22「馬」

 その衝撃は私の姿を捉えることは出来ず、街灯の後ろに位置する体育館の入り口の窓ガラスを割った。

 そのけたたましい音の方向に私は顔を向ける。街灯の上に膝立ちする私の姿をひび割れた窓ガラスが映していた。

 私は街灯の上からアスファルトの地面に飛び移る。地面に着地すると同時に前転し受身を取った私は、その速度を維持しながら赤いロープで出来た東京タワーのようなテント状の遊具へと走る。

 私を狙った男性と女性が遊具の影から身を出し、銃口を私に向けながら砂の広場を走る。しかし、彼らが砂に足を取られていたのは有難いことだった。何発も発射された弾丸は砂によってバランスを崩したせいか私の体を貫くことは無かった。

 私はそのまま赤いロープで組まれた遊具の中へ潜り込む。無数の赤いロープの間から私の姿は隠れることはなかったものの、彼らの標準から逃れるには十分だった。


 男性が赤いロープの遊具の中に入ってきたのが見えた。一方女性は遊具の外から私の姿を追っている。

 遊具の中は無数の赤のロープが張り巡らされており、まるで宝石を盗む人間を阻む赤外線のレーザーかのように思えた。

 私はロープを掴み、飛び乗る。それを何度も繰り返し徐々に遊具の頂上へと向かう。

 女性が遊具の外から丸見えの私の姿を捉え、発砲してくる。私は鉄棒のようにロープを軸に体を回転させ上のロープに飛び移りながら避ける。

 先ほどの尻もちのせいで私の手のひらには砂がついていたが、有難い事にそれが滑り止めの役割をしてくれた。

 頂上に向かっている途中、遊具の中に入ってきた男性が私の下にいることに気付いた。男性と目が合い、向けられた銃口が上空へと弾丸を放つ。

 とっさに私は真横にあったロープに移り、弾丸を避ける。しかし避けきることができず、男性の放った弾丸は私の右ふくらはぎに命中した。

 痛みと衝撃でバランスを崩しそうになるも、ロープを掴んだ両手の力で体を支え、必死に耐える。右ふくらはぎからの出血がジーンズに染み、遥か下を陣取る男性の元へと血液を垂らした。

 痛がりながらもロープを放さない私に対して男性の射撃は止まない。そして私の姿を捉えた女性も発砲してきた。

 男性は連続して2回発砲する。一方女性も3回引き金を引いた。

 計5回の発砲音が私の心拍音のかき消すように貫く。逃げられないと判断した私はポケットの「スーパーカブ50」の鍵を握り、拳を作った中指と薬指の間から鍵の先端を出す形で持つ。

 私は片手で持っていたロープを離し、そのまま下にいる男性に落下していく。

 遊具の外から女性が発砲した弾丸は、先ほどまで私がいた場所を斜めの線を描くように空を三度貫く。男性が放った1発目の弾丸は落下する私の体を通り過ぎるように上空へ放たれた。そして、2発目の弾丸は落下する私の右肩を擦り、着ていたパーカーを縦に切り裂いた。


 落下してきた私を男性はただただ見ているだけしか出来ないようだった。体が硬直しているのか、上を見上げる男性の口はだらしなく開いたままだった。

 私は男性に肩車される形で墜落する。その墜落の衝撃で私の被っていた黒のキャップが地面に落ちた。

 彼の首に私の足が組みついた瞬間、私は拳の中で握り、飛び出させた鍵の先端を彼の頸動脈に突き刺す。

 男性は、私が墜落した衝撃でバランスを崩しそのまま倒れる。

 倒れる最中、男性の近くに張り巡らされたいくつかの赤いロープに男性と私の体がぶつかる。太いロープの摩擦が洋服の上から私の体を擦り、擦り傷を作った。そしてその傷が熱を帯び始める。

 私達が倒れる衝撃はロープによっていなされ、私達の体は地面に転がり落ちる。

 私が起き上がる頃には、頸動脈から流れる血液のせいで彼の頭頂部付近には数mの血の池を作り始めていた。

 地面に仰向けで倒れている男性の目は虚ろになっており、呼吸音も回数を減らし絶命している真っ最中だと見て取れた。


 起き上がった私は赤いロープの森の中を見渡す。

 どこだ? 女性の姿が見えない。

 地面に落ちた私の黒のキャップは逆さまになっているのが目に入る。

 ハウリングが聞こえたのは遥か頂上だった。

 赤いロープの遊具の頂上に先ほどの女性が立っており、立ち上がった私に向け拳銃を構えていた。

 いつの間に、と思った時には発砲音が聞こえ右頬に風圧を感じる。気付いたときにはすでに、放たれた弾丸が私の頬に掠り傷を作っていた。


 私の頬を掠った弾丸は、足元で転がっている寝転がっている男性の死体に撃ち込まれた。

 肉に埋もれた弾丸は「それ」に小さな穴を作り、新たな赤い液体を流出させた。その光景を横目に、私は女性へと顔を向ける。左目の眼帯のせいで彼女の影が見え辛かった。

 月明かりに照らされた彼女の姿は、ジャケットを着ていて、休日にツーリングに出掛けたライダーのような姿形をしており、拳銃を持つには不釣り合いな人間のように思えた。

 しかし、打って変わって依然と彼女から放たれるハウリングは私の耳に鋭く突き刺さっていた。

 私は彼女との距離を縮めるためにロープを掴んだ。飛び移ろうとするも右ふくらはぎの傷の痛みに私は顔をしかめる。

 動きが緩慢になっていることを認識した彼女は、ロープを掴んだ私に向け再び発砲した。


 彼女からの射撃を避けきれなかったのは右ふくらはぎの傷のせいだけではなかった。

 彼女の射撃が私の動くテンポからズレて放たれることに気付いたのは、彼女の発砲の衝撃によって掴んだロープが手から離れる瞬間だった。

 彼女の射撃は私の警戒の隙間を縫うように放たれていたように思える。そのため私は彼女の放った弾丸を避けることが困難だった。その一瞬の出来事だけで、彼女がただの殺し屋ではないことは容易に想像できた。

「G.O.」の殺し屋の中でも一桁に近い存在かもしれない。私が知っている人間だろうか。しかし、今はそんなことはどうだっていい。地面に尻もちをついた私は彼女の標準から身を隠すので精一杯だった。


 体を起こした私は赤いロープの遊具の中から出ようと必死でロープをかい潜る。汗で湿った手のひらにロープについた砂がまとわりつき不快に思う。私の呼吸は荒くなる一方だった。

 彼女の射程範囲から逃れなくては、と言う思いだけで頭をいっぱいにし、自分の両足を交互に前に出す。しかし足がもつれそうになり、バランスを崩した体をロープを掴んで支える。

 危うく転びそうになったがなんとか持ち直した。藍色の衣が私の足に絡みつき崖から落ちそうになるイメージが思い浮かぶ。

 目の前の一本のロープをかい潜るも、さらにまた一本のロープが目の前に現れる。それを何度も繰り返す。

 目の前の赤いロープが私の視界からその姿を消すことはない。瞼を強く閉じ、視界の赤い太い線を振り払おうとするも消えない。それどころか瞼を閉じた暗闇の中でもその赤い線はぼんやりと存在を示した。

 

 私が通り抜けた後のロープには、所々に私の右ふくらはぎから出た血液が付着していた。元々赤かったはずのロープにさらに赤色が塗り重ねられる。

 彼女の発砲した銃弾は私の影を撃ち抜くように走り抜ける私の後を何度も狙撃した。

 その度重なる狙撃を間一髪避けられた、と思う余裕は全くなく、私は自分の目の前にある赤いロープと対峙することで精一杯だった。


 息も絶え絶えに遊具の外へ出た私は、振り返り遊具の頂上に視線を向けた。しかしそこに月明かりに照らされる彼女の姿は見えなかった。

 すると突然私の頭上に影が出来た。

 やばい、と思った時には背中から受ける衝撃を感じ、私の体は地面に押し付けられていた。そして砂に顔面を擦りつけながら私の背中に馬乗りになる彼女に右腕を掴まれていた。

 身動きが取れない。荒くなった私の呼吸は私の顔面に押し付けられた砂を吹き飛ばす。私の汗ばんだ金髪が顔にかかって鬱陶しい。私は苦痛の表情を浮かべる。

 やはり彼女は私の隙をつくのが得意なようだった。私は彼女が飛びかかってきたことに気付かなかった、全く。


 私に馬乗りになった彼女が銃口を後頭部に突きつけていたと分かったのは、後頭部から銃の部品が揺れる音がし、ひんやりとした感触がしたからだ。

 先日の映画館での林は今の私と同じ気分だったのだろうか。少なくとも私には林とは違い22人ほどの味方は存在しなかった。誰かが私を助けにこの公園の砂の広場まで出向き、私に馬乗りになる彼女を始末してくれる確率なんて22分の0くらいだった。


 しかし私は諦めてはいなかった。というよりも諦めることを考える力が残っているならまだ動かせる体の一部を必死で動せと自分に言い聞かせていた。

 私が藻掻く度に、私の動きに合わせ地面の砂が模様を描く。さらに藻掻けば藻掻くほどに私の上に乗っている彼女は力を加え地面に押し付けてきた。

「──諦めろ」

 彼女の声はやけに特徴的な低音が響いており男性の声かと勘違いするほどだった。

 私は彼女の声に耳を傾けた振りをして藻掻くのを止めた。馬乗りになる彼女の力がほんの少し弱まったのを全身で感じた。

 その一瞬を逃さない。

 私は体を右へ回転させ、馬乗りになる彼女の方へ向く。

 彼女が掴んでいた私の右腕は回転する私の力に逆らい鈍い音を立てる。音から感じられるような同じ鈍さの痛みが右肩に拡がるのを感じた。その時、右肩が脱臼したのが分かった。

 私は体を回転させ、その勢いをつけた両足で馬乗りになっていた彼女を蹴り飛ばす。彼女は左へと転がった。

 砂の地面に足を取られそうになるもなんとか起き上がった私は、宙ぶらりんになった右腕を押さえながら彼女と対峙する。

 一方、私に蹴飛ばされた彼女もすぐに受け身を取ったようで、不安定な砂の上でしっかりと私に銃口を向けていた。

 右ふくらはぎの出血がジーンズを伝い、くるぶしまで滴っていくのが分かる。

 点滅する街灯の横の自動販売機には、相変わらず名も分からぬ小さな虫が集っていた。


「しつこいな」

 彼女の呟きは砂の広場を横切った風によって、どこか遠くの場所に吹き飛ばされた。遠くで聞こえたように感じた彼女の呟きを耳に入れた私は、眼帯によって見え辛い左側の視界で逃さず捉えようと、顔を少し左に向ける。

  

 ようやくしっかりと目視できた彼女の銃を向ける姿からは相当な威圧感を感じた。

 それはおそらく彼女の銃の構え方がお手本通りだったからだろう。

 私が「G.O.」で嫌というほど学んだ銃の扱い方を彼女は見事に再現していた。それは今までの経験の中でも、ひと目見て1番や神田に匹敵するほどの熟練の技を身につけていると感じるものだった。

 そして銃を構える彼女の目が異様に落ち着きを放っていることからも只者の殺し屋ではないと分かる。

 黒のジーンズを履き、革のライダースジャケットを首元まで閉めた彼女のベリーショートの前髪が風になびくのが見える。彼女の細く鋭い眼差しは、私を突き刺すアイスピックかのように思える。

 ベリーショートの髪が隠しきれない彼女のつるっとしたおでこからは、愛らしさよりも混じり気のない狂気を感じてしまう。

 これ以上対峙していれば彼女の手のひらで体力を失うまで踊らされたのちに、ガブっと飲み込まれてしまうような恐怖が迫っているように感じた。

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