18「テリーヌ」

 風圧で髪がなびき、目や口を覆い視界が狭まる。

 私は風圧と射撃を受けないであろう位置にある、駅構内の右奥に避難した。風圧を浴びている体を動かそうとするも足枷をはめているのかと勘違いするほど足取りが重い。視界が確保できる位置に避難する。

 辺りを見回すと神田とシンも同様に駅構内の左奥へ避難していた。しかし1番だけはその場に留まり狙撃銃の銃口をヘリに向けていた。

 轟音を響かせ、ヘリの機関銃が何発も銃撃を続けるが、まるで銃弾が1番を避けているかのように1番の周りのコンクリートの瓦礫を何度も撃ち抜くだけだった。

 撃ち抜かれたコンクリートの瓦礫から白煙が立ち込める。その中で狙撃銃を構えた1番の影が浮かび上がった。


 白煙の中から聞こえたのは一つの発砲音だった。

 1番が構えた狙撃銃からの発砲音は、機関銃の銃撃音よりも小さくかき消されてしまうほどだったが、不思議と私の耳元で囁いたかのように際立って聞こえた。

 1番の放った銃弾がヘリの操縦席に向かって飛ばされる。

 それはまるで満天の星空を横切る流星の如く静かで儚く、誰かがまばたきしている間に過ぎ去ってしまうように見えたが、銃弾が描く直線はまるで意思を持っているかのようにヘリの操縦席へ吸い込まれる。

 操縦席の窓を割った弾丸が操縦席に座っていた人間を狙撃した瞬間、時が止まった気がした。音が止んだ気がした。でもそれは間違いだった。

 ふと我に返った時にはヘリは丸い玉に乗っているかのようにバランスを崩し、改札口に墜落した。

 改札口から駅構内に続く入り口に狭まり、壁にぶつかったヘリのプロペラが音を立て粉々になる。プロペラが壁に引っかかったヘリの機体は回転を止めず、私達のいる駅構内へ尾翼を頭に突っ込んでくる。そして、尾翼が壁にぶつかり轟音を立てる。

 回転は止んだが、ヘリが墜落してきたせいで駅構内の改札口側の天井は崩れる。駅構内への入り口を塞いだヘリの機体に、崩れた天井のコンクリートや細長い折れた鉄柱などが降り注いでいた。

 ヘリの操縦席の窓には、ぐったりとして頭部から出血している男性がいるのが見えた。そしてさらに私の耳には2つの心拍音が聞こえていた。

 一人は徐々に心拍数を低下させ絶命寸前だということが分かったが、もう一人は98回/分とまだ生きていることが分かる。


 するとシンが腰から出した手榴弾のピンを抜き、コンクリートの下敷きになり半壊したヘリに向かって、投げ込んだ。

 私がそれを目視した瞬間には半壊したヘリは凄まじい音をあげ爆発していた。爆発はヘリの上に覆い被さったコンクリートもろとも吹き飛ばし、粉々になったコンクリートの破片が再び私達の体を貫こうとした。

 コンクリートの小石ほどの大きさの破片が私の顔めがけ飛んでくる。すぐさま背中を向け顔を防ごうとするも間に合わず、私の左顔面に激突した。衝撃で視界が揺れる。

 左目から見える世界が真っ暗になり、痛みが走る。左瞼を押さえると、ぬるっとした感触で手が血液に触れたのが分かった。


 顔を伏せる私が爆発の熱風を感じた時には、すでに先ほど聞こえていた残りの心拍音は消えていた。

 半壊寸前だったヘリは跡形もなく姿を消し、ヘリの破片が駅構内の至る所に落ちていた。破片には火が燃え移っているものもあり、通りかかった人からすればまさに地獄絵図に見えることだろう。

 私の耳に入っていた二つの心拍音はもう聞こえなくなっていた。


 私は手にしていた銃を地面に放り投げた。シンと神田も自身のジャケットの内ポケットに銃をしまい、1番は狙撃銃の銃身に抱きつくように持っていた。

 私達が一息つくと、シンはパンツスーツについた粉塵を振り払い、先ほど抜いた自身の人差し指にかかっている手榴弾のピンを地面に放り投げた。

「ったく、しょっぺー奴らだな」

 シンの声色からは攻撃を受けたことよりも自身のスーツを汚されたことに腹立っているような印象を受けた。

 地面に落ちているシンが投げた手榴弾のピンを目をやる。おそらくシンと1番が駅構内に参上した時の爆発も、同じ手榴弾で天井を崩落させたのだろうか。

「さぁ、一件落着しましたし、彼を捕まえてお家へ帰りましょう」

 両手でいかつい狙撃銃を抱いた1番の声はその姿に似合わず陽気だった。その声を聞いた私とシンと神田は謎の男がいる方へ同時に目をやる。


 そこに謎の男の姿は無かった。

 ヘリの不時着に紛れ姿をくらましたのだろう。彼が居たはずの場所には半径2mほどの血の池が広がっており、地面のタイルの溝を伝っており未だに拡がりを止めていなかった。

 神田が溜め息をついたのが聞こえた。

「まぁ、いいだろ」神田の声は妙な落ち着きを孕んでいた。

 あれだけの戦闘をした神田と謎の男の間には兄弟ながらも因縁があるのかと思っていた。しかし本心では自分の弟が死ななくて良かったと思っているのか、または弟が「G.O.」に捕まらなくて良かったと神田は思っているのだろうか。腐っても兄弟なのだろう。なんにしろ私は、神田兄弟が私の見た神田兄弟になる前を知らない。

 相変わらず今日も沢庵は黄色いままで食卓に並んでいるだけだった。


 神田はスマホを取り出し誰かに連絡をしていた。どうやら電話の内容によると応援を呼んだみたいだ。

 数分後には何名かの「G.O.」の職員と思わしき人間が、駅南口であった瓦礫の並んだ広場に集結した。

 無残に崩壊した駅構内の瓦礫を縫うかのように同じ黒いスーツを着た職員達が私達のもとにやってくる。救護課の職員だろうか、中には白いスーツを着ている者も見えた。

 左太ももと左脇腹、両手首と左顔面を負傷していた私は「G.O.」の職員に抱えられ駅構内から退散した。また「G.O.」の施設に連れて行かれるのかと思っていたが、ショッピングモールの前にある階段を降り道路に出たところで私への介抱は神田によって止められた。

「そいつは一緒じゃない」

 神田の声は清々しいほどまっすぐに私の耳に伝わった。

「バイバーイ」

 神田の言葉を聞いたシンは私の方を向き大袈裟に手を振った。彼女の嬉々とした声も神田の言葉と同様にまっすぐ私に伝わった。

「あれ? 礼央ちゃんも一緒じゃないの?」

 ただ一人、困惑した表情の1番はいつの間にか私の背後で立っており、その声で不意を突かれた私は驚く。

「礼央はもう『G.O.』の人間じゃない。連れて行く必要はない」

 口を開いた神田にシンは続く。

「そそ。れおちーはうちの人間じゃないから連れてかねーし、処置もしねー。それに経費でも落としてやんねー」

 両手を上に上げ、ピースの形で指を2回ほど曲げながら嘲笑したシンに1番が訴える。

「えー、そんな……。また礼央ちゃんと一緒に暮らせると思ったのに……」

 憂いの表情を見せた1番は神田とシンの言葉に納得しておらずまだ引き下がらない。

「神田くんだって礼央ちゃんと一緒に居たいんじゃないの? シンちゃんだって寂しいでしょ?」

 1番の言葉にシンは「はぁ?」と両手の平を天に向け顔で疑問符を描いた。

「1番には悪いが、社長からの命令なんでな」

 神田は1番をなだめるように言う。そして神田の「社長」という単語に反応した1番の顔は先ほどまでの母性の塊のような表情と打って変わって、眉をひそめ顔をゆがめた。

「……ちっ、あの野郎」

 聞き間違いかと思うほどの彼女の声は私の耳に、低く轟いた。その声は絹で包むような低音の上に風鈴のような儚さの高音を持つような、普段の彼女の声とは比べ物にならないほどのノイズを孕んでいた。

 しかし私がまばたきをした次の瞬間、表情が一変し、いつもの柔和な顔に戻っていた。

「うーん、じゃあ仕方ないわ……。礼央ちゃん、怪我大丈夫? 目、開けられる? またいつでも戻ってきたくなったら私のところに来るのよ。約束ね」

 私の顔を覗き込みながら1番は小指を立てた。

 指切りをしたいらしいが、誰がそんなことをしてやるものかという態度で、私は左顔面を押さえながらその手を払いのける。切ない顔をした1番だったが、神田に呼ばれた彼女は今到着したばかりの黒のハイエースに乗り込んでいった。

「じゃあね。風邪引かないでね」

 ハイエースに乗り込む寸前まで1番は私に向け手を振った。

 私は一切それに応じず真っ黒なハイエースの車体に映る自分の姿を眺めていた。そして、ハイエースの扉が閉まる寸前、神田とは視線が合う。その瞬間、私は神田の瞳の奥の深淵に触れた。そんな気がした。

 彼の深淵が私に向けて何を言いたかったのかは分からない。そしてそれは、彼の深淵が私に訴えかけるというようなものではなく、私の瞳の奥の深淵が彼の深淵と共鳴するようなものだった。私はそんな気がした。


 黒光りする車体は、通常の車よりも大きいその車体よりも巨大な力を持つ3人を乗せ、走り去って行った。

 彼らが去った駅南口には、無数の出血痕とコンクリートの瓦礫の山で溢れかえっていた。

 きっとこの現場の処理も「G.O.」が請け負うのだろう。特製の麻酔薬といい、大規模な現場の処理といい、会社の財力と技術力には底知れぬ恐ろしさを感じるほどだ。

 いつか私の存在も、私がいた証拠も、「G.O.」という大きな化け物に飲み込まれ何も無かったように消化されてしまうのではないかと思う。いや、もしかしたら私はすでに会社の胃袋の中で栄養を奪うだけ奪われ消化されている途中なのかも知れない。

 私の「3番」という存在なんか「G.O.」の前では、大皿にちょこんと乗せられたテリーヌかなんかの前菜であり、いつでも消化されてしまう危機感を私はあの無惨な現場からひしひしと感じ取った。

 もし「G.O.」が「3番」を消化してしまえば、その後には必ず「礼央」も消化し、消し去ってしまうだろう。そうなれば、私が私である定義を失ってしまう。最悪「3番」は失ってもいい。けれど「礼央」は失いたくはない。私はそう思った。

 伯父さんの「よぉ」という呑気な挨拶や、祖母の「いただきます」という掛け声、祖父の「はーい」という子供のような返事も、兄の自分勝手な晩酌に付き合わされる事も、いつまで経っても食事に降りてこない礼奈も、私の話しを聞いてるのか聞いていないのか分からない母の返事も、父との気まずい距離感も、全て私を「礼央」として成り立たせてくれる大切な条件だ。

「礼央」を消化する時、「G.O.」はそれらを一つずつ消化していくと思う。

 家族を失いたくない。そのために私は、対象者が「G.O.」の殺し屋であっても、神田でもシンでも1番でも、どんな相手であっても、どんな依頼であっても成功させなくてはいけない。失敗すれば、のちに処理されるこの現場のように「3番」も「礼央」も跡形もなく消されることは間違いない。

 吹き抜ける冷気とともに私はそう思った。そして私は今すぐに、私が「礼央」であった証拠を確かめたくなった。


 早く家に帰りたい。

 そうポツリと思ったが、今の負傷した私の体では「何が起こったのか」と母にしつこく問いただされるに違いない。それに、治療して傷が治るまでは、伯父さんは私を家には帰してくれないだろう。だが、私が誰かに始末される前に「礼央」であった証拠をこの目でこの肌でこの耳で感じたいと思った。

 一刻も早く皆に会いたい。

 しかし、現実は思いとは裏腹に、私がそう思えば思うほど、私と佐藤家との距離が離れていくような気がした。

 家族はいつだってそばにいるけれど、いつだって会えるわけじゃない。会いたいと思っていない時ほど気付けば頻繁に会っているし、会いたいと思っている時ほど会うことが困難になっていく。心の距離が近くても現実の距離が近いというわけじゃない。


 今、私は雲一つない夜空の下で「3番」と「礼央」の中間にいた。

 このまま、あの黒のハイエースに乗り込んでいたら私は再び「3番」として生きていったのだろう。逆に、この後、佐藤家に帰ることが出来れば私は「礼央」としてまた生き続けることが出来るのかも知れない。

 そんな不安定な現状はいつしか安定したものに変わるのだろうか。それを問い続けたところで安定に近付けるわけもなく、きっと今と大した違いもないまま私は「3番」と「礼央」の白黒のグラデーションを行ったり来たりしたまま最期を迎えるだろう。そしてきっとそこに現れる緞帳すら灰色に違いない。


 天を仰いだ私は、雲一つなかった夜空に一つの雲を見つけた。それは真っ白い縦長の雲だった。

 細々ながらゆらゆらとたなびくその雲は今にも消えそうだったが、意外にもいつまで経っても消えることなくその姿かたちを保っていた。そんな姿を眺めていると、これからも変化しないであろう白黒のグラデーションも、死ぬ気でもがけば、ちょっとくらいは何か変えることが出来るのかもしれないという思いがじんわりと芽生えた。

「3番」の過去は消せないが「礼央」の未来は作ることが出来る。いつか自分が「3番」だということを忘れられるほどの未来にすればいいのだ。私の頭の中で絡みに絡まった毛糸の玉が一気に解けたような気がした。

 しかし見ていた縦長の雲の尻尾を目で追った私は落胆した。なぜならその雲の尻尾を辿った先には駅構内入り口で爆発したヘリの残骸から白い煙が立ち昇るのが見えたからだ。

 その瞬間、呑気に考えていた自分自身に嫌気が差した。

 そのわずかな希望をくれた雲を夜空に浮かんだ唯一の雲だと勘違いをし、心が軽くなった私だったが、実のところ、それは雲ですらなくシンが爆発させたヘリの残骸から出るただの煙だった。

 消えることなく細々となびいたのは雲自身の力ではなく、壊れたヘリの内部で何かが燃えていたからで、雲自身には自らの形を留めていくほどの力はなかったということだ。結局、あの煙と同じように私も何かが失われることでその姿かたちを保っていられるのだ。煙がその姿かたちを保っていられるのはヘリの部品が燃えてなくなっているからで、私がその姿かたちを保っていられるのは対象者の命が失われたからだということだ。

私が「3番」であるから対象者の命が失われたのではなく、対象者の命が失われたからこそ私が「3番」になっていくのだと私は思った。


 私が必死でもがいても私が「3番」であった事実は変わらない。

 私が人生の幕を降ろす時もその十字架を背負いながらでなくてはいけない。煙を辿った先のヘリの残骸がそう言いながら嘲笑っているように感じた。

 結局私は「3番」で「礼央」なのだ。毛糸の玉を解き、喜んでいた私の目の前には無数の毛糸の玉で溢れかえっていた。

 私は一本の毛糸を両手に持った自分が哀れに感じ、すぐさま隠すようにそれを黒のパーカーのポケットにしまった。ポケットの中でぐちゃぐちゃになった毛糸が、いつの間にか毛糸の玉に戻ってしまうことすら考えもしていない。

 解いた毛糸をポケットにしまった私の頭上には、相変わらず雲一つない夜空が広がっていた。

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