2「バナナオレ」

 目が覚めるのはこれで人生何度目だろうとボーッとした頭で考えた。


 私は、起きてすぐにシャワーを浴びながら、帰ってきてそのまま着替えもせずに寝てしまった昨日の私に「Why?」を贈りたいなと考えていた。

 時間は13時35分。浴室のデジタル時計が間違ってなければ、この世界の時間も同じく13時35分であろうと思う。


 私は頭を洗い、右手から胸にかけて洗い、左手、お腹、右足左足、背中といつものルーティンで泡立てたタオルでゴシゴシと洗っていく。洗顔料を泡立て、顔につける。

 鏡に映った白塗りのような私の顔に描かれた目は、いつも通り何を考えているのかわからない、冷たい目をしてるように見えた。顔を流しさっぱりしたはずの私は、まだベトベトした汗と垢が体全体にへばりついて残っているように感じられ、もう一度そのルーティンを繰り返した。もう一度洗った顔を上げると二度目ましての鏡の中の白塗りの私は、変わらず冷たい目で私を見ていた。

 私の中の疲労とともに不安や緊張、焦り、恐怖、怒り、苛立ち、凝り固まった考えといった要らないものを湯船の温度がゆっくり溶かしていくのを想像しながら目を瞑り、顎付近までお湯に浸かる。

 全身がお湯の膜で覆われたせいなのか、目を瞑っているせいなのか、なぜか耳に入ってくる音に集中してしまう。


 私は1時間10万円で依頼を受ける。その依頼とは、対象者を始末すること。

 しかし、残念ながら殺し屋の世界は私には向いていないと感じることがある。対象者を始末する際には血が噴き出すこともあり、何度も私の顔や体に誰かも知らない血液が飛び散ることもある。それならまだいい。対象者との乱闘になった際には乱闘場となった部屋などが散乱し、対象者を始末した後に自分の後ろを振り返ると散らかった部屋に自分がいるという事実を認識して鳥肌が立つことがある。昨日なんかは特にひどかった。


 私はいわゆる潔癖症というものらしい。祖父に言われた。ちなみに母も祖父も極度の潔癖症だ。しかし、父の礼二と祖父の礼太郎と妹の礼奈は大雑把な性格で潔癖症とは程遠い。兄は、ただの綺麗好きなんだと本人が言っていた。

 うちの家族は潔癖症組と大雑把組で分かれているんだと法事で親戚が集まった時に祖父はよく言う。そして「お前は潔癖症だ」「お前は大雑把だ」と仕分けるのは恒例行事と言っていいだろう。私もその恒例行事の被害者の一人である。

 そんな性格だから私の依頼料の単価が高い。

 一つの依頼でも現場からは足跡一つ残さないことで有名な殺し屋は何人も知っているが、私もそのうちの一人だとこの世界では認知されている。

 そのため、一つの依頼に時間がかかってしまう。しかし、時間がかかってしまうことは殺し屋にとっては致命傷になる。だから私は短時間で他の殺し屋の倍ほどの量の仕事をしなくてはいけない。そのせいで依頼料の単価が高いのだ。

 さらには、私達は以前に依頼を受けた人の紹介でしか新たな客からの依頼を受けない。口コミでやっているのだ。つまりは粋な言葉を用いるならば「一見さんお断り」というやつだ。

 通常の殺し屋ならば『派遣会社「働こGO」』という、表向きはただの派遣会社だが、殺し屋と依頼主の仲介を行う会社に登録しており、依頼を受け報酬を頂くという形で仕事をしている。

 その代わり「働こGO」は現場の清掃や備品の提供、クレーム対応までも行い依頼料、仲介料の手数料を報酬としている。つまり、通常の殺し屋は対象者を消すだけ消して、現場の清掃や目撃者の対処は「働こGO」が請け負うことになっている。

 しかし、私は「働こGO」に登録していない。現場の清掃や備品の調達、現場の下見等を自分で管理しなくてはいけない反面、仲介料や手数料はかからない。つまりは自営業の殺し屋ということになる。だが、武器の調達や依頼主との直接の交渉は危険なため自分一人では行っていない。

 23歳という「女子」と呼ぶには大人びた「女性」と言うにはまだ幼い年齢の人間が犯すほどの生やさしいような危険じゃないと唯一のパートナーである伯父の礼一はよく言う。


 殺したいと思われた人間を処理する気分はどうかと聞かれると、よく分からないという答えが大半を占めている。あとは対象者が眼鏡をかけてるなとか、なんでアロハシャツ着てるんだろうなとか、くだらない発見くらいしか考えたことが無い。

 私にとっては他人だし、この人が何をしでかして恨まれているのか、誰にとって邪魔な存在なのかを考えている間もなく、私は一生懸命に依頼に没頭する事しかできない。

 私の仕事に余計な感情は必要ないといったら聞こえがいいが、ただ単に耳に集中して状況を把握する事でいっぱいいっぱいで、動いてる時は何も考えておらず、ふと我に返るのは息のしていない人間大くらいの食材の御造りを目の前にした時くらいだ。その後はすぐに現場の整理と清掃と、証拠の隠滅に大忙しでその時も周りを気にして耳に集中しているので、作業中同様に考える余裕は無い。


 しかし、昨日の業務で清掃のみを「働こGO」に依頼したのは正解だっただろうか。

 昨日の依頼では業務終了目安時間が2時間を指定された。あとは対象者を始末したあとに依頼主が私の業務終了の確認の為に電話だけでは安心しないと言い、直接現場に訪問してくるとのことだった。しかし、昨日は予定の時刻よりも対象者が遅く帰って来てしまった為に業務時間が大幅に伸びてしまった。私の予定では15分で始末して残りの45分で整理、清掃、証拠の隠滅をして、ゆっくりシャワーを浴びて伯父さんの軽トラを待っているはずだった。

 清掃中に依頼主が訪ねてきたら私の評判は下がり、報酬を減額されてしまう。それならまだいい。

 もし、乱闘中に依頼主が来てしまったら、とんでもないクレームとなり、私への依頼が急激に減っていくことは間違いない。この手の世界の依頼主は繊細で敏感な人が多い。

 ただでさえ口コミだけでやっているのだ。私の信用問題に関わる。時間が伸びてしまい、私と依頼主が鉢合わせるのだけは避けたかった。そのため始末が遅れ、清掃にかける時間が無くなり、伯父さんは仕方なく「働こGO」に連絡し、清掃を手配した。

 結果的には1時間47分で依頼は終了し、依頼主にも鉢合わせせず、「働こGO」の人間にも見つからず、現場を立ち去れた。しかし、懸念は残る。依頼どおりに事は済んだので依頼主からの苦情は何もないと思うが、「働こGO」がどう動くかが心配だ。

 訳あって「働こGO」から身を隠している私としては、姿を見られていなくても何か私を特定できる証拠を現場に落としてしまってないか、それを懸念している。

 一日経って何も無ければ大丈夫だろうという短絡的な伯父さんの性格が羨ましく思えた。しかし、伯父さんの言うように私に今できることは何も無い。かと言って「普通の日常を過ごしていいんだよ」と誰かに言い聞かされているようで、遅い朝食を食べている最中も居心地が悪かった。


 キッチンから少し大きめのモーター駆動音が聞こえ、ほぼ同じタイミングで何かを粉砕しているような連続的な鈍い音が聞こえた。私が我に返りキッチンに目をやると母がミキサーで白い液体のようなジュースを作っていた。母は真面目な面持ちでミキサーの蓋が外れないように押さえている。

 作り終えた母は「飲む?」と私に尋ねた。怪訝な顔をした私を見て、向かいに座っていた祖母が少し笑った。

「そんな危ないもんじゃないよ。バナナオレだって」

 私達の様子を見た母が言い訳のように話す。

「礼奈の友達のお母さんから貰ったんだってさ」と祖母はお茶を啜りながら私に言う。

「意外と一本一本が大きくて、食べきれないの。黒ずんできたし早く消費しないと」

 母は自分に言い聞かせるように少しボリュームの大きな声で私、もしくは祖母に話す。差し出されたバナナオレは妙に泡立っていてこれで正解なのかと疑問に思ったが、佐藤家ではめったに出ない代物の為、有り難く頂いた。想像してた味の1.5割増しでバナナの食感が残っていた。母は感想を求めるように飲み終えた私を見た。

「まぁまぁ」

 素っ気ない私の反応が予想通りだったようで 「あ、そう」と母はキッチンに戻っていった。

 そういえば昔も同じようなバナナオレを飲んだことがあるなと思い出した。確かあれは家族皆で伊豆に旅行に行った時のこと。伊豆の熱川にある、熱川バナナワニ園に行った事を思い出した。

 バナナとワニというよく分からない組み合わせの施設で、ワニのいる本館とバナナのある分館で別れており、私は置物のように微動だにしないワニを眺めたり、初めてこの目でバナナが実っている所を見た記憶がある。

 そこの分館にあるフルーツパーラーで採れたてのバナナで作ったバナナジュースがあると有名で私達家族は分館に向かったのだが、何を思ったのか、祖父と父は「パパイヤなんて珍しい」とパパイヤジュースを頼み、兄と礼奈は「お腹が空いた」と言い、みかんとパイナップルの入ったフルーツサンドイッチを頼み、祖母と母は「兄と礼奈のフルーツサンドイッチと父と祖父のパパイヤジュースを貰うだけでいい」と言った。

 バナナワニ園なのに誰一人としてバナナの名前の付くものを頼まないという変わり者一族が来てしまって、店員さんに申し訳なくなった私は、ひとりバナナジュースを頼んだ。そして他の注文よりも遅く出てきた私のバナナジュースは、皆の注目の的であり、母は「さっきあそこで実ってたバナナかな?」と期待の目で見ていた。そこまで注目するなら皆頼めばいいのにと思いながら居心地の悪い一口を頂いた。

 その時のバナナジュースの食感と母の作ったバナナオレの食感が似ているのか、もしくは私が上げた訳でもないのに、随分と高くなっていたハードルを飛び越える私に注目する皆、という昔と酷似する環境が、私の味覚に作用して、脳の記憶に関わる器官である海馬を刺激し、熱川バナナワニ園のあのバナナジュースを思い出したのかも知れない。


「バナナワニ園、思い出した」

 私が呟くと「あぁ! 懐かしいわね」と母と祖母で伊豆の旅行の話にたんぽぽくらいの花を咲かせ始めた。

「これ買ったの覚えてる?」

 母はキッチンから緑のキャラクターがいくつか描かれたマグカップを取り出して来た。

 そのマグカップを見た瞬間、全身にスズメ程度の鳥肌が立つのを感じ、一瞬汗ばんだ背中に、着ていたオーバーサイズのTシャツがうっすら張り付いたのを感じた。

 私はそのマグカップに描かれていたキャラクターが「熱川ばにお」だという事を一瞬で理解した。そうだ、これは熱川バナナワニ園に行った時にお土産で買って貰ったものだ。


 この、ワニがバナナを持っているポップなキャラクターの名前は「熱川ばにお」。

 なんと捻りも打撲も無いような名前だが、この語感に当時小学生だった私は気に入ったのだった。

 熱川ばにお。私の勝手な推測だが、おそらく次男、熱川家の。

 滅多に物をねだらない私が珍しく「熱川ばにおマグカップ」をねだったものだから、母は随分と目を丸くしていた。一方、当時私は頭の中で「あたがわばにお、あたがわばにお」と繰り返し彼を噛み締めていた。

 買って貰ってからはしばらく使っていたが、私が高校生になる頃にはいつの間にか熱川ばにおの影も形もない、赤と白のストライプのマグカップを使っていた。

 何かをあんなにも愛おしく思った経験はあれが初めてだった。きっと大袈裟に言えば私は彼に恋をしていたのだろうと、母が持ってきた「熱川ばにおマグカップ」を眺めながら思った。

 そしてさらに私の初恋は知らぬ間に赤と白のストライプに塗り潰され消されてしまったのかと儚く思う。同窓会で当時いい感じになっていた相手と久しぶりに会話している感覚、は味わったことないがおそらくこの感覚に近いものだろうと思いながら私は「熱川ばにおマグカップ」に入れた二杯目のバナナオレを一口啜った。

「泡、多いね」

 呟く私に祖母は微笑んでいた。そして、私の初恋の味は「妙な緊張感で飲む、泡と食感の多いバナナジュース」とちょうど今朝に定義された。


 今夜の依頼の対象者は暴力団の幹部である佐渡だった。

 伯父さんは2日連続で大丈夫かと私の体を心配していたが、依頼を受けたのは伯父さん本人だ。おそらく私を労う風を装ったのだろう。きっと伯父さんは本心では2日連続の勤務であっても、私は業務内容に支障をきたさない事を理解している。

「まぁ、いつもよりも簡単だから」と言いながら軽トラの助手席に乗った私に渡された書類には、いつもどおりの書式で対象者の顔とよくいる場所、簡単なプロフィール、依頼の詳細、依頼主の希望が載っていた。プロフィールに「好きな食べ物→杏仁豆腐」と記載されている。いつも思うのだが、果たしてこの好きな食べ物の情報はいるのかと尋ねたら「いろんな殺し屋がいるからな。プリンに毒を入れて冷蔵庫に入れておくっていうやり方で始末をした奴もいるくらいだから」と伯父さんは言っていた。おそらく、どんな些細な情報も全て把握して、それを上手く利用して業務を行うんだ、と言いたかったのだと思うが、今の私にそこまで理解してあげるほどの優しさと余裕は無い。

 今夜の対象者の「よくいる場所」は郊外にある「トウカイ」というビジネスホテルらしい。おそらく今回の現場はそこになると思われる。


 伯父さんの軽トラに揺られながら、1時間と数分。耳栓をはめ、眠りについていた私は、車のエンジン音が止み、停車するのを認識したと同時に伯父さんに起こされた。

 速度メーターの隣にあるデジタル時計は19時14分を表示していた。残念ながらここまでの時間は勤務外とカウントされ報酬は発生しない。

「働こGO」であればこの時間も通勤時間ではなく業務時間として報酬を貰えると伯父さんは言っていたが、ないものねだりをしても仕方ない。

 着いた先は山奥と呼ぶには便利な、しかし、都会と呼ぶには不便すぎる程度の田舎の町だった。田んぼ道の脇に軽トラを停め、私と伯父さんは車から降りた。

 肥やしの匂いが鼻を通り、車内ではめていた耳栓を外すと何種類かのカエルの鳴き声が耳の外耳道で溢れた。咄嗟のカエルの鳴き声に耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、数秒後には、私の耳はこの田舎の世界に適応し、ただの雑音として認識することができた。

 数十m先には、どこの誰に需要があるのかわからないようなベランダが各部屋についているアパート風の無頓着なビジネスホテルが2棟ほど見えた。

「ここから見て右手のビルの15階だ」

 伯父さんは軽トラの荷台に置いてあったバッグから何かを探しながら、肝心のビジネスホテルに目をやることなく話した。私は言われたビルを眺める。一体どんな人がこの辺鄙な場所にあるビジネスホテルを利用するのか一瞬頭によぎったがそんなことで頭の中を満たすのはもったいないと感じすぐにやめた。

「あのビルの162に予約を入れてある。昨日チェックインして荷物は入れてあるから」

 伯父さんの言う162という数字は部屋番号のことであろう。しかし、もう荷物を運んでるとは。まさか前から2日連続で仕事があるとわかっていながら私に何も伝えず、「いや、2日連続なんて参っちゃうよな」と被害者ずらをし、何も知らなかった風を装う伯父さんを責めたい気持ちになったが、その気持ちで私の頭の中を満たすことももったいない。伯父さんからルームキーを預かり羽織っていた黒のパーカーのポケットに入れた。

「昨日の現場に行く前に?」

「ああ」

「対象者はもういるの?」

「いや、22時頃に戻ってくるらしい」

「そう」

「じゃあ終わったら、また」

 そう言いながら伯父さんは軽トラに乗り込み運転席の扉を閉めた。ダンッと音がしたと思ったらすぐにエンジンを始動させた音が聞こえ、あっという間に去っていった。


 残された私は畦道を見渡した。そこには暗闇と数m先に見える街灯の小さな光だけが存在し、先ほどまで停まっていた軽トラも伯父さんも、もしかしたら私までもが、はじめからこの世に存在していないように感じた。けれど、何もないこの真っ暗な世界は私を除け者にするわけでも、歓迎するわけでもなく、ただただ純粋に闇を広げていた。

 まだ耳に残っている伯父さんがバッグを漁る音、伯父さんの声、ルームキーを手渡した時の鍵が部屋番号の書かれたプラスチックのキーホルダーと当たる音、軽トラの扉を勢いよく閉める音、エンジン音、タイヤとアスファルトがこすれる音、マフラーの排気音がこの暗闇の静寂をより際立てた。もうカエルの鳴き声は全く聞こえない。


 私は162号室に向かった。

 フロントでは大きなボストンバッグを抱えた若い女性としか思われなかったろう。対応してくれた40代くらいの女性は私と目を合わせることなく、終始私の口元を見ていた。声からは流れ作業をしているような無機質な印象を感じた。きっと私のことなんか何も記憶に残ってないだろう。

 162号室に入ると、まずシングルベッドが目に入った。伯父さんが用意した大きめの黒いバッグが2個ほどベッドの上に置いてあった。あとはテレビと壁沿いにつけられた細長いテーブルと椅子があり、椅子に座ると見える場所に鏡がある程度。必要十分といった部屋だ。ここの部屋の下に152号室があり、対象者の部屋は158号室。下の階に行き、北に向かった5番目の部屋だ。まぁちょうどいい。

 対象者はおそらくここを拠点としているのでは無く、点々としてる場所の一つだろう。ここ数日はこのビジネスホテル「トウカイ」の158号室にいると書類にあった。伯父さんいわく、佐渡は昨日もこのホテルに泊まっているらしい。


「今日、佐渡がここに帰ってくることは間違いないだろう」と言っていたのは石橋組の幹部の林だ。

 今回の対象者である佐渡からは一年程前に依頼を受け、私の仕事ぶりに満足したのか、その後も3回程依頼を受けている。

 依頼者の林からも半年前に依頼を受けて以来、同様に私の仕事を気に入ってくれ、その後は2回程度依頼を受けた。

 どれも自身の所属している石橋組の組員の始末であり、佐渡は「俺は石橋組の幹部で、面倒ごとを起こした舎弟や派閥争いで邪魔な組員を消す役目を担っているんだ」と2回目に依頼を受けた時に伯父さんに話していたらしい。

 3回目の依頼の時は私もたまたま依頼受注の現場に居合わせ(と言っても普通に伯父さんのマンションに遊びに行っただけなのだけど)面識がある。伯父さんとも親しくしており、佐渡自身も身なりは細身だが、人柄はよく私に会うと笑って「こんなお嬢ちゃんが俺のケツを拭いてくれてたのか。申し訳ねぇな」とガハハと吹き出しが見えるくらい大声で笑っていた。

 一方、林は初めは佐渡の舎弟として知り合った。幹部の舎弟だからそこそこ石橋組の中での地位は高いのだろう。佐渡よりも体は大きく中肉中背といった感じ。ヘラヘラしている佐渡とは違い、背筋が良く、常に足の裏の何かが地面に刺さっているのでは? と思うほど動じない。あと無口。それが印象に残っている。その後に伯父さんが林と出会った時は幹部になっていて新しい舎弟を連れていたとのことだった。

 佐渡の紹介で林は私に仕事を依頼し始めたのだが、佐渡にとっては不幸なことに林は石橋組の組長に任され、私に佐渡の始末を依頼したという経緯らしい。おそらく仕事が思った以上に出来る佐渡は組長の右腕からだいぶ上に登り、右肩を通過し、首を通過し、更には顔を通過してしまって、いつの間にか「目の上のたんこぶ」になってしまったのだろう。私という殺し屋とコンタクトが取れ、いつでも佐渡が殺しを依頼出来るということは、いつでも組長自身が対象者になる可能性があるということに怯えて暮らす一抹の不安を消したかったからじゃないかと林は伯父さんに話していたらしい。

 常連客の仕事は一度経験がある以上、現場の空気感や対象者の雰囲気が似ていて、体が覚えていることもある。それに知らない仲じゃないから、と伯父さんは話していた。


「知らない仲じゃないから、行動パターンがわかりやすくて楽だろう」なのか

「知らない仲じゃないから、今日の仕事は辛いな…」なのか


「知らない仲じゃないから、


 その続きは何なんだろうか。なぜ伯父さんはその文のかぎ括弧を閉じるのを忘れたのか、もしくはなぜ敢えて閉じ忘れたのかは私の頭で理解しないつもりでいたが、伯父さんの声を聴いてどんな顔をしてるのかだけは、なんとなく私の耳は理解してしまった。

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