29「白米」
車から出た私は伯父さん達に連れられ佐藤家に向かう。
砂利の駐車場を通り、暖色の明かりが灯る家の前に立った。
伯父さんがインターホンを押す。
「はーい」という声と共に足音が聞こえた。近付いてくる人物からノイズやハウリングの類が聞こえなかったのを当時の私は不思議に思った。ノイズやハウリングのしない人間がこの世にいるのかと初めて知ったのもその日だった。
「おかえりなさい」
出迎えてくれたのは40代の女性だった。
その声は、家の明かりと同じような柔らかな光をゆっくり灯し続けているような声だった。
その女性が視線を伯父さんから私に移す。その時の私は、なぜかこの人とは目を合わせてはいけないような気がして視線を逸らした。
「こんばんは」
その挨拶は私に向けられたものだったが、それを知っていながら私は自分に向けられた言葉では無いと勘違いしている風に演じた。
「こんばんは。あなた、いくつ?」
しゃがんだ女性が伯父さんの後ろに隠れる私に執拗に目を合わせようとしてくる。流石に私に話しかけていると認めざるを得なくなった私はゆっくりと目線を上げた。
そこにはこの至近距離でさえもノイズもハウリングも発していない柔らかな皺の多い微笑んだ顔があった。
その女性の微笑んだ隙間から覗く瞳の美しさに唾を飲み込んだのを覚えている。外の世界の人はこんなにも綺麗な目をしているのかと思った。しかし外の世界の人全員が彼女のように綺麗な目をしてるわけではないと、いずれ私は知ることになる。
彼女の問いに私は手のひらを広げ答える。
「5歳なのね。うちの息子は8歳なの。寒いでしょ、とりあえず入って」
そう言うと女性は自分の家に招いてくれた。
私は伯父さんに連れられてその家に入る。当時の私は、こんなに大きいところにあの女の人が一人で住んでるのかと勘違いしていた。天井の高さに驚き、廊下の広さや階段の段差の高さや扉の大きさにも驚き、家の中にあるもの全てをまじまじと見てしまっていた。
家に帰り、当時と同じ道順で家に入る度に当時のことを思い出す。今では天井は低いなと思うし廊下もすれ違えないほど狭い。階段の段差も扉も見上げるほど大きかったなんて嘘のようだ。それは私自身の体が大きくなったことだけでは説明がつかないのではないかとさえ思う。家の方が小さくなっている可能性もあるかも知れないと頭の片隅に置いておきたいくらいだ。
当時、巨大に思えたこの家には出迎えてくれた女性だけでは無く、数人の人間が住んでいることを徐々に知っていった。
なぜか誰も自己紹介してくれなかったせいもあって、誰が誰かを把握するのに時間がかかったのを覚えている。いつの日か、なぜあの時自己紹介してくれなかったのかを母に聞いたことがあった。すると「家族同士で自己紹介するなんておかしいでしょ? あの時、自己紹介なんてしてたら私達の関係は知り合いか友達で止まってたわよ」と何を変なこと言ってるの? と言わんばかりに笑われたことがあった。家族皆が同じように思っていたのか、母の考えを共有したのかは分からないが、以降も誰一人として5歳の私に自己紹介をしてくれなかったし、誰も私の名前を聞いてこなかった。
佐藤家に招き入れてくれた母はキッチンに向かい、「ちょっと待っててね」と私達に伝えた。伯父さんに連れられた私はリビングの椅子に座る。
伯父さんは隣に座った。私がキョロキョロとリビングを見渡していると「どうした?」と伯父さんは私に尋ねる。私がキョロキョロと見ていたのはリビングの壁に掛けられた写真だった。天井に近い高い位置で飾られていた写真には必ず男の子が中心にいた。
「あれが対象者?」
「……あぁ、いやあれは甥っ子だ。分かるか? 俺の弟の子供」
写真というものは知っていた。しかし、当時の私は対象者のプロフィールでしか写真を見たことが無く、「写真」という物は始末する対象者が映された物だと勘違いしていた。あの日、私は飾られた写真に映る兄をこれから始末するのだと勘違いしていた。あの時伯父さんに「どうした?」と尋ねられていなかったらこの日の夜に兄を始末していただろう。
「始末しない?」
「あぁ、始末しちゃ駄目だ。あれは写真といって何かをそのまま残しておきたい時に撮る物なんだ。あそこに映っているのは対象者じゃなくて、自分が忘れたくない物だ」
「忘れたくない物」
写真は自分が忘れたくない物を映した物ということもこの日初めて教えてもらった。今、私のスマホのアルバムには忘れたくない物で溢れている。
しばらくすると母が何かが乗ったお膳を持ってきた。
「残り物しかないけど」
そう言った母は私と伯父さんの目の前にお膳を置いた。
ご飯、味噌汁、沢庵、あとは小さな揚げだし豆腐。順番に私達の目の前に置いていく。ご飯と味噌汁から小さい煙が立っていることを私は不審に思っていた。
「さぁ、召し上がれ」と母は私達に言う。すると伯父さんが箸を手に取った。味噌汁を啜り沢庵をつまみ白米を口に運ぶ。「美味しい」とも「まずい」とも言わず無言で食べ始めた。
その姿を見た私は箸を手に取り白米を一口箸で掴む。食べていいのだろうか。母の方を見たがすでに母はキッチンに消えており、洗い物か何かをしているようだった。
すると突如「こら!」と叱る声が響く。
リビングの奥の扉から出てきたのはおばあさんだった。
誰だ? と思った私は手を止め、そのおばあさんを目をやる。
隣にいた伯父さんも手を止めていた。
「久しぶりに帰ってきたと思ったら、お行儀が悪いね、礼一」
浴衣を着たおばあさんはリビングの椅子に腰掛けた。おばあさんの姿勢がやけに良く、こちらまで背筋が伸ばされる。
「お袋……、脅かすなよ」
伯父さんの声が少し震えているのが分かる。しかし、それとは裏腹に彼の表情は穏やかだった。
お袋とは何だろうか。この女性は袋という名前なのか、だとしたら名前になぜ「お」をつけるのか。5年の間すくすくと育ったはずの私の脳みそには少し難しいことであった。
「起こしちゃいましたか……。すみません、お義母さん」と母が謝る。
「おかあさん」ということは、この人の母親なのだろうかと私は思った。
今なら、母にとって義理の母親という意味の「お義母さん」だと理解出来るが、これも5年間で成長したはずの私の脳みそには理解の難しいことだった。
外の世界のルールや事柄は、当時の私に限らず、全ての5歳児にとって難しいことばかりだなと今でも感じる。
「大丈夫よ、気にしないでね。私が怒ってるのはあなたよ、礼一。いい年して挨拶もしないなんて。それにこんな小さな子の前で」
「悪かったよ。……ただいま」
伯父さんは小さく呟く。
「それもそうだけど、あれは?」
祖母の言葉に眉をひそめた伯父さんは両手を合わせる。
「──いただきます」
「はい、よろしい」と言った祖母は伯父さんに対して柔和な笑みを浮かべた。
そして祖母は私を見る。祖母が私を見ているのを見ていた伯父さんも私を見る。
小さな緊張感がリビングを支配した。私は、私がすべきことを理解していた。
両手を合わせる。
「……いただきます」
私の声は小さかったようだが祖母には伝わった。先ほどと同じ、柔和な笑みを私に向ける。
「賢い子ね」と祖母が言ってくれた。
この日私は、食事を食べる前には「いただきます」と言わなくてはいけないことを知った。そして、初対面の人に褒められるのがこんなに居心地が悪いものなのかと知ったのもこの日だった。
私は恐る恐る白米を口に運ぶ。口に入れ咀嚼した。
外の世界の食べ物は、何か衝撃的な物を感じる味なのではないかと子供ながらに思ったが、口に入れた白米の味は「G.O.」にいた時の食事で出される白米と同じ味だった。しかし唯一異なる点があった。
それは温かさだ。この温かさは心のこもった温かさという意味の温かさではなく、白米自身の温かさだった。「G.O.」の食事はいつも冷たかった。私はそれを当たり前に感じていた。食べ物は冷たい物。それが常識になっていた。しかし、あの時、佐藤家で出された、決して豪華とは言えない食事はいつもの食事とは違い、温かかった。
温かいだけでなんでこんなにも心が満たされるのだろう。温かいだけで私の心拍が少し下がったのはなぜだろう。温かいだけで強張った自分の表情が少しだけ緩むのはなぜだろう。
なぜこんなにも、箸が止まらないのだろう。気付いた時は出された食事を全て平らげていた。
その後、私は佐藤家に泊まることになった。夕食よりも夜食と定義したほうが似合っている食事を伯父さんと二人で摂った私は、この後で伯父さんに連れられどこかに行くのかと思っていた。しかし食事の後、伯父さんは「じゃあ、よろしく」と母に伝え、ひとりで帰ってしまった。今考えると本来この場合、伯父さんは実家から外出するのだから、「帰った」ではなく「出掛けた」というべきなのだが、これも当時5歳児の私の目には「伯父さんは私を置いて帰ってしまった」と映った。
伯父さんは帰ったのではなく出掛けたんだ、というニュアンスの違いを理解できていなかった当時の私だったが、伯父さんの「じゃあ、よろしく」と言った声の質感と言葉の意味で置いて行かれた私はここで泊まって行くのかと理解できた。
案内された部屋には子供の私には少し大きすぎるベッドがあった。
「ここが礼央の部屋ね」
母の言葉の意味が分からなかった。
礼央の部屋……。礼央とは誰だろう。部屋ということはここに定住するのか? 礼央って人が?
思考回路は執拗に疑問符を浮かび上がらせる。しかし私の脳裏によぎった伯父さんの言葉を思い出す。
「佐藤礼央、それがお前の名前だ」
……なるほど。そういうことか。
私は今から佐藤礼央という人物でこの家族とともに暮らしていく。その中で誰かを始末しろという指示が来るのだろう。それまではこの家族を隠れ蓑にし一般社会に溶け込め。それが今回の任務なのだろう。
そう考えた当時の私はやっと任務を理解できたと勘違いをしていた。
「ありがとう、お母さん」
その言葉を発した無表情の私に母は微笑むだけだった。
潜入任務なんて神田もシンも教えてくれなかったので、私の言葉はちゃんと「娘からの感謝」に聞こえただろうかと不安に思っていた。部屋のベッドで横になっている時もずっとそのことばかりが頭の中でちらついた。
翌朝、目が覚めても私は佐藤礼央のままでいた気がする。目の前に広がっていたのは薄暗く肌寒い「G.O.」の部屋ではなく、カーテンの隙間から差し込む光は暖かさを帯びた、礼央の部屋だった。
目が覚めた私の体の動きに合わせ布団が動くと、そこから埃が舞う。太陽の光を目の当たりに感じたのはそれが初めてだった。
ベッドから降りて一番初めに気付いたことは床が冷たくないということだった。
いつもの「G.O.」の居住スペースの私の部屋なら、朝には床が冷えており体が足先が冷たいことは日常茶飯事だった。なのに、ここは床が冷たくない。冷えていない床の不思議な感触を足の指先で確かめる。
窓際に立った私はカーテンを開ける。
陽光は私の瞼の奥まで暖かさを届かせた。私の吐く息でさえもなぜか暖かさを羽織っているように感じる。
眩しさはライトとそう違いはない。しかしこんなにも身体の芯まで届くような暖かさを感じることは初めてだった。
外の世界は温かいものばかりだ。なぜ誰も教えてくれなかったのだろう。食事にしても、太陽にしても、床にしても、温かいもので溢れている。この時初めて私は「G.O.」の地下施設は冷たくて寒かったのだと認識した。
部屋には時計がなく今何時なのか分からなかった。
何年もこの部屋で目覚めてきた今では、太陽の光がカーテンの隙間から差し込む加減でなんとなく時間を把握出来るが、当時は太陽の光を初めて見たため、今が朝なのか、昼間なのかが分からなかった。
何をしていいのか分からなかった私はベッドに戻り、ただただベッドの上に座っていた。すると部屋をノックする音がした。
「おはよう。入るわね」
昨日の夜からまだ耳に残っている声がした。「礼央の部屋」に入ってきた母はエプロンを身に纏っていた。その姿を見た私は、手術を始める救護課の職員の恰好のようだと思った。
「ご飯出来たわよ」
その言葉を聞いた私はまたあの温かい白米を食べられると思い、すぐにベッドから降りた。足を着けた床は先ほどと同じく冷たくなく、さっきの不思議な感触は夢ではないと分かる。
母の後ろにつきリビングへ向かう。階段を降りている途中、母の恰好をもう一度見た私は、これから母が誰かを救護しに行くのかと思っており、「誰か怪我しているの?」と聞いたが、母は「そんなことないよ」とただ優しく微笑んでくれた。
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