37「散弾銃」

 7番が隣にいることで私の心拍は85回/分と落ち着いてきていた。自分が7番に対してそこまで親密な感情を感じていたのかと初めて気付く。しかしそれは、私の首が副社長の手から解放され、窒息死の恐怖から免れたことも踏まえてそう感じているのかも知れない。

 どちらにせよ、私の呼吸が楽になり、鬱陶しいノイズが消えたことは間違いなく彼女のおかげだ。

 さらに言えば、同じ目的の高速回転するチェーンソーと言い換えても相違ない女子高校生が私の隣にいる。副社長を始末するのに、これ以上心強いことはなかった。

 未だ私の腹部や背中は、受けた銃弾の痛みを訴えている。しかし副社長を始末できるという高揚感が私の体に麻酔をかけた。

 呼吸は落ち着いた。鬱陶しかったノイズはもうない。あとは隣にいる高速回転するチェーンソーと一緒に副社長を始末するだけだ。

 そう考えると体が軽くなってくる。ふと視界が開けたような気がして私は辺りを見回す。


 もはやソファやスピーカーのあったフロアと洗面所を隔てる壁は無いに等しく、割れたガラスの破片や扉や壁が粉々になった後の木のような破片が散らばっており、高級マンションの洗面所とは言えないほど様変わりしていた。そして未だ鼻腔は埃臭さの中に混じる木の香りを感じ取っている。

 7番が高速回転しながら撒き散らしたガラスや木の破片は床に散らばり、黒と白で分けられたこの部屋の、どこまでが黒い床で、どこまでが白い床だったかの判別を困難にしていた。

 その光景はまるで私に対して「黒とか白とかで勝手に自分の人生を決めつけてるんじゃねーよ」と嘲笑っているように思えた。そしてその私を嘲笑う声は、やけに息の多い独特な声で再生される。

 言われてみれば確かに、見るも無残に破壊されたこの部屋を見ていると、白とか黒とかなんていう綺麗事を持ち出して悲観している自分がくだらなく思える。

 部屋中に散らばったガラスの破片の一つ一つはワントーン暗めの光を放つダウンライトを映しており、その隙間から微かに黒色と白色の床が覗く。

 今耳に入ってくる、浴室から聞こえる水滴の音はおそらく壊れた何かから水が漏れている音だろう。

 7番がもたらした水滴の音はこれで二度目だが、初めの水滴の音よりも心地よく感じるのは気のせいだろうか。


 周囲を眺めていた私は銃弾を乱射してきた副社長の方へ視線を戻す。

 彼は2丁の銃を構えていたが、再度引き金を引こうとはしなかった。おそらく弾切れだろう。乱射した弾丸は7番の高速回転によってすべて弾き返された。

 副社長は構えていた銃を下す。そして一呼吸おいて私達のはるか後ろを眺めるような表情をした。

「7番か。いまどきの若い奴は忠誠心ってものがねぇのか?」と副社長は溜め息のような声で言う。

「……うっせぇ、うっせぇ、うっせわ」

 何かのメロディーに乗せるように7番は吐き捨てた。そして再び床を踏みこみ爆発させる。

 私がその風圧に顔を背けていた時には、すでに副社長は浴室があった場所からソファのあったフロアへと移動していた。

 しかし7番の踏み込んだ勢いは止むことはない。というよりも7番は自身の勢いを制御できないようだった。そのまま浴室であった場所に高速回転しながら7番は突っ込む。

 壁に激突し大きな穴を開けた。巨大なドリルで壁をくり抜いたような穴は、無数の破片を床に降り注がせる。

 回転を止めた7番は大きな穴から床に着地する。穴の中心部分には2つの斧が突き刺さっていた。

「まじうざぴよぴよ丸かよ」

 7番は壁に足を着け、全身を使って突き刺さった斧を引き抜く。

 隣のフロアに移動した副社長はその光景を目に入れながら、粉々になり姿形も無いガラスのオフィスデスクの残骸を足で蹴った。

 ガラスの山から半壊状態のサイドチェストを見つけた彼は引き出しを開け、散弾銃を取り出した。

 おそらく「ウィンチェスターM1893」と呼ばれる散弾銃だろう。この業界ではあまり使用されない散弾銃だったため一目で分かった。

 上半分がえぐり取られたようなサイドチェストから取り出したせいで、散弾銃には木くずやガラスの破片が被っており、副社長はそれを振り払いながら散弾銃の銃身についた先台、またはフォアエンドと呼ばれる部位を引き、弾を再装填させた。

 その姿を目に入れた私はアイスピックを握り直し、洗面所の扉があった方から、彼のいるフロアへ向かった。一方、7番は引き抜いた斧を床に引きづり副社長の方へ向き、再び床を爆発させようと構える。

「あーだりぃ」

 副社長は床を踏み込もうとする7番に構わず手に持つ散弾銃を構えた。

「おいおい、業務中は私語厳禁って習わなかったか?」

 先ほどよりも鮮明な副社長のハウリングが私の耳に入ってきた。

 低音域と高音域がやけに主張された彼のハウリングを耳に入れながら、私は彼に向かって倒立回転をし、宙を舞った。


 空中で回転する私の目に、深海魚の疑似餌のような夜の街の光がちらついた。

 宙で回転する私はアイスピックを持つ手に力を入れる。着地するのと同時に副社長にアイスピックを突き立てるイメージは出来ていた。

「知らんわ、んなこと。──じゃ、行くしか」

 気怠そうにそう呟いた7番は、「はぁああ!」と再び雄叫びを上げ、勢いよく床を踏み込んだ。

 そしてその直後、爆音を鳴らし、高速回転しながら副社長に迫ってくる。

「──お前ら、俺に逆らって生きて帰れると思うなよ!!」

 前方と左方から攻撃を受ける副社長は、構えた散弾銃を7番に向け発砲させた。

 破裂音に近い発砲音が響く。同時に散弾銃の弾が高速回転する7番の斧によって弾かれる音も聞こえた。だが、弾かれなかった散弾のいくつかは7番の体を撃ち抜く。

「邪魔だし!!」しかし、7番の勢いは止まらない。

 7番はそのまま高速回転しながら副社長に突っ込む。そして、副社長の左方から飛び込む私はアイスピックを突き立て着地する。しかし、私のアイスピックは空を突き刺した。


 いつの間にか副社長は消えていた。それを認識した私の耳にハウリングが聞こえる。

「──くそ」

 ハウリングは後ろから聞こえた。その直後、私は後頭部に鈍い衝撃を受ける。

 振り返る隙もなく目の前が一瞬真っ白になる。しかし、高速回転する7番が左から迫っていることに音で気付いた私はかろうじて意識を保った。

 私はそのまま上体を後ろに反らせ、後方へ倒立回転をし7番の高速回転を避ける。

 彼女が起こした風圧を間近で感じる。

「……やっば」と私の口から感嘆の声が漏れる。

 彼女の攻撃を避けたと思ったが、わずかに触れた彼女の斧が私の太ももに微かな切り傷を何箇所か作った。

 床に着地した私が顔を上げると先ほど私がいた場所の近くに副社長の姿が見えた。おそらく迫ってくる7番を避け私の後方に移動した彼は、散弾銃の柄か何かで私の後頭部を殴ったのだろう。そして私が後方へ倒立回転するのを予測して先ほど私がいた場所の左側に陣取ったと思われる。

 副社長はあの瞬間的な状況で私の動きを予測した。

 目人めじんの力を私は少々侮っていたようだ。

 自分のタイミングに対し、思わぬテンポで動く彼と対峙していると、やはり公園で殺したあの女の傭兵のことを思い出す。彼女も同じように私が気持ち悪く感じるテンポで動いていた。同じような戦い方をする副社長を始末するには、女の傭兵を殺した時と同じように、動きを読まれた上で始末する必要がある。しかしそれは同時に、自分の命にも危険が生じるため、あの時と同じように相討ちになることも覚悟しなくてはいけなかった。

 

 私が副社長の姿を視界に入れた瞬間、私の右側から轟音が聞こえる。

 衝撃は部屋全体に響いた。

 しばらくすると巨大な穴を空けた7番は、瓦礫の中から出てくる。斧を引きずる彼女の姿はもう見慣れたものだった。

「はぁ? なんで避けれるんだし? まじうざかよ」

 7番は息の成分を増量し呟く。

 散弾銃を再装填しながら副社長は口を開いた。

「勢いだけだな。これだからガキを入れるなって言ったんだよ」

 溜め息のような副社長の呟きは散弾銃の銃口から立つ煙に混ざっていた。そして彼は銃を7番に向けた。7番が唾を飲みこむ音が聞こえる。

 舌打ちをした7番は、再び床を踏み込み爆発させる。彼女の肩や胸部の服が破れ出血していると私が気付いたのはその時だった。

「……次は避けんなし」

 7番が上体を捻った。床に引きずっていた斧は彼女の胸の位置で交差するように構えられていた。そしてその強靭な両足のバネを一気に解放し、自身の体を宙に浮かせ、体を独楽のように回転させたまま副社長に向かって飛び込んだ。


「いい度胸だなぁ」

 副社長は散弾銃を構える。向けられた銃口はいつでも7番の体を撃ち抜く準備が出来ているようだった。

 ──まずい。このままでは先ほど同じく7番が銃弾を食らうだけだ。完全に副社長は7番の高速回転の弱点を理解しているようだった。

 回転する7番は体を軸にしている。そして回転しながら頭から突っ込む。体ごと斧を振り回す攻撃は左右に対しては有効だ。しかし空中を跳んでいる際に限っては、頭から突っ込んでいるため、軸が生まれる真正面か真後ろに対しては斧を振り回すことは難しく、攻撃面においても防御面においても心許ない。つまり真正面で散弾銃を構えられてしまった7番は斧で銃弾を弾けず、まさに格好の的だった。

 彼女の、広範囲で凄まじい威力の攻撃は、大胆かつ突拍子もないからこそ、初対面の対象者には有効的だ。そして大半の対象者は初対面で始末されてしまうだろう。しかし、一度その攻撃の仕組みを理解されてしまえば弱点を突かれ戦況において優位に立たれてしまう。

 現状、このまま7番の攻撃に頼ることは危険だ。そして彼女が頭部にでも弾丸を食らってしまえば再起不能になることは確実だった。


 私は銃を構える副社長へ走り込む。

 副社長は私に気付き銃を向けた。

 向けられた銃口を私は蹴り上げる。銃口が天を向き、発砲される。天井のダウンライトが破裂し、辺りがわずかに暗くなった。宙を舞う電球の破片が夜景の光を反射させキラキラと光る。

「邪魔するな、餓鬼がきが!!」と副社長の怒号が飛ぶ。

「……うるさ」

 彼にもう一撃を食らわせる隙はあったが、このまま居れば私も7番の高速回転に巻き込まれてしまう。すぐさまその場を立ち去るしかなかった。

 そして、どうやら副社長も考えていることは同じようで、彼も7番の存在に気付いた瞬間、窓ガラスへ向かうように転がり、7番の高速回転を避けた。

 私も同様に窓ガラスの方へ転がった。


 私達の横を小さな台風が横殴りで通り過ぎる。

 飛び散る破片は亀裂の入った水道管から水が飛び出してくるように私達を攻撃する。

 喚き散らすような凄まじい音を出し、7番が私達の横を通り過ぎた数秒後、左前方付近から更に巨大な轟音が聞こえる。顔を伏せていた私はその音で、7番が壁に衝突したと分かる。

 顔を上げた私の目の前には台風一過ではあるものの、良い意味でとは言い難い光景が広がっていた。

 それを横目に、私は立ち上がろうとする副社長に走り、彼の頭部に向け蹴りを入れる。

 しかし私の蹴りは散弾銃の銃身で防がれた。その隙に副社長は散弾銃を再装填した。

「ちょこまかと小賢しいんだよ!!」

 彼の怒鳴り声に私は顔をしかめる。

 床に散らばったガラスに散弾銃の薬莢が落ちる。軽い音を立てた薬莢は無数のガラスの破片の間に落ち、一瞬のうちに行方が分からなくなってしまった。

 副社長は銃の柄を振り被り私の顔面を狙う。私は両腕でそれを防いだ。

 しかし、がら空きになった私の腹部を副社長の前蹴りが襲う。

「──どけ!」

 瞬間的に嘔気を催す。湧き上がってきた胃液とともに「──うっ」と声が口から漏れてしまう。

 副社長の蹴りによって私は体勢を崩した。その隙を彼は逃さない。

 私の胸部に散弾銃の銃口を押し付け、そのまま私を体ごと床に倒した。

 ハウリングがより一層強まる。私は耳を塞ぎたくなるのをこらえ胸に押し付けられた銃を振り払おうとする。

 しかし同時に副社長は引き金を引いた。

 部屋に響いた破裂音は散弾銃の銃口から立つ煙とともにこの部屋を漂っているような気がした。

 

 じんわりとした痛みは熱を帯びたように感じる。

 振り払った散弾銃は私の胸部から銃口をずらしたが、私の体の外ではなく私の右腹部で発砲された。 

「──痛っ…」と私の口から思わず声が漏れる。

 しかし、痛みに耐えながら私は手に持つアイスピックで、覆いかぶさるように私の上にいる副社長の背中を突き刺す。

「うっ…」

 彼のうめき声が聞こえる。

 私は執拗に彼の背中を何度も突き刺した。それは右腹部の痛みに対して鬱憤を晴らすかのような動作に見えただろう。

 副社長はうめき声を上げながら、アイスピックを突き刺す私の腕を銃で防ぎ押しのける。そして銃を再装填した。


 私の顔を散弾銃の一つ目が覗く。副社長のハウリングは再度強まっていた。副社長のハウリングの音は、一つ目の真っ黒な生き物の鳴き声のようだと思える。そして銃口から立つ煙は真っ黒な生き物の吐息のようだとも思えた。


 私は目の前のその生き物の生命力の強さを感じてしまった。真っすぐ見つめるその大きな一つの深淵に私は触れたような気がした。

 何よりも純粋に生き物を傷つけるためだけの道具。それはまさに私や目の前にいる副社長と同じで、その道具の威力は壁に激突した7番の高速回転よりも無駄がなく洗練されている。

 私や副社長とは違い、何かを傷つけるためだけに使われるその真っ黒な生き物には、余計なものは含まれていない。

 私たちよりも、生き物を傷つけるための道具としての純度が高いその生き物を目の前にしていると、無我夢中で生きようとしている自分が馬鹿馬鹿らしくなってしまう。

 目の前の真っ黒な生き物は鳴き声を上げ、真っ白な吐息を吐くほど興奮している。それは、私を傷つけるのが待ち遠しくてたまらないといった様子に思える。

 一方、それに比べ私は自分が生きることだけを考えている。それは純粋に私を傷つけたいとだけ訴えているこの目の前の生き物と比べると、愚かで浅はかな考えだったと感じてしまった。

 何としても生きたい私よりも、何としても傷つけたいこいつの方が何倍も生命力に満ち溢れていた。その矛盾は間違っているようで間違っていない。

 生きたいという曖昧な目標を掲げている私と、傷つけたいという明確な目的を文字通り体現しているこの真っ黒な生き物。どちらの方が生きる力に満ち溢れているのかは火を見るよりも明らかなはずだ。

 これはそもそも生きていることを哲学的に見た場合の話だが、今まで何度もフィクションを創造してきた人類にとっては理解できない話ではないだろう。

 なんにせよ、私は今、この一つ目の真っ黒な生き物の生命力に魅了されているとともに、今の自分が情けなくなっている。

 このままこいつに食われるのも悪くないのかもしれない。それは副社長に対する諦めではなく、一つ目の真っ黒な生き物への罪悪感から、私はそう思ってしまっていた。

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