8「塩」
「あなた、何番?」
自分のベッドから私は彼女に話し掛けた。
「うち? 7番」
「……あなたも一桁じゃない」
「それな」
「傷は大丈夫なの?」
「ま? 心配してくれるとか嬉しみマックスなんだけど」
「大丈夫そうね」
「大丈夫くない。痛すぎワロタだし。それに死神課長、麻酔無しで処置するとかあたおか」
「死神課長?」
「そう、死神課長。あの陰キャの救護課の課長。クソ痛かったんだが」
「てゆーか、あんた3番でしょ? なんでここ抜け出したの? 無事で済むわけなくない?」
私が3番だということは知らなかったみたいだが、3番という殺し屋が「G.O.」を抜けだしたことは知っているようだった。
話しかけている間もスマホのキーボードをタッピングしている音を発生させている7番の質問を無視することにした私は起き上がってトイレに向かった。
まだ右足と背中が痛むが昨日よりかは楽になったことは歩いている途中に実感した。
「G.O.」の施設内の廊下は病院と見間違えるほどの清潔感があり、病室が何室か続いていた。唯一病院と異なるのは白衣を着た人間や看護師のような格好をした人間がいないことだろうか。トイレを探していると真っ白なスーツを着た男女2〜3人とすれ違った。
私の幼少期の記憶の引き出しの下から3番目くらいの位置の棚を開け、真っ白なスーツを着た人間は救護課の人間だと理解していた記憶を手に取る。もしかして仕事の時は紫仁もこの真っ白なスーツを着ているのかと想像してしまった。
近くにいた職員らしき人にトイレの場所を尋ねた。指差された方向へ向かっている途中で伯父さんの背中の丸まった後ろ姿を見かけた。
「伯父さん」
声をかけると伯父さんは「よぉ、礼央」と手を挙げ、佐藤家に遊びに来た伯父さんを出迎えた時のような簡素な挨拶を交わした。しかし白いシャツに黒のスーツとネクタイを身にまとったその格好は佐藤家に遊びに来るには少しフォーマル過ぎた。祖母が見たらきっと塩をかけて「縁起が悪い」と追い出すだろう。私は伯父さんには似つかわしくない姿をまじまじと見つめてしまった。
「なんだ? 似合わないか?」
伯父さんは眉をハの字にした私に、歯を見せニヤッと笑みを浮かべた。
「まぁ、郷に入っては郷に従えって言うだろう。『G.O.』の郷に入って、『G.O.』の郷に従ったんだ」
先ほどの笑みはくだらない冗談を思いついた笑みだったのかと気付いて呆れた。
「あ、そう」
伯父さんに一瞥もくれず、私はトイレに向かった。
用をすませると廊下の壁に寄りかかっていた伯父さんは同じような黒いスーツを着た「G.O.」の職員らしき人間と会話していた。トイレから出た私に気付いた伯父さんは会話を切り上げた。
「佐渡の件は全部神田が処理してくれたみたいだ。あの現場の清掃やらお前の世話やら、諸々甘えさせてもらったよ。全く、番犬様様だな」
どうやら伯父さんは昨日の佐渡の依頼の事後処置の確認のために、ここに赴いたようだ。
第一声が私への心配の声掛けじゃない点からして私の見舞いが目的じゃないことが気になったが、わざわざ、事を荒立てるような元気はない。まぁ今日は許してやろう。
私は「そう」と短く返し、伯父さんと並んで自分の病室へと歩みを進める。
「佐渡さんが私の始末を依頼したって?」
「聞いたか。神田はここの誰かがお前の始末を依頼したって勘ぐってたみたいだけどな」
「佐渡さんは誰から、自分の始末を私が受けたって聞いたの?」
「さぁな。石橋組の佐渡派のやつじゃないのか? ──まぁ、なんにしろ、昨日は神田が来てくれて助かったな」
「余計な人もいたけど」
伯父さんは頬を膨らませた私の肩を軽く叩いてなだめた。
「まぁまぁ。シンとか1番がお前の始末の依頼を受けてなくてよかっただろ?」
慰めにもなっていない言葉に呆れた。冗談でもシンや1番を相手にするなんて想像もしたくなかった。身の毛がよだって仕方ない。苦虫を噛み潰した私の表情を見て伯父さんは鼻で笑った。
「7番で良かったじゃねぇか」
「え? 7番、って伯父さん知ってるの?」
「あぁ、結構有名なんじゃないか?
なるほど、やはり彼女は高校生だったか。
礼奈と同世代とは信じられなかったが、女子高校生という単語など、数年前に青春を終えた私にとっては不可侵領域であり、軽々しく口に出してはいけないことは間違いなかった。
そして私はその時初めて伯父さんの言葉で彼女は「足人」だったかと知り、昨日の光景を思い返していた。
耳が異常に発達している私は、殺し屋の世界では「
158号室に入った時に扉を壊したのも、床を爆発するように踏み込み、高速で回転したのも、異常に発達した彼女の足だからこそ為せる技だったのかと合点がいった。
それにしてもあの高速回転を足の力だけで生み出していたのかと思うと、7番の呼び名は伊達ではない。
できればもう二度と対峙することがないように私は願った。知らぬが仏とはこのことだ。
「へぇ」
これ以上「G.O.」の人間について詮索すると私の知らない事実が芋づる式に溢れ必要のない感情に蝕まれることを懸念した私は口をつぐんだ。
そんな私の姿が、伯父の話に興味が無い
伯父さんの後ろ姿を眺めていた私は、佐渡を始末する前に車の中で伯父さんが言っていた『「知らない仲じゃないから、』のかぎ括弧を閉じ忘れたのはわざとだったのか、その後はどんな言葉が続くのかをまた聞きそびれてしまったなと思いながら小さくなっていく、聞き慣れた伯父さんの足音に耳を傾けていた。
「おかえり」
閉め切っていたはずのカーテンが空いており、隣にいる7番がベッドの上でスマホをいじりながら、多分私に挨拶をした。閉めていたはずなのになと思いながらカーテンを閉めようと近付いた。
「無視するとかやばみざわ。まじつらたんなんですけど」
先ほどと同じようにスマホの世界に囚われた彼女の視線は私に向く事はなかった。
「私はそんなの知らみざわ」
語感だけを頼りに返答した言葉のお陰で私は彼女をスマホの世界から救う事ができたのだろうか、7番は私の顔を見つめ、ぷっと吹き出した。
「何それ、草。わけわかめ」
7番が吹き出した反動で、首にぶら下げたストラップに繋がれたスマホは7番の胸の辺りでわずかに揺れた。その光景が目に入った私は、昨日の「人間催眠術器」を思い出してしまう。
あの繋がれたままのハーネスも神田の指示で「G.O.」の処理部の誰かが回収したのだろうか。
そういえば、今日はあまり耳が疲れないなとふと思った。その理由は昨日、一昨日に比べてハウリングが聞こえないおかげだったと気付いたのは、夜になってベッドに横になってからだった。
数日後、紫仁の診察を受けるために、綺麗に整理された薄暗い処置室の丸椅子に座った私は白い無地のTシャツを脱ぎ背中を向けた。紫仁は処置をしてくれた日の手術服とは違い、首元の見えない女性らしいふわりとしたシルエットのシャーリングブラウスと呼ばれる黒色の上着を着ており、その上に白衣を羽織っていた。下は黒のスーツのパンツ姿で、か細く長い足がより強調されており、私より身長がある紫仁にはよく似合っていた。
「どう?」
私は背中を向けながら紫仁に訊く。
「昨日は救護課の備品を整理していた。今朝はホットケーキを食べた」
「……そう。あ、そういえばさぁ、ホットケーキってパンケーキとも言うじゃん? その違いって何? 何がホットで何がパンなの?」
「もう傷は閉じてる」
「じゃあもう帰れる?」
「知らない」
「……え? 神田さんは何か言ってた?」
「大丈夫。もう帰れるよ」
「あ、帰れるの?」
「部長はある程度治ったらもう帰していいって」
「うん」
「帰れる」
数日経っても、久しぶりの紫仁とのテンポのズレた的外れな会話はここを抜け出す前と同じだった。
「帰る場所、あるんだね」
私がTシャツを着て丸椅子を半回転させると、紫仁は私の目を見つめて言った。
その声は小鳥のさえずりでも、カラスの啜り泣きでもなく、私の大好きな親友の絹の様に滑らかな優しい声だった。
しかし、絹のような声で放たれたその言葉に対して私は小さく頷く事しか出来なかった。
本来であれば「遊びに来て」のような返事をすべきなのだろう。しかしここの職員からすれば私は、自分を生かしてくれた「G.O.」を捨て、偽の家族に招き入れられ、愛情を求めるようにくだらない家族ごっこをしている様に見えても仕方ない。
3番の親友である紫仁と、礼央の家族である佐藤一家には何の繋がりもなく共通の知り合いは、私含め誰一人存在しない。交わることや重なること、近付くことすらありえないのだ。
紫仁には家族なんてものはいないし、本来私にも家族なんてものはいない。帰る場所はいくら探したって見つからないし、そもそも「帰る」なんて行為は、私達殺し屋にとってはヒマラヤに咲いた一輪の花を手に入れるくらい難儀なことだ。それに元々そんな役に立たないものは殺し屋にとってはこれっぽちも必要ないものだ。
いつの間にか極地で咲き誇っていた一輪の花を手にした私は、紫仁に「帰る場所、あるんだね」という言葉を聞いて初めて、花を強く握り過ぎて茎がしなしなになっていることに気付き、さらにその花をどこに飾るか、どこに飾りたいのかすら考えていなかった事にふと気付いた。しかし、私はこの花を手放す理由も見つからず、どこに飾ろうか辺りをウロウロしている様はまさに佐藤家と「G.O.」と伯父さんのマンションを行ったり来たりしてどっちつかずの私の現状と酷似していた。
「また会える?」
紫仁は先ほど私を見つめていた視線を下にずらし、いつもの伏し目がちな表情で呟いた。抱きしめたくなる衝動に駆られたが、その力は腰の上付近から心臓の下付近に存在する、あるはずのない感情の臓器みたいな場所に加わり、その臓器をぎゅっと握り締められた感じがした。
そこから伝わった力で手の指、足の指を握りこんでしまった。
「さぁ、ね」
Tシャツを着て黒のパーカーに袖を通した私は丸椅子から立ち上がった。
「じゃ、また」
軽く挨拶すると同時に振り返り、紫仁の顔に目をやる。左の髪を留めている紫陽花の花びらを模した飾りのついているヘアピンが何かに照らされ、キラリと光ったのが分かった。
「じゃあ、また」の「また」は、また明日の「また」でも、また今度の「また」でもなく、また会えるといいなの「また」であったが、「じゃあ、また」の続きを言わなくても紫仁ならちゃんと分かってくれる気がした。
小さく胸の位置で手を振る紫仁に手を振り返し、薄暗い処置室を後にした。
久しぶりの親友との別れはこれくらいサッパリした方がいいだろうと自分に言い聞かせ、紫仁に伝えたかった話の数々を口に出さなかったことを後悔しないつもりでいた。
「G.O.」の施設を出る前に、病室に置いてあったわずかな荷物をまとめ、ベッドメイキングをしていると隣のベッドに7番がいないことに気付いた。紫仁の診察を受けている間にどこかに行ったのだろうか。ベッドメイキングが終わりかけた時に後ろから神田がやってきた。
「もう大丈夫なんだってな。42番から聞いたよ」
「はい。ありがとうございました」
「礼一さんにもよろしく」
「はい。それよりもこんな簡単に帰していいんですか? てっきりもうここから出してもらえないのかと」
「ああ、それは大丈夫だ。18年前の時はここの奴らは必死でお前を探してたけどな。5年前にまた逃げた時からみんな諦めてるよ。それに探したところで捕まえられないし、何よりうちも今は大変なんだ。お前に構っている時間も余裕もないらしい」
神田から視線を外し、ベッドメイキングを再開したが私の耳はしっかり神田の声を捉えていた。
「それに今の処理部の部長は俺だしな。権力は偉大ってことだ」
ベッドメイキングを終えた私は荷物を持ちながら神田にお辞儀した。
「では失礼します」
何も言わず手を小さくあげ挨拶した神田を通り過ぎ、病室を後にしようとした。
「そうだ、
通り過ぎようとした私に話しかけた神田は、「明日」のアクセントが次の日の意味と言う明日ではなく、固有名詞の明日を指しているように尋ねてきた。
そういえば7番は神田に明日と呼ばれていたのを思い出した。
「7番ですか?彼女は少し」
「……うるさい?」
「いえ、少し息が多いです」
答えるのと同時に病室を後にした。神田は私の答えに納得がいってないのか頭に?を掲げていた。
「そうか」
理解してもいないのにとりあえずの返事をした神田は、廊下を歩き始めた私に話しかける。
「そういえば、42番。なんて言ったか、確か」
「
「そうだ、『しに』。お前はそう呼んでるんだっけか」
「はい」
「……紫仁か。覚えとこう」
2回目のお辞儀をした私は神田に背を向け施設内の玄関へと向かった。無機質な廊下を歩く最中に真っ白なスーツを来た救護課の職員の何人かとすれ違った。
私の足音がいつもよりも早かったのは、一刻も早くここから逃げたかったからでもなく、すぐさま私の家族と会いたかったからでもない。頭の中で聞こえるリズムに合わせ足を出していたからだ。まだ耳に残る、エンドレスループしている7番がスマホのキーボートを高速で叩く音に合わせながら。
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