38「散弾銃 その2」
お前に食われた方が幸せなのかもしれない。
そう思ってしまった私はすでにその一つ目の深淵に飲み込まれていた。両腕、両足はその深淵に囚われているためか、動かそうと思っても力が入らない。と言うよりも力を入れようとしても反応しないのだ。いや、もしかすると私自身が無意識に体に力を入れようと思っていないのかもしれない。
私の体の支配権は、すでに真っ黒な一つ目の生き物に奪われていた。
銃弾を受けた右腹部を中心に熱が帯びる。それとは裏腹に私を見つめる真っ黒な生き物は銃身を冷たく漆黒に光らせ私の顔を反射させた。
銃身に映った私の顔はその湾曲に沿って歪んでいる。それを目に入れた私は、こんなにも自分が不細工だったのかと嫌気が指した。
自分の顔を批評できるほどの余裕が生まれているのは、きっと私自身がこの真っ黒な生き物に食われることを覚悟したからだろう。
心拍も96回/分と、この状況にしては落ち着いていた。
さあ、覚悟は出来ている。いつでも私を飲み込め。
私は目の前の一つ目の真っ黒な生き物に話しかける。そいつは未だに白い吐息を吐き出し、副社長のハウリングを憑代にして鳴き声を上げ、私に吠えていた。
唾を飲みこむ。その音が空っぽになった私の頭に響く。
頭に浮かんでいるのは、純粋に何かを傷つけるためだけに生まれた、こいつに対して抱く罪悪感だけだった。
こいつに食われるなら悪くはない。いや、むしろ適当な殺し屋に始末されるよりかはずっと幸せなはずだ。
さあ、食え。一つ目から覗く深淵で私を殺してしまえ。
その深淵を私はじっと見つめる。こいつに比べたら粗末ともいえる私の瞳の中の深淵をその一つ目が覗いた。
副社長が散弾銃を握り込む音が聞こえる。そして微かに引き金に力が加わる音が聞こえた。
「何やってんの?」
私の耳にやけに息の多い声が触れる。目の前の副社長がその声に反応していない様子を見ると、おそらく彼には聞こえていないほどの音量で放たれたのだと分かる。
「3番ってそんなに弱ぴよなん?」
また私の耳に息の多い声が触れた。先ほどと同じ音量で聞こえる。
私は声が聞こえる方へ視線をやった。
その声はやはり7番が空けたその大きな穴から聞こえていた。その穴から埃と煙が立っていたが、目を凝らすとその奥に人影が見えた。
黒い人影はゆっくり膝を曲げ腰を低くし始めた。彼女はまた床を爆発させて副社長に跳び込む気だ。
しかし、その攻撃の弱点はすでに副社長にバレている。床を踏み込む爆発音に気付いた副社長は飛び込んでくる7番にむけ散弾銃を放つだろう。
今攻撃したところで意味はない。逆に7番の命が絶たれる可能性だってある。止めさせなくては。
懇願するように7番を見つめる私の視線に副社長は気付いたようで、散弾銃を私に構えたまま後ろを振り返る。
しかしその瞬間、何かが放たれた音がした。その音は振り返る副社長には届いていない。そして何かが回転しながら私達に近付いてくる。
その回転音は7番が床を爆発させ高速回転する攻撃の回転音よりもはるかに小さく、物が投げられるような音であることが分かる。
近付くにつれ、それは徐々に音量を上げる。
その音が副社長の耳に届く。その時だった。
「──なっ」
副社長が気付いた時にはすでに遅く、飛んできた一本の斧が立ち込める白煙を切り裂いた。
副社長は迫ってくる斧を避ける。だが、上体を逸らしただけでは避けきれず、身を伏せながら転がり間一髪で避ける。
私の体の上から退いた副社長は、7番がいる大きな穴からの方へ散弾銃を構える。
避けられた斧は虚空を切り裂きながら勢いよく壁に突き刺さる。
副社長の意識は完全に7番に向けられていた。私から注意を逸らした好機を私が逃すわけはない。
白煙の中にいる7番に向かって銃を構える副社長に対し、起き上がった私は彼の左脇腹に向け蹴りを入れようと脚を振りかぶる。
7番に気を取られていた副社長は私の攻撃に対して反応が遅れた。
「てめぇ!!」
私の蹴りは彼の持つ散弾銃で防がれる。
私は左足の軸を立て直し、今度は彼の頭部にめがけ蹴りを入れる。
「もう、一発!」
二発目の蹴りは見事に彼の頭部に入った。副社長の口から血液が飛び出し、宙に飛び散る。
「ぽーっぷ」白煙の中から小さな爆発音が聞こえる。
私は攻撃の手を緩めない。副社長の右脇腹を殴る。
私はさらにもう一度殴ろうとしたが、再び散弾銃の銃身によって防がれた。そのまま銃身を使い私の腕は上に振り払われる。
「──調子になるなよ!!」
副社長はがら空きになった私の腹部を前蹴りする。
「すてーっぷ」小さな爆発音が近付いてきた。
彼の前蹴りによって銃弾を食らった右腹部の傷口が悲鳴を上げた。
「くっ……」
うめき声が漏れる。ふと気付いた時には前傾になった私の頭部に銃口が突きつけられていた。
「……さよならだ」
強まったハウリングは私の耳を貫いた。
私は体を捻り、回転させる。そのまま振りかぶった左脚を回転の勢いを乗せ、振り下ろす。
副社長が構える散弾銃へ私の踵落としを食らわす。引き金を引いたと同時に床に叩きつけられた散弾銃は、床に向かって誤射された。
私の足元の破裂音が、私の鼓膜を揺らした。その音に顔をしかめると目の前から副社長の拳が飛んできた。私はそれを両手で防ぎ、彼の腕を脇で掴んだ。そして副社長に向かって微笑む。
「──それはこっちの台詞」
副社長は私の顔を見て困惑した表情を浮かべる。
「じゃーんぴんー!」私の前方から爆発音が聞こえた。
視線を上げると2mほどの高さに7番がいた。足を前にだし飛び蹴りの恰好で宙に浮いている姿が見える。
彼女が引き起こした風圧が私の髪をなびかせ、毛先が顔に触れる。
自分に向かって飛んでくる7番の気配に気付いた副社長は、腕を掴む私を振り払おうと、必死でもがく。
「くっ、…放せ!!」
彼の膝蹴りを何度か食らっていた私だったが、彼の腕を掴んだ力を決して弱めるまいと誓っていた。
7番は白煙を纏いながら組み合う私達に飛び込んでくる。その瞬間、私は副社長の腕を離した。
もがいていた副社長は急に腕を離されたためバランスを崩す。そこへ落下の勢いをつけた7番の飛び蹴りが炸裂した。
7番と副社長は煙を纏いながら吹き飛ぶ。
壁に衝突した二人は轟音を響かせる。重機で壊されるように崩れていく壁は新たな埃や煙を立たせた。宙に舞った壁の木くずや破片が床に落ちて行く。
副社長の腕を離した瞬間、私は彼が振り払う力に身を任せたため、後ろに倒れるように尻餅をついた。そのおかげで7番の飛び蹴りの標準から回避することが出来た。
7番の飛び蹴りが、見事副社長に命中したことで尻餅をついた無防備な姿の私の頬はわずかに緩んでいた。
しかし、ここで気を緩んではいけないと我に返り、すぐさま起き上がる。
汚れた手を払いながら、床に落ちる木くずや破片の音を聞き、耳に集中した。
微かなうめき声が一つと、もう一つ、「ぐ」というやけに息の多い独特な声が聞こえた。7番の声だ。
「ぐ?」
私は思わず復唱してしまった。しかし、私の声は、はるか5mほど先の煙の中にいるであろう7番には届いていない。
止む気配のない煙を吸い込んでしまった私は何度かむせる。視線の先には床に落ちた散弾銃があった。
その姿は、もうすでに、鳴き声を上げ吐息を荒々しく吐いていた一つ目の真っ黒な生き物ではなく、ただの鉄の塊だった。
思い返すと、さっきまでのこいつに対する罪悪感は一体なんだったのだろうと馬鹿らしくなってくる。この散弾銃が生き物なはずはない。それに殺し屋の私はこの銃よりも劣っているわけがない。
あの時の私は一体何を考えていたのだろうか。迫りくる死を感じた私はあんなにもあっさりと死を受け入れてしまうのか。
そう思うと自分がちっぽけに思えた。
煙が止み視界がクリアになってくる。
人影は徐々に輪郭を強め、スライディングのように片足を伸ばし、もう片方の足で膝立ちをした制服姿の女子高校生の姿を映した。
その表情がわずかに誇らしげだったのは気のせいだろうか。こちらを振り返った7番は私に指で作ったハートを送った。
私は同様に指でハートを作り7番に返す。
「こんな技も出来ます、マリウス」
7番は息の多い独特な声で自慢げに言う。
「……ありがとう。助かった」私は床に落ちた散弾銃を拾いながら7番に近付く。
「いいってばさぁ! ってシン部長の真似。似てない?」
そう言いながら7番は目を見開いて口を大きく開きながら両手をしきりに動かし色々なポーズを取った。
きっと彼女はシンの大きくて丸い目と三日月のように広がった口を真似し、さらに彼女特有の落ち着きのない動きも真似をしたのだろう。
「……似てる」と私が鼻で笑うと7番は思い出したように「あ、てゆーかさぁ、諦めてたっしょ?」と言いながらスマホを鏡にし、前髪を直していく。
「そんなことない」
ぶっきらぼうに言った私だったが、彼女はそれを見透かしたようで、「ツンデレ乙」とだけ呟いた。
すると、次の瞬間、目の前の瓦礫の中で微かに何かが動く音が聞こえた。
まだ副社長は生きている。アンコールもしていないのに、張り詰めた緊張感がまたステージに上がってきた。
対象者がまだ生きている事実が私の「3番」のスイッチをガコッと切り替えた。純粋な「3番」となった私はゆっくりと深呼吸をした。
鼻腔に突き刺すような冷気を感じる。指の先まで感覚が鋭くなるのが分かった。そして、張り詰めた空気の隅々までを聴覚で捉えようとする私の鼓膜が研ぎ澄まさせるのが分かった。
湧き上がる対象者への殺意だけが、「3番」である私をこの世に留まらせていると実感できた。
「──まだ生きてる」
「3番」である自分がまだ生きているんだと、私は自分自身に言い聞かせるように呟く。
「あのおっさん、まじしつこいかよ」
呟いた私の言葉を、「副社長が生きている」という意味だと勘違いした7番が言う。
私は手にしていた散弾銃を再装填させる。
「終わりにしよう」
手にした散弾銃はこの業界では滅多に見ないタイプであったはずなのに何故か私の手に馴染む。
きっと「生きたい」という曖昧な目標を掲げる私にとって、この小さな一つ目の黒い生き物が掲げる「傷付けたい」という目標は一見正反対なようで、見事にマッチしているのだろう。
「私が『生きるため』に目の前の副社長を『傷付けなくては』」と。
小気味いい音が、微かに煙が漂い続ける部屋に響いた。
散弾銃を再装填させる私の姿を見た7番は自分が手持ち無沙汰になっていることに気付いているようだった。
「あ! 忘れた! がんなえ」
そう言いながら7番は小走りで先ほど空けた大きな穴へ向かい斧を取りに行った。
何とも緊張感のない彼女の一連の動作を呆気にとられながらも見ていた私は、ゆっくり息を吐き、銃を構え直すことで緊張感を保つ。
「あと一個、そこにあるけど?」
銃を瓦礫に向けながら私は聞く。
「突き刺さってるし、抜くのめんどいから後で」
7番は気怠そうに言う。しかし、その余裕そうな表情とは裏腹に彼女の穴の空いたブレザーからは出血の跡が生々しく残っている。
私の傷の方が酷かったが、自分より小さな女子が傷ついているのを見ると痛々しく思ってしまうのは私が年老いた証拠なのだろうか。もしくは礼奈と年齢が近いからという親近感なのかも知れない。
どちらにせよ、怪我とは縁もゆかりも無いはずの女子高校生にボロボロのブレザーは似合わないし、ガラスや木の破片が散乱したこの部屋では場違いのように感じる。
早く副社長を始末しなくては。
傷ついた7番の身体を見ていると、そういった思いがこみ上げてくる。
不思議な感覚だった。家族以外の人間にここまで情が湧くとは思ってもいなかった。
7番のどういった部分が、私が放っておけないように感じさせるのだろうか。
考えてみたが見当もつかない。彼女の幼い顔つきでそう思うのだろうか、それとも無邪気に懐いてこない猫のような部分から、つい構いたくなってしまうのだろうか。
彼女の息の多い独特な声はすでに、心地のいい声として私の心の中の引き出しにファイリングされていた。
「そういえばさっきの『ぐ』ってなに?」
私は散弾銃の銃口を瓦礫に向け、標準を覗きながら言う。
「ぐ?」
「ほら、さっき飛び蹴りした後の」
7番は顎に触れながら何か思い出すように考えた後、合点が言ったようだ「あぁ」と漏らした。
「『ぐ』ね。あれは『じゃんぴんぐ』の『ぐ』」
なるほど。「じゃんーぴん!」の後の「ぐ」だったか。
私も納得がいき、「あぁ」とわざと息の成分を多くするように発声をし、彼女の声色を真似した。
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