10「コロッケ」
二日連続の勤務と少しばかりとは言えないハプニングを終えた私は、伯父さんから与えられた数日間の休暇をこれからどう過ごしたものかとぼんやり考えながら、リビングのテーブルで少なめの朝食を摂っていた。
目玉焼きとベーコン2枚が朝日に照らされ私の目の奥の奥へと届き、まだ煙のように眠気が残っている私の頭の中を、まばゆい光が貫いたように感じた。目玉焼きの黄身を崩さないように周りの白身からフォークで切り、口に運ぶ。
「なんだ、早起きだな」
父のか細い声は、久しぶりだったがいつもと同じように私の耳の奥までよく通る声質をしていた。
「おはよう」
父は挨拶をした私に対して小さく手を挙げ、そのままトイレに向かっていった。
大きな背中でのしのしと歩く姿は大手自動車メーカーの社長の姿とは遠くかけ離れていた。それを横目に目玉焼きの白身の領土を着々と侵略していた私は、白身を攻めすぎて黄身が潰れてしまったことに多少の落胆を感じた。
フォークで掬った黄身を何滴かベーコンにかけてやる。この黄色いソースが数滴かかったベーコン2枚が、高級な本場のフランス料理と言われれば遜色ないほど芸術的な仕上がりをしているなとふと思いながらその芸術的なベーコンをまるまる口に運ぶ。口の周りに付いた黄身を親指で拭う。
父との会話はいつもお互い沈黙が多く、会話を交わさない割合は地球の海と陸の割合でいうと、海と同じくらいだった。何を話そうか、何を話されるのかそれを意識しすぎて手遊びが増えたり、視線が泳ぐことが多い。
「沈黙できる関係が素敵だ」なんて言った奴を始末してやろうかと思うほど、私にとって父との二人きりの時間は居心地の悪いものだった。それはおそらく礼奈も兄も伯父さんも一緒で、父と二人きりで楽しく談笑出来るのは母くらいなものだろう。
ふと時計を見ると6時15分を指していた。
トイレを流す音が聞こえ、中から出てきた父がキッチンの冷蔵庫から麦茶を注いだ。
「伯父さんと泊りでバイトしてたんだってな、母さんから聞いた」
麦茶を飲みながらリビングにきた父は自分の兄を「伯父さん」と称し、自分の妻を「母さん」と呼んだ。親はいつまで経っても子供目線の間柄で話す。それは親心なのか、染み付いてしまって抜け出せないのか、気恥ずかしいのかは分からないが、父の場合は気恥ずかしさからくるものだろうと予測がつく。
「うん」
父に一瞥することなく返事をした私は食べ終わった食器類をキッチンのシンクに置いて水を張る。食器に水を張らないだけで母に怒られていた私の幼少期を思い出す。
「あいつはこき使ってくるから嫌だったら断われよ」
それは十分に理解しているはずだった私は父の言葉を受け、そういえば私は伯父さんの依頼を断ることも出来てしまうのかと、はっとしてしまった。
私は父の言葉に耳を傾けていたが返事をしなかったせいで、「余計なお節介をして娘に無視された父」の構図が出来上がってしまった。
父はそのまま2階へ向かい紺色のスーツに着替え再びリビングに降りてきた。アクセントの臙脂色のネクタイが映える。父と一緒に母が起きてくる。昨日準備したであろう弁当箱を冷蔵庫から出した母は父に尋ねる。
「今日は遅いの?」
「いや」
答えた父は玄関へ行き靴を履く。
「今日は遅くならないと思う」
そう言いながら母の準備した弁当箱を受け取る。「じゃあ」と手を挙げ挨拶をした父は駐車場に停めていた真っ赤なスポーツカーに乗り会社へ向かう。独特なエンジン音が家の外から聞こえた。父が乗り込んだスポーツカーには「SATO」というエンブレムが付いており、その赤い車は「RE5i」という名前の車で、自動車メーカー「SATO」の新作車だということを車に興味の無い私はバイクに興味のある兄から訊いた。
父の会社は「SATO」という大手自動車メーカーだ。
「SATO」は業界でも有名な自動車メーカーであり、ここ数年、四輪自動車部門では売上2位、二輪自動車部門では1位の業績を出している指折りの自動車メーカーである。
さらには、その会社の創設者は佐藤礼太郎であり、私の祖父である。そして私のパートナーである伯父さんの礼一は、本来ならば二代目社長になるはずだった。しかし伯父さんはそれを断り、現在は殺し屋のパートナーとして活動している。
そのため兄の代わりに後を継いだ弟である父の礼二が「SATO」の代表取締役社長として任命されて現在に至る。という話を伯父さんから聞いた。
伯父さん曰く「俺は技術者畑の人間だから、会社の経営とか面倒くさいことは冷徹な兄のほうが向いている。俺は親父に似て、兄貴はお袋に似ている」とのことだった。
私からすれば伯父さんが社長にならなかったおかげで、会社に勤めていた時に培ったであろう技術を用いた装備や知識のお陰で業務が円滑に行えており、大変助かっている。私の愛用の武器であるアイスピックも伯父さんが作ってくれたおかげで硬度が異常に高い。また現場までの移動手段として使用している軽トラも伯父さんが改造し、通常の軽トラよりも何倍もの馬力を持っており、防弾性能も格段に違うと意気揚々と語っていたことがある。
防弾性能が必要になるほどの業務になるかどうかは分からないが、とにかく自分で改造した軽トラに愛着が湧いているのだろう。他人に自慢したくなる気持ちは私にもなんとなく理解できる。しかし「SATO」で働いている数え切れないほどの社員は、自分達の会社の技術が殺し屋に活かされていると知ったらどんな気持ちになるのだろうか。
誰かにバラしたところで信じる者がいるとは思えないが、少なくとも当事者の私は「できれば秘密にしておきたい」程度の申し訳なさしか持ち合わせていなかった。
午前11時になっていたと気付いたのは、母と祖母が買い物に出掛けるから昼ご飯は何がいいかと聞いてきたからだ。
手元でインスタの投稿が下から上に流れるのを見ながらこれだけの人がまだこの世には存在してるのかと思い、ならば少しくらい減ってもいいだろうと自分に言い聞かせていたせいで時間を気にしていなかった。といっても時間を気にするほどのスケジュールが無いのはインスタにも投稿されていない、この世で私しか知らない事実だった。
特に食べたい物が無かった私は「出掛けるから外で食べる」と伝え、取り繕うようにすぐさま出掛ける準備をした。
昼ならば職務質問を受けることは無いだろうからと、刃渡り2cm大のアイスピックと財布とスマホを黒の小さめのウエストポーチに入れ斜めにかけた。グレーのパーカーを着てスリムジーンズを履き、黒と白のランニングシューズを履いた私はちゃんと23歳の女性に見えるのか、玄関にある姿見を眺めて確かめる。うん、大丈夫そう。
「いってきます」
誰かの返事は期待して無かったが、母と祖母が各々「いってらっしゃい」と返してくれた。その返事を最後まで聞く事なく、玄関から出た私は最寄り駅へと歩いた。
駅までの道のりは商店街が並んでいるもシャッターが開いているのは5mほど歩いて1軒あるかないかだった。
少し歩くと幼少期に通っていた肉屋が潰れて出来たファミリーレストラン、が潰れて出来たコンビニが潰れていたのが見えた。
そういえば以前にここにあった肉屋では店頭でコロッケとメンチを売っており、母と二人きりで買い物に行った帰りに家族に内緒でコロッケを一つずつ買って食べ歩きながら帰った自宅までの道のりを思い出した。私はコロッケが大好物と言うわけでもないので、大して喜んでないように見えただろうが、内心でコロッケよりも兄と礼奈に内緒という特別な状況は、母と一緒にいけないことをしているみたいでとても心が弾んだのを覚えている。
あのコロッケの味は覚えていないがこの駅から自宅へと続く道と母と手をつないだ感触はしっかり覚えていた。
あの時の肉屋は綺麗に塗り替えられるようにファミリーレストランに変わり、その後でさらにコンビニに変わってしまった。そして、そのコンビニもいつかは別の何かに綺麗に塗り替えられてしまうのだろう。私の記憶も同じかもしれない。しかし、何度も塗り替えられれば塗り替えられるほど私の手に残った母の感触はその存在価値を増していき、塗膜とともに厚くなる。忘れてしまう記憶もあれば、忘れるように導かれれば導かれるほど鮮明になっていく記憶もあるのかも知れないと私は思う。
私は、分厚くなった手を握り締めながら駅へと向かった。
電車に乗って向かった先は2駅先の映画館だった。
透明の自動ドアが開くと一気に甘い匂いに包まれた。その匂いの正体はキャラメルポップコーンから発せられる匂いであることは理解しているつもりだが、どうしてもこの甘い匂いを映画館自体から発せられる匂いだと錯覚してしてしまう。
館内のロビーは薄暗く、売店のメニュー看板のポップな明かりが目につく。人もまばらで閑散としていたが、それが平日の昼間の映画館らしくもあり、心地良かった。
見たい映画は決まっていなかったため映画館に着いてから上映スケジュールを眺め、一番上映時間の近い作品を見ることにした。字幕と吹き替えの二つがあったが、早く上映される方を目で追っていくと字幕であった。
スクリーンに入る前にトイレに向かう。便座に腰をかけ、5分後に上映されるイギリスの映画のあらすじをスマホで調べてみた。
内容は売れない音楽プロデューサーが偶然出会った失恋した女性の曲を気に入り、それがきっかけで街中でアルバムを作る、というものらしい。ありふれた音楽映画だなと思い、期待はしなかった。
劇場の廊下を通り、高さ2m、幅2mほどの分厚い観音開きの扉を押し開け入る。中にはさらに小さな廊下があり、左方向には場内への出入り口、右方向にはトイレへと案内板が出ていた。出入り口へと向かう。
出入り口と言っても扉はなく、高さ2m、幅4mほどの空間がアイボリー色の壁にポッカリ空いているように見える。中は漆黒で包まれており、真っ黒い絵の具で塗った四角い壁のように見えた。
場内は、高級な椅子に使われていそうな赤色のクッションが壁の全面に使われており、スクリーンはさほど大きくはなく、端に座ってもスクリーンのカーブが気にならないほどの大きさの劇場だった。
劇場の一番後方からスクリーンを見て、3つの座席のブロックに分かれている。一番広範囲の「中央ブロック」と「右ブロック」の間に1mほどの通路があり、「中央ブロック」と「左ブロック」の間にも同様の幅の通路がある。
通路には共通して2mごとに3段の小さな階段が存在する。そして振り返ると左ブロックの後方には、先ほど入ってきた場内と廊下をつなぐ唯一の出入り口が存在する。
8番スクリーンのH13の椅子の座面を倒し座る。先ほど無人のチケット購入機で、中央のブロックの左後方よりの席を選んだ。
座った直後にいくつかのCMが流れ本編が始まった。周りには客はおらず、私と後から入場してきた左斜め後ろに座った男性、最前列右にいる女性二人組の四人だった。
場内が暗くなり本編が上映される。40代くらいの音楽プロデューサーの男性が、30代くらいの女性の弾き語りライブにふと入場し、酔っていた男性は彼女の弾き語りの曲からアレンジが思いつき、誰も座っていないはずのドラムセットがリズムを刻み、誰も鍵盤を叩いていないのにピアノが音を発し、誰も触れていないはずのチェロとヴァイオリンが宙を舞う弓で擦られ、音を奏で始めた。彼の頭の中で編曲された音楽がその場で奏で始められた、という演出のシーンが流れた。
15分ほど経ったところで左斜めにいた男性が席を立ち、劇場から立ち去ろうと出入り口に向かった足音が聞こえた。しかし、私の左斜め後ろから遠ざかった足音は出入り口ではなく段々とスクリーンに近付いているのが分かった。劇場の出入り口は私の左後方にあり、それが彼にとって一番近い出口だったにもかかわらず、なぜ前方に向かいスクリーンに近付くのか。
足音の行く末が気になったのは、映画がつまらなく集中していなかったのもあるが、それよりも男性の心拍数が69回/分から121回/分へとスクリーンに近付くほどに上昇していたのが決定的な要因だった。
嫌な予感が場内を漂った。
男性の呼吸音に集中してしまう。荒くはないが無理やり落ち着きを保とうとしているような呼吸を感じる。
嫌な予感はピークに達した。私はウエストポーチを自分の前に回し、ファスナーを開けいつでもアイスピックを出せる状況を作った。
見事に、嫌な予感は最前列から聞こえたハウリングと共に的中した。正しく言えば彼が構えた銃から放たれた二発の「嫌な予感」は、最前列右にいた女性二人組の胸部に一発ずつ見事に「的中した」。
悲鳴は聞こえなかった。場内を引き裂くような銃声が2回連続で響いた。私は彼が発砲する前に発した銃を構えた音を聞き、椅子から降り身を伏せていた。
銃声が響くのと同時に、並んだ椅子の後ろで身を屈めていた私は左側通路へ飛び出し、そのまま左ブロックへ移る。身は屈めたままで左側の壁まで歩き、行き止まりとなった。
私から発砲した彼までの距離は50mほどだろうか。この距離ならば彼の銃弾が私を貫く可能性は低い。
スクリーンには先ほどの30代女性と40代の男性がバーで会話をしている姿が流されている。字幕だったために身を屈めた状態では何を言っているのか聞き取れなかった。とはいえ休暇だというのになぜこんな緊張感の中で映画を見なくてはいけないのかと辟易した私は、せめて吹き替えにすれば良かったと心の中で後悔していた。
耳を澄ますと聞こえてくるのは映画の音楽と、発砲した男性の呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻す音の二つだけだった。
銃声が聞こえてから数十秒経つも劇場の係員が来ないのは、きっとここが映画館だからだろう。多少の銃声や爆発音は日常茶飯事に聞こえてくる映画館の劇場の係員は、まさか先ほどの銃声が本物だと思う方が難しい。銃声を気にする劇場の係員が来ないのは、なんら不思議ではなかった。逆に銃声が気になり係員が来てしまえば余計な被害者が増えるかもしれない。大事にして警察のお世話になることは避けたかった。
しかし、未だ状況が掴めていない。単なる発砲事件なのか、神田のいうように「働こGO」の人間が私を狙っている犯行なのか、はたまた単に最前列右にいた女性二人組を狙った犯行なのか、区別ができない。単なる発砲事件ならば警察に連絡しないのも後から逆に怪しまれてしまう。私はスマホを取り出したものの、警察に連絡するか伯父さんに連絡するかで悩んでいた。
発砲した男性の足音が最前列右から中央ブロックへ向かってくるのが聞こえた。
彼はズボンのポケットに入った弾丸を取り出し、銃に装填しながら歩いた。彼の心拍が上がっているのが手に取るように分かる。
発砲する前と発砲した後、そして今私に向かって来る時の心拍の上がり方からすると「G.O.」所属の殺し屋のような手練れではないと感じ取れた。
壁づたいに伏せているため音が反射し、いつもよりも細かく音を判別できた。動きからすると男性は175cm程の身長で中肉中背、ゆったりとしつつも芯のあるような足音からは背筋がいい男性の姿が思い浮かんだ。
手にしている銃は握りこむ音と発砲音から「M19」というリボルバー式の拳銃だと判断した。
男性はゆっくりと幅の広い階段を登っていく。幸い私のいる位置は完全には把握できていないようで何度か足音が止まり階段を2〜3段昇降する音が聞こえてくる。しかし彼は上映前に私の姿と座席の位置を確認しているため、おおよその検討はついているようだ。確実に私の元へと足音は近付いている。
真っ暗な中、スクリーンの明かりだけが場内を照らしている。先ほど発砲した煙が視界に入った。
中央ブロックの右側通路を通り、一列ずつ素早く椅子の死角から体を出し、誰かが背もたれに身を隠していないか銃を向け確認している。音からすると、あと3列目のところに私は居るが、彼は右側通路から中央ブロックの座席を確認している。
私は中央ブロックでは無く左ブロックの壁づたいに身を伏せている。彼が中央ブロック左側通路から左ブロックの座席を確認しない限りは、距離がある分回避出来る選択肢は増える。と言っても中央ブロック右側通路から左ブロックの座席はわずかに見えてしまっている。距離的には銃弾は正確には届かないが被弾する可能性も無くは無い。
私が身を伏せている場所が見えるであろう所まで、あと2列目のところまで彼は来ていた。足音が数歩聞こえ、彼が息を止め銃を構える音が聞こえる。しかしその銃口はまだ私には届かない。
男性から深い吐息が聞こえた。
その緊張が途切れる瞬間を見計らって私は腰を上げ、後ろにある座席の背もたれに手をかけ、逆立ちするように背もたれを掴んだ座席の、さらに後ろの座席へと回転しながら飛び移る。男性のいる方向を向きながら、座席の背もたれのわずか6〜7cm程の幅に乗り、バランスを取りながらしゃがんだ。
スクリーンの光が男性の右半分の顔を照らし、同時に私の左半分の顔を照らす。その時、目が合ったのが分かった。男性が銃を構える。男性のハウリングが私の耳を貫く。
私は座席の背もたれを走り抜け、左ブロックから中央ブロックの一列手前の座席の背もたれに倒立前転をしながら飛び移る。着地した背もたれが私の勢いと体重で軋むのを感じた。
男性が2発ほど発砲する。しかし、俊敏な動きで移動する私を捉えることは出来なかった。
私は座席の背もたれの6〜7cm程の幅を走ることを止めず、中央ブロックの右端まで走り抜けたところで大きく踏み込み、男性のちょうど後ろに見える、右ブロックの座席の背もたれへと4回転しながら飛び移った。
真上を通り過ぎる私に男性は二度発砲したが銃口は私の姿を捉えきれていなかった。
劇場の天井の点灯されていない照明に誤射され、2つのダウンライトが銃弾で火花が散り、割れる。わずかに降ってきたダウンライトの破片が彼の足元に落ちる。
後ろの座席の背もたれにしゃがんだ私へ振り向いた男性は、私の頭部を狙い、銃を持っていない左手でフックを食らわそうとする。
私はその手を両手で防ぎしっかりと掴んだ。手を離そうとする男性の力は強かったが、自分の懐へと引き込んだ私の力のほうが勝った。
バランスを崩した男性は私の体の左側へと前かがみになる。
私は彼の頭を両手で掴み、左膝で蹴りを3発入れた。私の左膝に付いた血が男性の鼻へと繋がっているのが見えたがすぐに地面に垂れた。そのまま男性の頭を左足で踏みつける。
劇場の床へ体ごと頬擦りした男性の右手にアイスピックを突き刺し、手から離れた拳銃を奪う。私は床にうつ伏せで寝ている男性に馬乗りになり、後頭部に銃を突きつけた。
「仕事は済んだはず。なぜあなたはここに?」
男性は何も答えない。
銃口を後頭部に強く押し付ける。
「……私が狙われるからだ」
案外つまらない答えだった。おそらく私をつけて映画館に入ったところで始末しようとしたのだろう。それには部外者が邪魔だった。
私を始末するためだけに最前列右にいた女性二人組を殺したということらしい。そんなことは殺し屋であるとするならば失態中の失態だ。対象者以外を始末する意味なんて無いし、必要も無い。床に押しやった見覚えのある横顔を見つめる。
「今日は休みなの。あなたを始末しても報酬は無い」
「……見逃すのか?」
「それも無い。林さん、もしかして死にたくないの?」
林は何も言わなかった。
スクリーンからは女性が歌うロックなナンバーが聞こえ、その女性が放つキラキラした光が私達を照らし続けていたが、その光は私達にとってチラチラと目障りで、ただの鬱陶しいものでしかなかった。
佐渡と同じように石橋組から狙われることを恐れた林は石橋組の唯一の殺しの発注先である私を始末してしまえばいいと考えたようだ。
なぜそんな無謀なことを考えたのかは分からないが、今こうして関係のない女性二人組を無残にも殺害し、私に銃を向けた林が殺されそうになっていることは間違いない。
全ては私次第なのだが。
「私一人じゃない」
そう呟いた林は言葉を噛みしめるように続けた。
「……死にたくないのは私一人だけじゃない」
スクリーンから流れていた曲が止んだ。
スクリーンの男女の会話をBGMに劇場の左奥の出入り口から数m先に十数名の荒々しい足音と同じように荒々しい呼吸音が聞こえた。
私は劇場の出入り口を見る。耳に集中するまでもなく、足音が近付いて来るのが分かる。
私は馬乗りになっていた林の後頭部を林から奪った銃で撃ち抜いた。
ハウリングが止み、力果てた林の後頭部から出血がとめどなく流れるのが目に入ったが、今はそんなことに目を奪われている場合では無い。彼のズボンのポケットから弾丸を数発奪った。
立ち上がった私は劇場の出入り口に銃を向ける。暗闇からスクリーンの光に照らされ黒いスーツを着た男性が2〜3人入ってきたのが分かった。全員拳銃を持っているのが分かる。おそらく林が呼んでいた助っ人達であろう。私一人じゃない、とはこのことか。
石橋組の林派の部下、十数名が私を狙ってこの映画館のこの劇場に押し寄せてきた。数多のノイズやハウリングに耳を伏せたくなる。
私は先頭の組員に発砲する。見事命中し、組員の頭部に銃弾が撃ち抜かれた。しかしそれに気付いた他の組員が私に向かって一斉に射撃する。
私は続けて発砲しようとするも手に持つ拳銃には弾丸が入っておらず、撃鉄が悲しく音を立てるだけだった。
私は座席を盾にし、スクリーンの方へ向かう為、右側通路を走り抜ける。中央ブロック最前列の座席を盾に身を隠す。組員達は移動した私に標準を合わせ続けており、いくつかの座席が銃弾で撃ち抜かれ、綿が舞う。
さらに他の組員達が次々に劇場に入り、左側通路や右側通路、中央ブロックの座席に18人程の組員がいるのが見えた。劇場の後方の座席は石橋組の組員たちのノイズとハウリングの音で満席になっていた。
林から奪った弾丸が12発あるのを確認した私は銃に6発装填し、残りをパーカーのポケットに入れた。
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