たる証拠がないのにも関わらず、「紫仁が始末された」という伯父さんの言葉で衝動的に心が動いてしまっただけだった。

 神田にとっては紫仁が始末されたことなど、取るに足らない種であったのだろう。その事実は魚の小骨のように私の喉に刺さった。

「まぁ、そういうことだ。あいつのお陰で色々と素早く済んだことは事実だ。でもなぁ」

「でも、ってなんすか? 部長、弟さんと仲悪いんすか?」

 スマホをいじりながら7番は言う。

 ほんの一瞬、画面がタッピングする硬い音だけが処置室に響く。しかし、7番はそれに気付いていない。

 私と神田は7番を見ていたが、社長は7番を見る私と神田の両方を交互に目をやっていた。そして社長は笑いを堪えようと必死で口を抑えていた。

明日あした……、お前なぁ」と神田は呆れたように言う。

「え、なんかしました? うち」

 そういうとスマホがピロンと鳴り、凄まじい反応速度でスマホを操作し始めた。もしこの場にシンがいたら「アッシー、最高」と褒め殺していたに違いない。

「別に良くないっすか? 兄弟なんて仲いいほうがキモイくないっすか?」

 その発言が再び処置室に硬いタッピング音を響かせた。

「……まぁ確かに7番、あ、いや、明日あしたちゃんの言う通りかも」と私が呟くと

「え、やば。明日ちゃんって呼び方可愛いんですけど。好きー」とスマホの操作を止めずに明日ちゃんが言った。

「いや、お前ら。もうな、この歳になったら仲がいいとか悪いとかないんだよ」

 神田は苦虫を嚙み潰したように言った。

「あいつが関わったら色々と面倒なんだよ。そのあとの始末とか、あっちのこととか……。社長は何もしないからいいですけど、こっちは大忙しなんですよ」

 そう神田が続けると社長は「なにそれー。ボクが役立たずって言いたいわけー」とわざとらしく口をむっとさせた。

「いや、そういうことではなくて──」

 社長の態度とちぐはぐな返答に、神田は飽き飽きしていた。そして頭を搔きむしり、あからさまに話題を変えた。

「つまりは、礼央は俺の掌で、副社長はあいつの掌で踊らされていたってことだな。副社長が礼央を邪魔者扱いするように吹き込んだのもあいつだし、傭兵を送るように仕向けたのもあいつだろうし。正直言えば、あいつのお陰で副社長とお前がやり合うことになったのは間違いないだろうよ」

 神田の「礼央は俺の掌で」の部分の言葉が少し耳についたが、まぁ実際はそうだった訳だし仕方ない。それはそうと、私も明日あしたちゃんも神田のせいで無駄に戦う羽目になったことは間違いなく、一方的に傷を負い私たちに何の得もなかったことに気付いた私は、神田と社長に、今回の件のギャラはないんですかと尋ねた。

 すると帰ってきた返答が「あくまで表面上はお前が勝手にやったことだから……」と口ごもったものであり、いくら待ってもその続きの言葉が出てくるわけもなく、やんわりと報酬を断られたことは言うまでもない。一方、明日あしたちゃんの方はというと、今回の報酬は副社長の始末ではなく、礼央の補助という名目でシンに打診したから金額は少ないが、それに社長からの臨時賞与と言う形で追加しておくからといった神田の説明を受け「うっし!」と小さくガッツポーズをしていた。

 今日ほど、フリーランスでいることよりも大企業の福利厚生にあやかりたいと思った日はなく、本気で「G.O.」に戻ってやろうかと歯を食いしばり眉をひそめながら私は思った。

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