39「イヌ」

 私が覗く散弾銃の標準の先で、瓦礫が大きく崩れるのが見える。そして瓦礫の中から手が伸びた。

 言葉にならないような大きなうめき声とともに瓦礫をかき分け、副社長が姿を表す。

 彼の着ている埃だらけでボロボロのスーツは、汚れでそのストライプ柄を見え隠れさせていた。

 彼の荒々しい呼吸と121回/分にまで上昇した心拍から、相当憤っているのが見て取れる。

 さらに彼の目は、またも血走っており、彼の優れた能力である冷静さを失っているのがひと目で分かる。そしてその顔は怒りにより歪んでいるように見え、まるで初めからそんな顔だったかと錯覚するほどに原型を留めていなかった。

「あれ? 副社長ってあんな顔だったっけ?」

 隣にいる7番がきょとんとした顔で呟く。

「怒ると人格変わるタイプ」

 標準を副社長に合わせたまま私は答える。

「あぁ、なる〜」

 7番はそう言うと足を開いて腰を落とし上体を捻る。それを察した私は彼女の爆発に備えた。

 息の成分を増やした7番は小さく声を漏らす。それは床を爆発させる助走の合図であった。


「はぁぁぁ、ぁあ!」

 雄叫びにしては息が多めな声を上げ、7番は跳んだ。

 私の隣で床が爆発した。7番は副社長に向かって放物線を描き飛び込む。

 あまりの風圧に副社長に向けた標準がずれそうになる。しかし私は重心を落とし、彼女の風圧に耐える。

 7番は右脚を振りかぶりながら副社長に迫る。

「てめぇぇえ!!」

 副社長は迫り来る7番に構わず、拳を振り上げた。私は銃を構えながら7番の後ろを追うように走る。

 7番が放った蹴りと副社長が突き出した拳がぶつかり合う音が聞こえる。しかし私の目線からではどちらの攻撃が入ったかは見えない。

 飛び込んだ7番の姿が重なり、陰になった副社長の姿が消えたように見えた。

 直後、7番は副社長の横を通り過ぎた。その瞬間、7番の右側から体を反らした副社長の姿が現れる。

 副社長は7番の後ろにいた私に気付いていたようだ。私に向け拳を振り被る。

 標準を覗く私の目の前に副社長の拳が現れる。私は散弾銃の引き金を引いた。


 散弾銃の破裂音に顔をしかめてしまう。

 しかし、その音に耐えた私はすぐさま銃を再装填させた。

 散弾をもろに食らった副社長は衝撃でたじろぐ。彼の左手は真っ赤に染まっており、所々血まみれの肉が顔を出す。さらに私が発射した散弾によって、彼の左半身も血まみれになっており、スーツを真っ赤に汚した。

 もう一度引き金を引こうとしたが、銃身は副社長の伸ばした右手に掴まれてしまう。

 私は至近距離で発射させようと、銃口を彼に向けようとするも彼の強靭な腕力で標準が合わない。

 私が力を入れ銃身を動かそうとすればするほどその力は彼によって受け流され、まるで水流に飲まれている感覚に陥る。

「──っ、くそ」

 しかしその力に反抗し、なんとか副社長に標準を?合わせ引き金を引いたが、その瞬間、天井に向けられた散弾銃は虚しく上空を破裂させただけだった。

 

 天に向け散弾銃を持つ私と副社長の近くでは、床に膝立ちで着地した7番の姿が見えた。

 私は副社長に奪われそうになっている銃を持ったまま、彼の右脇腹に何度も膝蹴りを食らわす。

「──離して!」

 しかし副社長はその攻撃を読んでいたようで全く微動だにしなかった。そのまま散弾銃を掴んでいた私は副社長の腕力によって左へ振り払われた。

 だが、副社長は私を振り払うので精一杯だったようだ。荒々しい呼吸はより一層強くなり、左半身に受けた散弾による傷から流れる真っ赤な液体は、閉め忘れた蛇口から流れるように彼の体から床へ流れ続けていた。

 投げ飛ばされた私は何度か転がり、床にうつ伏せの状態でいた。手にしていたはずの散弾銃は、いつの間にか床に転がっていた。

 視線の先には、立っているのが不自然と感じるほど左半身を中心に血まみれにした副社長の姿が見えた。


 私は体を起こす。

 手のひらにガラスや木の破片などが刺さるが気にはしない。

 視線の先には副社長が左腕を脱力させたまま立っていた。

 彼の指先を伝った血液は、床に散らばっている無数のガラスへ垂れる。しかし血まみれになっているのは副社長だけではなかった。

 私の腹部からの出血は、未だ私のYシャツを濡らし続けている。私はジャケットを脱ぎ、それを床に放り投げる。

 床に落ちたジャケットは埃を立てる。真っ黒だったジャケットの色は埃の白や私の出血によってその濃度の高い黒を薄くしていた。

 私は、一緒に床に放り投げられた散弾銃を手に取る。辛うじて立ち続けている副社長に近付いた。彼の心拍は未だ118回/分を刻んでいた。

「──ショットガンって初めて使った」

 呟く私に副社長は睨みを利かす。

「案外威力あるのね。近距離じゃないと使えないから好きじゃなかったけど」

 そう言いながら、私は散弾銃を再装填させ標準を副社長に合わせる。荒々しい彼の呼吸に合わせ、その大きな背中が上下している。

「──そんなに俺を始末したいか?」

 溜め息を勘違いしてしまうほどの声量で副社長は話す。

「俺を始末してどうする? 何が変わる? どうせお前らがあいつの言いなりでしか動けないんだろう?」

「……あいつ?」

 私の問いに副社長は答えない。

「どうせ生きてはいけないんだ。俺も、お前も、お前らも」

 彼の口から漏れたその言葉は、私に向けて放たれているにも関わらず、まるでこのマンションから見下ろした街全体に話しかけているように感じる。

「結局はあいつらは俺らを駒としてしか見ていないんだ。使っては捨て、使っては捨てての繰り返しだ。そんなことで死ぬ奴がいるなんてくだらないだろ?」

 その口調は先ほどまでの戦闘が嘘のように穏やかに聞こえる。そして口が動く度に彼の心拍が下降していくのが分かった。やはり、言葉は人を人間らしくする。

「だから俺が使ってやるんだよ、その駒を」

 副社長の後ろで爆発音がした。7番が床を踏み込んだ音だ。しかし構わず副社長は話し続ける。

「……誰も死なないように」

 一瞬、目の前の人物が殺し屋の仲介会社の副社長だとは思えなかった。そう感じるほどに穏やかな眼差しをしていた。そしてその深淵の奥を見ていると穏やかさの他に、何か寂しさを感じるような印象を受けた。


「はぁあああ!!」

 その瞬間、床を爆発させた7番が副社長に迫ってきた。

 しかし副社長は迫り来る7番の蹴りを容易に躱す。蹴りを躱すその一瞬の隙をついた副社長は、自身の真横を通り過ぎる7番の足を瞬時に掴む。

 そして、彼女を勢いよく地面に叩きつけた。

 7番の跳び蹴りの副社長に迫り来る勢いが一瞬にして、副社長によって地面に叩きつけられる勢いに変化した。私の思考は、その瞬間的な変化についていけず、ただ呆然と見ているしかなかった。


 地面に叩きつけられた7番は声とは呼べない音を発した。

 副社長は倒れた7番を転がすように蹴る。7番の体は彼の足によってラグビーボールのように不規則な回転を描き転がった。

 転がってきた彼女の身につけた制服にはいくつものガラスや木の破片がついていた。さらに彼女の口元から血液が流れているのが目に入る。

 幼く見えるその顔に垂れた赤黒い色は、完成された絵画に誤って絵の具を落としてしまったような罪悪感を覚えるものだった。

 私は副社長に標準を合わせながら、転がされ床に仰向けで寝ている7番に近付き、庇うように彼女の前で銃を構える。

「女の子を蹴るなんて最低」

 私の溜め息のような呟きはどうやら副社長には届いていないようだ。

 ちらりと視線を下にやると、7番は口元の血液を拭いながら起き上がろうとしていた。

「それな」

 私の溜め息の呟きに7番が返す。

 私は7番が起き上がるのに手を貸した。「あざまる」と言いながら7番は起き上がる。

「……どちゃくそ痛てぇんだが」

 7番はスカートやブレザーについたガラスなどの破片を面倒くさそうに手で払う。そんな仕草でさえも見ていて飽きないと思わせるのは、彼女が女子高校生だからと言う理由だけではないような気がした。

 7番の飾らない性格がその独特な口調を媒体として全身から溢れ出ている。そんな美しさを目の当たりにしているから、きっと私は彼女から目が離せないのかも知れない。

 

 私が7番の姿に気を取られていると、副社長は口を開いた。

 彼の体から滴る血液は一定のリズムを奏でていた。

「……お前ら、なんで神田がイヌって呼ばれているか知ってるか?」

 それを問う彼はなぜか嬉々とした表情を浮かべていた。

「はあ? 何言ってんの?」

 7番は取り出したスマホの画面を鏡にしながら前髪を直す。

「神田はな、従順なんだよ。主人には絶対逆らわない」

「で?」

 7番は遠回しな副社長の言葉に少し苛立っているようだった。

「……あいつはなんとしてでも主人の言いなりだ。そんでお前らはその神田の言いなりだってことだ」

 副社長は何が言いたいのか。そう思いながら私は神田のわざとらしい微笑みを思い出していた。

「言うなればお前らの主人は神田ってことだろ?」

 違う。私はフリーの殺し屋だ。しかしそんな私と違って、7番は神田の直属の部下にあたる。そういった意味では7番の主人は神田だろう。

 ならば神田の主人は誰と言うべきなのか。その考えが頭の思い浮かんだ瞬間、副社長と目が合った。

 おそらく私の考えをその特別な『目』で読んでいるのだろうか。彼はほくそ笑んでいた。

「3番は気付いたみたいだな」

 副社長は7番に向けて言うように話す。

「あ? わけわめ」

 7番の声は先ほどよりも息が多いように感じた。彼女も気づいたのだろう。普段から何を考えているのか分からない神田を、「自分の上司だから」といった何の根拠もない理由だけで信用していいものなのかと。

「分かってるんだろ? あいつが誰のイヌなのか。あいつは誰に噛みつこうとしているのか」

 副社長は、私達が思考する暇を与えず問いを投げかけ続ける。

 私が構えた散弾銃の標準が彼の体から少しずれたのは気のせいだろうか。私が構える銃がずれたのか、それとも副社長が動いたのか、どちらかしかないのだがそんなことは今はどうでも良かった。

 気づけば、隣の7番の呼吸は回数を増やしている。私達が動揺しているのは目人めじんである副社長でなくても見て取れるだろう。

「神田の主人は誰だ? 考えてみろよ。あいつに従っていいことがあったか?」

 神田は誰のイヌか。

 しかし、私には彼を信じる理由が残されていた。というよりも彼を信じたい思いが強かった。


 神田に従ったことなど一度もないつもりだった。しかし、思い返せば私は彼の手のひらで転がされていたのかも知れない。

 

 まずはあの日だ。7番と初めて会ったあの夜。

 佐渡の始末を行っていた私の邪魔を7番がしたあの夜。

 私はビルの外壁によじ登っていた時のあの生暖かい風を思い出す。

 あの時、神田はシンと共に私と7番の仲裁に入ってきた。7番は「働こGO」を通じて佐渡に依頼され、私を始末しようとしていた。それを神田とシンが止めに入った。

 しかし、よく考えると結局なぜ7番の私の始末を中止させたのかという理由は私は知らないままだった。

 神田の独断で私の始末を中止させたのだとあの時は思っていたが、なぜ神田は私の始末を中止させたのだろう。会社が受けた依頼を彼の独断で中止していい理由が思いつかない。というかそもそも神田の権限だけでそんなことは出来るものなのだろうか。


 もしあの時、そのまま私と7番がやりあっていたらどうなっていただろうか。

 どちらかが始末されるのは確かだ。

 それを阻止する理由はなんだろうか。

 神田が7番を生かす理由は理解できる。会社としては一桁の殺し屋が一人でもいなくなることは痛手だ。しかも7番は若い。これから殺し屋としての伸びしろがある。そんな彼女が易々と始末されるのを、「働こGO」は指をくわえて見てはいないだろう。

 しかし、それは神田が「働こGO」のイヌだった場合。


 では、神田が「働こGO」のイヌではなかった場合はどうだろうか。

 神田の目的が、私が始末されるのを阻止したい場合。

 その場合、神田は「働こGO」のイヌではないと理由付けることはたやすい。

 なぜなら私は「働こGO」を抜けたからだ。

 しかも私は「G.O.」では一桁の殺し屋であり、神田に一番近い番号を持った殺し屋であった。そんな私を「働こGO」は易々と放置して置けないだろう。

 神田は「もうお前を追うのは止めた。そんな暇はない」と言っていたが、それは本当だろうか。

 あの夜、私が7番に始末された方が「働こGO」としては喜ばしいことのはずだ。

 それを神田は阻止した。この時点で神田が「働こGO」のイヌではない説明がつくだろう。

 伯父さんとの関係が深い神田は、私を生かしておいて自分に不都合な殺し屋や「働こGO」の職員がいれば自らの手を汚すことなく、私に始末を依頼して始末することが出来る。神田が私を始末する理由よりも、私を生かしておく利点のほうが多いのは確かだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る