第二章「鼻がいい殺し屋」

7「カラス」

「G.O.」は「働こGO」の傘下の会社であり、殺し屋専門育成組織だ。

「G.O.」は「働こGO」から派生した組織でもある。つまり「G.O.」は「働こGO」へ優秀な殺し屋を提供する為の、「働こGO」のプライベートブランドと説明したほうが分かりやすいかもしれない。

 幼少期から「G.O.」で育成された殺し屋は類稀なる身体能力を有し、私のように体の一部が異常に発達するように育成された殺し屋も何人かいる。「G.O.」の殺し屋は幼少期から実力主義であり、年齢や所属した順番に関わらず、能力が高ければ高いほど若い番号で呼ばれる。名前なんて言う贅沢なものは存在しない。


「礼央」

 処置台に上半身裸で、自分の手を枕にうつ伏せになっていた私を呼ぶ声がした。

 声のする方へ顔をやると、紺色の医療用白衣を着て、同じ色の手術帽とマスクを着けた紫仁しにが手術用のゴム手袋をはめながら生気の無い目で私を見下ろしていた。

「一気がいい? ゆっくりがいい?」

 小鳥のさえずりか、もしくはカラスの啜り泣きのようなこの声を聞くのは久しぶりだった。

 懐かしい声に耳がくすぐったかった。まさか上半身裸でうつ伏せているこんな格好で再会するとは私も紫仁も想像してなかっただろう。

「痛くない方で」

「痛いよ、絶対。痛くなくない。どっちも」

「あはは」

 彼女の真っ黒な目と同じくらい生気の無い声を出した私の背中から、刺さった破片をピンセットで手際よく抜く音が聞こえた。生々しい粘着音と共に痛みが走る。右足の出血は治まっていたはずだったが、肉に刺さった破片を抜く音のせいで、力が抜け、今ある私の全ての傷口が開いたように感じた。

 声にならない声を出そうとする私にお構い無しで紫仁は処置を進めた。痛みは耐えられるものだったが、私は背中から聞こえる破片を抜く粘着音を紛らわせる為に、紫仁へ話し掛ける内容を探っていた。

「──最近どう?」

 この世にある最も曖昧中の曖昧な質問を唯一の親友に投げ掛けてしまったことに気付き、私は紫仁に対して、数年のタイムラグの影響を受けていることに失望した。

「どう、って何が?」

 質問した後にそう返ってくるなと理解していた私は、紫仁の返答にただ言葉を詰まらせるだけだった。

「私が居なくなってから、上手くやってんの?」

 取り繕うようにまた曖昧中の曖昧な質問をしてしまった。

「昨日は黒田さんを処置した。あと今朝はたい焼きを食べた」

「…そう。あんこ? カスタード?」

「今は救護課の課長」

「課長なんだね。……まだかかりそう?」

「こし餡」

「……そう。あ、あのさ。いまふと思ったんだけど粒餡派はこし餡食べれるのに、こし餡派は粒餡食べれない人多いよね? もしもこの世からこし餡が消えたら紫仁、どうすんの?」

「終わり」

 まさか、そんなことで絶望するのかと言いたくなったが、紫仁のその言葉は処置が終わったことに対する物だと気付き、私は口から出そうとした言葉を喉の奥の奥へ押し込んだ。

 先ほど交わした懐かしい音のする、テンポの合わない的外れな会話のおかげで、私と紫仁の関係性は、私がここを抜け出す前の何の気兼ねなく話せた時代に戻ったような気がした。

 彼女特有の独特なテンポの会話についていけない人もいるらしいが、長年ルームメイトをしていた私にとって、彼女から繰り出される会話のテンポは私の鼓膜の凝り固まった部分を刺激しほぐしてくれるものであり、突拍子も無い流れから外れた言葉でさえも心地良い。

「傷口開くからしばらく微動だにしないで」

 無茶なことを言い放った紫仁は、ゴム手袋を外し、マスクと手術帽を取る。そして大きく息を吐きながら紫仁は頭を軽く掻いた。

 襟足は胸の位置まで伸び、両耳にかからない程度の長さの黒髪は以前出会った時と同じくボサボサだった。横から見た彼女の欧米人のようなしっかりした顎の角度が昔から私は好きだった。

 そして左耳にかかった髪の、紫陽花あじさいの花びらを模した飾りが付いているヘアピンに目がいく。今にも目に入りそうな右側に分けられた前髪から覗く、いつもの伏し目がちな表情に微笑みを送りたくなる。

 数年のタイムラグの影響がいくらあったとしても、紫仁は私の大好きな紫仁のままだった。

 処置台から降りようとした私は右足の処置をされていないことに気付いた。

「紫仁、こっちは?」

「自然治癒」

「……あ、そう」

 あっけらかんとした紫仁の態度に圧倒され何も言い返せなかった。

 私は処置台から降りると、紫仁に手招きされ、かろうじて歩ける足で向かった先で丸椅子に座らせられ、上半身と右足を包帯でぐるぐる巻きにされた。これで合ってるのかと疑いたくなるが救護課の課長である紫仁が処置してるんだから間違いないと自分に暗示をかけた。

「……ふっ、可愛い」

 丸椅子に座っている私を見下ろしながら、鼻で笑った紫仁の声を聞いた瞬間、自分にかけた強力な暗示が一瞬にして解け、「あぁ、こいつはふざけてるんだな」と確信した。

 馬鹿にされた私は手を伸ばし、立っている紫仁にデコピンをした。

 紫仁は額を両手で押さえ、「……うっ」という小さな呻き声を漏らした。額から血が出ていないか確認し、額を何度か擦った紫仁は視線を合わさず、目線を下にしながら微笑んだ。

「久しぶり、礼央」

 紫仁らしからぬ言葉に私の身は硬直しかけたが、彼女が再会を喜ぶ私と同じ気持ちだったことが嬉しい。

 私は座りながら紫仁のいつもの伏し目がちな顔を下から覗き込んだ。戸惑う紫仁の目線はキョロキョロと動いたが私は無理矢理目線を合わせた。

 目と目が合うといつも表情が変わらない紫仁が照れたのが手に取るように分かった。それを見た私は吹き出してしまい、頬が緩んだ。私は座ったまま丸椅子を足で漕いでその場でくるりと一回転した。私のプリンのショートボブがふわりと舞う。

「久しぶり、紫仁」

 数年ぶりの親友との再会の味は、こし餡よりも食感が強く、粒餡よりも滑らかだった。


「G.O.」の施設内にある大部屋の病室に案内された私の心拍は98回/分と落ち着いてはいなかった。ベッドが4つほど置いてあり、2個ずつ対面するように配置されていた。各ベッドはカーテンで仕切られており、誰が寝ているのか、寝ていないのかは見た目では判断できなかった。

 処置が終わればみんなが待っている佐藤家に帰れると思ったが、そんなに簡単には、はぐれものを帰してくれないようだった。案内をしてくれたのは黒いスーツを着用した20代後半の女性だった。「働こGO」の職員だろう。

 私に対してノイズを発していない様子から殺し屋ではないと判断できた。ベッドに横になろうとしたが紫仁の言いつけを思い出し、ベッド上に長座位で座った。しばらくすると神田がやってきて、白い入院用の浴衣を着用している私の全身を舐め回すように眺めた。

「こうしてると普通の女の子って感じなのにな、もったいない」

 一体何がもったいないのかわからないかったが、嫌味を言われたのは理解できた。それを察知した神田はバツが悪そうに鼻梁を掻きながら視線を逸らした。

「……そうだ、42番に処置してもらったんだっけか? 仲良かったろ、お前達」

「ええ。紫仁は私のルームメイトです」

「あいつは確か……、シンの教え子だったよな。珍しく可愛がってたのを覚えてる」

 そうだったのか。シンが紫仁の教育をしたのか。しかし処理部の部長がそんな簡単に組織内の情報を部外者に漏らしていいものなのか、と思ったが、肝心なことは口にしないことで有名な神田のことだ、きっと紫仁の事はどうでもいい情報なのだろう。

「いつ帰れるんですか?」

「今日は、無理だな」

 神田は病室の窓の外の夜空を眺めた。窓の外には大きな駐車場が見え、遠くにマンションやビルなどがそびえ立っていた。そこに広がる夜空は、少し前まで私をLサイズの容器からつまもうとしていたなんて想像もつかず、もし私がここから手を伸ばしても、夜空は私の手を取り合ってくれないほど遠くにあるように感じた。


 翌朝、目が覚めるとカーテンで仕切られている隣のベッドから硬いものを何かを高速で叩くような物音がした。

 昨日私が眠るまでは、4つに仕切ったカーテンの奥からは音が全くしなかったのでその時にはこの病室には誰もおらず、私が眠りについた後で誰かが入ってきたのだろう。音に集中すると聞き覚えのある呼吸音がした。これは確か……。

「ま? とりま明日学校いくしか」

 カーテンを少し開くとベッドに座りながら、昨日襲ってきたグレーのスーツを着ていた彼女が、私と同じ入院用の白い浴衣を着ており、イヤホンを両耳にはめながらストラップを首に掛け、両手で持ったストラップに繋がれたスマホのキーボードを両親指で高速にタッピングしてるのが見えた。

 おそらく誰かと通話してるのだろう。覗いてる私に気付いていない。

「おけおけ、じゃ、おつー」

 彼女は会話を終えたがスマホのキーボードをタッピングし続けていた。


「おっはー」

 彼女はスマホを操作しながら、こちらに目をやることなく挨拶をした。その相手が私だと気付くのに数秒の時間が必要だった。

 昨日、シンにアッシーと呼ばれていた彼女がスマホの世界からこちらの世界に目を向けた先で私と目があった。私は視線を逸らす。

「なんか用っすか?」

 彼女の独特な息の多い発声は昨日と代わり映えしていなかった。唯一の変化といえば私が佐渡と間違えたハウリングやノイズの類が聞こえてこないことだろうか。

「いや、別に」

 バツの悪くなった私はカーテンを閉じ自分のベッドへ戻る。

「てゆーか、さっき部長が言ってたんだけど、うちにあんたの始末、依頼したの佐渡って人らしーよ」

 ベッドに戻った私にお構い無しで話を続ける。同時にスマホのキーボードを高速でタッピングする音が再開された。

「なんかー、部長はここの上の人がやったっぽい的なこと言ってたけど、とりま調べたらここの人じゃなかったぽい。元々うちらは誰が依頼したかわかんねーっしょ? で、部長が調べたら佐渡っていう人が昨日の依頼をしたんだってさ。てゆーかマジがんなえなんだけど。一桁が相手とか草だわ」

 昨日、神田に明日とも呼ばれていた彼女はマシンガンのように話した。初めてすれ違った時にはグレーのスーツを着ており20代くらいかと想像していたが、こうして話を聞いていると明らかに高校生くらいの若さを感じる。

 話し方から礼奈よりも幼い印象を受けた。礼奈の言葉遣いが綺麗な方で今どきの他の高校生はこんななのか、彼女の言葉遣いだけが異常なのかは分からないが、何にしろグレーのスーツを着るにはまだ幼いように感じた。

 彼女の話からするに、神田は「働こGO」、もしくは「G.O.」の人間の中で何者かが私を始末しようとしていると考えているらしい。そして、昨日の事も組織内の誰かが、隣のベッドにいる彼女に私の始末を依頼したと思い、現場に神田とシンの二人が赴いたということのようだ。

 勝手に私を始末すれば伯父さんとの軋轢が生まれることは間違いないだろう。しかし、結果として神田の話からすれば、彼女に依頼したのは、組織の人間ではなく私が林に依頼され始末した佐渡であった。

 その話が真実であれば、おそらく佐渡は石橋組の組長らが自分の始末をすると確信していたんだろう。そして石橋組の誰かが私に自分の始末を依頼されたことも知っていた。しかしまさか自分の舎弟だった林が自分の始末を依頼してるとは考えなかったのは佐渡のミスだった。逃走用の車を用意するように頼んだのが林だったのは佐渡の最大の失態だったということになる。

 自分が私に始末されると知っていた佐渡は「働こGO」に私の始末を依頼した。そして「働こGO」づてに依頼を受けたのは、この隣のベッドにいる彼女で、昨日私と鉢合わせし、あの乱闘が繰り広げられたということだった。

 私に始末されることを知っていた佐渡はあのビジネスホテルから一刻も早く出たかったのだろう。早めにホテルに着き、林に助けを求め逃走したかったのだろうと考えると、佐渡がホテルにいるはずの時刻よりも早くホテルにいたことも納得ができた。

 私の始末を依頼された彼女は、佐渡が提供した情報から、対象者が耳がいい殺し屋ということは知ってはいたようだが、以前に「G.O.」に所属していた一桁の番号の殺し屋だとは知らなかったと考えられる。彼女の年齢からしても私がここを抜け出したことは知らないようだった。

 そのため、彼女は無意味ではあったが155号室の水道を流し、音の妨害をし続けた。あの時、私は、グレーのスーツを着た彼女と155号室にいる人物の二人組の可能性を疑ったが、実際は彼女の単独犯であったようだ。

 そして私が3番であることを知り、驚愕していた。確かに私が彼女と同じ状況であれば「がん萎え」の「メンブレ」の「無理ゲー」であることは間違なく、まさに、ぴえんと嘆きたくなるなと思った。

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