40「オウム」

 さらに神田の始末を依頼された時もそうだった。

 神田は私を始末できる状況にあったはずだ。それなのに神田は私を始末しなかった。それが謎の男、つまり神田の弟の乱入によって阻止されたのなら話は別だが、おそらく神田の実力なら私か弟のどちらかを始末することは出来たはずだ。

 ただ、神田の弟が副社長の秘書と言う事実が引っかかる。

 副社長の秘書ならば、神田の弟は副社長と同じく「働こGO」に反抗する人間のはずだ。となると神田と弟が対立する事に納得がいかない。

 つまり、神田の主人は「働こGO」でもなく副社長でもない。それ以外の人間という事になるかも知れない。

 紫仁が始末され、私は神田を信じると決めた。しかし今までのことを思い返す度にその決意が、7番の高速回転によって破壊されたこの部屋の壁のように崩れていく。


「非営利団体」

 副社長の呟きが急に私の思考回路に侵入してきたような気がし、背筋が凍る。

「非営利団体?」

 私はオウム返しで尋ねる。

「いや、そんな優しいもんじゃないな。……対殺し屋組織とでも言った方がいいか?」

「何それ」

 私は構える散弾銃に力が入る。握り直すたびに手汗のせいで粘着質な音を奏でた。

「俺ら殺し屋の仲介会社を排除しようとする組織がある。まあ、自警団みたなもんだな」

 その言葉を聞いて私は記憶の棚をひっくり返した。

 自警団。どこかで聞き覚えがあった。誰かの声で「自警団」という言葉を聞いた気がする。

 確かあの声は。……そうだ、あの声は伯父さんの声だ。「自警団みたいなやつらだ」と伯父さんが言っていたのを私は思い出した。

 そしてその瞬間、点と点が繋がった気がした。

 伯父さんの声でその言葉を聞いたのは、私が神田の始末を依頼してきたのは誰かと尋ねた時だった。

 そう、つまりその「自警団」が副社長の言う「対殺し屋組織」ということだ。

 その「自警団」が神田の主人。神田はその「自警団」のイヌだ、と副社長は言いたいのだろう。


 その「自警団」が神田の始末を依頼してきたことは、伯父さんの言葉を信じるとすれば本当だろう。

 神田は私をおびき寄せるために自身の始末を依頼したのだろうか。しかし、だとすれば7番とやり合った時に邪魔に入らず、私が始末されるのを待っていれば良かっただろう。もしくは神田が7番に加勢することも出来た。だが神田はそうはせず、私達の仲裁に入った。

 つまり、神田の目的は私ではなかった。ということは残りのもう一人の人物が狙いだったのかも知れない。

 そう、副社長の秘書であり、自分の弟だ。

 自警団の目的が殺し屋の排除ならば、神田は自分の弟を始末するために私を出汁にしておびき寄せたのかも知れない。

 私が神田を狙うのならば、副社長はそれに加勢して自分を狙ってくると見越した神田は、わざと自分の始末を私に依頼するように仕向け、その情報を「働こGO」に漏らした。

 それに食いついてきた副社長は自分の秘書に神田の始末を命令し私と共に共闘することになった。


 この考察が正しければ、私も副社長も見事神田の術中にはまっていたわけだ。つまり私は何も知らず神田のいいように使われただけだった。

 その証拠に、事実、あの現場では誰一人の始末もされないまま解散となった。

 本来、神田を相手にして生き残るなんてあり得ないことだ。それなのに、そんなことが起こったあの現場はまさに異常だったと言える。

 もっと早くその警鐘に気付いていれば良かった。私は神田と伯父さんの間柄があった為、簡単に考えてしまっていた。

 

 しかし、なぜ、あの現場で神田は弟を始末しなかったのか。というよりも出来なかったのだろうと私は考える。

 それは1番とシンが来たせいだ。

 神田としては私が自分を狙っている事を「働こGO」に伝え、その情報が副社長の耳に入る事を予想したのだろう。実際に副社長はその情報を得て、自身の秘書を向かわせた。

 だが、その情報は副社長だけではなく1番やシンの耳にも入った。おそらくは1番とシンは社長の指示で神田の助けに入ったのだと思う。

 神田はそれを予想出来なかったのかと聞かれれば、答えはNOだ。きっと神田は社長の耳にも私が狙っているという情報が入る事を予想していただろう。

 そうすれば表向きには私と自分の弟を敵にしている事で『「働こGO」対、副社長とその他(私)』の構図が出来上がる。その時点で神田は、自分の弟を始末しようとしている事を「働こGO」からは怪しまれない。

 副社長が「働こGO」に反旗を翻そうとしているのはきっと社長も知っているに違いない。

 副社長が「働こGO」を狙っている事実は神田にとって都合がよいのだろう。「働こGO」に反抗する副社長に対抗する名目で、副社長の部下である自分の弟と戦え、本来の目的である殺し屋の排除、つまり副社長の秘書の始末が狙える。

 しかし、なぜ神田は初めに副社長ではなく秘書である自分の弟を狙ったのかと言う点については、副社長が「働こGO」内で勢力を伸ばし始めた時から神田の弟を秘書に置いたと言う情報から察するに、秘書である神田の弟が副社長よりも優秀であり相当な実力を持っていると予想すれば理由は簡単に説明できる。


 話を戻すと、あの時の現場では実際に1番とシンが来た。これが番号の多い殺し屋だったならば神田は迷わず自分の弟を始末したに違いない。

 だが、目の前にいるのが1番とシンならば、いくら副社長の秘書であっても「働こGO」の職員、つまり同僚を始末すれば怪しまれてしまうだろう。さらに、普通始末するならば「働こGO」を抜けた私だ。私を狙わず副社長の秘書を狙う時点で、神田の行動にあの二人は疑問を抱くだろう。そしていくら神田であっても1番とシンに自分が「働こGO」を裏切る存在だと認識されてしまった時には、自分の身が危ない事は本人も理解しているはずだ。

 そのため神田は、私も自分の弟も始末しなかったのだろうと考えると納得がいく。


 そもそも神田は私を狙っている人物がいるとずっと言っていた。それはおそらく私が「働こGO」に接触することを遠ざけるためであり、私が「働こGO」に勧誘されるのを阻止するための嘘だったのではないだろうか。

 神田は「自警団」のイヌなのかも知れない。「働こGO」を裏切っていたのは副社長だけではなく神田も同じなのかも知れない。


 隣にいる7番の視線が泳いでいるのは散弾銃の標準を覗いたままでもなんとなく雰囲気で分かった。

「『護音』。社長はそう呼んでいた」副社長の左腕から血液が垂れる音の間隔が短くなっている気がした。

「ごおん?」

「神田は社長のイヌじゃない。『護音』のイヌだ」

 その言葉を聞いた瞬間、私の隣にいる7番が鼻で笑った。

「はあ? なにそれ」

 やけに息の多い7番の声を聞いた副社長は笑いを堪えているようだった。

「そうだよなぁ。信じたくないよな。自分の信頼してたやつが裏切り者だったなんてなぁ」

 笑い声交じりに副社長は7番を煽る。おそらく7番を不審させこの状況を打開しようとしているのだろう。しかしそんな見え透いた手段に7番が乗ってくるとは思わなかった。思わなかったが、砂丘の中の一粒の砂程度の不安を感じた私は横目で見た。

「あたおか」

 そう吐き捨てた彼女の前髪は、はっきりとその真っ直ぐな眼差しを露わにするかのように綺麗に切り揃えられていた。何の曇りもない彼女の息の多い声から、私の心配は余計なお世話だったと気付く。

「私は私の為にこの仕事をしてんだっつの。部長がどうとか関係ないから。それにまずあんたがまじきもい時点で、それがあんたを始末する理由だっての」

 私は吹き出してしまった。


 そうだ。そうだった。私達殺し屋は仕事で殺しをしている。それは単純な損得勘定で動いており、そこに上司への信頼だとか、恩とか義理はない。そんな目に見えないもので動くほど私達は人間らしくない。

 上司が裏切りものだろうが、会社をぶっ壊そうとしている奴がいようが、7番には関係ない事だろう。

 始末しろと言われた人物を始末する、気に食わない人物を目の前から排除する、そういった簡単な目的で動きている彼女には副社長の言葉など届かない。

 7番の返事を聞いて、やっぱり彼女は有能な殺し屋だと私は感じた。その瞬間、私の構える散弾銃の銃身が軽くなった気がして、副社長を狙う標準を合わせることが楽に出来た気がした。


 窓ガラスから吹く隙間風は私の血液で濡れたYシャツを撫でた。その冷たさに鳥肌が立つ。きっと同じ風を受けている副社長は私以上にその冷たさを感じていることだろう。彼を心配するつもりはないが、なんとなくそろそろ彼の命が尽きそうな気配がして気を遣ってしまった。

「お前は出来の悪い殺し屋だな。考えるのを放棄するなんて」

 副社長は7番を相手にしていないように溜め息混じりに言う。しかし私からすれば7番を出来の悪い殺し屋と言う彼こそ出来の悪い殺し屋だろう。

 それに考えるのを放棄するのは沸点の低い彼も同じなのではないかと思う。

「あんたの沸点の低さの方もやばいっしょ?」

 どうやら7番も同じことを思っていたようだ。彼女がこの短時間で副社長の短気な性格が異常だと判断したということは、私以外の人間でも彼が異常だと証明してくれているように思え、安心する。

「口の減らねぇガキだな。シンの教え子か?」

 副社長は溜め息のような声で言う。

「残念だけど、うちは黒田さんの教え子だから」

「黒田? ……あぁ、あいつか」

 副社長は思い出すように左上に視線をやる。

「まぁ、何でもいいけどよ」そう言いながら副社長は近くに落ちていた7番の斧を手に取る。

「あ! それうちのだし」

 7番はまるで自分の持ち物を取られた幼稚園児のように地団駄を踏んだ。

「まじで、勝手に触んなし」

 嘆く7番の声が届いていないか、聞こえているもお構いなしなのか、副社長は手にした斧を振りかぶり投げそうとする。

 7番は両手を地面につけ腰を落としクラウチングスタートの姿勢になった。

「死ね!」

 副社長は体を大きくしならせ、手にした斧を投げつけてきた。彼の左半身から溢れ続けている血液がその投擲の勢いで周囲に飛び散る。

 斧は回転しながら私達に迫ってくる。

「はぁぁぁあ!!」

 7番は声をあげ力んだ。その瞬間、彼女の両足に触れていた床が崩れる。その踏み込みは高速回転時の爆発よりも軽いものだったが、彼女によって生み出された風圧は私の体を揺らすには充分だった。

 気付くと、7番は迫り来る斧に向かって走り出していた。

 回転する斧は窓から入り込んだ外気を纏い、その冷気を周囲に撒き散らす。そして微かに聞こえる空を切る音が斧の刃の鋭さを物語っていた。

 しかし、7番は物怖じしてはいなかった。

 きっと彼女が斧の扱いに長けているからだろうか。回転する斧に走り込んだ瞬間に見えた斧の刃先に反射した彼女の顔は、少し微笑んでいるように見えた。


 横に回転する斧は前傾姿勢で走り込む7番の頭上をめがけ飛んでいく。

 斧が頭上に位置する瞬間、7番は大きく床を踏み込んだ。

 床は轟音を響かせ崩れる。風圧で埃が舞い散り視界が眩む。

 私から見えたのは彼女の人影だけだった。7番の人影が勢いよく天井に向かって飛んだ。

 そして次の瞬間、何かがぶつかるような大きな音とともに天井は周囲に煙を撒き散らした。

 私は散弾銃の標準を覗き込むのを止め、周囲を満たす煙の中から7番の姿を探した。しかし彼女の姿は見当たらない。

 天井に飛び込んだのだろうか。上空を見渡すが、埃と煙は濃さを増しているようで7番の人影さえも見えなくなっていた。

「……あぶな」

 煙の中から、そのやけに息の多い独特な声の呟きが私の耳に入ってきたことに安堵する。

 視界は相変わらず不明瞭だが、私の耳は彼女の生存を確認できた。声の方向からするに彼女は天井付近にいると予想出来る。

 私の意識は完全に7番の方へ向いていた。それが私の失態だった。

 煙の中から私の方へ向かってくる足音が聞こえ、すぐさま私が散弾銃の標準を覗いた時にはすでに拳を振り被る副社長が目の前にいた。


「──やばっ」

 私は引き金を引く。しかし副社長の拳の方が速かった。

 私の顔面に彼の拳が炸裂した。私が構えた散弾銃の銃口は明後日の方を向き虚しく破裂音を響かせる。

 一瞬、私の意識が飛んだ。しかし私は自らが鳴らした散弾銃の破裂音によって我に返り、なんとか手から離れていきそうな意識を掴むことが出来た。

 殴られた後、すぐに私は視線を副社長へと戻す。しかし彼の攻撃は止まない。彼は左半身が血まみれになりながらも全身を使って私の腹部を蹴ってきた。

 散弾銃を横に構え、彼の蹴りを防ぐ。そしてそのままの体勢で散弾銃を再装填した。

 薬莢が床に落ちる。

 しかし、なぜか床に落ちて跳ねる音よりも副社長の体から流れ落ちる血液の音のほうが私の耳元で聞こえた。

 私は散弾銃の銃身で彼の足を床へ振り払った。そしてすぐさま彼の懐に入る。

 手に持つ散弾銃の銃身を彼の首の後ろへ回す。そのまま銃を両手で持ち、私の腕の中で捉えた彼の頭を懐へ引き寄せる。と同時に膝蹴りを食らわす。

 骨が砕けるような音が私の膝を伝って全身に伝わる。

 左膝の痛みはじんわりと私の足を支配していったが、副社長の顔面の痛々しい傷よりもマシだった。


 彼はその場で膝を折った。

 床に崩れた彼が私の足を掴もうと手を出す。

 しかしそんな遅い動きでは私の体は掴めない。彼の手を避け思い切りその手を踏みつける。

 うめき声を上げることなく彼は脱力した。抵抗することを諦めたのだろうか、彼の浅くなった呼吸の音だけが耳に入ってきた。

 そんな姿を舐めるように眺めていると彼の瞼が真っ赤に腫れ上がっているのに気付く。

 先ほどの膝蹴りで腫れたのだろう。副社長の目はすでに目人めじんとして機能していなかった。

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