24「パン」

 冷気を帯びた風によってもたらされた寒さは私の顎を震わせた。

 息を吸うたびに喉を刺す冷たさを感じる。手に持つ鉄の塊よりも冷たくなった私の指先は感覚を失っていた。

 この異常な寒さは急激な気温低下なのか、それとも私の体温だけが急激に低下していったのかは分からない。

 銃を持つ手の甲で顔についた砂を落とす。血液のついた砂は中々顔から落ちなかったが気にはしなかった。


 足元にいる脱力した彼女の顔は横を向いていた。血飛沫で汚れた顔面の隙間から見える表情で、目を開いたまま死んでいるのが分かった。

 私は手に持っていた銃を放り投げる。彼女であった人間大くらいの有機物の上に銃が落ち、肉と鉛がぶつかる音がした。私はそれを背中で感じる。

 右足を引きずりながら脱力した右腕をぶらぶらさせその場を立ち去る。

 振り返ると私が通った道には、どの部分からの出血のものかも分からない血液が垂れた跡が続いていた。まるでヘンゼルとグレーテルのようだと鼻で笑いながら歩みを進める。パンくずを道に落としていったのはヘンゼルだったか、それともグレーテルだったかは思い出せなかった。さらにいえば、その後の展開も思い出せずにいた。

 道に落ちたパンくずは鳩に食べられてしまったのだっけか、でもだとしたらパンくずの意味がなかったのではないか。

 藍色の衣を羽織った私は赤いロープの遊具に向かいながら、頭の中でくだらないことばかりがぐるぐると回っていた。

 吐く息が暖かさを失っていき徐々に外気温との差を無くしているような気がした。唾を飲み込むのでさえも痛みを伴う。

 そんな状況でヘンゼルとグレーテルのようだとくだらないことを考えていたのは、今の現実を受け入れたくなかったからなのかもしれない。しかしそんなくだらないだったとしても未だ思考回路が動き続けていることは、私の輪郭がまだこの世界に溶け切っていないことの証明でもあった。


 赤いロープの遊具へ到着しロープをかい潜る。左手で掴んだロープの頑丈さは、今にも零れ落ちるように倒れてしまいそうな私とは大違いだった。

 赤いロープの遊具の中心部へ向かった私はそこに倒れている男性の死体を足でどかし、落ちていた「スーパーカブ50」の鍵を手にした。

 鍵にはべっとりと血液が付いていたため、自分のジーンズの太もも辺りでそれを拭う。ふと地面に目を向けると、私が男性に飛び降りた時に落とした私の黒のキャップが落ちており、砂を叩きながら拾う。

 キャップを被り、赤いロープの遊具から出た私の上空に拡がる藍色の衣に描かれた白い斑点は、先ほどよりも光を帯びていたように感じた。


 先ほど停めていた「スーパーカブ50」のもとへ息も絶え絶えに辿り着いた私は左手で鍵をキーシリンダーに刺す。

 エンジンをかけた私の耳に入ってきた音を聞いたおかげで、久しぶりに自分以外の存在を感じることが出来た。エンジンのアイドリングの音が傷だらけの私を慰めてくれているように感じた。

「ありがとう」

 小さく呟きながら彼に跨った私は、自分の右腕が使い物にならないことを思い出した。

 これではアクセルを捻られない。どうしよう。

 私は仕方なく左手で右ハンドルを握りアクセルを回す。ギアはニュートラルのままだったため彼は唸りを上げただけだった。

 大丈夫。少しやり辛いがやれないことはない。

 ギアを上げ、左手でアクセルを捻ると彼は私の体をゆっくり前に押し出してくれた。

このバイクが「スーパーカブ」で良かったと心底感謝した。これがシフトレバーのある一般的なマニュアルのバイクであったら操作することは出来なかった。「ありがとう、本田宗一郎」と私は心の中で両手を合わせる。


 左手で右ハンドルを操作することは思った以上に難しく、何度もバランスを崩しそうになった。さらに私の顔に吹き付ける風圧が私の意識をどこかに飛ばしてしまいそうになる。

 公園から幹線道路に続く舗装された小さな道は綺麗に舗装されており、走りやすいはずだったが何度も蛇行運転を繰り返した。

 走行中、ふといつもよりも風圧が強い気がした。そしてそれは勘違いではなくヘルメットを被り忘れたからだと気付いた。

 ──しまった。

 このまま大きな通りに出れば警察に捕まってしまう可能性がある。もし捕まりでもすれば私の血まみれで傷だらけの格好を不審に思われてしまう。

 一旦停めて後ろタイヤ付近のヘルメットロックにかけっぱなしになっていたヘルメットを被ってしまうと思った。


 しかし突如、前方からヘッドライトの明かりが私の顔に降り注ぎ、眩しさで顔を背けた。

 走行する私の前に対向車が現れた。

 顔を逸らして眩しさに耐える。

 その時顔を動かしたせいで被っていた黒のキャップが落ちてしまった。

 あっ、と思い後ろを向き黒のキャップの行く末を見る。その瞬間一気にバランスを崩した車体はふらつきながら道路脇に進路を反らす。

バイクとともに私は、道路脇に生えていた大きな木に正面衝突し倒れる。

 視界が大きく揺れて体ごと吹き飛んだ。

 バイクから放り出され、前方にある芝生に全身を打ち付けた。顔面から地面にぶつかると感じ反射的に両手で頭部を守る。

 放り出された勢いで私の体は芝生の上で一回転した。そして私の体は手入れのされていない芝生のような地面にうつ伏せになった。

 ひんやりとした感触が洋服から私の素肌に伝わる。この冷たさは地面の泥なのか、それとも私の体から溢れ出る血液なのか、はたまたそれらが混ざりあったものなのかもしれない。

 鼻から出入りする空気は、呼吸というよりは、何度も息が漏れているといった表現のほうがしっくりくる。息が鼻から漏れる度に私の体温もその息に混ざって徐々に低下していくのを感じた。

 不思議なことに痛みは全く感じなかった。

 右肩の鈍い痛みも、右ふくらはぎの動かす度にズキズキするような痛みも、顔面を覆うべったりとした細かな痛みも感じない。さらに今まさに受けた、地面に打ち付けられた全身の痛みさえも感じなかった。

 視界がぼやけて目の前に拡がる伸び切った芝が徐々に輪郭を曖昧にしていった。

 このまま私の人生はここで終わるのかもしれない。実にあっけなかったなと感じ、自分に対して嘲笑う。

 まさかバイクでの単独事故が私の息の根を奪うとは思ってもなかった。なんて滑稽なのだろうか。どうせ死ぬなら「G.O.」の殺し屋にでも殺された方がもう少しは格好がつくのではないかと悔やむ。

 しかし私が今不思議と穏やかな気持ちでいられるのは、家族を危険に晒すことなくこの世とおさらば出来る状況で死ぬことができるからなのかも知れない。

「G.O.」の殺し屋に始末されれば私だけでなく、私の存在の証明である佐藤家の皆も始末する可能性がある。それよりかはバイク事故で死ぬ方が幾分マシだった。

 そんなことを考える力を使ったせいか、私は少しずつ何も考えられなくなり瞼が重くなってくる。

「さようなら」と呟いたつもりだったが、私の声帯はその声を響かせてくれたのだろうか、今私の周りには誰もいなかったため、私が声を発したという証明してくれる人は存在しなかった。

 私の意識が飛ぶ前に目に入ったのは草の上で這っていた一匹の真っ赤なテントウムシだった。



 幼少期、私は左利きだった、というような話を聞いたことがある。

 しかし今、私が右利きなのは、無理やり両親に矯正されたのではなく、私以外の家族が皆右利きだったからだ。家族の皆との違いを少しでも失くしたかった。

 その時の記憶が身体に染み着いているのか、左手で食事を摂ることにも割と早い段階で慣れてきていた。

「つまりは、うちらの負担がこっち。で、こっちの現場の処理は、れおちー達で負担ってことだから。よろぴく」

 不安定なノイズを孕んだコロコロとした声の主が、ベッドのサイドテーブルに広げられた書類を指さしながら話す。

 私はそれを頭の隅に入れながら、ずいぶんと薄い味の食事を摂っていた。

 病室の壁時計を見ると15時20分を指していた。左から西日が差しており、開いたままのブラインドの隙間から私の顔に降り注いだ。右腕は三角巾で固定されており、動かすことは禁止されていた。私の右腕は脱臼だけではなく骨折もしているらしい。紫仁が診察をしたと話を聞いたが、私の意識が戻った時にはすでに私の体はこのベッドに横になっていたため、実際に紫仁との再会は果たせていない。

「旦那には神田から言っとくってさ」

 シンはそう言いながら先ほどの書類を摘み上げ、ひらひらと揺らした。

「あの女の人は誰だったの?」

 シンに尋ねても真面目に答えてくれるとは思ってもいないが、念の為聞いてみた。

「──あ? あれはなー。副社長の側近だな」

 嘘か本当か分からないが、案外真面目に答えてくれたことに私は驚く。

「副社長?」

「おうよ。実際に会ったことはねーんだけどな」

 シンは書類をサイドテーブルに戻しながら言う。いつも通りの黒のパンツスーツを着たシンの体のラインは相変わらず筋肉質でありながらも妖艶さを孕んでいた。

「『G.O.』の殺し屋じゃないの?」

「あぁ。あいつはどこにも所属はしてねーんだ。つまりはフリー。レッチリだな」

 フリーランスとレッド・ホット・チリ・ペッパーズが何の関係があるのか分からなかったが、今はその理由を聞いている気分ではなかった。

「副社長と契約を結んだ単独の殺し屋?」

 シンは頷く代わりに眉を大きく上げた。一緒に大きなまん丸のシンの目が見開いた。

「そう。ただ違うのはあいつは殺し屋じゃねー。──所謂いわゆる、傭兵ってやつだ」

「傭兵」

 呟く私の言葉をしっかり拾ったシンはさらに続ける。

「そう、傭兵。まぁただ、殺しを専門にしてないだけで、実力はうちらとおんなじくらいじゃねーか? 知らんけど」

 そういいながらシンは私が食べていた食事のおかずの焼き鮭を丸々一つ、つまみ食いをした。

「もう一人の男の人は?」

「さあ? 知らねー」

 私が食べるはずだった焼き鮭をその大きな口で咀嚼し、焼き鮭でいっぱいになった口腔内の隙間から言葉を発する。そしてシンは焼き鮭の油がついた手を叩いた後で、両手のひらを天に向け肩をすくめた。

「女の傭兵の方が有名なの?」

「そういうわけじゃねーよ。副社長が傭兵を雇ってた。で、一人はめっさ強ぇー女だっていうんだったら、そっちの方に興味そそるだろうよ。正直男の方はどーでもいい」

 マシンガンのように話す彼女のペースについていけず、私は目を細め、シンとの心の距離を置いた。

「デコちゃん、強かったろ?」

 おそらくデコちゃんという名前が本来の名前ではないと思うが、先日殺した女性の艷やかな額が思い浮かぶ。

「会ったことあるの?」

「あぁ、あるぜ。こんなぐらいの距離でな」とシンは豆粒を摘むように人差し指と親指を出した。

 それは実際に会ったとは言えないのではないかと思ったが、シンのマシンガンが再び火を吹きそうで止めた。

 自慢げに言うシンに呆れた私は背中を壁につけ身を預けた。

「つーか、お前、副社長になんかしたの?」

 シンは腕組みをしながら尋ねる。

「──副社長なんて会ったこともない」

 ぶっきらぼうに答える私に対して、シンはあくびをし、首を掻きながら話した。

「あ? そうだっけか?」

「私が知ってるのは前の太った人だった」

「あー、あの豚野郎な」とシンは眉をひそめる。同時に不安定なノイズが一瞬波打った。

「でももう死んだって聞いた」

「あぁ」とシンは小さく頷く。そして続けた。

「で、その豚野郎を始末したのが今の副社長」

 なるほど。どうりで私は知らないわけだ。

 そして、確か伯父さんも最近、副社長が力をつけてきたと言ってたのを思い出す。

「その副社長が私に恨みがあるとは思えないけど。会ったこともないし」

「だな。だったら」とシンは考えるように左上に視線を向けた。

「デコちゃんが誰かから、れおちーの始末を依頼された」

 シンの目が私に向く。彼女のまん丸で茶色がかった瞳を間近で見たのは久しぶりだった。

 よく喋り自由奔放な彼女の印象と打って変わって、その瞳は寂しげだった。私は視線を逸らす。

「でも傭兵なんでしょ?」

「このご時世だ、ダブルワークってやつだろ。それにあたしらと違って、傭兵は金を貰えば誰のケツだって舐めるって有名だからな」

 そういいながらシンはサイドテーブルに寄り掛かった。

「ダブルワークって」と私は鼻で笑う。

「あたしだって殺し屋と経理部のダブルワークだ」

 鼻で笑った私の顔を見たシンは冗談じゃないと言わんばかりに目を見開き、言う。その顔がまるで猿のようだと内心思った私はシンから顔を背ける。

「まぁ、いいけどよ。つまりデコちゃんの死体の処理は副社長に請求するからいいとして、現場の後処理と、れおちーの処置分は旦那に請求するってことだから。また前みたいにぜってー経費じゃ落とさせねーかんな」

 彼女の大きな口が三日月を描くようにほくそ笑んだ。

「分かってます。伯父さんの方に請求してもらって結構ですから」

「ふん、あたりめーだ」とシンは私に人差し指を突きつけ言い放つ。

 シンの人差し指の先端を見つめた私は自分が寄り目になっていたことに気付く。

 ふと視線を戻し我に返った私は焦点を合わせるために何回かまばたきをする。焦点が会った時にはすでに背中を向けたシンの後ろ姿があった。

 手足が長いモデルのようなシンの後ろ姿の影が、両手を上に伸ばしストレッチした形に変化する。

 あくびをしたシンは「じゃあ、バーイ」といいながら病室から去っていった。


 彼女の不安定なハウリングは徐々に距離を遠ざかっていった。廊下を歩く彼女の足音はいつもよりも間隔が長かったのは今の時刻が昼下がりで眠かったからだろうなのか。

 嫌いなはずの私とマンツーマンで会話した今日のシンの機嫌はいつもよりかは悪くないのだろうと感じた。

 不機嫌な時の彼女ならば、私と二人だけの空間にいること自体に苛立つはずだ。今日はそんな雰囲気をシンからは感じなかった。

 ほんの少しほっとした自分がいることに気付く。そして同時に懐かしさを感じた。

 そういえば昔「G.O.」にいた時もいつも私はシンの機嫌を伺っていた。

 彼女のコロコロとした声と同じように、さらに大きくまん丸の目と同じように、自由奔放ですぐに動き回るシンの機嫌次第で、私に対する扱い方が決まる。不機嫌な時は私に喧嘩を売ってきたり罵倒したりする癖に、機嫌がいい時はわざとらしく猫撫で声で可愛がってきたり、私の体調を気遣ってきたりする。

 彼女のノイズが私の前で安定したことは一度たりともなかった。

 それは私に対してだけなのか、他の人に対しても同じなのかは分からないが、シンが私を嫌っていることだけは確実だった。

「G.O.」にいた頃、一度紫仁とシンについて話したことがある。



 あれは当時私がまだ「G.O.」にいた時だった。

 依頼が上手くいかなかったのか、仕事から戻ってきた怪我だらけのシンが一緒に業務に充っていた神田と廊下で口論していた。

 二人の尻尾を踏んで気を触れさせないようにと、その横を視線を合わせずに通り過ぎようとした私と紫仁はシンに捕まり「おい、れおちー! お前ら一緒に歩くな。蜂蜜と味噌は合わねーんだよ」と意味の分からないことで怒鳴られた。

 私が「はぁ」と溜め息混じりで返事をすると、それが気に入らなかったのか、シンは私の胸ぐらを掴んだ。

 間に入った神田によって事は収まり、そのままシンは「ちっ、あの狗野郎いぬやろう!」「最近の若者はなってねーんだよ」と独り言を撒き散らし、地下2階の処置室に向かった。その荒々しく歩く後ろ姿を見ながら、シンの理不尽な説教に眉をしかめる私の隣で、視線を下に向けながら前髪の隙間から見える無表情のままの紫仁がシンに怒鳴られなかったことに疑問を抱く。

「シンさん、私にだけ風当たりが強くない?」と紫仁に聞くと「愛している人の愛してる人は嫌いになるでしょ? それと同じ」と答えた。

 意味が理解できなかった私は、その後に何か補足説明があるのかと紫仁に顔を向け、続く言葉を待っていたがそれ以上は何も続かなそうな気配を感じ、「へぇ」とだけ呟き、紫仁と共に地下4階にある私たちの部屋に戻った。



 以前、神田が、紫仁はシンの教え子で珍しく可愛がってたという話を聞いたが、その事実に大して驚かなかった。

 あの時、シンが私にだけ怒鳴ったのは紫仁を気に入っていたからなのだろうか。紫仁の前では彼女の機嫌はコロコロしていないものなのかと気になってきた。


 しかし、またここに戻ってくるとは、と落胆しながら、実のところ、心の中で「あぁやっぱりな」と実感していた。

 こちらの世界に染まりきった私が身につけているのはこの前の夜空のような藍色の衣ではなく、真っ白な浴衣だった。

 この白さは殺し屋専門の育成組織には似つかわしくないなと思ったが、彩り豊かな現場や死体を何もなかったように真っ白に綺麗にするという点においては似合っているなと思った。


 そんなことで頭をいっぱいにしていると昔の記憶が芋づる式に呼び起こされる。その土まみれの記憶はどれも「礼央」のものではなく、「3番」のものであった。

 家に帰って「礼央」に戻ったスイッチが、いつの間にか「3番」の方に倒れていた。

 兄に会って沢庵の話を思い出してから「礼央」としての私の存在が色濃く残っていたと思ってたが、それを上塗りするほど「3番」の記憶は根深いものだったのだろう。

 シンの機嫌を伺うことで、私のスイッチは強制的に「3番」に切り替えられた。いくら家族の声を思い出そうとしてみるも声というものは思い出そうにも案外難しく、私のスイッチは簡単に「礼央」に切り替えられずにいた。

 それは「礼央」と書かれたスイッチの基盤の空いた所に何かが詰まっているのではないかと思うほど硬く、逆に簡単に反発して「3番」に切り替えられてしまうように故障しているのかと思うほどだった。


 誰かを始末したり、殺したりすることで私の白に近付いたグラデーションは黒く塗りつぶされてしまうように感じた。

 白いままでいることは難しい。黒はどんな色を混ぜても黒に近い色のままだが、白にほんの少しでも色彩が加わるとその色彩に引っ張られ白ではなくなってしまう。

 何かを足すことでしか生まれない黒と違って、白は何かを引くことでしか生まれない。ただ人生という点においては何かを引くことは難しい。不可能でさえある。そして何かを失うことは何かを引くことではない。

 もし「3番」の記憶を失ってもそれは私から「3番」の記憶が無くなっただけで、私から「3番」が引かれたわけではない。

 その時に残るのは『「3番」の記憶を無くした「礼央」』で会って純粋な「礼央」ではない。

 完全な白にはなれない。だったら、ゆっくりゆっくり黒を薄くして白を増やして灰色になっていくことしか私には出来ないのだ。

 そんな白に近い灰色でいたい私を皮肉るかのように、視線を落として目に入ってきたのは、私の着ている「G.O.」が用意した真っ白な衣で出来た浴衣だった。

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