25「鹿」
そういえば私は一体何日間、気を失っていたのだろうか。
私がいま分かることと言えば自分の頭がとても痒く髪の毛がベタベタしていて気持ち悪いということだけだった。
私の寝ている病室には、以前、7番と争った後で「G.O.」に来た時と同じく4つのベッドが置かれていた。同じようにカーテンで仕切られている。窓から見える景色が異なるため、この前私が使用した病室ではなかったが、内装は全く同じ仕様になっている。その内の左奥のベッドで私は寝ていた。
目覚めた時に耳をすましたが、私の他には誰もいないようだ。
シンによると、彼女がデコちゃんと呼んでいた傭兵の死体は「G.O.」が処理してくれたらしい。それだけではなく、もう一人の男性の死体の処理や、あの公園の現場の後始末も全て「G.O.」が担ってくれたとのことだった。
私の最後の記憶であるバイクの転倒から何が起こったのだろうか。
「G.O.」が傭兵の死体を処理してくれたということならば、あの後で伯父さんが駆け付けてくれたということではないだろう。
今の私の状況から察するに、倒れた傷だらけの私を警察が見つけたり、一般人が見つけて救急車を呼んだりはせず、「G.O.」もしくは「働こGO」に属する何者かが第一発見者となったということだ。
私は、あの傭兵二人が「G.O.」の人間であると疑い、神田が言っていた「私を狙う者」の仕業と考えたが、私を狙うならば「G.O.」に運んできて私を助けない。さらにシンによるとあの二人は「G.O.」の人間ではないとのことだ。
今生きてることに感謝しなくてはいけないことは頭では理解しているつもりだったが、私は自分が知らぬ間に何かに巻き込まれているような気がして、音の聞こえない静かなベッドの上でも落ち着くことはできなかった。
夕方になってから日が落ち、ブラインドの隙間からはマンションの明かりや街灯が命を灯し始めていた。
左目の腫れは収まり眼帯は外れたが、私の顔面全体には新しい無数の擦り傷と痣が広がっていた。鼻の骨が折れているとのことだったが自覚は全くなかった。
右のふくらはぎの銃弾は救護課の職員が除去してくれたようで、日を追うごとに傷口が少しずつ閉じていくのを軽くなる痛みとともに感じていた。そのため歩くことは可能だった。
壁によりかかる形でベッドに足を伸ばし座っていたせいでお尻が痛くなった私は、ベッドから出ることにした。
トイレに向かい、廊下を歩くと真っ白なスーツを着た救護課の職員とすれ違った。
「G.O.」の施設内を自由に歩く私に何も注意してこない様子からして、「G.O.」は先日と同様に私を引き戻すつもりはないのだろう。私の心拍はそこまで上昇してはいなかったが落ち着いた気分でもなかった。
トイレを済ませた私は「G.O.」内のエレベーターに向かう。
私がいた時よりも綺麗になっている内装に感心しながら道を間違えることなくエレベーターに辿り着いた。
下を指した矢印を押すと、その矢印はまるで後ろめたいものを隠すような暗い暖色系の光を灯した。
到着した合図が鳴り開いたエレベーターには誰も乗っていなかった。
中に入り、B1のボタンを押す。扉が閉まり微かな機械音がエレベーター内に響いた。やけに綺麗に保たれたエレベーター内は、変えたばかりと見間違うほどの光量で光る蛍光灯に照らされていた。木目調の茶色の壁は磨き上がられており、手垢一つなかった。
エレベーター内には鏡が存在していない。ボタンはB5から23まで配置されているにも関わらず、各階の案内図はエレベーターのどこにも存在してなかった。
病室のあった5階からエレベーターが下降していく。すると1階で止まり扉が開いた。
扉が開く寸前、中央に陣取っていた私は気まずくなり右奥の隅に移動した。
扉が開くと目の前には黒いスーツを着た20代後半の男性が立っていた。
軽く会釈した男性はエレベーターのボタンの前に陣取るとボタンを押した。私の位置からだと男性の身長の高く体格の良い体に隠れ、何階のボタンを押したのかは見えなかった。
男性の髪型は神田よりも短いツーブロックの黒髪で、鼻筋が通りパッチリとした二重のまぶたがその奥にある瞳を印象付けていた。さらにその男性は着ているスーツに似合わず、剣道で使うような竹刀袋を肩にかけていた。体つきが良くスーツの上からでもその筋肉質な体型が見て取れる。
男性がエレベーターに乗り降りする一連の動作を見た私は、姿勢がやけに良くテキパキとした所作だなと感じた。
どこかで見たことのある顔だと思ったのは、男性は私と同じ地下に向かっていると気がついた時だった。
私の今いる「G.O.」の施設は、外観はただの23階立ての大きなオフィスビルだが、地下のフロアは横に広くちょっとしたテーマパークと同じくらいの面積を要している。さらに地下にはその広さのフロアが5階まで存在している。
地上は「働こGO」の施設、地下は「G.O.」の施設と分かれており、地上の施設はただの派遣会社として利用されている。
一方、地下の施設は「G.O.」の施設として利用され何人もの殺し屋が行き交っている。
私が今向かっている地下1階には、神田が部長を務める処理部が活動しているフロアであり、処理部には依頼を受け対象者を直接始末する機動課と、現場や死体の後処理をする清掃課、さらに紫仁が課長を務める、殺し屋の救護を行う救護課が存在する。
地下2階には救護課が処置や手術を行う処置室になっており、地下3階と地下4階は「G.O.」に所属している殺し屋の居住スペースとなっている。
「G.O.」に所属している殺し屋は全員、このスペースで生活しており神田やシンはもちろん、紫仁もここで暮らしている。
それだけではなく、殺し屋の育成組織として、捨てられた子供や、人身売買で売られた子供を引き取り、ここで殺し屋として育てている。その子供達もこの居住スペースで暮らしており、私も昔はここで暮らしていた。
地下5階には訓練場としてだだっ広い空き地のようなエリアや、射撃場などがあり、殺し屋たちはここで訓練を行う。
さらに地下6階には実験場が存在し、神田が使用していた麻酔薬の開発や私のような耳がいいという特技を持つ者の能力を高める実験設備が存在している。
地上は一般的なオフィスとなっており、人事部や総務部、シンが部長を務める経理部や社長室などが存在する。
私が先ほどいた病室は地上に存在しているのは、現在処置室のベッドが埋まっていたからだそうだ。臨時で用意したのだと以前に神田が話していた。
しかし理由はそれだけではないだろう。私が地下に行くことで他の殺し屋たちを刺激しないようにする意味も込め、地上の病室に私を置いたのだと私は思う。
「G.O.」を抜け出した私が帰ってきたとなれば、反感は買うだろうし、何より神田によると「G.O.」の中でも私の命を狙う者もいるらしいからだ。
それを分かっていながら地下1階に向かっている私はよほど迷惑な存在であるだろうと自分でも思う。
つまり地下に私が向かっているエレベーターに同席している目の前の男性はおそらく殺し屋だと予想できる。
そしておそらく私はこの男性を見たことがあるのかもしれない。見覚えのある顔だと思ったのはきっとそのせいだろう。
しかしこの男性からはハウリングやノイズといった殺し屋特有の音が聞こえなかった。それに、この男性は私を見ても驚きもしないどころか、この場に不釣り合いな、三角巾で右腕を支えた浴衣姿の私を一瞥しただけで何も感じていないようだった。
3番であり、裏切り者の私を知らないとなると、もしかしたら最近入ってきた救護課の人間なのかもしれない。
とにかく、この男性からは1番や神田、シン、7番といった一桁の殺し屋から醸し出される音や雰囲気は全く感じ取れなかった。
地下1階に着くと分厚い真っ白な扉が開いた。エレベーターの奥にいた私は、入り口近くに陣取る男性に会釈しながら通り過ぎる。
会釈を返した男性が「開」のボタンを押し続けてくれており、殺し屋でも他人に気を利かせることが出来る人がいるのかと感心した。
私が地下1階の床に片足を踏み入れると、エレベーターが少し揺れたのに気付く。私を吐き出したエレベーターの箱は、残っている男性を飲み込むようにその分厚い扉を閉じた。
振り返ってみたがエレベーターはすでに下の階に向かっており、地下4階で止まったことが分かった。
地下4階はここの殺し屋達の居住スペースになっているため、そこに降りたであろう先ほどの男性は救護課の人間ではなく殺し屋だったのかも知れない。
私は首を傾げ記憶を辿ったが、彼を見た記憶はどの引き出しにもしまっていなかった。もしくは見つけることが出来なかった。
スッキリとしないままであったが、思い出すのを諦めた私は歩みを進めた。
地下1階はいくつものデスクが並んでおり様々な人間が行き交っていた。一番手前に見えた機動課という天井に吊るされた看板が目についた。
壁や床は昔より綺麗になっているもその他は私の知っている頃と変わらなかった。
内装といい、雰囲気といい、感情を出さず事務的に淡々とこなしている機動課のこの空気はまるで市役所のようだった。
歩みを進める私を何人もの職員の目が追う。
それもそのはずだ。黒いスーツや白いスーツ、グレーの作業着を着た人で溢れているこのフロアに、真っ白な浴衣を身に纏い、スリッパを履き、右腕を三角巾で吊るした金髪の女が急に現れたのだ。視線を逸らすことのほうが難しいだろう。現に、歩く私も自分の場違い感に押し潰されそうだった。冠婚葬祭にスウェット姿で来た人の気分はこんな感じだろうか。
何人もの視線が私に向けられる。同時にその中からいくつかのノイズを感じ取った。
おそらく「G.O.」の殺し屋だろう。私の元同僚か、もしくは後輩と言うべきだろうか。申し訳ないが私にはどのノイズも聞き覚えがないものばかりであった。
ここには殺し屋だけでなく一般の職員も働いている。と言っても闇金に手を出して行き場を無くした者や表に出せないことをした警察関係者など、裏の社会で真っ当に生きている人達を雇用している。
窓口の黒のチェック柄のベストを着た女性や清掃課の職員と思われるグレーの作業着を着た男性、真っ白なスーツを着た救護課の女性などは大抵が一般の職員だ。
歩いていく浴衣姿の私に視線をやる一般の職員達の隙間から、私に向けてノイズを発しているのが殺し屋だとすぐに見分けがつく。
一見すると浴衣姿の女性が突如現れたことに呆然としている人達ばかりだが、私の耳は唾を飲む音や心拍音が急加速する音が聞こえた。
十中八九、私の存在を知っている殺し屋達の音であろう。しかし別に悪いことはしてないのだから堂々と歩いてもいいだろう。そう自分に言い聞かせながら機動課の窓口に向かった。
「すみません、神田さんは居ますか?」
私が尋ねた女性の事務職員は唖然としつつも「……し、少々お待ちくださいね」と丁寧に対応してくれた。
窓口から離れた女性は奥のデスクへ向かった。
私が視線を落とすと、窓口のテーブルには書類の書き方や、殺し屋の派遣依頼の行い方等の書類がクリアのシートの下に挟まり提示されていた。
その書類の中にポップな文字で「その対象者は本当に死んでいますか? ※依頼者は対象者に狙われる可能性あり!! 入念な確認を!!」と書かれたA4サイズのプリントに目がいく。
そんな大事なことをそんなポップな文字で伝わるのだろうかという疑問が湧き、さらに対象者を死亡したかを見誤る殺し屋がいるのかと馬鹿馬鹿しく思ってしまう。
殺し屋と言っても、全ての殺し屋が神田やシンのように優れた殺し屋では無く、中にはたった一回の初めての依頼で返り討ちにあい、殺されてしまう能力の低い殺し屋もいる。そのためこういった忠告をしているのだろう。
「働こGO」のような殺し屋界隈でも比較的大手と呼ばれるような会社は、シンのような癖の強い殺し屋だけでなく、能力が低い殺し屋達をも面倒見なくてはいけない。処理部長の神田の苦労が身に沁みて分かった。
先ほどの窓口の事務職員が戻ってくる。
「申し訳ございません。神田の方は現在不在でして……」
45度のお辞儀をした事務職員の揺れる髪からはほのかに花の香りがした。
「そうですか。──じゃあ黒田さんは?」
彼女の匂いを嗅いだことで、彼女の秘密を知ってしまったかのような親近感を覚えた私は柔らかい口調で返した。
「申し訳ございません。黒田も現在不在でして……」
なんと運の悪いことか、と残念がっていると事務職員の女性が続ける。
「専務でしたらおりますが」
「専務」という言葉を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立った。
「あ、いや、1番……じゃなくて、専務だったら結構です」
「そうですか」と事務職員の女性は視線を落として考え込む。すると彼女の後ろから細身の男性が顔を出した。
「そんなに1番が嫌いなの?」
彼の鈴の音色に似た声が私の耳の上らへんを撫でる。
気付かなかった。事務職員の影から急に顔を出した彼に驚く。
久しぶりに出会った彼は昔よりも背が高くなったように見えるも華奢な体格は相変わらずだった。
神田やシンが着ていた黒のスーツと同じ濃さのスーツを身にまとっているも、神田やシンの軍人がスーツをまとったような姿に比べて、彼の姿はまるで大学を卒業したばかりの新入社員のように感じる。そして彼のノイズはまだ聞こえなかった。
「驚かせるつもりはないよ。僕をあんな野蛮な人達と一緒にしないでくれ。若々しくていいだろう?」
そう言った彼の開いているのか閉じているのか判断つかない細い目からは、全く体温を帯びていないように感じる。
「──背、伸びたんじゃない?」
口を開いた私に、歯を見せず彼は微笑む。ミディアムショートほどの長さの黒髪は、整髪料などでセットされておらず髪の毛一本一本が繊細に描かれているようだった。
「君こそ少し太ったんじゃないか?」
微笑んだままの彼の細い目はさらに細く描かれた。彼の棘がいくつも付いた言葉を受け止めることはせず、私は綺麗に避ける。
「悪いけど経理部に用はないの」
「そう」
「だから機動課の人を呼んで。誰でもいいから」
「嫌だ」
目の前の男性はそう言いながら事務職員をどかし窓口に座った。きっぱりと断られた私は目の前の彼の生意気な態度に苛立ちを覚える。
こいつとは話していたくない。1番の次に会いたくなかった人だ。
「僕は話していたいよ、君と。それに専務の次に選ばれるなんて『G.O.』の殺し屋としては光栄だね」
私はわざと目を細める。折れている鼻の痛みが顔を出したがそれよりも彼の言葉が不快だった。
私は何も考えまいと頭の中で「エリーゼのために」を繰り返し流す。
「懐かしいね、それ。またあの曲だろう」
彼の言葉に耳を傾けず「エリーゼのために」をひたすら繰り返す。
「──分かったよ。もういいから」
彼はそう言いながら微笑みを崩さず私に銃を突きつけた。
彼の銀色の「コルト・ガバメント」が天井の蛍光灯の光を私に向け反射した。先ほどから彼の細い目は、まるでその奥にある一切の感情を閉ざすかのように綺麗な三日月を描いていた。
「何の用なの?」
そう尋ねる彼が突きつけられる銃が無ければ、市役所に相談に来る入院患者のようなシュールで面白い構図なのになと思った。
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